第3章 妖精のいる日常
Page 1
『Re→talk』というアプリがある。
登録者数全世界数億人。国内でも数千万人以上のユーザー数を誇る世界最大級のSNSアプリだ。
コンセプトは『呟き』。今何をしているかどこにいるか。お昼何食べた晩飯何にしようという日常的なことから、災害情報にニュース、トレンド、趣味の話。芸能人の番宣からゲームアプリのメンテナンス状況に至るまで、一般・企業を問わず、実に幅広い層の人間が活用している。自身の必要としている情報を持つアカウントをフォローすればその者が発信する呟きがタイムラインに流れるようになり、フォローされている数――フォロワーの人数が多いことは現代社会における一種のステータスとなっている。
伝説の小説家――yakanが小説を出版すればするほど、世間のyakanに対する興味が強くなり、彼にコメントを求める声が大きくなっていった。俗に『yakan作品』と呼ばれる彼の出版物には本人の希望で後書きが存在せず、まさに内容だけで問う作品であったため、彼の小説に惹かれれば惹かれるほど、読者は作者であるyakanのことを知りたくなってしまったのだ。
そこで出版社が提案した妥協案が、『Re→talk』におけるyakanのアカウント作成。
呟く内容はyakanの気分次第であるが、間違いなくyakan本人が呟いており、yakanと読者を繋ぐ唯一のコミュニケーションツールと銘打っただけあり、信者と呼ばれる熱心なyakanファンを始め、興味本意でフォローする者も続出した。
そしてyakanのアカウントが作られてから数年。
現在yakanのフォロワー数は、公式アカウントを除けば国内トップとなっている。
Page 2
月が変わった。
生活費が振り込まれた。
「今夜はパーティーなのよぉ~♪」
大学からの帰り道。フィジーは蝶のように昼間の周囲を飛びながら、早速生活費の底を目指さんと涎を垂らして舞っていた。昼間は予め用意していた作戦を実行する。
「フィジーお嬢様。今夜の食卓、ここは不承私めにお任せしては頂けませんでしょうか?」
恭しく礼をして、妖精の小さな手を取る昼間。しかしフィジーは何処か不審げだ。
「え~、またマシュマロの山は嫌なのよぉ~。流石にもう飽きたのよぉ~」
「ご安心下さいませお嬢様。もしもそのマシュマロに、魔法が掛けられていたとしたら如何でしょう?」
「まほぉ~?」
妖精の興味が向く。フィジーは無礼で無慈悲で無鉄砲ではあるが、少女であり乙女でもある。魔法や奇跡におまじない。いかにも小学生の女子が好きそうな言葉によく反応する癖があった。
昼間は両手を広げ、高らかにその魔法を唱える。
「そうです! その名も、チョコレーーーートッ! フォンッ! デュッ!」
「おお~! 何だかすごそうなのよぉ~!」
予想通り。昼間の大仰なパフォーマンスに妖精が食いつく。周囲の人が何事かと昼間たちを見ていたが気にしない。昼間は生活費のためならキャラを変えるし世間体も捨てる。
近所のスーパーに寄ってチョコとマシュマロを購入する昼間。フィジーが余計なものを手に取ろうとする度に「チョコレーーーートッ! フォンッ! デュッ!」の魔法を唱え、彼女の興味を惹く。出禁になる前に何とか買い物を済ませることに成功。
築年数が年齢の倍近くあるボロくて安い自宅アパートに帰宅。大学を卒業したらとりあえず、足を伸ばせる風呂のある物件に引っ越すことが昼間の密かな夢だ。
「ひるま~ひるま~♪ はやくちょこれーとふぉんでゅ作るのよぉ~♪」
フィジーは早速一人用の丸テーブルに着き、両手にフォークを握って催促してくる。慌てるでないお嬢様。昼間は予め友人に借りておいたフォンデュをする機械を箱から取り出し、テーブルの上に乗せた。
「おお~! 何だかこーきゅー感があるのよぉ~」
よく分かりもせずに覚えたて感のある言葉を口走る妖精。
ククク、作戦は面白いほど順調だ。何故今まで気づかなかったのか。フォンデュとはいかにもフィジーが好きそうなエンターテインメント性溢れる最高の食事ではないか。そして何よりも、マシュマロとチョコレートは大してコストが掛からない(ここ重要)。
少なくとも月初めからの一週間――これで乗り切ってみせる!
