第6話 息継ぎ
街で聞いた話を総合して見ると、どうやら敵の後衛を務める部隊の大規模な移動が行われているらしく、新街道一帯が移動中の敵兵で埋まっている。ということは我々はグスニーオ要塞への帰り道を完全に塞がれてしまった形になっているわけで、身動きができない状態がここしばらく続いていた。
道々に行き当たった畑から徴収してきた食料も今ではすっかり無くなり、また守備隊の活動資金としてグスニーオ要塞から持って来た僅かな金も当の昔に底をついてしまったために、我々グスニーオ要塞守備隊の生き残りの五人は途方に暮れていた。仕方なしに我々は盗みを行って糊口をしのぐことにしたが、軍隊が駐留していない小さな街に潜り込んでは警察の目を逃れて盗みを行い、街の人々が警戒する頃には次の街に移るというやり方も、正体不明の盗賊団が移動中との噂が広がると監視の目が厳しくなり、そうそううまくはいかなくなって来ていた。
所詮は、我々は兵士であり、盗賊では無かったということである。
こうなれば、いっそ敵に降伏してしまうという手もあるが、敵の目を恐れて途中の人家から盗みだした服にすでに全員着替えてしまっていたのが問題であった。軍服を着ずに敵に捕まれば、それは軍事行動では無くスパイ行為であると判断されかねない。
当然ながら、スパイは敵に捕まれば裁判無しで即時銃殺となる可能性が高いわけで、しかもこの人数ではグスニーオ守備隊の生き残りであるとの言い開きも通用するとは思えない。何分、グスニーオ要塞守備隊との交戦記録は敵には無いわけで、途中で部隊員の半数が次々と事故で死んだなどと説明をしようものならば、たちまちにしてこいつらは嘘をついていると決めつけられてしまうに違い無い。軍服と一緒に身分の判りそうなものも全て捨て去ってしまっていたので、今となっては我々がグスニーオ要塞の守備隊であることは我が軍の本部が保持している写真付きの軍人名簿を見ない限りは誰にも証明できないわけである。
実を言えば私は身分証を一枚だけ、捨てるに忍びずに持ってはいるのだが、そこに写っている自分の顔は、鏡の中に映る自分の顔とは別人に見える有り様で、これを出せば身分を証明するどころかその逆の結果になってしまうのでは無いかと思われた。
こんなことならば軍服を捨てるのでは無かったと思ったものの、それは後の祭りで、そもそも軍服をあのまま着続けていれば今頃は敵との交戦で墓の下に納まることになっていただろうと思い直し、自分を慰めた。
話は変わるが、敵の後衛を務めるはずの部隊がこれほど大規模に動いているからには、どうやらこの辺りに我々と同じように無謀な任務を与えられた我が軍の部隊がいるものと思われた。移動している敵部隊はこれらに対する掃討作戦を行っているわけで、それも軍の大規模な動きから見て、どう少なく見積もっても中隊規模の軍隊が我が方から送り込まれているものと思えた。しかしあれほどの見事な負け戦が、いくら必死の行動とは言え、こういった無謀な作戦一つで逆転するとは思えなかった。皆で長い間に渡って相談した挙げ句に、このまま野垂れ死にするよりはせめてものこと一花咲かせて死にたいと意見が一致したので、それなりに注意して情報を探っていると、どうやらこの先の山岳地帯に我が軍の歩兵部隊の一つが陣取っているのでは無いかと推測できた。
そうと決まれば、善は急げである。ひとたび敵軍の耳にこの情報が入れば、我々が味方の部隊に近づく機会は永遠に消え去ってしまう。我々は疲れた体に鞭打って、問題の山へ向けて足を急がせた。
神経の興奮につれて私の胃はまたしくしくと痛みだし、それを止めるために薬をむさぼり食ったお陰で今度はひどく気分が悪くなって来たが、今の私は贅沢を言っていられる身分では無い。
ちらちらと目の前で踊る妖精や、私をグスニーオ要塞に送り込んで厄介払いをした私の昔の上司の顔を睨んでいる内に、ようやく前方に目的とする山の鞍部が見えて来た。
