第6章 決意と覚悟と告白と
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伝説と呼ばれる小説家、yakan。
唯が初めてyakan――神崎昼間と出逢ったのは、十年前のことだった。
十年前のあの日。
唯の母親が、息を引き取った。
母は、とても優しい人間だった。
父親に捨てられ、男に騙され友人に裏切られ、仕事も上手くいかず、何をやっても思い通りにいかない人生だと嘆いていた。
それでも母は、唯のことだけは大切に育ててくれた。この世でたったふたりだけの家族。これ以上はないくらい、母は唯にたっぷりと愛情を注いでくれた。
――どんな時でも笑顔でいなさい。
母の教えは、唯を幸せにする魔法だった。
そんな母が。
唯の十歳の誕生日に、自ら命を断とうとした。
唯には、母の苦しみが分からなかった。
何も気づいてあげられなかった。
病院で眠る母を見て、それでも唯は。
ずっと一緒にいるからね、と。
目が覚めたら、ちゃんと話してね、と。
笑顔で母に語りかけ続けた。
それから一ヶ月後。
一度も意識を回復することなく、母はこの世を去った。
十年前の、あの日。
唯は、母の後を追うつもりでいた。
そこで唯は、ひとりの少年と出逢った。
神崎昼間。
彼の下げていたポーチには、そう書かれていた。
少年と何を話したのか、実を言うと、唯はあまり覚えていない。
ただ、いきなり本を読み始めて、怒りだして、慌てだして、そうしたら、一緒に本を読もうと言い出してきた。
変な人だった。すごく怖かった。
それでも彼の優しげな声に導かれて、唯も一緒に本を読んだ。
それからの時間はあっという間だった。
少年は、唯の声を誉めてくれた。
ヒロインの子にぴったりだと言ってくれた。
唯の声が、とても好きだと。
誇れるものが何もなかった唯にとって、彼のその言葉はとても嬉しかった。
そして唯は、昼間とひとつの約束をする。
しかしその日を最後に、彼が施設を訪れることはなかった。
中学生になり、唯は施設のオーナーに勧められて、唯一自分で誇ることの出来る声を活かした仕事――声優の道へと進んだ。
世間では唯よりもひとつ年上で、とんでもない才能を持った小説家が現れたと話題になっていた。
しかし唯には関係のないことだ。
当時はそう思っていた。
高校生になった唯に、ひとつの奇跡が起こった。
神崎昼間。
あの日、唯と約束をした少年が、同じ高校に通っていたのだ。
唯はすぐにでも、彼に話しかけたかった。
しかし昼間の目は、あの日にはあった輝きを失っていて。
何の感情もない、薄っぺらな笑みの仮面を張り付けていた。
後に分かったことであるが、彼は唯と初めて出逢った次の日に、最愛の母を亡くしていた。
ずっと想い続けていた約束の少年を前にして、唯はどうしたらいいのか分からずに。
何も持っていない唯は。
何もしてあげることが出来なかった。
――『Azalea』
yakan作品の中でも最高の傑作。
唯と昼間の、約束の物語。
五年の時を経て、再び唯の前に、その物語は現れた。
伝説の小説家yakan――神崎昼間。
二度目の奇跡が起こったと、唯は思った。
それからの唯はただひたすらに、声優として積極的に活動していった。
いずれ『Azalea』がアニメ化した時には、自分がヒロイン役を努めるのだと密かに努力しながら。
それが、唯が声優になった意味だと、運命だと感じた。
高校時代。一度だけ、昼間と直接話をしたことがある。
あの時何を話したのか、実を言うと、唯はあまり覚えていない。
昼間は唯のことも、約束のことも忘れているみたいだった。
それでも変わらない優しげな声は、あの頃と何も変わっていなかった。
……最後に勢いで告白してしまったことだけは、どうか忘れていてほしい。
唯は血の滲むような猛勉強の末、昼間と同じ大学に入学した。
また彼のことを遠巻きからでも見ることが出来る。
唯はそれで満足――するつもりだった。
しかし大学二年となった昼間の隣には、一匹の妖精がいた。
あろうことか、彼は〈妖精憑き〉になっていて、昼間の周りには妖精に惹かれた多くの人が集まっていた。
唯は急に怖くなった。
大好きな先輩が大学ではモテモテになっていて、いつか彼女が出来て、唯の知らないところに行ってしまうのではないかと。
だからあの日。
唯は勇気を振り絞って、