銀紙を剥いた板チョコを機械に突っ込む昼間。スイッチを入れて、妖精の対面に座して待つ。
五分が経過。
十分が経過。
十五分が経過。
「……ひるま~、ふぉんでゅはまだなのよぉ~?」
フォークの柄をテーブルにガツガツぶつけながらフィジーが催促してくる。実を言うと昼間も十分が経過したあたりから何となく気づいていた。
チョコが出てこない。
フォンデュ装置が入っていた箱を見てみる。安そうなパッケージには噴水の如く溢れ出るチョコレートフォンデュが描かれており、裏面には噴水の如く溢れ出るチーズフォンデュが描かれているだけだ。箱の中を見てみる。説明書は入っていない。
友人にメッセージを送ってみる。返事はない。電話をしてみる。出ない。
「ひ~る~ま~! お腹空いたのよぉ~! このままだとひるまの指詰めるのよぉ~」
「ちょ!? ま、待てって! 今調べるから……」
嘘や冗談を言わない妖精の手に持つ食器がいつの間にかフォークからナイフに変わっていた。猶予があまりないことを悟る昼間。
どうしようどうしよう。フォンデュ装置の持ち主である友人とは連絡がつかない。ネットで調べる……ことは怖くて出来ない。以前よく分からずやっていたらワンクリック詐欺に引っかかったことがあるからだ(その時は会長に助けてもらった)。
そうだ、会長に聞いてみれば! 電話を掛けてみる。お掛けになった電話は現在電波の届かない場所にあるか電源が切られ――そうだ。会長は今日説明会があるとか言っていた。就活お疲れさまです。
他に頼れる人間――東堂は無論却下だ。あとで馬鹿にされるに決まっている。
コスプレ研究会の学生は、昼間が個人的に連絡を取れるような人間が他にいない。あれ、何だろう何故か涙が出てきた。
あ、いや待て。ひとりだけいる。後輩の人気声優、神代唯だ。
昼間は唯に電話を掛けようとして――指が止まる。
――『彼もこう言ってることだし、行こうよ。僕らの関係、他の人に知られると面倒だからさ』
レコーディングを見学させてもらった日から、既に二週間以上が経過していた。
あの日の夜、唯から謝罪のメッセージが昼間の元に届いていたが、以降、彼女とは連絡を取っていないし大学でも顔を合わせていない。唯は仕事が忙しいとサークルに来ない日が多くあるが、それでも週に一度は必ず顔を出すようにしていた。思えばこれだけ長く会っていないのはここ一年で初めてかもしれない。
そして、明科明。彼のことも昼間は少し調べてみた。と言っても会長に聞いてみただけだが。
明科本人も言っていたが、彼は声優としてデビューしながらも、現在は歌手にモデル、最近は俳優としてドラマに出るほど人気のあるアイドル声優だ。父が有名なアニメ監督、母が芸能事務所の所長をしていて、大手SNSアプリ『Re→talk』におけるフォロワー数は八十万人以上。声優の中でも頭一つ抜けている。
さらに会長は「あくまでも噂だけどね」と注釈を入れた上で教えてくれたが、彼、明科明と神代唯は、恋人同士だという。以前週刊誌にもふたりが仲良くデートをしている写真が載ったことがあるそうだ(会長は昼間の世間知らずぶりに呆れていたが)。
「ひ~るま~ひ~るま~♪ こっんやっのしょっくじっはひっるまっのゆっびつっめっ♪」
「うおおおおお!! 待て待て待て待てちょっと待って!」
気づくとナイフの背で昼間の指を撫でまわしている妖精。
考えに耽っている場合ではない。昼間は唯に連絡することを止め、最終手段に出ることにする。
yakan:チョコレートフォンデュってどうやって作るのか分かりません。機械にチョコを入れても流れてきません。
――すなわち、『Re→talk』における『呟き』だ。
数少ない自慢だが、昼間はSNSアプリ『Re→talk』だけはそれなりに使いこなせている。
そして幸運なことに、昼間――もといyakanのフォロワーたちは、皆親切な人たちばかりだ。
→Re:スイッチは入れました? コンセントが入ってないとか?
