第1章 伝説の小説家

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『伝説の小説家』

 そう問われて、現代人の頭に浮かぶ小説家がこの世界には一人だけいる。

 彼、もしくは彼女がデビューしたのは七年前のこと。

 大手出版社主催の小説コンクールにおいて最優秀賞である大賞を受賞したのが事の始まりだ。

 当時、彼(もしくは彼女)は若干十四歳。読者層の平均年齢が三十を超えている文芸作品を募集したコンクールに殴り込みをかけ、その技量、構想力共に見事に認められる。歴代受賞作と比べても最高の作品だとされる内容もさることながら、まだ中学生ということもあり話題性も十分。浮かれる関係者は元より多数のメディアからも取り上げられて、世間はある種のお祭り状態となった。

 だが、彼(と定義しておく)の本領はここからであった。

 その二週間後。これもまた大手出版社のミステリー小説賞にて大賞を受賞。

 最初の受賞から一か月後。業界最大手のライトノベル新人賞にて大賞を受賞。

 二か月後。大手出版社の小説コンクールにおいてSF小説を応募していたことが判明し、大賞を受賞。

 同時期。大手出版社の小説賞においてファンタジー小説を応募しており、大賞を受賞。

 彼は殴り込みどころか、日本の小説界にミサイル片手に突っ込んでいったのだ。

 大手出版社の小説コンクールからぶんどる勢いで賞を総なめにし、『小説界に天才現る!』としていたメディアの報道も『小説界に暴君、降臨』へと変化し、初めのうちは笑って喜んでいた出版社もあまりの騒がれように朝から晩まで対応に追われ泣きを見始めて、後に『大賞五作』と呼ばれるこの事変により、小説界は大荒れとなったのだ。

 若干十四歳中学生の分際で、大手小説コンクール、それも同時期別ジャンル、別々の賞に五作も応募し、その全てが最高賞を受賞してしまうなど、まさしく前代未聞のケースだった。

 一体彼は何者なのか? 本当は齢八十を超えたご隠居さん。小説界を盛り上げるための出版社の自作自演。実は人口知能によって書かれた作品で、すべてはパフォーマンスであった! と憶測で騒がれているうちはまだ可愛いものであったが、やがてさる文豪の生まれ変わりだの宇宙人が世界征服の第一歩として文献を広め始めただのオカルトめいたモノも溢れだし、しまいには作者を特定しようと一部の者が具体的な動きを始めてしまった。

 しかし、そんな彼の価値を最も理解している者は、普段世間に様々な情報を発信している出版社の者たちだった。

 彼はまだ子供であり、多感な時期でもある。もしも今、彼が世間にさらされることによって今までの日常が送れなくなってしまったら、彼の才能が失われてしまうかもしれない、と危惧を抱いた。

 初めのうちは大々的に彼を広告塔にし、世間に見せつけて商売する気満々だったのだが、編集者たちの小説を愛する心が目先の利益を上回り、彼の才能を守る方向へとシフトしたのだ。

 結果、大賞五作を受賞した彼は覆面作家となり、明かされたのは年齢のみ。彼の情報は業界においてトップシークレットに指定されて、情報の流出を防ぐために、ただひとりの編集者のみが彼と接触し、すべての作品と出版社との間に立つ交渉役も任されることとなった。

 そうして生ける伝説となった小説家である、彼のペンネームは『yakan』。

 今年でデビュー八年目。既刊は全部で三十一冊。国内の名のある賞はすべて受賞済み。

 無論、その全てが小説界に歴史を刻む、大ベストセラーとなっている。


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 スマートフォンの画面には、ひとりの青年が映っている。

 自然というよりは無頓着といった感じでやや伸びた黒髪に眠たげな瞳。友人には「それなりにイケメン」と評されてはいるが不健康そうな白い肌がマイナス要因なのだろうか。まつ毛は普通で鼻毛ナシ(グッド)。歯の白さと歯並びの良さは数少ない自慢だ。あ、ヤバい。昼に食べた焼きそばパンの青のりが付いていた。

「ひるま~、早く撮ってなのよぉ~」

 画面を挟んだ向こう側から、少々鼻につく感じのソプラノ声が届く。そうだったそうだった。今は自分の顔面採点をしようと思っていたのではない。目の前にいる彼女に急かされてカメラアプリを起動したのだった。

