4.幼児、更に縮む疑い

来客があったのは幼児を寝かせて、すぐの事だった。


朝ご飯の片付けをしつつ、電子レンジでチンしたウィンナーを齧り、スマホで幼児向けの消化に良いオヤツを検索していると、玄関ドアが叩かれる音がした。

この辺りの家は基本的にドアフォンを付けない。

玄関に鍵をかけることが殆どないので、用事がある時は勝手に玄関に入っていって声をかけるスタイルなのだ。

しかし禅一は鍵をかけない文化には、あまり馴染めず、常に鍵をかけているので、玄関のドアが叩かれる。


「どちらさん?」

そう玄関の内側から声をかけると、

「かーちゃんに、お裾分け持っていけって言われて来たー!」

「馬鹿!『来ました』だろ!」

「りんごーーー!持ってきたーーー!」

外から数人の子供たちの声がする。

普段この村では過ごしておらず、市街地の大学に通っている禅一たちを、村の者たちは遠巻きにしているので、子供が訪ねてくるなんて珍しい。

意外に思いつつ、禅一は玄関ドアを開ける。

狂信的な輩は若年層にはいないので、安全と判断した為だ。


「若様、こんにちは!!」

ドアを開けると、小学校高学年くらいの子が、大きな声でそう言って、深々と頭を下げる。

「こんにちは〜!」

「こんちゃーっす!」

それに倣うように、中学年くらいの子二人も頭を下げる。

兄に手を引かれている、まだ幼い子はよくわからないなりに、「こんちゃ!」と挨拶をしてくる。


「えっと、お裾分けか?」

「はい!とーちゃんが市場に行った時に、リンゴをたくさんもらってきたから、若様に持っていけって。かーちゃんが。中に入っていいですか?」

尋ねると、ニコニコしながら一番大きな子が、リンゴが沢山入ったビニール袋を見せる。

子供に避けられる傾向にある禅一は、自分に怯まずに、グイグイと話しかけてくる子供に、少し戸惑う。

「あ、あぁ、有難う」

そう言って迎え入れると、子供たちは全員ゾロゾロと入ってくる。

そして全員入った所で、最後に入ってきた子がドアを閉める。

何故かご丁寧に鍵まで閉めている。


「………?」

禅一が少し警戒心を抱いていたら、子供たちは各々の背負っていたリュックを下ろす。

「母ちゃんたちが、これ持ってけって」

「ジジーたちに見つかると厄介だから内緒って」

「小さい子がいるんだろ?母ちゃんが気にしてたんだ!」

「こえね、りょーのちぃさいときのふく!」

するとリュックからは紙袋やビニール袋が出てきて、次々と並べられる。


幼児用の服、靴、ベビーオイルや小さい子用のシャンプー・リンス、爪切り、ウェットティッシュ、折り畳みの足台、簡単な絵本、そして……

「これは……おまる?」

紙袋に入っていた、某国民的アニメヒーローのくっついた便座のような物を見て、禅一は首を傾げる。

「補助便座だよ。リョウより小さい子なんだろ?便器の中に落ちないようにつけるんだ」

「りょーはもうお兄さんだから、つかわないの。だからちっちゃい子にあげて」

おそらく直前の持ち主であったであろう子が胸を張る。

「すまない……こんなに貰ってしまって良いのか?」

あまりに沢山の量を、ほぼ見ず知らずの相手から貰ってしまって、禅一は戸惑う。


「母ちゃんたちが『若様があの子を守ってくれて良かった』って」

「リコン覚悟で自分たちが行くしかないと思ってたら、若様がヤオモテ?に立ってくれて助かったってさ」

中学年の子達が意外な事を言う。

「隠れて支援するしか出来なくて申し訳ないって。これ、母ちゃんが渡すようにって」

年長の子が半分に折られた紙を、禅一に手渡す。