→Re:yakan先生、甘いもの好きなんかw
→Re:量が足りないのでは? 機械にもよるけどウチのは板チョコ七枚分くらい必要です。
「板チョコ七枚も!?」
ひとつじゃ足りなかったのか、と思わず声に出てしまう。板チョコ七枚にマシュマロ一袋……これだけで一日分の食費をオーバーしてしまう。
→Re:んなもん食ってねえではよ小説書けや。
→Re:彼女とパーティーでもしてんのかな?
→Re:↑yakan先生は女だよ。しかもめっちゃ美少女。絶対そう。
→Re:写メ撮ってうpしてください。それでみんなで調べましょう!
フォロワーの言われるがままに、昼間はフォンデュ機の写真を撮って『Re→talk』に投稿する。フィジーに頼まれていつも写真を撮らされているので、撮影の腕もだいぶ上達した(操作が上手いとは言っていない)。
→Re:ちょwww なんでそのまま板チョコが突っ込んであるのwww
→Re:yakan先生ww 湯煎しなくちゃダメですよww
→Re:※機械自体には保温機能しかありません。
→Re:てかファウンテンっつうんじゃねコレ?
→Re:出たww yakan先生の天然炸裂ww フォロワー増加待ったナシww
「湯煎って、あのボウルに入れて溶かすヤツ?」
ここにきて、もしかしたらチョコレートフォンデュは物凄く面倒くさかったりするのではないかと昼間は思えてきた。昼間の呟きは拡散されて、どんどん情報の波に乗っていく。
→Re:チョコを溶かしたらミルクと混ぜて、それを入れるんですよ。
→Re:チョコレートフォンデュって意外とめんどいのな。機械にもよると思うけど。
→Re:今調べたらこの機械メッチャ安いやつ。評価☆ひとつだしw
→Re:ハアハア、yakan先生の私室! yakan先生の私室!
→Re:なんか端っこに妖精の羽っぽいの写ってるけど、もしかして妖精に頼まれたのかな?
「あ、やべ」
指摘されて写真を見直してみれば、確かにほんのわずかではあるがフィジーの羽が写り込んでしまっていた。まあ、妖精の羽は皆大差ない模様をしているし、これだけで特定されたりはしないだろう。
それよりも、
「ひっるま~ひっるま~♪ ベッドに横になるのよぉ~♪ 解体ショーの始まりなのよぉ~♪」
「ちょ、ま、ほぐわぁっ!?」
あまりの空腹でフィジーの目が虚ろなモノに変わっていた。
昼間は不可視の力に足を取られて宙吊りになり、ベッドへ叩きつけられる。衝撃で衣服が四散(何故!?)。さらには何処からか沸いて出てきたロープが体中に巻き付き、ベッドに固定された。
「ぐへへへへ……この瞬間がたまらねぇべさ」
「ちょっと待ってキャラおかしい今買ってくる板チョコとミルク今すぐ買ってくるからぁ!」
妖精が両手にナイフを掲げて馬乗りになる。極大の悪寒。
しかし、
ピンポ~ン。
軽快な呼び鈴の音が、昼間家の時を止めた。
フィジーと顔を見合わせる昼間。ちっ、という舌打ちをひとつ打つと妖精は昼間の上からどき、玄関の方へと飛んでゆく。た、助かった。
「おお~ゆい~。いいところへ来たのよぉ~」
「あ、フィーちゃんこんばんは。先輩はいる?」
「入るのよ入るのよぉ~。ちょうど調理を始めるところだったのよぉ~」
「え!? じゃ、じゃあ、お、おおおおお邪魔します!」
フィジーが招き入れた客人は、後輩の人気声優、神代唯その人であった。
突然ではあったが実に二週間ぶりの再会。今日の唯は薄いシャツに膝丈のスカート、髪をふたつに結わえ、伊達メガネと帽子を被っていた。変装のつもりだろうか。
そして両手には、スーパーの買い物袋。
「せ、先輩、なんて恰好してるんですか!?」
「か、神代さんっ! 助かった! 今フィジーが暴走してて食われるところだったんだよ」
昼間は捕まってることをアピールするために体を揺らすが、縄はビクとも揺るがない。確かに傍目から見ると、半裸の状態でロープに縛られているという、何とも悲惨な光景だ。
