その探偵、悪魔につき

中靍 水雲

その探偵、悪魔につき

 遮光カーテンから漏れるまぶしい朝陽で、目を覚ました。

 ああ、昨日はうっかりしていた。しっかりとカーテンを引けていなかったようだ。


 カーテンをしっかりと引き直し、光を遮ると、部屋の電気をつけた。

 また同じ、わずらわしい朝がきたようだ。


 最寄りの喫茶店まで、二分。

 最寄りのコンビニまで、三分

 最寄りの病院まで、四分。

 最寄りの駅まで、五分。

 最高の立地、ってやつだ。


 ベッドに座り、思考が動き出すまでスマホを触る。

 長いこと続けている探偵業には慣れたものだが、〝生きるための作業〟というのはどうにもやる気が起きない。

 朝食に歯磨き、洗顔に着替え。身だしなみチェックに、メールチェック。

 とことん、人間らしくとは疲れるものだ。

 コーヒーでも淹れて、時間が来るまで、ボーッとしよう。


 探偵の名は、安孫子。

 黒い前髪はカーテンのように伸びきっている。伸ばしているわけではない。床屋も美容院も嫌いだから、切りに行かないだけ。

 いつも着ているのは、喪服のような真っ黒のスーツ。彼の細い体のラインにぴったりとなじむ、オーダーメイド。スーツには、並々ならぬこだわりがある。枯れ木のようなシルエットが、彼のスーツの理想だ。

 コンパスのように長い足を、数字の四のようにして組むのがクセ。日本人サイズのテーブルには収まりきらないその尺は、いつもだいぶ持て余している。体型だけならモデルのようだが、性格に難あり、顔色の悪さに難あり、人間らしさに難ありなので、声をかけたスカウトは、すぐさま逃げていくらしい。

 とても怪しいそのたたずまいから、一部の人間からは『悪魔』と呼ばれている。本人は微塵も気に留めていないが。


 コーヒーをからだに染み渡らせていると、テーブルに置いていたスマホのバイブが震えた。電話だ。


「……はい。ああ、依頼人……駅前の喫茶店で待ち合わせ……わかったよ」


 スーツに着替え、家から二分の喫茶店に着く。

 男は、窓際のテーブル席に座っていた。


「垂井くん。席を変わろうか」

「いえ。大丈夫ですよ、安孫子さん。もう少ししたら依頼人が来る時間でしょうから」


 安孫子の助手、垂井である。

 数年前、安孫子に相談を依頼してからの縁だ。あれよあれよというまに、助手として事務所に転がりこんでいる。

 灰色に染めた髪、左耳に四つ、右耳に二つ開いたピアス。ハデなスーツという、ホストのような風貌。

 見た目はチャラそうだが、かなりの料理上手である。スイーツ作りも得意だが、安孫子は甘いものが嫌いなので、いつも自分で食べて終わるらしい。


 この喫茶店では、とある依頼人と待ち合わせをしていた。

 安孫子はネクタイを緩め、足を組みなおすと、ソファの背もたれに肘をついた。


「まだ二十分はあるよ。コーヒーでも頼もう」

「ああ、俺が注文しますよ」

「僕のは……」

「わかってますよ。ガムシロもミルクもいらないんでしょ」


 垂井は二杯分のコーヒーを頼むため、呼び出しボタンを押そうとした時だった。


「あの……探偵さん、ですよね」


 依頼人が来たようだ。約束の時間二十分前に到着とは、随分とせっかちな依頼人だ。

 垂井は、先ほど安孫子が緩めたネクタイをきちっと締め直してやる。安孫子は迷惑そうにしながらも、されるがままになったあと、のろのろと立ち上がった。


「長万部さんですね。こちらへどうぞ。向かい合って話しましょう」

「あ……すみません。私、こちらに座ってもいいですか?」


 長万部は、垂井が座る席を指さした。


「あ、ああ! こっち側のほうがよかったですかね。気が利かず、すみません〜」


 垂井が席を立ち、安孫子の隣に座る。

 長万部はふたりの向かい側に座った。そして、チラリと安孫子を見上げ、ぼそりと言う。


「あの、ずいぶんと前髪が長いんですね」

「ええ、まあ。長いほうがいいので」


 安孫子はテーブルで手を組むと、ごほんと咳払いをする。


「それで、ご依頼というのは」

「はい。実はストーカー被害にあっておりまして」

「ストーカーですか……なるほど。詳しく聞かせてください」


 長万部は顔を青ざめながら、ぽつぽつと語り出す。


「二か月ほど前からになります。道などを歩いていると視線を感じるようになりました。実は……今も視線を感じていて。犯人が誰なのか、知りたいんですっ。もう、止めてほしくて」

