第2章 後輩は人気声優

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 幸運の象徴と評されている妖精とは対照的に、〈妖精憑き〉には不運が付きまとう。

 その不運のひとつが、妖精と一緒にいると、やたらと人が寄ってくるということだ。

 妖精なんて探せばそこら辺にいる。しかし〈妖精憑き〉の妖精は人間社会で共に生活をしているからか、野生の妖精よりも人間味があり、(余計な)知識も豊富で特別だ。つまりはそれだけ妖精からお願い――もといわがままを要求される可能性が高くなるわけで、妖精を愛でることは人間にとって美徳であり、望みを叶えることで幸福を分けてもらえるというジンクスが現代社会に蔓延しているおかげで、人々は妖精からお願いされることを欲している。この世はだいぶ病んでいる。

 しかし、初めのうちは〈妖精憑き〉の物珍しさと聖人伝説。妖精のハイスペック見たさで寄ってくる人たちも、妖精の本性(それと〈妖精憑き〉の普通さ)を知るうちに、決まって段々と距離を置き始める。

 考えてみれば簡単なことだ。野生よりも知識が豊富ということは、それだけ要求してくるわがままのレベルが高いことを示している。

 例えば野生の妖精ならば「飴玉ちょーだい」で済むところをケーキワンホール要求されるし、「お歌聴かせて」で済むところをカラオケ(一八〇分コース)を要求されたりする。そして妖精のお願いを叶えることが出来なかったり拒否したりすると決まって不幸が訪れるため、人々はやがてリスクの方が大きいことに気づいてしまうのだ。

 そのおかげで、昼間の狭く浅く波風立てず平穏無事に過ぎるはずであった大学生活は、わずか一年で終わりを迎えた。

 期待して近づいてきた人たちはやがて真実を知って距離を置き、元々あった少ない繋がりも妖精に畏れを抱いて離れていった。

 故に現在、大学における昼間の交友は極少数。コスプレマニアの奇人会長。同じサークルの仲間たち。

 そして高校からの後輩で、人気アイドル声優である神代唯(かみしろゆい)。

 ちなみに彼女はもう一年以上もの間、フィジーからの要求に応え続けている。


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 昼間は時々、自身の生き方について割と本気で考えることがある。

 例えばそう。今のようにドールサイズの女の子用のパンツをチクチク手縫いて作っている時などがそうだ。

 何故、大学生である昼間がこんなものを作らなければならないのか。時々肌触りを確かめ、ゴムの締まり具合を調節しながら、何故妖精の下着を自作しなければならないのか。そして何故、パンツを作ったら同じ柄でブラジャーまで作らなければならないのか。

 しかしありがたいことに、会長やサークルの友人たちが時々フィジーの服を作ってくれることがある。だが下着類など手間が掛かり、ある程度のノウハウを必要とされる衣服に関しては作ってくれる人が誰もいない。初めのうちはリ○ちゃん人形の身ぐるみを剥いで妖精に提供していたのだが、薄いしチクチクするしなんか変な臭いがするなどと散々に言われ、資金面の問題が多分にあったこともあり、仕方なくこうして自作するしか道がなくなった。

 自慢ではないが、昼間の望まない裁縫の腕は既にプロの領域に達している(会長評価)。何故たった一年ほどでここまで熟練度が上がっているのかといえば、この箱入り娘のフィジーさん。同じ服を何度か着ると飽きた新しいの欲しいなどと言いだし、昼間に次なる新作を要求してくるのだ。

 チクチクチクチク。ハサミで糸をパチリと切り、肌触りと足を通す穴の感覚を調整する。フィジーと同じサイズをしたリ○ちゃん人形に穿かせてみる。若干ゴムが緩い気がする。少しだけ調整し、再度穿かせてみる。

「……よし、完璧だ」

 ムフフフフ。リ○ちゃん人形を持ち上げ、達成感による高揚から若干息が荒くなる昼間。すると長机を挟んだ向かい側に座っていた少女が、まるで変質者を見るかのような視線を向けてきた。