「神崎くん、そっちのボタンだよ」

「すみません会長。……ああ、これか」

 サークルの会長から指摘を受け、自撮りモードを解除する。スマホの操作はやっぱり苦手だ。

 改めて――スマートフォンの画面には、ひとりの美少女が映っていた。

 人間のものとは思えない青く透き通った長い髪に、パチくりっ、と見開かれたアイドルのような青い目。慎ましい胸には青いビキニ。くびれた腰には水色のスカーフが巻かれ、小枝のように細く白い四肢でビシッ、とポーズを決め、頭の横でピースサインを掲げている。歳は十五、六といったところか。

 もしもここまでだけの描写であったならば、女性が苦手な昼間(ひるま)といえどグッとくる、魅力的な女の子であっただろう。

 だが、彼女の背中と身長体重を鑑みるに、少女が昼間の恋愛対象となることは未来永劫訪れることはない。

 何故なら彼女の背中には、蝶を思わせる一対の羽があり、その身長は二十四センチ、体重八○二グラムという、とても人間の基準には当てはまらない次元にあるからだ。

「イエスっ! イエスっ! にょりり~ん♪」

 謎の掛け声と共にポーズを決める机上の少女を、昼間はパイプ椅子に座りながらパシャパシャと撮っていく。あらかた撮り終えたところで昼間はスマートフォンから顔を出し、少女へ一言。

「フィジー、お前少し太った?」

「ぬわわ! どうして分かったのよぉ! 確かに前より二グラムぐらい体重が増えちゃったのよぉ~」

 恥じらうように自らの腰に手を回しくねくねと体を揺らす少女。

 訂正。身長二十四センチ。体重八○四グラム。人間の基準にはまだ遠い。

 青い髪に青い瞳。背中に蝶の羽を持つこの少女はもちろん人間ではない。さらにいえば秘密道具の小っちゃくなるライトで小人になったわけでも、謎の組織が開発した薬でここまで体が縮んだわけでもない 。

 彼女の名前はフィジー。俗に『妖精』と呼ばれる謎の存在だ。

 曰く、幸福の象徴。天からの御使い。幽霊妖怪の類。はたまた幻覚にしか過ぎないなど。彼女たちの存在を問う理論は数多く存在するが、そのどれもが信憑性にかけ、真実を証明出来ていない。人類史と同じくらい長く共に寄り添いながらも、彼女たちについて分かっていることはほんの少しだけ。

 その一。妖精自体はそこら辺にいる。草むらをかき分ければ割とすぐに見つかるが、人間の側からは触れることが出来ない。女性型が多いが、男性型もいる。見た目は五歳から十代後半くらいの容姿をしている。

 その二。食物を食べることは可能だが、食べなくても死なない。というか死という概念があるのかも分からず、そもそもどうやって生まれているのかも分かっていない。

 その三。妖精には知性があるが、基本わがままで自分勝手。ただ、妖精の『お願い』を叶えないと不幸になるといわれており、邪険にしたり不快な思いをさせても良くないことが起こるといわれている。ただし、お願いを叶えても良いことが起きたりはしない。

 その四。以上の理由から、妖精を愛でることは全世界及び社会的に善行とされており、妖精のすることは何だって許されてしまう傾向にある。

「その五。これは人類の平穏を揺るがしかねない大変憂慮しがたい問題であり、ただちに妖精法を整備し、すべての妖精に対しその性格を矯正、及び『お願い』の自粛を求めんとする」

「その六。神崎くん、その四あたりからだいぶ偏向的な視点になっていたりするけれど、気づいているかい? それから妖精法って何さ。そんな法律は存在しないよ」

「その七。妖精法についてはマジで本気で提言しようと思ってます。ついでに妖精庁なる機関も設立してもらって、〈妖精憑き〉に対して月々の生活費を支給して欲しく思ってます」

「その……八だっけ? いいじゃないか〈妖精憑き〉。幸運の象徴たる妖精に見初められた数少ない人間! 清き魂の持ち主! 生まれつき嘘の吐けない人間! そのうえ妖精に人間側から触れることが出来て、一緒に生活出来るなんて……まさしくリアル『Azalea(あざれあ)』の世界じゃないか」