「今も……ですか」


 あたりをぐるりと見渡す安孫子に、長万部はゆっくりと頷いた。


「相手に心当たりは?」

「いえ、それがなくて。実は私、漫画家なんです。なので、ほとんど外は出歩きませんし、交友関係もほとんどありません。なのに、なぜ自分にストーカーがついたのか、不思議でならないくらいなんです」

「ふむ。なるほど」


 沈黙が流れる。空白を埋めるように、垂井が「えっと」と、むりやり続けた。


「ストーカーは、怖いですよねえ」

「え……ええ」

「夜、ちゃんと眠れてますか?」

「そっ、そうなんですよっ。そのせいで、最近はよく眠れなくて。ついに、原稿の〆切を落としてしまったんです。いよいよやばいと思って、こうしてご依頼を」


 暗い表情の長万部に、垂井が喫茶店のメニュー表を差し出した。


「長万部さん。何か、飲みます? 俺らはアメリカンコーヒーを頼もうかと思うんですけど……あっ俺、ついでにパンケーキも頼もうかな。もちろん、こちらの奢りですので、長万部さんもどうですか。ここのパンケーキは絶品ですよ」

「そんな……申し訳ないです」

「遠慮なさらず! 依頼人に安心して頂くのが、俺らの仕事ですから」


 ニコッとほほ笑む垂井に、長万部はじわっと涙を滲ませた。


「お前は助手だろーが」


 安孫子のデコピンに垂井が「へへ、そうでした」と苦笑する。

 それに長万部もつられて笑顔になる。


「じゃ……じゃあ、頂こうかな……」


 オーダーし終えると、安孫子は水を一口飲んでから、再び話に戻った。


「漫画家さんというと、どういった漫画を描かれるんですか?」


 すると、長万部はパッと顔をあげる。


「あの、ファンタジーとか、コメディとか、いろいろです」

「すごいですね。どこの雑誌で描かれているんですか?」

「まだ、そういうのはしたことがなくて……」

「では読み切り作品を雑誌に載せてもらったということですか?」

「はい」

「自分も漫画は好きなのでよく読んでるんですよ。週刊少年スキップの『ゾンビダスト』、今週も面白かったですよねえ」

「ええ、本当に。面白かったです!」


 店員がコーヒーとパンケーキを運んでくる。それぞれ、一口ほどコーヒーを飲み、再び話に戻る。


「しかし、漫画家さんということは、どこで犯人と接点があったのでしょう。お買い物はどこでされるんですか?」

「ほとんどが最寄りのコンビニですね。そこで、お弁当を買っています」

「そこの店員さんで、親しくされている方は?」

「誰もいません」


 考え込む仕草をしたあと、「ああ、パンケーキをどうぞ。垂井くんも。冷めてしまってはいけない」とすすめる。

 ふたりがカチャカチャとフォークとナイフを手にするなか、安孫子は質問を続けた。


「長万部さん、お住まいはどちらですか」

「ここから、歩いて三分ほどです」

「じゃあ最寄り駅は、そこの近葉駅ですね。五分もかからない。ちなみに、いつ頃からお住まいですか?」

「つい最近です。良アクセスの物件ですので家賃はそれなりですが、日当たりもいいし、気に入っています」


 ふわっと笑う長万部。その視線は、安孫子ではないどこかを向いている。


「長万部さん。パンケーキ、どうですか? おいしいでしょう」

「はい。とってもおいしいです。こんなおいしいパンケーキは初めてです」


 もうパンケーキを平らげた垂井は、コーヒーにシュガーをドバドバと入れ始めた。それを目撃したドン引きの店員に、空のお皿が回収されていく。長万部はまだ半分も食べれていないが、おいしそうにパンケーキを頬張っている。