「昼間先輩、人形遊びしてる変態みたいです……」

 まるで幼女のような、可愛らしい声音。

「う、うるさい。自分で作ったパンツを拝んで何が悪い?」

 ごほん、と誤魔化すように咳ばらいをひとつ。早速出来映えを妖精に報告しようと辺りを見まわすが、フィジーどころか他の学生たちの姿もない。

「あれ? そういえばフィジーは何処行ったの?」

「さっきパトロールに出ましたよ。皆さんも用事があるとかで、しばらくは帰ってこないんじゃないですか」

 心なしか少し弾んだ声で言って、少女は読みかけであった手元の小説に目を落とす。

 眼前の少女、神代唯(かみしろゆい)は美少女といって差し支えのない可愛らしい女の子だ。ただ、一五〇センチという低身長に童顔もあわさり、一見すると中学生にも見える彼女の本当の年齢は十九歳なので、少女と呼べるかどうかは微妙だが(ただし胸の発育はとても良好だ。会長曰く『ロリ巨乳』だとか)。

 腰まで届く艶やかな黒髪にタンポポを模した髪留め、人形のような白い肌。長いまつ毛に大きな瞳。柔らかそうな桃色の唇をか細い小指で撫でて、今は何処か色っぽい。ピンクのシャツに春物の白いパーカーを羽織り、白いミニスカートを穿いている。

 もしも昼間が悪いオトナであったならば、唯の正面に座るこの位置から机の下にスマートフォンを忍ばせて少女の足の間を撮っていたことだろう。冗談抜きに、きっと恐ろしいほどの高値で売れる。

 何故なら彼女、神代唯は今を時めくアイドル声優。全世界最大級の登録者数を誇る大手SNSアプリ『Re→talk』のフォロワー数は約四十二万人。少女の愛らしい美貌と幼女のような可愛い声も相まって、妹系アイドル声優として世の男子共の多くを虜にしている。

 ちなみに蛇足も蛇足、蛇足に尽きるが『Re→talk』における東堂のフォロワー数は二百万人ほどいる。業界は元より情報番組のコメンテーターとしても活動する彼の顔は何処までも広い。

