裏切りの味

七戸寧子 / 栗饅頭

本編

 裏切り 味


 Google検索。一番上にヒットしたブログ記事の日付は十五年以上前のものだった。顔も知らぬ人が放流したポエムを流し読んで、ため息をつく。ふと視線を感じ、スマートフォンを脚と脚の間に挟んでスカートのひだで隠す。


 仕方なしに顔を上げる。古典的な七三分けの教師は黒板にチョークを擦り付けていた。多分バレてない。胸をなでおろして、何となく黒板とは名ばかりの緑の板に目を向けると、そこには意味がわかるようなわからないような数式が並んでいた。与式と解の間の等号で何があったのだろうか。何故そうも難解に見えた文字列がただの自然数になってしまったのか。説明を耳で受けては脚をぶらつかせるエネルギーとして消費してしまう哀れなJK女子高生にわかるはずもなかったが、とりあえずノートにメモだけしておく。後で見返す予定もなければ気まぐれを起こす可能性もないが、こうしておけば多少は真面目な生徒に見えるというものだ。


 これは裏切りだろうか。真面目な生徒ですー、先生の授業聞いてますー、みたいな顔でスマホを弄るのは。よくないことだとは思うが、裏切りと呼ぶには小規模で、スリルも甘美さもない。裏切りなどと格好つけて呼ぶより、不健全な生活習慣とでも題す方がしっくりくる。授業中に黒板ではなく手元の液晶を見ることは既に習慣になってしまった。日常的で、無味乾燥。


 じゃあ真面目に授業を受ける方がいいかというとそうでもない。少なくとも、数学ⅡとかいうわけのわからんものよりはSNSの方が面白い。だから今日も私はスマホを弄る。


 多分、左のやつも同じだ。教室の窓際の方、前の方とも後ろの方ともつかない席で肩を並べる私たちは、『先生の話など聞かずにネットと繋がるのが習慣になった哀れな高校生同盟』を組んでいた。実際に交わしたことある会話は「ちょっと通るね」「あ、ごめん」程度のものでしかなかったが。相手について知っていることと言えば名前と授業中にZOZOTOWNを眺めるのが趣味ということくらいだが、常にお互いの犯行を把握しつつも黙秘を決めこんでいる点で妙に親しみを感じていた。今日もスマホ弄りに精を出している。


 さて。ノートも適当にとっておいたところで、私もスマホに目を戻そう。私が知りたいのは嘘をつかないと評判の数字くんの話ではなく、裏切りの味なのだ。人を騙して甘い汁を啜るというのは甘美なものだろうと思い描いているが、その後は苦いものが残るのではないだろうか。おそらくは、水に浸したパンのように美味しくないものなのだろう。


 しかし、やはり目先の利益というのは美味しそうに見えるものなのだ。教卓の上に鎮座する図書カードが煌びやかに感じるからずるい。


 朝のホームルームは、それはそれは衝撃だった。「今から皆さんにはデスゲームをしてもらいます」と言われる気持ちが理解できた気がした。実際、似たようなものだ。


「えー、近頃皆さんの授業態度が悪いと他の先生から苦情か来ているんでね、えー、授業態度のね、えー、悪い友達をね、注意したらね、ご褒美が出るようにしようと思いましてね、えー」


 そんなことあるか。高校だぞここ。公立校だぞここ。そんなちょっと無理のあるフィクションみたいな。

 ただ、この性悪な担任が考えそうなことだとは思った。それ故の卓上の図書カードだ。チクると得するシステムは教室中にどよめきを起こしたが、クラスの授業態度は変化なし。それはそうだろう、チクれば自分の得の為にクラスメイトを売る人間だということが露呈してしまうのだから。真面目で聖人タイプの陽キャは他人を売らないし、不真面目で不良タイプの陽キャは自分たちがふざける側だし、陰キャは総じて他人を指さす勇気がない。結果として図書カードは見た目ばかりの抑止力になってしまい、クラスの雰囲気向上の効果はひとつも見えない。


 きっと、あの図書カードのことを真面目に考えているのは私くらいのものだろう。さっきから思案している裏切りの味の話は、コレが発端だ。


 端的に言えば、財布がキツいのだ。


 でも、今日発売の漫画は欲しい。


 誰かを売れば金一封。


 さあ、どうする。


 例の大戦でイタリアも同じことを考えたのだろうか。銀貨を手にしたユダはどんな気持ちだっただろうか。本能寺を焼く明智光秀は。スタースクリームは。フーゴは……少し違うか。


 ただ、ここで隣人を売って私はこれから学校で生活できるのだろうか。周りからの避難の目は図書カード一枚程度に釣り合うだろうか。そもそも、ここでチクったら隣の席の私までスマホを弄りにくくなるのではないか。


 いくらあまり話さないからと言って、親近感がある相手を売れるほど私も腐っていない。その実、ただ勇気がないだけなのだが。なんとなく、よく知りもしない相手の顔が見たくなって、ちらりと伺う。顔は見えないが、代わりにその手元の画面が丸見えだった。不用心なやつめ。私はそれを先生に言ったりしないけどね。


 ふ、と鼻を鳴らしてから、目を見開く。


 今日はZOZOじゃない。見知った水色のUI。Twitter。ライトモード派なんだ。重要なのはそこではなく、表示されているツイート。美しい漫画調のイラスト。私もよく知る某先生の新刊告知。今日発売。思考が興奮で細切れになる。初めてリアルで見た。同志だ。そのツイートを見てその顔ができるのは間違いなく同志だ。私たちはただの哀れな高校生同盟ではなかったのだ。同好の志だったのだ。


「お前もか!!!!!」


 なんて、授業中には言えないけど。握手がしたくてたまらない、けど。


 焦ってバッグを漁っている。財布を出して、中を見た。なるほど、いま初めて新刊のことを知ったのか。その顔は持ち金が足りないという顔だな。前を見て……ふむふむ、図書カードね。


 おい、待て。


 こっちを見るな。


 目が合う。


 待て、金なら貸してやるから、おい。


 そんな苦悶の表情を浮かべるくらいなら踏みとどまれ。落ち着け。話し合おう。ここで私を注意したらお前もただではすまないぞ。


 がたっ。手が伸びる。教室の注目が集まる。


「せんせー、今……!」


 なるほど。裏切られた人間は苦虫を噛み潰したような顔になるものなのだな。窓に私の顔が反射していた。


 はあ。


 ブルータス、お前もか。

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