第44話 やさしい幽鬼の殺し方③
――私の名前は
楽鳴省護鼓村は楽器を演奏して身を立てることで知られる村です。私と双子の妹の
幼い身で演奏を続けるのは、辛いことでした。演奏に失敗すると折檻される上に食事を抜かれるのです。ふたりで助け合っていたからこそ、辛い修行も空きっ腹も耐えられたようなものです。
ところが、ある日、後宮に入る娘を探しているという大府が私に目を留めたのです。
楽器を演奏できる娘を国王陛下の後宮に差し出して機嫌をとろうというのでした。
その大府の思惑はさておき、私はよろこんだのでございます。なにせ、下級の妃であっても、後宮に入れば、食うには困りません。それに女衒から逃げられますし、後宮の暮らしはさぞ華やかだろうと、憧れもありました。
ところが問題があったのです。
後宮には入れるのはひとりだけ。
妹を残して自分だけが華やかな暮らしをするのかと思うと、それだけは気が引けたのでございました。そこで、一計を案じたのでございます。
一月ごとに私と容雲で入れ替わることにしました。
双子だから顔貌も声もそっくりですし、琴の腕前もほぼ同じ。ふたりで入れ替わっても誰も気がつきません。妃の出入りは厳しいですから、女官を装って運京で入れ替われるように、お互いに連絡方法を決めました。護鼓村出身の女官や宦官は後宮のあちこちにいましたし、同じ女衒に育てられた仲間が運京の妓楼で働いてました。だから、ちょっとしたお願いなら聞いてもらえたのです。
――『いますぐ、いつものところで待っているから』
手紙を護鼓村に宛てて書けば、月初めの日に友だちがいる妓楼に行く。
そういう約束です。
なんの問題もありませんでした。後宮では楽器の演奏をするお役目もありましたが、女衒に殴られることもなく、食事は毎日きちんと食べられます。国王陛下のお渡りもありませんでしたから、ゆっくりと休むこともできました。
愚かにも、そのまま入れ替わりを続けていけると、私たちは信じていたのです。
――私が王子殿下のひとりから、声をかけられるまでは。
妃たちが暮らす宮は、本来、王子たちがいる区画からは離れています。しかし、それは表向きだけで、女官たちが使う裏側の通路を使えば、簡単に行き来ができました。
最初は、ちょっとしたやさしい声をかけていただくだけでした。でも、何度もお会いするうちに一線を越えてしまい、私は子を宿してしまいました。
いくら国王陛下のお渡りがないとは言え、後宮の女はみな、国王陛下の妻です。妊娠は困ります。考えあぐねて殿下にお話しすると、私が後宮を出られるように掛け合ってくださるとおっしゃったのです。
いい機会だと思いました。
実を言えば、殿下に惹かれるにつれ、私は妹と離れたいと思うようになっていたのです。
だって、そうでしょう? いくら双子とは言え、子どもを授かったのは私。殿下の寵愛を受けたのも私。
殿下の御殿に行けば、さすがに身重の身で入れ替わりはできません。
でも、妹は後宮に残り、私だけが後宮を出るのなら、なんの問題もありません。
私たちが双子で入れ替わっていたことを殿下に伝えれば、お互い別々の暮らしを得て、それぞれの場所でしあわせに暮らせるはず――そんなあさはかな考えを抱いてしまったのです。
ところが、私の様子がおかしいと妹は疑っていたのでしょう。ある日、入れ替わりの手紙を出したのに、返事が来なかったのです。そしていつもの約束の日――月の初めが過ぎて、妹は女官姿で後宮に現れたのです。妹は、私と殿下のことなど認めないと言って、いきなり私の頭を殴りました。
気がつけば私は暗くて冷たい場所にいました。お腹に子どもがいるのに、水しかない場所で私はもがき苦しみ……死にました。
どうして私がこんな目に遭うのだろう。どうして私の子は生まれてくる前に死ななくてはならなかったのだろう。
妹が恨めしくて、殿下にお会いしたくて、なのに、私はどこにも行けなくて……。
この暗くて冷たい場所から出るには、妹に手紙を書くしかないと、ただそれだけを考えておりました。
――早く迎えに来て。早く入れ替わりに来て。
その一心でいると、ふと、鬼灯の明かりが見えたのです。それが、あの夜、灰塵庵の看板に差されたものでした……――
幽鬼は妹の手首を強く握りしめているのだろう。生者の瑞側妃は逃げだそうともがいては幽鬼に引き戻されていた。
「先生のおかげで、こうして妹にまた会えました。本当にありがとうございます」
幽鬼は深々と頭を下げた。どうやら、夏月が楽鳴省護鼓村に送った手紙は、瑞側妃の知り合いの手を経て運京に戻され、瑞側妃の手に渡ったようだった。
自分が殺したはずの姉から、
――『いますぐに来てほしい。いつものところで待っているから』
そんな手紙を受けとった莫容雲は、どんなに驚いたことだろう。形相を醜く歪めて夏月を睨んでいる。そんな女に、夏月はどんな言葉をかけたらいいのか、わからなかった。
「姉さんがいけないのよ! 私を捨てて、ひとりだけしあわせになろうだなんて……どうしていつもいつも姉さんばかり……私だって同じ顔のはずなのに……冗談じゃないわ!」
姉妹の間にどんな感情のすれ違いがあったのかはわからない。
妹にも華やかな暮らしをさせてやりたいと思った姉。
姉だけが後宮に誘われ、姉だけが王子に声をかけられたと思いこんでいる妹。
――ふたりのうち、どちらに罪があるのだろう。
夏月には判断しようがない。王子が本当に姉を後宮から出すつもりがあったのかどうかもわからない。
莫容寿――姉のほうの瑞側妃は妹に殺されたのかもしれないが、もっとたくさんの白骨死体が霊廟にうち捨てられていたからだ。
真相を知ったところで、王子を罰する力は夏月にない。
――それでも、これから起きる悲劇を減らすことはできるかもしれない。霊廟のなかに小さな頭蓋骨の数をこれ以上増やしたくない。
意を決した夏月は、幽鬼に問いかけた。
「瑞側妃……宛先をひとつ、おうかがいそこねたかと思います」
机の引きだしから手紙をひとつとりだすと、
「ご依頼いただいた手紙のうち、宣紙の手紙のほうは真玉省のどの里へ――なんてお名前の方にお出しすればいいでしょうか?」
静かな声でそう続けた。ほとんど誘導尋問のようなものだった。真玉省とはここ、運京が置かれた天領のことだ。正式な戸籍では真玉省運京○○里のようになる。その言葉に隠された意図が伝わったのかどうか。幽鬼は生きた客を捕まえたまま、目だけをぎょろりと夏月のほうへ向けて、王子の名前を口にする。
「後宮へ……媚州王……殿下宛に……」
その言葉を聞いた瞬間、「かしこまりました」と手紙を捧げ持つようにして頭を下げた。それで、幽鬼は満足したようだ。今度は夏月に襲ってこなかった。
血相を変えたのは瑞側妃のほうだった。
「手紙なんて出すのはやめなさい、姉さんはもう死んだの……もうあの男とは関わりたくな……ひぃっやめて殺さないで! 姉さん、ごめんなさい……いやぁぁぁああっ……ッ!」
夏月に手紙のことを警告する間に、死にもの狂いで逃げたほうがよかったのだろう。結局はそれが彼女の命取りになった。
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