「……先輩、さっきからわたしのことじっと見て、どうしたんですか?」

 天然のアニメ声とキョトンとした目で昼間に尋ねてくる唯。無意識のうちにスマホを自身の腰の位置まで持ってきていた昼間は、ハッと我に返り、自己嫌悪に陥る。

「いや、俺……大学辞めようかな、って……」

「い、いきなりどうしたんですか!?」

「あのさ、神代さんのこと撮ってもいい?」

「え……え! あ、は、はい。いいです、けど……」

 何故だか声が裏返り、普段より顔が赤くなっている気がするが昼間は気にしない。スマートフォンを掲げて後輩の姿をカメラに捉える。

「あ、あの……ちなみに撮ってどうするんですか?」

「神代さんのファンに売れるかなって」

「それはダメですよ!?」

 唯はガタン、と抗議と共に椅子から立ち上がる。昼間もその後を追おうとしてスマホの画面を触っていたらカメラは自撮りモードへと移行していた。

「だって今月めちゃくちゃ厳しいし……あう、あう。自撮りモードが解除出来ない……」

「だからって学校辞めなくても……それに相変わらず機械オンチなんですね」

 まったくもう、とため息を吐き、しかし何処か嬉しそうな表情で唯は昼間の隣へとやってくる。

「ほら、昼間先輩。目線こっちですよ」

「ああ、うん。というか神代さん近くないですか?」

 昼間の手に少女の柔らかい手が添えられる。唯の髪の先が頬をくすぐり、女の子特有の甘い香りに鼻孔を刺激され、さらには右肩の辺りに何やら柔らかな感触が……。

 ――カシャ。

「あ、間違って撮っちゃいました♪」

「その割にはだいぶ弾んだ声だなオイ」

 後輩の可愛い悪戯に、先輩である昼間は苦笑するだけで怒るわけにもいかない。

「もお~、ちゃんと笑ってくださいよぉ。昼間先輩目つき悪いです」

「う、うるさいな。密かに気にしてることをはっきりと」

 カシャカシャカシャ。立て続けに撮りまくる後輩と逃れようとする昼間。

「ちょっとちょっと。部室ではイチャコラ禁止なんだけど」

「ああ、会長。お疲れさまです」

 そこに空気を読んでか読まないでか、コスプレ研究会(歴史研究会)の会長が戻ってきた。同時に人気アイドル声優の舌打ちが聞こえた気がするが気のせいだろう。

「せーんぱい。あとで送ってくださいね」

 まるで脳が溶けてしまいそうな甘いアニメ声で、唯がそっと囁いてくる。そのあとまるで何事もなかったかのように彼女は自分の席へと戻り、再び読書を再開した。

「おや。唯ちゃんはまた『Azalea』を読んでるのかい? ほんと好きだねえ」

「は~い大好きですよ。会長の『Azalea』愛よりもずっとずっと勝ってます」

 何処となく尖った雰囲気を出しながら人気声優は答える。理由はよく分からないのだが、唯は会長に対して何となく当たりが強い気がする。

「いや、私は『Azalea』よりもyakan先生のデビュー作『大賞五作』のうちのひとつ『ぱれっと』が一番好みかな。あれこそミステリー小説の至高だよ」

「でも会長はどうせ『ぱれっと』の続編、『Re:ぱれっと』は駄作だとか言ってるクチなんじゃないですか?」

「はは、まさか。逆だよ逆。『Re:ぱれっと』があってこそ『ぱれっと』の魅力がさらに倍増しているんじゃないか。続編を批判している奴らは読解力が足りないだけさ」

 会長の素直な評価に何故か嬉しそうにしている唯。昼間としては言い方は違えど何度も見た覚えのあるやり取りだったので、今さら特別な感想はない。女子とはそういうものなのだ。

「まあ、実写化は残念だったけれどね」

 ズキリ、と胸の痛み。

 それは余計な一言だろ。とつい口が出そうになった昼間だったが何とか堪える。横目で後輩の方を見てみると案の定、焦点の合ってない目で遠くを見ていた。

「実写なんてなかった」

「声優さんがそういうこと否定していいものなのかな?」

 呪詛のようにブツブツと呟く唯に苦笑しながら会長は問うが、もう少女の耳には届いていない様子。唯はこの話になると決まって現実逃避をするのだ。

 人気声優のことは放っておき会長は昼間の隣に座ると、目の前の机に置かれたリ○ちゃん人形(パンイチ)を見て、昼間に生温かい視線を向ける。

「……君たちはふたりきりで、本当に何をしていたんだい?」

「ちょ、ご、誤解ですよ。ただフィジーの服を縫ってただけです」

 手に持っていた針と糸――を見せようとして、スマホ(カメラ起動中)を見せてしまう昼間。位置的な問題でリ○ちゃん人形(パンイチ)が映ってしまっている。画面に指が触れる。カシャ。

「……ははは。もちろん分かっているともさ。それで昼間君。君はyakan作品では一体何がお好みなのかな?」

 会長の目が笑っていなかった気もするが、気のせいだと思いたい。

「いえ、俺はあんまり本は読まないので。フィジーも小説は読みませんし」

「おや。それは人生損をしているね。今度持ってきてあげるから読んでごらんよ」

 yakan作品についての話は避けたかったのだが、気の良い会長は昼間の胸中など知らず笑みを浮かべている。

 すると唐突に意識を覚醒させた唯が、ガタンッ、と椅子を蹴る勢いで立ち上がった。

「そ、そそそそれならわたしがっ! わたしが持ってきます! わたしの私物を昼間先輩に貸してあげます!」

「そ、そうかい? 私は別に構わないけれど……どうしてそんなに焦っているんだい?」

 言ってから少女は自分のバックを漁り始める。

「あ、あれ? すみません、今日はこれしか持ってきてなくて。じゃ、じゃあ、ひ、ひひひ昼間先輩、う、うううううちまで取りに来ますか!?」

「いやなんでだよ。別にまた今度でいいから」

 何故かは分からないが動揺している後輩に、軽く引きながらも断っておく。

「いや、というか貸さなくてもい……」

「ひ~るま~! ただいまなのよぉ~♪」

 と、唐突に、天井を透過してきたフィジーが、昼間の顔面にベチャリと着地した。本当に妖精は何でもアリだ。昼間はフィジーの首根っこを掴んで適当に放り投げておく。

「ゆい~ゆい~。昨日『ぶりファン』観たのよぉ~。ゆい出てたのよぉ~」

「え、本当に? あはは、ありがとフィーちゃん。でも脇役だからあんまり出番なかったけどね」

 チラチラと昼間の様子を伺いながら、唯は恥ずかしそうに答える。妖精はリ○ちゃん人形の後ろに回り込み、胸をワシワシ揉むという謎行動を取りながら(やめろ)、少女に『お願い』をした。