開いてみると英数字の羅列が書かれている。

「何か困ったことがあったりしたら連絡くださいって」

どうやらアプリのIDらしい。


子供たちはゴソゴソとポケットを探ると、おもむろに取り出した風船を膨らまし始める。

上手くできない小さな子の分は、年長の子が作り、それらを各々のリュックに入れる。

「これ、絶対ナイショな。ババーに知られたら、かぁちゃん、いびられちゃうかも知れねぇから」

「母ちゃんたちも頑張ってるんだけど、ここの年寄りは怖いからさ」

どうやらリュックから何かを取り出したと知られないための、偽装工作らしい。

「あんまり時間をかけたら、年寄りたちが疑うから。若様、小さい子を守ってあげてください」

年長の子が深々と頭を下げると、それに小さい子たちも倣う。

「有難う。正直、色々困っていたから、すごく助かったよ。後でお母さんにもご連絡するから」

そう言って頭を下げると、彼らはニヤニヤと少し恥ずかしそうに笑って、あっという間に鍵を開けて出ていってしまう。


全員が顔見知りで、全員が監視しているような中で、それらを掻い潜って支援を届けてくれた事、支援しようとしてくれている人がいる事に、禅一は胸が熱くなる。

弟からも呆れられ、自分でも厄介事を拾いに行ってしまった自覚をしながらの孤軍奮闘だったので、有り難さがひとしお強く感じられる。

そして、この村の者だからと、十把一絡じっぱひとからげにして、交流をしてこなかった事に、罪悪感も同時に覚える。

本家に連なる毒どもの態度があんまりだったので、ここに住んでいる者は全て敵だと思い込んでいた。

村に入ると絡みついてくる視線が不愉快で、与えられた離れに引きこもり、挨拶すらしてこなかった。

あんなに小さな子まで、見ず知らずの子供を心配する心を持っているのに、それを見ていなかった自分が恥ずかしい。


禅一は貰ったIDをもとに、丁寧なお礼と、面と向かってお礼を言えない事を謝罪する文を送る。

碌に口さえきかず、名前はおろか存在すら認識していなかった相手に、突然頼るのは烏滸おこがましく感じて出来ない。

貰った物を確認しようと禅一がしゃがみ込んだ時、奥の襖がガタガタと揺れる音がした。

「う〜〜〜!!」

幼い声もその音に被る。


「起きたのか?」

そう言いながら、禅一は注意深く襖を開ける。

襖のすぐ先にいるようなので、まろび出ないように、気をつけないといけない。

襖の奥では幼児の元気の良い声が聞こえる。

「あ、あぇいまぃ……」

襖を開けた途端、幼児は少し遠慮した表情になる。

「どうした?もう腹が減ったか?」

通じないと知りつつも、禅一は出来るだけ柔らかい声でそう尋ねる。

どうも容姿が威圧的らしく、女性や子供から怖がられることもあるので、態度で味方である事を示していかねばならない。


しゃがんで覗き込んだ幼児は、禅一を忘れた感じではない。

ただ、何やらモジモジしている。

「ううっ!!」

しばらくモジモジしていたが、やがて幼児はお腹を押さえる。

「大丈夫か?」

やはり起きたてにタンパク質は内臓に負担をかけたかも知れない。

心配して覗き込むと、幼児はプルプルと震えつつ目に涙を溜めている。

「〜〜〜〜〜っっ」

そして耐えきれなくなったように、股を押さえて、その場で駆け足を始める。

「トイレか!!」

瞬間理解した。


何処かで、幼児の膀胱は小さいから我慢が効かないのだと聞いたことがある。

禅一は焦って幼児をトイレに連れて行く。

「ほら、トイレだぞ!!」