 安孫子は、続けた。


「私もこの近くに住んでるんですよ」

「安孫子さんも? すごい偶然ですね」

「日光アレルギーでして」

「それは……」

「この長い前髪もね、目に太陽の光が直接入らないようにするためです」

「ああ、なるほど」


 さっきの質問の答えに、ようやく合点がいった長万部。安孫子は前髪のすそをつかむと、自嘲するように笑う。


「物件探しも大変ですよ。外に出るのにも、五分以内で用事の全てを済ませられる物件を探すんです。なかなか骨が折れますがね。今住んでいる家はようやく見つけた楽園ですよ。最寄りコンビニ三分、最寄り病院四分、最寄り駅五分。最高でしょう?」

「大変なんですね、安孫子さん」


 気遣うように言う長万部に、安孫子は前髪の帳を下ろす。


「……違います」

「え?」

「日光アレルギーは、私ではありません」

「はい?」


 長万部が目を白黒させて驚く。


「ど、どうしてそんな嘘を」

「日光アレルギーなのは、垂井くんだ。そうですよね、長万部さん」


 長万部からヒュッ、という息を呑む音が聞こえる。ナイフとフォークを、ゆっくりと皿の上に置く。


「あなたは知っていましたよね。垂井くんが日光アレルギーだって」

「ど、どうして私が、初めて会った垂井さんが日光アレルギーだってわかるんですか」

「僕と垂井くんはこの店に来店した時、あなたがまだ来ないと思い、向かい合って座っていました。しかし、あなたは思いのほか早く来た。僕が席を立ち、垂井くんの隣に座ろうとしましたよね。しかし、あなたはそれを止めた。垂井が座っているほうの席に座りたいといった。なぜですか?」

「それが、どうしたんですか。別に気にするようなことじゃないですよね」


 長万部はうつむいたまま、肩を震わせている。


「垂井くんを日当たりのいい窓際に座らせないようにでは?」

「違います。私はただ、こっちからの景色の方が好きだから、そう言っただけです。なんなんですか……私は、私のストーカーが誰なのかを調べてもらうためにここに来ただけです!」

「あなたのストーカーは僕ですよ」

「え……?」


 長万部は頭が混乱し、言葉が出てこなかった。半月まで欠けていたパンケーキは、すでに冷めきっていた。


「ここ最近、垂井くんはストーカー被害に悩まされていましてね。僕にその調査をお願いしてきたんです。そして、犯人は垂井くんの家の近場に住んでいることが分かった。……そう、あなたのことですよ」

「じょ……冗談ですよね? どうしてそんなことを言うんですか」

「僕は探偵ですよ。誰かを調査することは、大の得意ですから」

「そんなことを聞いているわけではありません! 私は、私は! どうしてあなたが私にそんなことを言うのかが、わからないんです!」


 泣きそうになっている長万部に、安孫子は冷徹な視線を向ける。


「じゃあ、逆に問いますよ。あなたはここに何をしに来たのですか」

「え……」

「どうして、そんな小さなバッグひとつで来れるんですか。化粧も、ネイルも、コーディネートもバッチリですね。グランドホテルにランチでも食べに行くようなオシャレっぷりですよ。探偵に頼むほど気に病んでいるストーカーのことを相談しにいくというのに」

「……そ、それは」

「探偵に依頼するような人間なら、私がポストに入れておいた〝忠告の手紙〟ぐらいは証拠として持って来るはずでしょう」


 長万部はハッとする。


「あ、あれは……」

「中身は読まれましたか? なんと書かれていましたか?」

「……〝あなたのことを見ている者です。こんなことはもう止めなさい〟と」

「ストーカーからの手紙だと、思いませんでしたか」

「思いました」

「十分な証拠ですよね。探偵に見せようとは思わなかったんですか」

「気持ち悪いので、すぐに捨てました」

「自分のやっていることを自覚させられ、嫌気がさしたからでは」

「違います!」

「そうですか。では、話を変えましょう」


 安孫子がテーブルにバラッと出したのは、写真だった。長万部が垂井をストーキングし、写真を撮っているすがたがおさめられている。


「こんなの……!」

「ストーカーですか? いいえ、これは探偵の仕事です。そして、あなたこそがまぎれもないストーカーだ」


 悪魔のようにほほ笑む安孫子に、長万部は恨みに満ち満ちた視線を向けた。


「それとあなたは嘘をついている。あなたは、漫画家ではありません。現在、無職のはずです。以前はそこのコンビニの店員でしたよね。だが、ストーキングのためにコンビニはお辞めになっている」