「その……もういいや。清き魂と嘘の吐けないってのは誤報です。それに世間では『お願いを叶えれば良いことがある』なんて言われてますけどね。全く! 断じて! 絶っっっっ対にそんなことはないですよ! そのクセ叶えない場合はマジで不幸が来るという……この権利を誰かに貰ってほしいくらいですよ。二千円くらいで」

「やっすいなぁ。間違っても『Re→talk』で呟いたらだめだよ。愛好家が聞いたら炎上間違いなしだから」

「あ、やってないんで大丈夫です」

「……君は本当に現代っ子か?」

 ノリの良い会長ですら、昼間の流行の疎さには呆れているようだ。昼間の苦手な女性でありながらもこうして普通に話すことの出来る数少ない人間である会長は、妖精よりもよっぽどありがたい存在だと昼間は思う。

「ほら、フィジー。さっさと水着を脱いで着替えなさい。風邪引くだろ」

「きゃわわわ! ひるまのえっち! 触れるなこのロリコンがぁ!」

 昼間が腰に巻かれたスカーフを引っ張ってみると、フィジーは昼間の手をペシペシと叩き、更衣室(フィギュアを入れるショーケースの全面に紙を張り、出入り口に布を掛けたもの)に飛び込んでいく。昼間は苦笑。会長、そして散り散りに個々の作業をしている他の学生たちは、面白いやり取りを見たとニヤニヤ笑っている。

『歴史研究会』――というサークル名の、実際はコスプレ趣味を持った者が集ったサークルに、昼間は所属している。元は真面目に日本史を研究していたサークルであったらしいのだが、数年前に歴史上の武将を美青年化したアニメや漫画が流行り、甲冑ブームが起き、和服ブームが起き……合間に何やかんやあって、今では歴史全く関係ないコスプレをする集団へと成り下がってしまったらしい(違う! 我々は昇華したのだ! 新たなる文明の幕開けだ! by会長)。

 ここで注釈を入れておくが、昼間個人にコスプレ趣味はない。全くない。ただ、フィジーの服は普通の店では買えず、買えても意外と高額であったりするために、彼女の服を安く生成する技術を得るために歴史研究会へと入るはめになった。

 そして今日も、フィジーの新しい服、というか今年の夏用の水着の試作品を彼女に着てもらっていた、というわけだ。

 フィジーが更衣室の隙間からペイっ、と投げてきた水着を会長が拾い、縫い目や強度を確かめ、匂いを嗅ぎ……嗅ぎ?

「ふむふむ。君がこのサークルに入って一年くらいが経つけれど、だいぶ上達したものだね。もう教えることはないくらいだよ」

「褒められても嬉しくない技術ですが、ありがとうございます。まあ、余った布を分けてもらえるのでこれからもお世話になりますが」

 何を隠そう、昼間は昨年、大学二年に上がってから苦学生になった。

「なった」というのは他でもない、妖精フィジーが昼間の元にやってきてからだ。

 神崎昼間(かんざきひるま)は〈妖精憑き〉。つまりは妖精に憑りつかれてしまった人間だ。

 フィジーが昼間の元へやってきたのは一年ほど前のこと。最近、同じ妖精をよく見かけるなぁ、くらいに思っていたら、日に日に距離が近づいていき、気づくと肩に頭に乗るようになっていた。出逢いに劇的な要素はない。まあ現実はこんなものだ。

 ただ、彼女が来てからというもの、出費――主に食費が劇的に上がった(こんな劇的はいらない)。

 何故ならば、この妖精であるフィジーさん、このなりで胃がブラックホールだからである。

 というか本来、妖精は食というものを必要としないはずなのだが、フィジーは普通に食べ物を要求してくる。味覚的には甘いものが特に好物であるようだが、基本新しいものに目がなく、ここが都会で流行の発信源であるということも昼間の財布を軽くする一因となっている。もちろん、存在自体があやふやで不透明なこの謎の生物に対し(そもそも生物ではないという説もある)、法的な保護や戒めは存在せず、つまりは〈妖精憑き〉を助けてくれる機関なんて存在しない。