漏らす前について、禅一はホッとするが、幼児は足踏みをしながらオロオロしている。

「………トイレだぞ?」

和式なら戸惑う事も考えられるが、これは洋式だ。

背中を押して使って良い事を示すが、幼児は引き続きオロオロとしている。

トイレぐらいは外国の子供でもわかるはずなのに、

「え?え?まぬぃうぇうぇいーちるまに?え?にゃいにゅ?」

足踏みしながら、うぃうぃと何事か呟いている。

「ほら、ここでするんだ」

蓋を開けて指さすも、何事か驚いたように叫ぶだけで動こうとしない。

「やんにゅみぃ………?」

幼児は座面に手を掛け、便器の中を覗き込む。

幼児の体に対して、便器は凄く大きい。

その姿を見て、漸く禅一は思い至った。


「あ、そうか!デカすぎるのか!!ちょっと待って!我慢!我慢だ!!すぐ戻る!!」

ついさっき話を聞いていたのに、忘れてしまっていた。

禅一は貰った紙袋の中から、慌てて補助便座を掴んでトイレに走り戻る。

何か色々と固定具が付いているが、今は説明書を読んでいる場合ではない。

「えっと……とにかくのせれば良いな!!」

もうかなりの時間我慢させている。

漏らしたら大事だ。

「はい、下脱いで!!」

「あひゃっ!?」

紐を絞って履かせていた短パンを下ろし、幼児を便座の上に乗せる。


幼児は驚いたらしく声を出しながらバタバタしていたが、便座に乗った途端、脱力した。

「危なかった……間に合った………」

あと一秒でも遅れていたら大惨事だった。

これくらいの歳の子でも、漏らせばきっと精神的なダメージを食らっただろう。

無事に回避できた禅一は安堵の息を漏らす。

「〜〜〜♪ 〜〜〜〜〜〜♪ 〜〜〜」

「ぴっ!!!」

幼児はそんな禅一の焦りも知らずに、呑気に音楽を鳴らして遊んでいる。


「へえ、これ、音楽も鳴るのか」

補助便座はお子様に人気なキャラがついているので、もしかしたらこの子もこれを使っていたのかも知れない。

「自分で拭けるのか………?」

はなはだ疑問だが、禅一はトイレットペーパーを手に取る。

補助便座には自分の手を入れられる隙間は無さそうだから、どうやって拭けば良いのか悩む。

「拭けるか?」

トイレットペーパーを渡すが、幼児はキョトンとしている。

「やにぃみぃにぃ!?」

そして手渡したトイレットペーパーを、広げたり破いたりして遊んでいる。


(あ〜〜〜、もしかして知ってる形と違うのか?トイレットペーパーって万国共通の形じゃないんだな)

禅一はどう説明したものかと首を傾げる。

「拭くんだ。わかるか?ふ、く」

言葉が通じないなら、ボディーランゲージしかない。

禅一は尻を拭く動作を繰り返し見せる。

最初はキョトンとしていたが、何か思い至った顔で、幼児が拭き始めたので、禅一は思わず拍手をする。

これはきっと世界共通の仕草に違いない。

拍手された幼児は、少し照れながらも嬉しそうに笑って、トイレットペーパーを便器の中に捨ててくれたので、更に禅一は拍手する。

近隣国ではトイレットペーパーを便器に捨てない所もあると聞くので、出されたらどうしようと思っていたので、拍手に力がこもる。


拍手された幼児は嬉しそうに笑っている。

「綺麗になったか?もう一回拭くか?」

座ったままなのでもう一度拭きたいのかと思って、トイレットペーパーを渡すが、もう一度拭いても、幼児は便座から降りない。

足をブラブラさせている。

(………あ、自分では降りられないのか!!)

漸く思い至って禅一は幼児を便座から引っこ抜く。

(そうか、色々と自分でできないんだよな。小さいんだから)