「ゆい~。アニメってどうやって声入れてるのよぉ~? わたし現場を見てみたいのよぉ~」

「え、えーと……」

 苦笑する唯。フィジーがお願いをしたことに気づいた昼間は、咄嗟に妖精を止めに入る。

「おいフィジー。神代さんは仕事でやってるんだからわがまま言うな」

「ぶぅ~」

 主人の言葉に不貞腐れる妖精。

 しかし経験上、止められず無意味に終わる確率が七割。余計な被害(昼間に不幸が訪れる)が出る上に止められない確率が二割。条件付きで妥協してくれる確率が一割ほどだ。

 そして今回は――

「もぉ~、分かったのよぉ。じゃあ今度ひるまをゆいに一日貸してあげるから見せてほしいのよぉ~」

「きゃああああああぁぁぁぁ!! フィーちゃんマジ天使! うん分かった早速マネージャーに聞いてみるねお願いするねフィーちゃんの頼みだから仕方ないよね断れるはずないよね!」

「わたしは天使じゃなくて妖精なのよぉ~?」

 多分運がないことに、二割の確率を引き当てたらしい。


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 即断即決即行動が基本である妖精サマに、人間は基本、逆らうことが出来ない。

 しかし唯は唯で何故か乗り気に許可を求める電話を入れると、この後アニメの収録がひとつあるということで早速現場へと向かうことになった。会長は幼い子供を見る慈母のような優し気な笑みを浮かべながら送り出してくれた。

 というわけで昼間は現在、都内のスタジオにいる。

 正直なところフィジーひとりで行ってくれと思ったのだが、妖精の方が同伴を望んでしまったので昼間は拒否することが出来なかった。ただ電車賃が定期の範囲内で掛からなかったことだけが不幸中の幸いだ。

 まだ収録は始まらないらしく、昼間はロビーのようなところでソファに腰かけていた。

 唯は共演者の元へ挨拶に行き、フィジーはスタッフの仕事を邪魔しに行っている。〈妖精憑き〉であることが知られると注目されて疲れるため、昼間は求められない限り妖精のあとを付いてまわったりはしない。

 周囲には他に何人か座っていたが、もしかすると他の声優だったりするのだろうか。とすると昼間は彼らの目からはどのように映っているのだろうか。もしかしたら若手の声優とでも思われていたりするのではないか(入る時に身元確認をされたので、まさか不審者だとは思われていないだろう。たぶん)。

「君は、もしかして明科(あかしな)君?」

 案の定、隣にいた初老の男性が昼間に声を掛けてきた。何処かで聞いた覚えのあるダンディな感じの声音だ。それだけで彼が声優であることはすぐに分かった。

「い、いえ。自分は友達の仕事を見学に」

「ああ、そうなの。かっこよかったからてっきりそうなのかと思ったよ。でも良い声してるね君。もしかして声優志望だったりするの?」

 ダンディな声優は人懐こい性格なのか、昼間の声を聴いてグイグイと迫ってくる。見た目と声を褒められることは結構ある昼間であるが、本業の方に言われると流石に照れる。

「明科は僕ですよ本庄さん。というかこの前会ったばかりじゃないですか」

 すると廊下の先からひとりの青年が歩いて来て、初老の男性へと挨拶をした。

「ああ、明科君。その声その声。いやぁ、若い子の顔はみんな同じに見えちゃって。今日は別録りだって聞いてたけど来たんだね」

「本庄さんと話したくてですよ。今日はよろしくお願いしますね」

「はっはっは。君は相変わらず口が上手いなぁ」

 明科と呼ばれた青年は人当たりの良い笑みを浮かべると、ダンディ声優の隣に座り話し始める。人見知りする昼間としては助かる思いだ。

 そして明科の登場で、周囲に座っていた女性たちがザワザワと騒ぎだした。

 歳は昼間と同じくらいだろうか。袖が余る長袖のTシャツ、ダメージジーンズといういかにも今風な恰好に加え、金の目立つ髪、アイドルのように整った顔。そして何より、少年の面影が残るハキハキとした声音。