自分ならばどの辺りに部隊を位置させるだろうと考えて、山の頂上のすぐ下、岩が張り出して天然の要塞になっている部分に当たりをつけた。懐かしのグスニーオ要塞に比べるべくも無いが、要塞防衛戦ならば我が守備隊にはお手のものである。きっとその岩の張り出しに立てこもっているに違い無い歩兵部隊の連中も喜んでくれるだろうと思いながら山を登って行くと、いきなり銃で撃たれた。
私のすぐ後についてきていた部下が恐るべき馬鹿力で私を岩影に引きずり込んでくれたために怪我こそしなかったものの、これにはさすがに驚いた。考えて見ると我々の身のこなしは明らかに兵隊のそれで、いつ戦闘が始まるかとぴりぴりしている彼らに取っては、我々は軍服こそ着ていないものの襲撃に来た敵兵と見えたに違いない。この小さな岩影で大砲の弾が飛んで来るまでぐずぐずしているわけには行かないので、シャツで作った急ごしらえの白旗を岩の間から突き出して、私はおそるおそる岩影から出た。
一団の兵士が坂になった道の曲り角の向こうから降りて来ると、全員で我々を取り囲み、実に手際良く武装解除した。地面に腰を降ろした状態で彼らを観察し、皆が少佐と呼んでいる男がこの部隊のリーダーであると見極めをつけた。やや痩せぎすの厳しい顔つきをした男である。彼は我々を一人づつ綿密に検査した上で全員を自分の前に立たせた。そうしてから、我々をもう一度じろりと一睨みすると言った。
「我々は捕虜は取らない。降伏も認めない。それ故に諸君らを解放することにする。
武器も没収はしない。但し、我々の姿が見える間は弾を装填してはならない。そして、ふもとに着くまでは後を振り返ってはいけない。
再びここに戻ってくるようであれば、仕方が無い。警告無しで撃ち殺すことにする」
静かな、それでいて死を覚悟した声であり、また人の命を奪う者に特有の意志の強さが声の中にこもっていた。少佐が本気でそれを口にしたのであり、また確実にその通りにするであろうことを私は知った。誤解を解こうと私が口を開く前に少佐は、黙っていろとの身振りを一つして話を続けた。
「諸君が持っていた武器は我が軍のグスニーオ要塞守備隊の物だ。あそこの装備は我が軍の中でも最も旧式なのでこの判断に間違いは無い。それを諸君らが持っていたと言うことは、取りも直さず諸君らがグスニーオ要塞守備隊を倒し、戦利品としてそれらの武器を捕獲したということだ。
諸君らがグスニーオ要塞守備隊であるという可能性はこの際、排除する。重要な使命を軍司令部から受けているはずの要塞守備隊がもしこのような所に居るとすれば、それは命令違反を意味するからだ。さらに言うならば、このような場合には見つけ次第に彼らを撃ち殺せとの命令が軍司令部から出ている」
そこまで言ってから少佐は押し黙ると、私の目をじっと覗きこんだ。勿論、少佐には我々がグスニーオ要塞守備隊の生き残りであり、全員の顔に隠しようもなく浮かんでいる疲労とその擦り切れたボロ服から、これまで我々が筆舌に尽くしがたい苦労をしてきたことを知ったに違い無く、それ故にこれは同じ境遇にある我々に対する彼なりの精一杯の同情に違い無かった。
元はと言えば彼の部隊も私の部隊も、このような理不尽な目に会うようなことは何一つしておらず、またどうあっても死なねばならないような状況に我々を追い込んだ責任は、確固たる戦略思想を持たずそれゆえに敵国の侵略を許した軍の参謀連中にあると断言できる。その参謀連中は安全な軍司令部の待避壕の中でのうのうと過ごし、何の罪も無い我々が死を要求されているのはいったいどういう理屈なのであろうか。こう考えると我々が小さい時から教えこまれて来た正義という感覚そのものがあやふやになり、後に残るのは星の巡り合わせが悪かったのだという自嘲だけとなる。
最後の頼みの綱も断たれ、首をうなだれて山を降りて行く部下達を私は絶望とともに見た。別れ際に少佐は自分の胸にぶら下げていた小さな皮袋を取り出し、そうしてそれを私の首に掛けると、振り向きもせずに自分の死に場所と定められた山の小さな要塞へと戻って行った。
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