「ま、待ってて下さい。今解きますから……」
唯は初めこそ顔を赤らめていたが、やがてその目が昼間の頭からつま先までを舐めるかのような視線に変わり、呼吸も段々と荒くなってくる。
「昼間先輩の自宅で……ベッドで……あぁん、先輩の匂いが……」
「あの、神代さん?」
「亀甲縛りで……下着だけで……今なら何をやっても……ハアハア、ハアハア!」
「ちょっと待って神代さんなんか呼吸荒いし何で馬乗りになってくるのシャツのボタン外し始めてるのスカートのホックに手を掛けてるの待って待ってちょっと冷静にいぃぃぃぃ!」
Page 3
「あの……本当にごめんなさい。先輩に会うの久しぶりだったからちょっと興奮しちゃって」
唯は台所に立ちチョコレートを溶かしながら謝ってくる。何故会うのが久しぶりなくらいで興奮するのか謎だったが、あまり追及するのも怖い。
「いや、助かったから別にいいよ。でもたまたま板チョコ七枚とミルクも買ってきてあったなんて。神代さんてすごい気が利くね」
「そ、そそそそうですか? わ、わたしも甘いもの好きですから」
ガタガタッ、と手元を狂わせ少女はチョコを零しそうになっていたが、以前お菓子作りが好きだと言っていたので何か作ってくれる気だったのかもしれない。
唯は前回した約束を果たすべく(約束だったっけ?)こうして昼間家に手料理を振る舞いにきてくれたわけだが、そういえば、と昼間は思った疑問を尋ねてみる。
「連絡くれれば買い物手伝ったのに。それに留守だったらどうするつもりだったの?」
「い、いえ。一緒に買い物も素敵ですが、あまり外を出歩くのは……。それに家にいることは分かってたから」
「分かってた?」
「い、いいいいいえ、なんでも、なんでもないです」
何故だか後輩の態度がおかしい。
しかし昼間はこれでも小説家だ。物語を創る仕事をしている。つまりは人の感情や考えを生み出しているともいえるわけで、その技術は日常生活を送る上で有利に働いている。
つまりは唯が何を考え、気にしているのかも昼間には何となく分かっていた。
「あの、ごめん。本当は前からそうだったんじゃないかって思ってたんだけど……」
「な、何がですか?」
上ずる少女の声。昼間は膝の上でフォークを打ち鳴らすフィジーの頭を撫でながら話す。
「俺のほうも、本当はちゃんと言うべきだったし、聞くべきだった。だから、その。遅くなったけど、今日こそはちゃんと」
「ま、まままま待ってください! コチョ、チョコ、湯煎終わりましたから、フォンドゥ、フォンデュしましょう!」
言いつつ唯はフォンデュ機に改めてチョコレートを流し込むとスイッチを入れる。今度はちゃんと噴水の如くチョコが流れ出した。
「ふおおおおぉぉぉ! すごいのよぉ~! チョコが無限に溢れてくるのよぉ~!」
「さあフィーちゃん、マシュマロもあるよ」
フィジーはフォークでマシュマロを刺して、ふおおおぉぉぉ! という奇声と共にチョコの滝に突っ込ませる。そして茶色い光沢のついたマシュマロを一口でペロリ。うまうまうま~♪ と恍惚の表情を浮かべている。
「ああ、それで話の続きなんだけど」
「え!? 今この空気で続きを話すんですか!?」
「え? ああ、うん」
何故少女がやたらと慌てているのか不思議に思う昼間であったが、姿勢を正し、軽く息を整える。唯は昼間の対面に座り、エプロンの裾を掴んで息を呑む。
「いや、神代さん、アイドルだしすごく可愛いでしょ」
「か、きゃわっ、かわ、かわいいだなんて、そんな……」
「それに謙虚で礼儀正しいし、料理も裁縫も出来るし」
「そ、そんな、褒めすぎですよ……。それから掃除と洗濯ももちろん出来ますし貯金は結構ありますしむむむむ胸はEカップあります!」
「あ、ああ、うん。そこまで聞いてないんだけど」
「嘘じゃないです! 本当ですよ! 何だったら通帳見せましょうか!?」