 恐らくは、彼も声優。それも唯と同じアイドル声優の類なのかもしれない。

 やがて初老の声優がスタッフに呼ばれ何処かへと去っていく。他に座っていた者たちも続々と席を立ち、廊下の先へと消えていく。

 残ったのは昼間と、明科という青年ふたりだけだ。

「で。あんた、さっき唯ちゃんと一緒にいたけど、一体どういう関係?」

「……はい?」

 一瞬、昼間は自分に声が掛けられたことに気づかなかった。そのくらい、彼の声の質が鋭いものに変わっていたからだ。

 というかいきなりあんた呼ばわりかよ。

「だからさぁ、唯ちゃんとはどーいう仲なのかって聞いてんだよ」

 先ほどまでとはあまりにも違い過ぎる態度の豹変に、昼間は面を食らってしまう。

 どうやら明科は何か勘違いしているらしい。確かにこの建物に入る時、フィジーはフライングで壁を突き抜けて行ったため、傍目から見ると昼間は唯とふたりでいたようにも映る。これはすぐにでも誤解を解いておかなければならない。

「えっと、神代さんとは、同じ大学の先輩後輩で同じサークルの仲ですが」

「ふーん、あっそ。『神代さん』ねぇ」

 それだけで、青年は何故か勝ったような笑みを浮かべる。

「僕のこと、知ってるだろ。明科明(あかしなあきら)。声優にモデル。それから歌手。最近は俳優もやってるんだけど」

「あ、はい」

 嘘だ。アニメやドラマどころか、ニュースすらもほとんど観ない昼間が彼のような俗物を知っているはずがない。

 しかし明科は昼間の肯定に満足したようで、うんうんと頷くと、少し高いトーンで語りだす。

「唯ちゃんってさぁ、すごい可愛いよね。声もそうだけど見た目もさぁ。おまけにちょー優しくて、あんたみたいな暗くて冴えない学生とも友達になってくれるんだからさぁ」

「はぁ、そうですね」

 言っていることは何ひとつ間違ってはいないため、昼間は頷いておく。

「でもさあ正直言って、付き合う人間は選んだほうがいいと思うんだよね。ほら、あんたみないなのが唯ちゃんの周りをうろつくだけで、彼女の格が落ちたみたいになるじゃん? でも唯ちゃんは優しいからそんなこと言えないわけで、周りのほうが彼女のために気を遣ったほうがいいと思うんだよね」

「はぁ、そうですね」

 彼の言っていることがよく分からないため、昼間は必殺『テンプレ返し』で乗り切ることにする。ちなみにこの技を以前、フィジーに対して使ったらキレて、蛇口を捻る度に取っ手が外れるという呪いをかけられたため、使えるのは人間に対してのみだ。

 すると明科はニコリと、先ほどまで見せていたアイドルの笑みを浮かべた。

 おお、何とか乗り切れたと昼間がホッとしたのも束の間。

「だからさぁ、調子に乗んなっつってんの。唯ちゃんには僕みたいなのが一番似合ってるんだから、邪魔者は消えろよ」

 ドスの効いた声とはまさしくこのことを言うのだろう。

 そこで青年はスタッフに呼ばれ、昼間に向けたものとは一転少年のような元気な声で返事をすると、廊下の先へと消えていった。

 ロビーにて、ひとり残される昼間。

 ふう。自分でも理由の分からないため息が溢れた。


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 収録が始まると唯のマネージャーさんの計らいで、昼間も見学させてもらえることになった。

 といっても、もちろん唯たち声優が控えるレコーディングスタジオの隣、窓一枚隔てたスタッフの詰める部屋だ。既に数人のスタッフが忙しそうに機材をいじっていて、昼間の方には目線ひとつ寄越さない。

 邪魔にならないよう一番奥に立ち、マネージャーさんと共に窓の向こう側を見守る。唯は椅子に座って台本の確認をしているようで、昼間には気づいていない。先程ロビーで話した明科とやらは昼間がいることに気づいたが無視。他の声優と話をしていたが切り上げ、唯の隣に座って声をかける。少女も笑顔で対応する。

 そしてフィジーはというと、まるで当然のように声優たちの中に混じり、高そうなマイクの前に立ってダンディ声優に何やら教えを乞うていた。嫌な予感しかしない。

 スタッフがマイク越しに収録の開始を告げる。

 唯たちはマイクの前に順番に並び、画面に出てくる絵コンテを見ながら演技していく。子供のころ、声優のドキュメンタリー番組で見た光景そのものだ。もしも昼間が声優を志していたりアニメ好きならば今この状況は感涙ものなのだろうが、生憎そのどちらでもないため特に感想は抱かない。そういうところが女性にモテない理由だと昔東堂に言われたことを思い出す。