納得しながら、便座から降りて、ぼんやりしている幼児に、短パンを履かせる。


妙に元気よく、掛け声をかけながら短パンを履く姿を見ながら、禅一は先程貰った洋服を思い浮かべる。

後でサイズの合う服を着せてやるとして、先程来ていた子供たちは全部男の子だったから、流石に下着は入っていないだろう。

この田舎に洋服店など無いので、早めに市街地に出ねばならない。

「良くできました」

短パンを履いて仁王立ちしている幼児がおかしくて、禅一は笑いながら褒める。


補助便座は簡単に拭いて、便器の横に置いておく。

トイレの蓋を閉めずに水を流すと、空気中にその水が飛び散るとの話を聞いてから、禅一は蓋を閉めて流すようにしている。

流れる所が見たかったのか、幼児は蓋を開けようとするが、禅一は苦笑しながらそれを止める。

「こらこら。流してる最中に開けたら汚いぞ。さ、手を洗おう」

しかし禅一が余裕でいられたのはここまでだった。


幼児を抱え上げて手を濡らす。

「石鹸つけような」

そしてハンドソープを手にかける。

幼児は手にかけられたハンドソープを不思議そうに眺めている。

「ごし、ごし。してごらん?ごし、ごし」

そう言ってみたが、やはり通じない。

幼児は困ったように首を傾げている。

仕方ないので、足の上に幼児を乗せて、代わりに手を擦ってやる。


すぐに白い泡が出て―――と、思っていた禅一は、我が目を疑った。

ハンドソープが泡になる間もなく、真っ黒になって流れて行く。

「………嘘だろ。泡が立たないなんてあるか……?」

しかもこの真っ黒な液体だ。

尋常な汚れではない。

一度流して、次こそはと、少し多めにハンドソープをかけて洗う。

しかし次も結果は同じだ。

少し黒の度合いが良くなった気がするが、泡になれなかったハンドソープがしたたり落ちて行く。

「……嘘だろ……」

確かに黒くて、垢が目立つとは思ったが、まさかこれ程とは。


三回、四回と洗うたびに少しづつ泡立つようになり、五回目で漸く白い泡が立つ。

「泡立った!!」

思わず歓喜の声をあげるが、やはり泡はすぐに薄汚れた色になってしまう。

(もう一回………いや、洗い過ぎも肌に負担が……)

そう思いながら手をざぶざぶ流すと、泡の下から真っ白な手が現れる。

「まぁっ!」

幼児が嬉しそうな声を上げる。

禅一も心の中で悲鳴を上げていた。


(まさかの白人だーーーーー!!)

肌の白さが、日本人のそれと根本的に違う。

一目で人種が違うことがわかる白色だ。

全体的に茶色っぽいので、中東とかその辺りの子供かと思っていたが、やっと出て来た皮膚が、それを否定している。

禅一はゴクリと唾を飲む。

(と、言うことは、この、浅黒い所全部………垢か!!)

真っ白から茶色、そして黒っぽい茶色。

手と手首のグラデーションが凄い。

そして見間違えでなければ、垢の層が1ミリくらいはある。

(皮の下にすぐ骨かあると思っていたが………まさか、まさか、その皮の上に垢の層があるなんて……!!)

こんなに細いのに、垢を剥がしたら更に縮む可能性があるなんて。

骨皮ガリガリで、ほぼ餓鬼だと思っていたが、洗ったら立派な餓鬼になってしまう。


しかし垢で肌が塞がっているなんて、絶対不健康だ。

どこか皮膚病になっているかもしれない。

(だが、痩せ衰えた体を風呂に入れるのは……)

そう思って躊躇っていた禅一の目に、幼児の頭頂部が入る。

髪が黒いから頭も黒くて当然と思っていたが、よく見たら、頭皮も黒い。

沢山のひび割れがあり、堆積した皮膚や垢を割って、髪が押し出されるように生えている。

ど根性大根などと銘打たれた、アスファルトから生えて来ていた大根を思い出させる光景だ。

(このままいくと、毛根が死んで、この子の髪は生えてこなくなるんじゃないか………?)

この歳でツルツル。

禅一の脳裏に学校なんかで、いじめられる姿が思い浮かぶ。

白くなった手を嬉しそうに掲げながら、求愛ダンスの進化系のような踊りを見せている、この無邪気な子に茨の道は歩かせられない。

「ふろ………ふろだ。うん……ふろだ」

彼は我知らず呟く。



先程、こちらが困ってるからと言って、手の平返しで頼ることなど出来ないと思った小さな矜持きょうじは、ゴミ箱に捨てることにした。

『すみません。幼児を風呂に入れる上で、相談に乗ってもらえないでしょうか?』

一も二もなく、子育て経験者に連絡を取る禅一だった。

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