「いや見せなくていいから! 少し落ち着いて」
さらにはエプロンを脱いでまたシャツのボタンを外し始めたので昼間は全力で止める。
「それで、ちゃんと話しておかなくちゃいけなかったんだけどさ」
「は、はい……」
脱いだエプロンを胸に抱き、真っ赤になって昼間を見つめる唯。
よく分からないが物凄く何かを期待されている気がする。
昼間は頭を掻いて、言いにくそうに切り出した。
「あの、さ。神代さん、何かごめんね色々と。知らなかったというか、いや、考えてみれば神代さんみたいな子に彼氏がいないわけがないわけで。その、フィジーのわがままもあったとはいえ、俺も神代さんに甘えすぎてた気がする。だから彼氏さんが俺に怒るのは当然だし、これからはなるべく迷惑かけないよう努力するからさ」
「……はい?」
キョトン、と目を丸くして固まる少女。昼間は反省も交えて改めて説明する。
「この前彼氏さんに『邪魔するな』って言われちゃってさ。確かにフィジーは色々と神代さんに迷惑掛けまくってるし、〈妖精憑き〉である俺もまあ、フィジーを止める義務みたいのがある気がする。神代さんをフィジーに付き合わせるとその分、彼氏さんと過ごす時間が少なくなるわけで、ふたりともただでさえ忙しいのに……」
「ちょ、ちょっと待ってください! か、彼氏って誰のことですか?」
「えっと、明科さん、だっけ? 付き合ってるんでしょ」
会長の言葉だけでなく、明科の態度もまさに恋人そのものであったため、昼間は特に疑うことをしなかった。
唯の目が、みるみるうちに光を失っていく。
「……付き合って、ません」
「え? あ、そうなの? でもこのあいだ……」
「付き合ってません!」
後輩の勢いに押され言葉を飲み込む昼間。妖精は変わらずマシュマロを貪っていた。
唯は何かを堪えるかのように、拳を固く握っている。
「そんなこと、先輩が気にする必要はありません。わたしは好きでフィーちゃんと、先輩の傍にいるわけですし」
「でも、あの人は彼氏なんじゃないの? 俺なんか怒られたんだけど」
「違います! そんな、昼間先輩、明科さんに何を言われたんですか?」
何かに焦り、怯えているように瞳を震わせる少女。
一体、これはどういうことなのだろう? 以前昼間が明科に注意されたのは、彼が唯と付き合っているが故のことだったのではなかったのか。
会長から彼らの関係を聞いてようやく納得していた昼間だったのだが、思っていた事実とは異なるようだ。
昼間は少女に求められるまま、明科と話した内容について語る。
「……あの人の言うことは、基本的に無視してください。というかもう、明科さんとは会わないでください。話さないでください」
会う機会なんてもうないだろ、と思う昼間であったが、唯はまだ不安げな表情をしている。
恋人ではないと言っているが、関係が浅いわけでもないようだ。
少女は誤魔化すかのように時計を見て、そうだ、と話題を変える。
「あの、わたし、ご飯、ご飯作りますね。ちょっと待っててください」
「ふおおおおぉぉぉ! デザート後のご飯なのよぉ~♪」
また空気の読めない妖精が興奮し始めていたが、唯は苦笑を浮かべるだけでエプロンを付けなおし台所へと向かう。
彼女が一体何を隠しているのか気にはなる昼間ではあったが、どうしよう、これ以上は尋ねないほうがいいのだろうか。いくら伝説の小説家だとか呼ばれていても、現実では人生経験がたったの二十一年しかない昼間では上手く答えが出せない。
「ごっはん~ごっはん~は~や~くぅ~♪ オラオラ~ひるまも手伝うのよぉ~」
「……え? ああ、そうだな」
珍しく全うな意見を口にするフィジー。当の本人はテーブルに座って箸を打ち鳴らしているだけであったが。
昼間は自分でもエプロンを着て、唯の隣に立つ。少女は大丈夫です、とでも言おうとしたのだろうが、妖精に頼まれてのことだったので無下に断るわけにもいかなかった。