「本庄さんは流石の安定感だな。あの渋い声好きだわ」

「俺は断然唯ちゃんですかね。すんごいロリ声。あの声で『お兄ちゃん』って呼ばれたいわ~」

 中央の椅子に座る、先程マネージャーさんが監督だと言っていた人物が腕を組みながら感想を漏らし、その隣で若いスタッフが下卑た笑みで答える。マネージャーさんは表情も変えず何も言わない。無論昼間もだ。

「でも唯ちゃんはあの声しか出来ないからな。それが良くもあるが」

「あの子は見た目で売ってるようなものだからいいんすよ」

 マネージャーさんの固く結ばれた拳がピクリと動く。アニメ業界もピンからキリまであると以前東堂が言っていたが、なるほど。こういう意味だったのかと今さらながら昼間は納得した。

 見ているかぎり、どうやら唯はレギュラーではなく、この回のみの出演らしい。ダンディ声優が演じる敵役の孫娘、という立ち位置だ。

 ふとフィジーの様子を伺ってみれば、ダンディ声優の肩辺りでフワフワと浮かび、何やら鼻息を荒くしてソワソワしている。

 見ただけで全てを察する昼間。

 こういう時のフィジーは、次の瞬間決まってろくでもない事件を起こす。マネージャーさんに断りを入れて、昼間は部屋を出る。

 隣の部屋、唯たち声優の集うレコーディングスタジオに音もなく潜入する昼間。しかし僅差で間に合わなかったらしく、事件は既に起こっていた。

 スタジオに、妖精の声が鳴りひびく。

「ぬわ~はっはっはっは! 一足遅かったようだな勇者たちよ! 貴様らが大事にしていた姫君は既に我が部下が○○したあげく、皆で○○○○してやったわ!」

 とんでもないことに、とても子供向けアニメで言ってはいけないことをフィジーは口走っていた。おまけに絵コンテまで書き換わり、十八禁仕様に変わってしまっている。

「さらには○○○して○○までやってやったぞ! 我が部下たちも大分溜まっていたからなぁ! いい○○○になったぞ!」

 周囲の声優、もといスタッフたちは妖精のやることなので止めることが出来ず苦笑するだけ。この手の話に免疫のない唯なんかは顔を真っ赤にして伏せている。

「ほらほらほらぁ! とどめにワシの○○○で○○を○○○やるわぁ! ほらほらぁ! ○○○してやるぞ! 受け止めろぉ!」

 傍で見ていたダンディ声優は役を盗られた上に改変までされて、何とも気恥ずかしそうにしていた。止めようと手を差し出すが〈妖精憑き〉でない者はフィジーに触れることが出来ず、不可視の力でマイクのオンオフすら効かなくなっているようだ。本当に妖精は何でもアリだな。

「くはぁ、なかなか良い○○であったぞ! ふはは、では二回戦と行こうか!」

「行くわけねえだろこの馬鹿が」

 昼間はフィジーを後ろからグワシッ、と鷲掴みにし、マイクから引きはがす。周囲の人間は妖精に触れた昼間を見て驚いていたが、今はすぐにでもこの場を立ち去りたい気分だ。

「うちの子がご迷惑をお掛けしました」

「ぬぐわぁぁぁ! まだ途中なのよひるまぁ~! 脱肛させてやるぅ~!」

「おいマジでやめろよ!」

 連れ帰る途中、背後で「あいつ〈妖精憑き〉だったのか……」と少年ぽい声が聞こえたが、もちろん無視することにした。


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「……あの、なんかごめん」

「い、いえ。フィーちゃんのやったことですから、先輩は何も……」

 気にしていないと唯は言うが、先程の光景を思い出してか、また真っ赤になって俯いてしまう。

 再びのロビー。多少のトラブルはあったが条件付きでフィジーも大人しくしてくれたため(脱肛することもなく)収録は無事終わり、スタッフたちは撤収作業に移っていた。声優たちも既にレコーディングスタジオを後にし、関係者たちと何やら話し込んでいる。