「ううっ……」

「あなたはここへ何しに来たのか? そう。ストーカーに悩んでいるという理由をつけて、垂井くんとお近づきになりにきた。そうですよね。ああ、たったそれだけの理由だ。僕の貴重な時間が台無しだよ」


 顔を真っ赤にして、怒りの表情をあらわにする長万部。

 しかし、安孫子は動じない。


「漫画家と言えば、垂井くんが話に食いつくと思ったのでしょう。漫画好きなのは僕ではなく、彼のほうですから」

「……もう、黙ってください」

「まあ、いくらあがいても無駄です。週刊少年スキップで連載している『ゾンビダスト』が一年前に連載終了していることも知らないような無知なあなたには……」


 ――バシャッ

 コップの水が、安孫子の顔面に直撃した。長万部はあまりの怒りに涙を流しながら、コップを握りしめている。


「あんたに何が分かるの! クールぶって推理して、正義の味方気取り? 私がどれだけ垂井くんを愛しているのか知らないくせに! 垂井くんは……垂井くんは……ただのコンビニのレジ打ちの私に〝ありがとう〟って笑顔でお礼をしてくれて……会計でもたつく私に〝慌てなくていいよ〟って言ってくれた……。垂井くんの好きなパンケーキを毎日入荷してあげたら、可愛い笑顔で買っていってくれる。垂井くんはね、私の光なの……!」


 長万部の視線は、まっすぐに、垂井だけに向けられている。水浸しのスーツをおしぼりで拭きおえた安孫子は、足を四のかたちに組んだ。苦いコーヒーを喉に流す。


「そんなものは、ストーカーお決まりのイイワケですよ」

「ば、バカにしないで。私は本気で……」

「なぜ垂井くんが、パンケーキを食べ終えてから黙っているのかわかりませんか?」


 その瞬間、長万部には目の前にいる探偵が悪魔に見えた。


「垂井くんにとってあなたは、パンケーキをよく置いてくれているコンビニのいち店員でしかないからですよ」

「う……うそ……違う、垂井くんは……」


 すがるような長万部の瞳が、垂井に向けられる。垂井は申し訳なさそうに、眉を下げた。

「うちの探偵が失礼なことを言って、すみません。俺からは、ひとつだけ。あの〝忠告の手紙〟。あれをパソコンで作ったのは、俺です」

「え……」

「俺からの本心です。だから、もうこんなことは……」

「垂井くんが、私のことを〝見ている者〟……ってこと?」

「え」


 垂井の顔が引きつる。


「私たち、両想いだったの?」

「いや、ちが……」

「そういうことだったの……嬉しい、垂井くん! やっぱり私のこと、そう思ってくれていたのね……垂井くん!」

「待って。安孫子さんの推理、聞いてたッ?」


 その時、スッと安孫子が立ち上がり、伝票を手に持った。


「一件落着う~」

「ちょっと、安孫子さん! これの、どこが落着ッ?」


 目がハートになっている長万部に対し、垂井が両手をあげる。


「僕はキチンと調べたことを推理したよ。犯人も納得したでしょ。どうみても探偵の仕事は終わった。犯人をその気にさせたのは、お前の責任だね~」

「そんなこと言わないで! なんとかしてくださいよ!」

「別の依頼入ってるんだよなあ。行かないと」

「安孫子さん!」

「安心しろ。スピード解決して戻ってきてやるよ。最寄りの駅まで五分だしな」


 ピースサインに伝票を挟み、「がんばれ~」とさっさとレジへと消えていく安孫子。その背中に、垂井は力の限り叫んだ。


「安孫子さん!」

「デカい声を出すな。低血圧の頭に響く……。ああ、前髪をもっと伸ばさなければ。陽の光は嫌いだ」

「こ、ここここの悪魔ああああ!」

「ふふ、そうだよ。僕は悪魔だ」


 安孫子はその声に、うっとりと耳を傾けた。




おわり

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