「かん……昼間先輩! わ、わわわ、わたしのこと、お、覚えていますか!?」
震える声で、彼に声を掛けた。
昼間は最初、驚いた顔をして唯のことを見ていたが、
やがて笑顔で、頷いてくれた。
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朝。目が覚めると、頬が冷たかった。枕が濡れている。
スマートフォンには一通のメッセージ。
『おはよう唯。約束は果たしたよ。今日仕事が終わったら僕の家においで。――Akira』
寒気がする。
しかしここからが、夢への第一歩だ。
やっと、約束を果たすことが出来る。
やっと。やっと……。
「おはよう、お母さん」
唯は笑顔で母に声を掛ける。
母も変わらない笑みで返してくれた。
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唯が『Azalea』のヒロイン、ソラ役の推薦を貰ったことに、マネージャーと、小さい事務所ながらも唯の才能を見込んで育ててくれた所長も喜んでくれた。
少ないながらもいる先輩後輩も喜んでくれた。
唯も笑顔で返した。
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遠く、日の沈む秋の夕暮れを唯は見ている。
揺れる電車の中。自宅近くの駅では降りず、次の駅へ。
大好きな先輩の住む駅では降りず、次の駅へ。
スマートフォンを見る。着信もメッセージもない。
唯は指を動かそうとして、止めた。ポケットに電話をしまう。
電車が止まる。
馴染みのない駅に、唯は降り立つ。
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どうしてこんなところにいるんだろう。
灰色の雲に覆われた空を見て、ふとそんなことを思う。
いっそのこと、逃げてしまおうか。
約束なんて、今さら知ったこっちゃない。
例え今逃げ出したとしても、推薦が消えるだけ。明科はあれでも曲がったことはしない。唯の声優生命を奪うようなことはしないだろう。
それにまだ推薦を貰っただけで、決してオーディションに受かったわけではない。
なのに、好きでもない人に身体を奪われてまで、果たして唯の夢に価値はあるのだろうか?
「……帰ろう」
踵を返す。
しかし数歩歩いたところで、唯の足が止まる。
――また一緒に、本を読もうね。
伝説の小説家yakan。
神崎昼間。
彼はもう、約束を覚えていない。
でも、彼は――
唯の声を、誉めてくれた。
ヒロインの子にぴったりだと。
とても好きだと、言ってくれた。
可愛いと言ってくれた。
料理が美味しいと言ってくれた。
読書家だと誉めてくれた。
勉強家だと誉めてくれた。
裁縫の腕も誉めてくれた。
焦って変なことをしても、ふざけて失礼なことをしても、怒って叩いたりしても、笑って許してくれた。
昼間と初めて出逢ったのが十年前。
唯が声優の道へと進んだのが七年前。
『Azalea』が発表され、昼間がyakanであったと知ったのが五年前。
それからずっと、ただひたすらに、磨いてきた演技。
いや、違う。
ずっと、願っていた。
いつか唯の声が、あの時の少年の元へ届くことを。
再会してからは、彼が約束を思い出してくれることを。
そして今は、昼間の隣にいたいから。
彼の隣にいて、相応しい存在になりたいから。
遥か遠く、伝説と呼ばれる青年に追いつきたいから。
何も持っていない唯が。
唯一誇れるもの。
彼の隣にいられる可能性。
『Azalea』のヒロイン、ソラの役。
その時に初めて、きっと認められると思うのだ。
許してあげられると思うのだ。
昼間に笑みを見せられるのだ。
風が冷たい。
雨が降り出してきた。
十年の想いを胸に。
唯は振り返る。
そこに、
「……どう、して」
――唯の想い人が、立っていた。
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近くにあった公園の東屋の下。
昼間と唯は、隣り合って座っていた。
「どうしたんですか先輩。女の子を待ち伏せなんて、感心出来ませんよ」
力のない笑みで後輩が言う。昼間は横目でフィジーが他の妖精たちと戯れているのを見つつ、密かに深呼吸をする。
「これから、何処に行こうとしてたの?」
「明科さんの家です」
即答する唯。昼間は間を置き、慎重に言葉を選ぶ。