 妖精を愛で〈妖精憑き〉を羨む風潮がありながらも、現実の社会は昼間らに対し『ペットは飼い主が責任を持って育てましょう』と同程度のスローガンを投げつけるだけという鬼畜仕様だ。

 人知れずため息を吐く昼間。するとようやくフィジーが更衣室から出てきて、水色のパーカーに白のミニスカートという普段着へと戻っていた。

「ひるま~、お腹空いたのよぉ~」

「はいはい。空気でも食ってろ」

「ぬがああああぁぁぁ! ケーキ! 駅前のチーズケーキが食べたいのよぉ~!」

「いくらするの?」

「たぶん三千円くらいなのよぉ」

「それってホールの価格ですよね!?」

 非情なマイフェアリーを肩に乗せ、諦めのため息と共に立ち上がる昼間。

「おや、もう行くのかい? 今日は唯ちゃん来るって言っていたけど」

「どうして神代さんの名前が出てくるのかは不明ですが、あんまり遅れると不幸がやってくるので」

「あははは。君も大変だね。まあ頑張りたまえよ」

 乾いた笑いを零す会長。

 応援するなら金をくれとも思うが、口には出さないでおく。


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 平日の、とあるビルの一室で。

「うまいうまいうまいうまいうまうまう~なのよぉ~。ほっぺが溶解しそうなのよぉ~」

「それはグロテスクなことで」

 ここに来る途中駅前で買ったチーズケーキ(¥3240)を貪りながら、フィジーは恍惚な表情を見せている。今妖精が食べているそのケーキひとつで昼間の食費約五日分だ。冗談抜きに今週の食事が水と塩だけになりかねない。

「はっはっは。フィジーちゃんは相変わらずいい食べっぷりだよねぇ。それが終わったらこっちのケーキも食べていいからねぇ」

「ぬふぁああぁぁ! さすがはとーどーなのよぉ~。ありがたく頂戴してあげるのよぉ~」

 目の前に座る男がテーブルに置いた箱を示すと、またもやフィジーが奇声をあげる。

「貢物があるなら先に言ってくださいよ。これがあればチーズケーキは誤魔化せたかもしれなかったのに」

「はっはっは。女性へのプレゼントをケチってるようじゃ、まだまだ大人の男だと認めるわけにはいかないねぇ」

 男は役者めいた動きでやれやれ、と手を広げてみせると、昼間の痛いところを突いてきた。

 眼前の男――東堂天地(とうどうあまち)は人を食ったような性格をしている。年齢は四十を超えているらしいが、茶髪に薄く色の入ったサングラス、高そうな金色の腕時計、さらには胸元をはだけさせたピンクのワイシャツに濃い赤のスーツと趣味の悪さが相まって、二十代後半といっても通じそうな外見をしていた。

 だがこの男、この見た目にも関わらず、一部の業界では知らない者はいないかなりの大物である。昼間が知っているだけでも大手出版社の社長。芸能事務所の所長にアニメ制作会社の社長。情報番組のコメンテーターとしてテレビにも出ていたりと、本当は五つ子だったりするのではないかというくらいかなり手広く、そして根深く業界に関わっていた。

「神埼先輩――君のお父さんからも色々と頼まれてるからさぁ、何だったら教育してあげてもいいよ? 女性の扱い方とか、さぁ」

「それはそれで、変なことを教えると怒られるのでは? あなたにとって恐怖の権化である俺の父に」

「はっはっは。君も可愛くなくなったなぁ。お兄さん悲しいよ」

 誰がお兄さんだ、とは思いつつも、昔から家を留守にしがちだった父に代わり、東堂は実質的に昼間の保護者だったといえる。

「ああ、そういえば東堂さん。あれから父とは連絡取れましたか?」

 まるで今思い出したかのような切り出しで、昼間は半ば期待していないことを尋ねた。案の定、東堂は芝居めいた動きで首を横に振る。今週の食事が水と塩だけに決まった瞬間である。

 フィジーの食費が昼間家の家計を圧迫していることは現在進行形で妖精を見れば分かる通りなのだが、苦学生となった昼間にさらに追い打ちを掛けることとなったのは、海外を仕事で飛びまわる父の教え『大学を卒業するまでは贅沢禁止』の方針だ。

 故に昼間家は月々の生活費が決められており、定められた額が毎月口座に振り込まれる仕組みとなっている。一年前、フィジーが来てから生活費の増額を求めて父に連絡を取ろうと試みたのだが、東堂と同じく、あまりにも手広く色々なことをやりすぎて逆に職業不詳となってしまっている父に連絡を取ることが出来ず、未だにきっつきつの生活が続いてしまっていた。ちなみに今現在、父は所在不明どころか生死不明となっている。

「うーん、お兄さんとして援助してあげたいのはやまやまなんだけどねぇ。先輩からは『息子に一銭でも恵んだら殺す』って言われちゃってるからさぁ。だからさぁ、だから……ブルブルブルブル」

「わ、分かりましたから、すみません大丈夫です。自分で何とかしますよ」

 顔を青ざめて急に震えだす東堂。一体父は過去、彼に何をしたのか気になる昼間だったが、以前東堂に尋ねてみたら泡を吹いて気絶してしまったので、以来聞くことが出来ずにいる。

 東堂のことはさて置き。フィジーに目を向けてみれば既に東堂から貰ったケーキも平らげて、今は昼間のスマホを使ってゲームをしていた。何処までも自由な子だ。

「あ、もしかしたら今の声、神代ちゃんじゃない?」

 ズレてしまったサングラスを戻し、フィジーのやっているゲームを横から覗く東堂。昼間は我関せずと決め込み、コーヒーを口に運ぶ。

「おお~、とーどーよく分かったのよぉ~」

「いやいや、中々個性ある萌え声してるじゃないか。ほらほら、昼間君も見てごらんよ」

 少しでも胃を満たしておこうと三杯目のコーヒーにドバドバと砂糖をぶち込んでいた昼間へ、東堂が声を掛けてきた。一瞬哀れな子を見るかのように表情が歪んでいたが気のせいだろう。

「ふ~ん。それって有名なゲームなんですか?」

「……君は本当に現代っ子かい?」

 本日二回目となる突っ込み。東堂はやれやれ、と演技じみた手の振り方を見せると、ご丁寧に解説をしてくれた。

「『ぶりっ子美少女ファンタジー』――略して『ぶりファン』っていう、可愛い女の子を集めて育てて戦わせる人気アプリだよ。アニメにもなってるんだけどねぇ」

 タイトルからして特定の層を狙ったことが丸わかりなアプリだが、昼間はもちろんその特定の層には入っていない。後輩の人気声優が出ていなければ興味も向けなかっただろう。

「へえ、神代さんってそんなのもやってるんだ」

「そんなのって、馬鹿にしてる感じが表に出てるよ昼間君。まあ君は基本、アニメや漫画やゲーム文化に否定的だからねぇ」

 東堂は遠回しに否定的なことを否定しているのだろうが昼間は気にしない。東堂も昼間に対して論を展開しても意味がないと悟ったのだろう。そうそう、といかにもな感じで話題を変える。

「神代ちゃんとは最近どうだい? 仲良くやってるんだろう」

「フィジーとは仲良いですよ。俺とはただの先輩後輩の仲です」

「またまた~。高校から一緒なんでしょ? 懐かれちゃって満更でもないクセにぃ~」

 何を想像しているのか知りたくもないが、下卑た笑みを浮かべる東堂。見た目は若いが中身はやはりおっさんだ。

 もう何度目か分からない、決まった文言で昼間は返す。

「確かに高校も一緒でしたけど、高校時代はほとんど話したことなかったですよ。大学でだって、フィジーが俺のところに来てから急に寄ってきたんです」

 あくまでも何でもない風に言ったつもりであったが、やはりいつも、何処か冷淡な口調になってしまう。

 東堂は昼間を観察するかのように鋭い視線を向けていたが、やがてサングラスの内にしまい、代わりに信用ならない笑みを浮かべる。

「まあ、そういうなら僕としては安心かな。彼女、最近はアイドル声優としてだいぶ人気出てきてるけど、はっきり言って君のパートナーとしては役が不足してるからね」

「……あんたは姑か」

「お兄さんだってば」

 ピクリとも笑わない昼間の言葉を笑って返す東堂。言いたいことは多々ある気がするが、彼に言葉で勝てる気がしないため、ため息ひとつで終わりにする。

「はあ、それで、今日ここに呼び出したのはフィジーに貢物をするためでも俺に嫌がらせするためでもないんでしょう?」

「嫌がらせだなんて心外だなぁ。最近顔見てなかったからね。スキンシップだよ。スキンシップ」

 言ってから、東堂は両肘をテーブルにつけ、手の甲に顎を乗せると真っすぐに昼間を見てきた。彼がこの姿勢をとる時は大抵何かを企んでいて、相手の反応を見て面白がろうという魂胆がある時に限る。その証拠に、サングラスの奥の瞳は実に楽しそうな歪みを生んでいた。

「いや、まあさ。進捗どうですか? ってね」

「今年いっぱいは急かすようなことは言わないと前に言っていましたが?」

「あっはっは。芳しくないみたいだねぇ。まあ大丈夫大丈夫。ゆっくりやってくれていいからさ。それはそうと……」

 東堂は姿勢を崩し背もたれに両手を投げ出す。話はそれだけか? と訝しんだのも束の間。

「いやぁ、実はさあ『Azalea』のアニメ化について話が来ててさぁ。作者である『yakan』先生にも許諾を取らないとねぇ、ってことでさぁ」

「お断りします」

「うーん。だよねぇ」

 昼間の即答にお手上げ、と文字通りのポーズを決めながら、あっはっはっは、と東堂は作り物めいた笑い声を上げる。彼としては何とか誤魔化して次の機会に話を持っていきたかったのだろうが、昼間はここで終わらせにかかる。

「『Azalea』は絶対に映像化しません。媒体も小説のみ。もう二度と『原作者』の顔に泥を塗るようなことはさせません」

「うーん。原作者は君だろ?」

 東堂の指摘に一瞬言葉を詰まらせるが、昼間は唾を飲み込んでから、淡々と答えた。

「俺は代筆しているに過ぎませんよ」

「もう既に代筆ってレベルじゃないんだけどなぁ。まあ、今日はこの辺にしておこうか」

「この話は今日限りですよ。前の作品が映像化された時のこと、東堂さんだって知って……」

「ひ~る~ま~! そろそろ帰るのよぉ~。帰ってヌコヌコ動画観るのよぉ~」

 場の空気が険悪なものへと変わる寸前、突如昼間の頭に乗り、ペシペシとおでこを叩き始めるフィジー。

 あまりにも空気が読めない妖精の行動に、昼間も東堂もそれ以上は何も言えず、苦笑を浮かべるしかなかった。

「まあ、考えておいてほしいってことで。それじゃあねフィジーちゃん」

「あ~い。ばいばいなのよぉ~」

 フィジーの食い散らかしたケーキのゴミを片付けて、食べた当の本人は主の頭上でスマホをいじっている姿を見て同情の視線を向けながら、東堂は最後に口を開く。

「ああ、それから顔を見たかったってのは本当さ。僕はいつでも君の味方だからね。yakan先生♪」

「本当に味方なら、その名で呼ぶんじゃねえよ」

 ゴミの束をくずかごにぶち込んで、昼間は別れの挨拶もなしに部屋を後にした。

 神崎昼間。二十一歳。大学三年生。

 職業は――小説家。

 ペンネームは――『yakan』

 現在はライトノベル『Azalea』を刊行中。

 今年でデビューから八年目。過去六年間で三十一冊の小説を出版。

『Azalea』も残すところは最終巻のみ。

 しかし最後に小説を書いたのは――もう一年以上も前の話。

「ヌ~コヌコど~が~♪」

 主の苦悩も何処吹く風に、妖精は今宵もマイペース。

 昼間のため息も、夏の夜空へと消える。

 そう。生ける伝説とまで呼ばれた小説家。yakanこと神崎昼間は。

 ただいま絶賛――スランプ中。


『Re→talk』今日の呟きピックアップ。

 yakan:ひとを幸せにする物語が書きたい。

 →Re:Azaleaの最終巻、ずっとずっと待ってます!

 →Re:素敵な志ですね♪

 →Re:んなこと言ってねえではよ書けや。

 →Re:ヤカン先生って男なの? 女なの?

→Re:なんでも不治の病で筆も持てない状態らしいよ?

→Re:↑それってどこ情報だよw

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