ふたり立つには少し狭い台所で、少女は食材を炒め、昼間は肉を切っていく。
「先輩、料理出来るんですね」
「え? ああ、まあ、自炊が一番お金掛からないし」
理由がひどく格好悪いが、生活費を節約するための努力を昼間は惜しまない。
気まずい雰囲気の中、黙々と料理する手だけは進んでいく。横目で唯を窺ってみれば、未だ不安の晴れない表情をしていた。
何か話さないと。しかし一体、何を話せばいい? 彼女との共通の話題といえばフィジーのこと。大学のこと。サークルのこと。裁縫のこと。
いや、別に共通の話題でなくともいい。後輩の好きな話をするのが一番だ。
「……『Azalea』って、アニメ化すると思う?」
唯が一番好きなもの。
それはyakan作品、その中でも最高傑作と謳われている『Azalea』だ。
少女は料理する手を止めて昼間の方を見ていたが、昼間は食材を切る手を止めない。
やがて唯は視線を戻すと、ポツポツと語り始めた。
「噂は、あります。今年の初めあたりから」
恐らくは、噂ではなく事実なのだろう。あの東堂のことだ。昼間の許可を取る前から動き始めていたに決まっている。
少女はまるで自分のことのように辛そうな表情を浮かべる。
「『Azalea』のアニメ化は以前から待望されてますけど、でも、yakan先生のデビュー作のひとつ『ぱれっと』が映像化されたときの、あれの、せいで、yakan先生、すごく怒っちゃったから。『Re→talk』でも、もう絶対に自分の作品を映像化させないって……」
後輩の言葉で、昼間も当時のことを思い出す。同時に、胸の痛みも。
あれは『Azalea』の第九巻発売よりも少し前。今から一年半ほど昔の話になるだろうか。
伝説の始まりともいえる昼間のデビュー作、俗に『大賞五作』と呼ばれるうちのひとつ『ぱれっと』。ミステリー小説の至高とまで呼ばれた『ぱれっと』の映像化が決まったのは受賞から六年以上経ったあとだった。
長く待望されていたyakan作品初の映像化ではあったが、その中でもミステリー小説である『ぱれっと』は、その小説ならではの表現方法と巧みな心理描写が逆にネックとなってしまい、一時期は映像化不可能とまでいわれていた。
しかし当時天才脚本家と呼ばれていた人物と最高のキャストを揃え、『今世紀最大の映像化作品』とまで銘打たれた『ぱれっと』の映像化プロジェクトは世間の話題をさらった。
当時の昼間はというと、自身の小説の初めての映像化にわりと前向きであった。東堂の説得もあったがキャストにも信頼のおける人物がいたし、特に異論もなく話は進んでいった。
その結果――『ぱれっと』の映像化は原作者の顔に泥を塗る、大失敗となった。
「脚本家の暴走が原因らしいですけど、自分の表現に酔いすぎて内容が原作とかけ離れたものになっちゃって、yakan先生は一般公開されてから初めて観たらしくって止められなくて、ファンの人たちもすごい怒って、監督や脚本家は雲隠れしちゃうし、関わったスタッフやキャストは今も、表舞台に復帰出来ずにいます」
唯の言葉を聞き、昼間は作者として責任を感じていた。
当然参加権のあった試写会もyakanが覆面作家であるという以上に、映画はひとりのファンとして楽しみたいという思いから昼間は参加しなかったし、東堂は肝心な時に海外で父の仕事の手伝いをしていて連絡が取れなかった。もしもどちらかが事前に内容を知っていれば防げた事案だったのだ。
昼間は自身の感情を隠すため、今度は野菜を切りながら適当な感想を零す。
「あー、それはyakan先生も怒るよね。自分の作品が台無しにされたんだもん」
「それは……違うと思います」
後輩の言葉に、思わず手を止める昼間。
唯は昼間が切った野菜をフライパンに入れて炒めながら続ける。