「どうして、そこまでしてソラの役にこだわるの?」
「…………」
少女は答えない。
「推薦を貰ったって、役が貰えると確約されたわけじゃない。あくまでもオーディションを受ける権利が貰えるだけなんでしょ?」
「馬鹿だって言いたいんですか?」
彼女の声には何の感情も感じない。昼間は続ける。
「こんなのはどう? ソラ役に当てた声を『Re→talk』にアップして推薦を募るとか?」
「プロデューサーさんに声を聴いてもらった上で推薦が貰えなかったんです。それにそんなことをプロの声優がやったら批判の的だし、多くの人が真似をして大変なことになりますよ」
後輩の正論に、ぐぅ、と昼間は黙らされる。しかしまだ諦めない。
「じゃあせめて明科さんにオーディションを通るまで待ってもらうとか。それで受かったら明科さんとの約束は放棄すればいい」
「そんな浅はかな考え通用しませんよ。だから約束通り推薦したことを確認させた時点で自宅に呼んでるんじゃないですか」
うぐぅ、やはりダメだ。思えば生涯ただの一度も、昼間は誰かに口喧嘩で勝った覚えがない。
まだ何か、まだ何かないのか。彼女が救われる道は。
そんな昼間の考えを見越してか、唯は呆れたふうに笑う。
「もういいですよ昼間先輩。先輩がわたしのことを考えてくれているのはとても嬉しいですけど、やれることは、全部やったんです。だからわたし、後悔してません」
「……そんなの、嘘だろ」
後輩の言葉に、昼間の怒りが募る。
「そもそもそこまでしてソラの役を取ったって、yakan先生は嬉しくないと思う」
「先輩が言うなら、そうなんでしょうね」
含みのある声で少女は言う。昼間はさらに告げる。
「俺だって、嬉しくない。……世間ではあーだこーだ誉められてるけど、yakan作品に、そこまでの価値は無いよ」
一瞬の、静寂。
すっ、と、少女は音もなく立ち上がる。
「確かにそうですね。こんなことまでして役を貰ったって、yakan先生は認めてくれないかもしれないし、わたしはわたしを許せないかもしれないし、先輩は笑ってくれないかもしれない」
「神代さん……?」
「――でもっ」
唯は昼間を睨み付け、今までに聞いたことのない強い口調で叫ぶ。
「でもっ、わたしは、わたしは人生の半分を懸けて、ソラ役を夢見てきましたっ! それが今、目の前に、手が届くところにあるんですっ! わたしが、お母さんを死なせたわたしを許せるかもしれない希望がっ! yakan先生との約束を守れるかもしれない希望がっ! 声優としての誇りがっ! 死のうとしていたわたしを、何も持っていなかったわたしに、夢をくれた物語が、わたしはようやく、ずっとずっと遠くにあった彼方の夢が、それが、ようやく届く場所に来たんです! それなのに、先輩はわたしに、諦めろみたいな言い方……」
「みたいな、じゃない。諦めろって言ってるんだよ」
驚いた表情で少女は昼間を見る。
昼間は立ち上がり、唯の瞳を真っすぐに見つめる。
深呼吸。
「神代さん。――俺は、きみのことが好きだよ」
「……え」
彼女の時が止まる。
昼間は手汗を握り、頬の熱を感じながらも一気に語る。
「俺は、神代さんのことが好きだよ。だからどうか俺のためにyakanとの約束を破って欲しい。自分を許してあげて欲しい。……夢を、諦めて欲しい」
「何を、言って……」
「きみのことが好きだ。だから、明科のところへは行くな。……俺と、付き合ってください」
――言えた。
あの日、一度は全てを失ったあの日に言えなかった言葉を。
今、昼間の持てる全てを懸けた言葉を。
想いの丈の全てを。
そう、昼間は――
少女の可愛らしい声が、本人は童顔だと気にしている姿が。
真面目で勉強家なところが、一途に努力をするところが。
料理と裁縫が好きなところが、本を読むその横顔が。
誰にでも優しいところが、時々悪戯なところが。
強がって弱音を吐かないところが、本当は不安で泣きそうになってるところが。
時々挙動不審なところも、慌てて顔を赤くするところも。
そして、唯の笑顔が。
昼間は好きだった。
嘘は――ひとつもない。
物陰から妖精たちが、ヒューヒューと出もしない口笛を吹きながら見ている。
唯は驚きのあまり固まってしまっていたが、やがて笑みを、
「……ごめんなさい」
浮かべずに、俯いてしまった。
爆笑するフィジー。
「……どうして?」
昼間は今、一体どんな顔をしているのだろうか?