 唯はまだ頬を染め、いや、どうやら別の理由でモジモジと指を絡めながら、何か言いたそうに昼間の方をチラチラと見ている。

 昼間の方から尋ねようとした寸前、意を決したように少女は口を開いた。

「あ、あの! 昼間先輩、このあと用事ありますか!?」

「い、いや、別にないけど……」

 正確に言えばフィジー次第であったが、昼間は唯の勢いに押されそう答えていた。見る間に人気声優の表情が明るくなる。

「じゃ、じゃあ、ご飯でも食べに行きませんか!?」

「え、いや、俺今月厳しいし……」

 これも正確にいえば今月に限った話ではなく、さらにいえば今週は水と塩とパンの耳くらいしか口にしていなかったが、もちろん余計なことは言わないでおく。

 唯は残念そうに肩を落としたが、それも一瞬のこと。すぐに何か思いついた様子でまたも顔を赤らめる。

「じゃ、じゃあ、わたしの家に、い、いえ、ひ、ひひひひ昼間先輩の家でもいいですが、わ、わたしが手料理をご馳走しますよ!」

 裏返った声と荒い息。目の前のアイドル声優はあと一歩間違えれば完全に変質者の様相だったが、しかし提案自体は非常に魅力的なものだった。

 ただ、同じ大学の後輩というだけで付き合ってもいない女子を家に入れてもいいものかと、常識的な思考が昼間のなかで働く。

 しかしそこに、

「やあ唯ちゃん、お疲れさま」

 美青年というより美少年といったほうがしっくりとくるアイドルスマイルを伴って、金髪の青年明科が声を掛けてきた。昼間の方には視線も向けない。

「あ、明科さん……お疲れさまです」

 彼が現れた途端、唯の表情が硬くなる。当然といえば当然だが、やはり彼らは既知の仲であるらしい。

 明科は昼間をどかして少女の前に出ると、人当たりの良い笑みを浮かべながら尋ねた。

「マネージャーさんに聞いたけど、今日はもう仕事ないんだって? なら前に約束してた店にご飯食べに行こっか。さっき電話したら運よく予約取れたからさ」

「あ、え? あの、わたし……」

 なるほど。今の青年の言葉だけで彼が唯と以前から親しくしていることが分かり、そういえばレコーディング前も仲良さそうに話していた。唯は昼間に気を遣って明科の誘いに戸惑っているようだが、どうやら邪魔者は昼間のようだ。

 青年の言葉に従うのは少々癪だが、実際、アイドル声優である唯の誘いを軽率に受けるべきではない。断っておいたほうがいいだろう。

「あ、俺のことは気にせずに。それにフィジーを待ってたらいつ帰れるか分からないし」

「そんな……わたしは、昼間先輩と……」

「彼もこう言ってることだし、行こうよ。僕らの関係、他の人に知られると面倒だからさ」

 さりげなく唯の肩を抱き、明科は唯を連れていく。

 チクリ。何故だろう。胸が痛む。

 一瞬呆然とした昼間であったが言い忘れていたことを思い出し、少女の背中越しに告げた。

「あ、今日はありがとう。フィジーも喜んでたよ」

「……昼間先輩は、どうでしたか?」

「……え?」

 唯の言葉がよく聞こえず、聞き返す昼間。

 少女の方もまだ何か言いたげな顔をしていたが、やがて諦めた様子で前を向いた。

 昼間はひとり、ロビーで立ち尽くす。

 ふう。安堵か後悔か、自分でもよく分からないため息をまたひとつ。

 が、そこに、

「ひっるま~ひっるま~やっくそっくなっのよぉ~♪」

 妖精の専売特許である神出鬼没を発動して、フィジーが壁をすり抜けて昼間の顔面に張り付いてきた。

「はいはい、わーってますよ」

 チッ、と隠しもせずに舌打ちを放ち、ベリッ、と妖精を引き剥がす昼間。

 ――もう少し早く来てくれたら良かったのに。

 誰もいなくなったレコーディングスタジオにフィジーとふたり、昼間は立ち入る。

 するとマイクの奥、モニターの中に先程使っていた絵コンテが勝手に表示された上、見る見る内に完成して一話のアニメとなり、マイクのスイッチがひとりでに入り、親切なことに高さ調節まで自動で行われた。無論、妖精さんの何でもアリの能力だ。今さら驚かない。

 先にフィジーとした約束とは、収録が終わったら少しだけスタジオを借りて、彼女のお遊びに付き合うといったものだった。ちなみに監督から許可は貰ったが唯には伝えていない。本業の人の前でわざわざ醜態をさらすこともないだろう。