「yakan先生は、責任を感じてしまったんだと思います。小説は作者がひとりで書いてひとりの責任で終わりに出来るけど、映像化にはたくさんの人間が関わってきます。yakan先生は自分の作品が映像化されたせいで多くの人に迷惑を掛けてしまったから、それが心苦しかったんだと思います」
悲し気に目を伏せる少女。
昼間は、何も言えない。
――雨の中。
涙を流し、ただひたすらに謝る女性。
彼女のせいではない。関わらなかったことを悔いる昼間。
そうじゃないの、と首を振る女性。
彼女の告白に、昼間は言葉を失う。
――燃える紙片。
裏切り。絶望。失意。
あの日から昼間は、一度も筆を取っていない。
「――……ぱい、先輩? どうしたんですか?」
唯の呼びかけに昼間はハッとなり、手に持っていた包丁を落としかけた。汗が噴き出てくる。
「顔色悪いですけど、大丈夫ですか? あとはわたしがやりますから座っててください」
「あ、ああ、なんかごめん」
彼女の言葉に甘え、昼間はフィジーの隣に座る。
唯は心配そうに昼間を見ていたが、やがて視線を前に戻した。
「……『Azalea』がアニメ化したら、わたし、どうしてもやりたい役があるんです」
「それって、魔女っ子メルティ?」
魔女っ子メルティとは、『Azalea』に出てくる登場人物のひとりだ。主人公の少年を兄のように慕う仲間のひとり。まだ十二歳という年齢と愛らしい容姿が相まって、『Re→talk』内で度々行われる人気投票でも常に上位をキープしているキャラクター。
メルティであればまさに、声も姿も唯のイメージに合致する。決して彼女がモデルというわけではないが。
「ふふ、先輩、本は読まないって言ってたのに、メルティのことは知ってるんですね」
「あ、いや、友達から聞いて……」
咄嗟に嘘を吐いてしまう昼間。普段yakan作品の話は避けているので、唯は不思議に思ったのかもしれない。
そういえば、と昼間は思う。
彼女はいつもyakan作品を読んでいるし、会長とも作品についてよく話をしているのに。昼間に対しては今まで一度たりとも、少女の方からyakanについて話を振ったことがない。
「先輩、知ってますか? 声優の世界って完全な実力主義で、新人ベテラン関係なく、役は厳正なオーディションで選ばれるんですよ」
「ああ、うん。そうなんだ……」
「だから、わたしは……」
背中越しに伝わる後輩の声は普段と変わらないアニメ声だったが、その小さい体はいつもよりもっと小さく見えて、震えていた。
「はい、出来たよフィーちゃん」
「ふぉおおおおおぉぉぉ! 待ってましたのよぉ~!」
しかし一転、完成した料理を狭いテーブルに並べる唯は、いつもの笑顔を見せていた。気のせいだったのだろうか。
「ひっるま~ひっるま~♪ 食べさせてなのよぉ~♪」
「その箸は飾りか」
昼間の膝に乗り甘えてくる妖精。あ~ん、と大口を開けて料理を平らげていくフィジー。そんなふたりの姿を見て、少女は笑みを浮かべている。
「だからわたしは、どんなことをしても……」
彼女のその言葉は、小さな団らんの中に消えた。
『Re→talk』今日の呟きピックアップ。
amachi todo:皆さんこんばんは。東堂です。近々皆さんにAzaleaに関する重大な発表が出来るものと思います。どうか期待していてください。PS:yakan先生、チョコレートフォンデュは美味しかったですか?w
→Re:Azaleaの最終刊か!?
→Re:アニメ化のほうじゃね?
→Re:↑アニメ化はないっしょ? もしそうだったら俺は東堂さんに失望する。
→Re:アニメ化絶対反対です! ぱれっとの過ちを忘れたんですか! 私は絶対に東堂さんを許しません!
→Re:てかyakan先生のチョコフォンデュ機、売り上げ一位になってて受けるんだけどw
→Re:相変わらず影響力ハンパねえな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます