第74話 夕陽の影。

 有栖川さんの車から降りて僕は走った。

 GPS追跡ならこの辺に間違いない。

 海の家にはいなかった。


 砂浜を見渡すと、綺麗な白髪を夕陽で焼いた女の子が立っていた。


 ローファーと靴下を脱いで佇む向日葵はただ沈みゆく夕陽と水平線を見ていた。


「向日葵」


 僕がそう呼びかけると向日葵はビクッと肩を一瞬震わせて顔を見せた。


「義兄さん」


 僕は無言で隣に立った。

 向日葵の顔を見て説教をする気にもなれなくなった。


 寂しそうで悲しそうななんとも言えない表情。

 黒のカラコンは両目とも付けていなかった。


「わたしね、海を見に来たの」

「ひとりで?」

「……うん」


 そう言って夕陽の方を眺める向日葵。

 揺らめく海が夕陽を踊らせている。


「でも、眩しくてよく見えない」


 一筋の涙を流して笑う向日葵。

 向日葵の紅眼には、夕陽の光でさえ毒だ。


 アルビノである向日葵では、僕らと同じようには夕陽を拝む事ができない。


「僕にも、眩しくてよく見えないな」


 僕は向日葵の手を握った。

 握っておかないとどこかへ行ってしまいそうな気がした。


 向日葵を独りにしてはいけない。


「義兄さんも?」

「ああ」


 僕は夕陽に背を向けた。

 眩しいものをわざわざ見たいとは思わない。


「僕は夕陽でできた影を見る方が好きだ」


 すると向日葵も夕陽に背を向けた。

 ふたりで手を繋いで砂浜に伸びる影を見つめる。


「わたし、ちょー背が伸びた」

「それを言うなら僕もだな。脚とかちょー長い」

「わたしも」


 ふたりしてどっちの脚が長いかを競い合う。

 非常に無駄で滑稽な遊び。

 でも楽しい。


「……怒らない、の?」

「向日葵がわかってるだろう?」


 自分の体質との付き合いは向日葵が誰よりもよく分かってる。

 だから今更怒る事はしない。


 それよりも今は向日葵を独りにしない。

 それが僕にとって1番大事な事。


「うん」

「向日葵がひとりで行くのは寂しいから、僕も一緒に連れてってくれ」

「ん」


 泣きそうなのか、向日葵は唇を閉めて頷いた。

 僕は影を見つめたまま向日葵の手を握り直した。


「ごめんね」

「大丈夫だから、泣くな」

「……ん」


 空いている手で涙を拭う向日葵。

 その仕草を見ていて、胸が締め付けられた。


「義兄さん」

「どうした?」


 一瞬躊躇うような素振りを見せたが、向日葵は話し出した。

 僕は指を絡めてしっかりと向日葵の手を握った。


「わたしの眼はね、呪われてるの。お父さんはわたしのせいで死んじゃった」


 そうして向日葵は実のお父さんの死について話し始めた。


 自分のこの眼が人を惹き付けてしまう事。

 みんなと同じじゃない事。

 本当は僕や直弘親父にもこの眼の事は隠したかった事。


「向日葵はなにも悪くない」


 そうは言ったが、これは理屈をこねくり回しても向日葵は納得しない事はわかっていた。


 かける言葉が見つからない。

 悪くないと言ったのだって抽象的過ぎて意味を成していない。


「今でもね、夢に見るの。苦しそうなお父さんがわたしに訴えてくる夢を。誰かの誕生日の日はとくに」


 僕と向日葵の誕生日会の後の向日葵の寂しそうで不安げな表情で添い寝してくれと言っていた意味がわかった。


 誰かが誕生日を迎えて幸せな時、自分が生まれた時、向日葵は苦しまされるのだ。死んだお父さんに。


「でもね、義兄さんと一緒のお誕生日会は楽しかった。千夏ちゃんたちも居てくれて、幸せで、良いのかなって」

「……」

「義兄さんが一緒に寝てくれた時はぐっすり眠れたの。ひとりじゃないって思えて、嬉しかった」


 目を細めて微笑みながら泣く向日葵。

 そんな向日葵にしてやれる事は僕にはあんまりなくて、向日葵が背負っているものを僕も少しでも背負えるようにと願いながら握った手に熱を込めた。


「……義兄さん」


 向日葵が僕の肩に寄りかかってきた。

 向日葵の髪がくすぐったい。

 みんなで行った夏祭りの帰りの電車を思い出した。


 隣でよく眠る向日葵。

 幸せそうな寝顔を見られたのは僕にとっても幸せだった。


「……義兄さん、ごめんね……」


 そう呟いて向日葵は倒れた。

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