たぶん、今にも泣きそうな表情をしていると思う。
唯は何度も何度も首を振り、終いには泣き出してしまった。
何も語らない唯に、昼間は不安から言葉多めになる。
「どうして? ただの学生だから? 機械オンチだから? 貧乏だから? 確かに今日も電車賃節約のためにここまで歩いてきたけど、だからって……」
「違います。でも、ごめんなさい。ごめん、なさい。すごく、すごく嬉しいです。本当に、とっても嬉しいです」
でも、と少女は涙と共に言う。
「おかしいと、思うかもしれません。わたしも、おかしいと思います。でも、わたしは、ソラ役を他の女性が務めることに、たぶん、耐えられません。絶対に、絶対に後悔する。yakan先生との約束も、破ったらわたし、自分を絶対に許せなくなる。例え昼間先輩が許してくれても、わたしがわたしを許せません。そんなわたしが先輩の隣にいる資格を、わたしがわたしにあげたくはありません。その思いがいつか、わたしを殺してしまうと思います」
「そ、れは……」
「好きです。昼間先輩」
突然の告白に、昼間は言葉の全てを奪われた。
「好きです。あなたのことが。誰よりも誰よりも、あなたのことを愛しています。そしてわたしは、あなたのことを好きでいられる今の自分が、少しだけ好きです。でも、今の昼間先輩の告白を受けてしまったら、わたしは、完全にわたしを嫌いになってしまいます。全てから逃げて先輩を選んでしまった自分を、わたしは絶対に許すことが出来なくなります」
だから、と。
唯は涙を拭いて、笑顔で告げた。
「わたしは、絶対にソラ役をやります。先輩はどうか、そんなわたしを好きでいて下さい」
――さようなら。
彼女の言葉は、雨の中に消えた。
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終わった。
全てが終わった。
昼間の持てる全てをぶつけても。想いの全てを吐き出しても。
少女の心を動かすことは出来なかった。
昼間はyakanに勝つことが出来なかった。
雨の中。
背を向けて、去っていく彼女。
昼間は、目を見開く。
――あの日。
重い瞼を少しだけ開き、見送った母の背中。
――あの日。
ただひたすらに謝る彼女を、見送った背中。
もういないふたりの姿が、少女の小さな背に重なる。
もう――失いたくない。
「――待って」
昼間の声は、かつてないほど冷淡なものに変わっていた。唯の足が止まる。
後輩の背中に、昼間は一方的に告げる。
「きみの想いは分かった。決意は分かった。それを俺はきっと、変えることは出来ない。だから、俺は証明する」
昼間はおもむろにズボンのポケットからスマートフォンを取り出し、電源を入れる。
「俺は、いや、俺も、全てを懸けるよ。これから俺がすることに、きみは嫌悪するかもしれない。侮辱するかもしれない。軽蔑するかもしれない。それでも俺は、どんなことをしてでも、全てを捨てる覚悟で、きみを――唯を選ぶよ」
昼間の指が躍る。
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ピロリン。
東堂のスマホに新着通知が届いた。
『Re→talk』における、フォローしている特定のユーザーが呟きを発した際に届く設定となっている通知音だった。
誰が呟いたかはアプリを起動せずとも分かる。東堂が通知をオンにしているユーザーはひとりしかいないからだ。
スマホを起動し、『Re→talk』を見る。
その内容を見て、眉がピクリと動く。
騒然とする社内。
人知れず、口の端が持ち上がる。
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上着のポケットが振動する。
唯のスマートフォンに新着通知が届いた。
背後で先輩の言葉を聞きながら、唯は『Re→talk』のアプリを起動する。
ある人物のタイムラインが今まさに更新されたところだった。
yakan:こんにちは。yakanです。この度Azaleaがアニメ化されるということで、私のほうからも皆さまにお伝えしたいことがあります。
→Re:キャアアアア! yakan先生がシャベッタアアアァァァ!