「わたしはゆいのやってた女の子役をやるのよぉ~。それ以外はひるまで」

「俺の担当多くね!?」

 楽し気な妖精に理不尽を突き付けられることも最早日常の一部だ。

 まあ、いい気分転換だと思えばそれほど悪くない。

 抵抗しても無駄なため、さっさと終わらせてしまおう。


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 明科のマネージャーが運転する車の中で、唯はスマートフォンを握りしめてじっと耐えていた。隣では明科がご機嫌な調子で語る。

「いやぁ、でも驚いたよ。あいつ〈妖精憑き〉だったんだね。この僕でも初めて見たよ」

 青年のさりげない社交自慢。確かに彼は有名なアニメ監督である父と、大手芸能事務所の所長である母を持つ御曹司。様々な社交パーティーにゲストとして頻繁に呼ばれていることは広く知られている。

 唯は何も言わず、ただじっとスマートフォンの画面を見つめて昼間のことを考えていた。先輩には申し訳ないことをした。あとでちゃんと謝らないと。

「あいつ、昼間、だっけ? 変わった名字だね」

「……名字じゃなくて名前です」

 反射的に答えてしまってから、すぐに失言であったことを悟る唯。

 明科の方を見てみれば、彼の目が敵を射るかのような鋭いものに変わっていた。

「ふーん。で、唯ちゃんはあいつのことが好きなの?」

「そ、れは……」

 唯は答えることに躊躇する。

 出来れば明科に昼間のことを知られたくなかったし、昼間にも明科と会ってほしくなかった。本来の予定であれば今日の収録、彼は別録りであると聞いていたので油断していたのだ。

 明科は面白くなさそうに眉を歪めると、何処か他人事のように話しだす。

「そういえば〈妖精憑き〉の妖精って、妖精に対する無礼は不幸となって返ってくるけど、自分の主人に対して他人が行う無礼に関しては、別に何とも思わないらしいね」

「っ! 先輩に、何かしたんですか!?」

 思わず声を荒げる唯。青年は満足そうに口の端をつり上げる。

 確かに〈妖精憑き〉の妖精は主人に対して自らの幸福を求めるが、主人に幸せを与えたり守ってくれたりはしない。どこまでも一方的で理不尽な関係なのだ。

「別に、まだ何も。まあ〈妖精憑き〉と仲良くなったって、僕を抑止したりは出来ないってことだよ」

 明科は遠回しに唯を脅してくる。背筋に悪寒。

 昼間が人質に取られたのと同義だった。

「それで? 唯ちゃんはあいつのこと好きなの?」

 青年は勝ち誇ったかのような笑みを浮かべて、改めて尋ねてくる。

 唯は唇を噛み締めて堪える。もう他に答えようがない。

「……すきじゃ、ないです」

「だよね~。あんな何も持ってなさそうな男。唯ちゃんが好きなわけないよね~。あ、じゃあさ、俺のこと、これからは名前で呼んでよ。『明』って」

「……はい。明、さん」

 怒りに身を震わせながらも、明科の求めるままに唯は応える。青年は唯を言いなりに出来て満足そうだ。

「まあそう固くならないでよ。いずれは付き合う仲なんだからさ。何だったら、僕の方は今からだって構わないけど」

「約束は、守ってください」

「はいはい。分かってるよ。でもこれからはあいつのこと、名前で呼ぶの禁止ね。唯ちゃんだって、ちゃーんと分かってるよね? 君の夢を叶えられるのは、僕だけなんだからさ」

 明科の非情な命令に、唯は黙って頷く。

 握りしめたスマートフォンには、昼間とふたり、部室で撮ったツーショット写真が映っていた。


『Re→talk』今日の呟きピックアップ。

 yui kamishiro:今日もアニメのレコーディングでした! でも良いこともアリ。悪いこともアリ……つまりはとっても疲れました。。。皆さんはどのような1日でしたか? どうかあなたが幸せでありますように。

 →Re:唯ちゃん最近忙しそう……無理しないでね。

 →Re:Azaleaのアニメ化が近いって本当ですか!? 唯ちゃんはもちろんロリっ子メルティですよね!

 →Re:唯ちゃーーーーん!! 大好きだーーーー!! 結婚してーーーー!!

 →Re:明科くんと付き合ってるって噂は本当ですか!?

 →Re:唯ちゃんに彼氏出来たら多分血を見ることになるなwww

 →Re:最後の一文が意味深に聞こえるのは俺だけか?

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