→Re:え? なになに? 何の話ですか?
→Re:※何気にyakan先生がAzaleaという単語を使うこと自体が初めてです。
→Re:yakan先生の呟き久しぶりだなー。
唯は振り返る。
昼間はスマートフォンを握っていた。
yakan:私の担当編集者である東堂さんから、Azaleaの主人公である透と、ヒロインであるソラを担当する声優をひとりずつ、推薦してもいいというお話を頂きました。そこで私は各一人ずつ、候補を上げさせて頂きたいと思います。
→Re:ちょ、え? yakan先生直々の推薦!?
→Re:は? そんなのアリなの? チート過ぎるんじゃね?
→Re:絶対明科君絶対明科君絶対明科君ぜった(ry
→Re:公平性に欠ける。
→Re:というかyakan先生はアニメ反対だと思ってたのに……なんかショック。
→Re:なんか面白そうじゃね? みんな拡散いそげーーーー!!
yakanの呟きは、みるみるうちに拡散の輪を広げていく。
yakan:透役は後に発表するとして、今日はヒロインのソラ役を発表したいと思います。
→Re:うおおおおおぉぉぉ! 盛り上がってきたーーーー!
→Re:ちょっとなになになんなのなんでなの!?
→Re:まさかのゲリラ発表!?
→Re:どうせ編集部の指示だろ。計画的なものに決まってる。
→Re:アニメ化自体やめろや。
→Re:ネット予想での最有力はyuka。次点が東雲。でも俺の予想は佐藤明菜かな?
→Re:というかyakan先生ってアニメとか見る人なのかな?
スマートフォンの画面が水滴にまみれていく。
唯は画面から目を離すことが出来ない。
yakan:私はAzaleaのヒロイン、ソラ役の声優に――
→Re:もったいつけるねぇw
→Re:ゆーか! ゆーか! ゆーか! yakan先生! 絶対yukaですよ!?
→Re:やめて本当に。アニメ化も嫌だしyakan先生がこんなことするのも信じられない。
→Re:次の瞬間。世界が凍り付いた。
→Re:↑可能性あるw yakan先生けっこう天然だしww
→Re:私はyakan先生の選択なら絶対間違いなしだと思います!
まさか、まさか。
唯は顔を上げる。昼間も唯を見ていた。
その時。
世界が。
yakanをフォローしている、全世界――実に千二百万にも及ぶyakanのフォロワーが。
彼の呟きに、目を疑った。
yakan:私はソラ役に――神代唯さんを推薦します。
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「えっと、なお、私の推薦者は、一次、二次の試験を免除。テレビ中継を介し『Re→talk』の投票機能を利用した、視聴者による投票で決まる最終審査のみを受けるものとします。皆さまには厳正なるご投票をお願い致します」
→Re:はああああぁぁぁぁ!? うっそだろぉぉぉぉぉ!!
→Re:なんで唯ちゃん? 全然イメージと合わない。
→Re:いや意味わかんないよyakan先生。
→Re:唯ちゃんが選ばれた理由もイミフだけど、最終審査ってそんな形なんだ。
→Re:それは言ってもいいことなの?
→Re:いやズル過ぎるだろ。他の人はちゃんとオーディション受けてるのに。
→Re:これは枕営業疑われますわww
→Re:yakan先生がこんな人だとは思わなかった。
→Re:↑いやむしろ流石はyakan先生だわww 予想の斜め上を行くww
炎上は留まることを知らず、拡散数もかつてない速さで上昇していく。
もう、後戻りは出来ない。
唯はスマートフォンを握りしめたまま動けないでいる。
と、昼間のスマホに着信。
誰なのかは容易に予想出来た。
『――あっはっはー! やっるねぇyakanせんせー! 流石にここまで騒ぎになるとこちらとしても認めざるを得ないよ。編集部とyakan先生の不仲を疑われるわけにはいかないからねぇ』
思いの他、東堂は上機嫌だった。昼間は何も言わず、ただ彼の言葉に耳を傾けている。
『それから試験免除もよく考えたものだよ。これだと一次か二次で早々に神代ちゃんを落として事態の終息を計ることは出来ないし、最終審査の特性上、制作側が手を出すことも出来ない』
東堂はしばらく笑っていたが、やがて急激に治めると、ひどく冷たい声で言いはなった。
『はあ、本当に――君には失望したよ。なんでそんなふうに育っちゃったかなぁ? 君のご両親もさぞ残念がるだろうね』
「だとしても、怒られるのは東堂さん、あなたですよ」
『……なんだって?』
担当編集の声音に鋭さが混ざる。
しかし、昼間は笑う。
「だって東堂さん、これは、あなたに教わった分野ですから」
『…………』
東堂は黙っている。
だがやがて、クク、と小さく吹き出したかと思うと、次の瞬間、豪快に笑いだした。
『あーっはっはっはっは! 君も言うようになったねぇ! ……それを言われたら、兄としては嬉しい限りだよ』
昼間の兄のような存在である彼は、息を大きく吸うと、長く吐き出す。
そして覚悟を決めたかのように、一息吐き、告げた。
『よーし分かった君の本気を信じよう! ただ、分かっているんだろうね? もし最終審査で負けるようなことがあれば、神代ちゃんの声優生命は終わるし、君もこれまで通りとはいかなくなる』
「分かってますよ。彼女にはそれだけの覚悟があるし、俺も、もう逃げたりはしません」
昼間は最後に、拳を固く握りしめながら告げる。
「負けませんよ。俺たちは」
これは昼間に遺された、yakanの遺産。
彼は昼間に大きな武器を遺していった。
千二百万人という膨大な数に情報を発することの出来るチカラ。
ただし、今までに培ってきた信頼の全てを懸ける諸刃の剣。
いや、もういいのだ。
昼間にはそれ以上に、大切なひとが出来たのだから。
東堂は昼間の決意を聞き、頷いてくれたことが電話越しでもなんとなく分かった。
『まあ編集部として協力出来ることはほとんどないけれどね、応援しているよ。それよりさっきから会社の電話鳴りっぱなしなんだけどこれどう』
通話終了。
電話をしまい、昼間は唯を見る。
少女は呆然と、昼間を見ている。
「まあ、そういうわけだからさ。最後まで一緒に戦ってくれるよね。――唯」
一歩、二歩、歩み寄ってくる唯。
次第に早足になり、最後はほとんど走るかたちで彼女は昼間の胸に飛び込んできた。
「――~~っ!! ヤカンせんぱあああああああいっ!!」
「その呼び方はやめろっての」
昼間も唯を抱き締める。
周囲では無数の妖精たちが、吹けもしない口笛を吹いて祝福してくれていた。
藍色の空の下。
雨は、いつの間にか止んでいた。
『Re→talk』今日の呟きピックアップ
王道文庫編集部(公式):本日のyakan先生よりの発表ですが、連絡の行き違いが原因で発表が突然となったことを深くお詫び申し上げます。詳細はアニメ『Azalea』公式ホームページをご覧ください。
→Re:てかあの呟き自体はマジなのかよ!? ネタかと思ったわww
→Re:ふざけんな! yakan先生を広報代わりに使うなんて信じらんねーんだけど!!
→Re:どうして唯ちゃんが選ばれたのか説明してください。
→Re:負け戦確定ww
→Re:yakan先生がこんな贔屓をするなんて考えられない……絶対裏があるよ。
→Re:こりゃあ始まる前からアニメ化失敗確定かぁ?
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