僕たちの救急車もいつか空を飛べるのかな
崇期
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「この前、ドライブ中に救急車が目の前を通り過ぎていくのを見て、ふっと思ったんだ。横断歩道を渡っている歩行者とサイレンを鳴らしている救急車、どちらが優先なんだろうってね」
疑問を投げかけたところ、友人が言った。「そりゃ、緊急車両に決まってるだろ」
「歩行者よりもか! やっぱり……ということは、この世界で緊急車両はもっとも重んじられるものであり、〝最強〟ってことだよね? その割にはさ、救急車が主役の小説って、あんまり見ないと思わない?」
「は?」と友人は言った。「救急車が主役って、人間じゃないからな……。それに、最強という表現は不謹慎すぎるだろ。プロレスラーかよ。救急車が走っているってことは、誰かが今まさに大変な事態に陥っているということが知らされているわけだからね」
「そうだね」と僕は言った。「けれども、創作の世界というのは割合自由
「救急車の話だったよな?」友人は確認した。「救急救命士が主人公とか、医療ドラマってことかな。すでにたくさんあるから、おまえが心配することはないよ」
「そうじゃないんだ。僕が言っているのは、あくまで救急車の『なにものにも留められることのない行動体としての強さ』の話さ。これに着目したドラマが過去にあったかい? そういうの、観たことある?」
「行動体としての強さ?」友人は復唱して、うっすらと笑った。
「具体的に聞かせてやるよ」僕は語ってみることにした。
「その救急車は、傷みかけ寸前の桃を積んで走っていました。それはこの世に数々の名品を送りだしたことで知られる実力派フルーツ・メーカー〈
「え?」と友人。「桃? 桃が救急車に?」
「そう」と僕。「緊急事態であったので、救急車が出動しました」
「ま、いいだろう」と友人。「続けてみて。少し様子を見ようか」
「ありがとう。では、続けさせてもらうよ。
ここで街の人々の様子。人々は今日ものっぴきならない誰か、及びなにかのために爆走している紅白の塊を眺めやり、『どうか、どうか、無事でありますように』と、じゃまにならないよう一瞬のうちに祈りを捧げ、道を開けました。
普段でしたら、連珠園の桃は専用の舟に乗せられ、湖に浮かぶ高級レストラン〈
七十二歳でいまだ現役の船頭さんがおりまして、連珠園からトラックで運ばれてきた桃を舟に積んで、ポポポポ……と小気味いいエンジン音を響かせながら、空が、緑が、自ら身を乗りだして吸い込まれたようなガラスの宮殿たる美しき湖上を、逢逢亭へ向かって進む。とても平和な嫁入り行列、その晴れ姿、そんな光景です。
でも、その日の桃はそうはなれませんでした。納品する日にちを間違えて逢逢亭の定休日に収穫されてしまったとか、嵐になるという天気予報を信じて『ぐぅ、仕方ねえ』と泣く泣く収穫したものの嵐はスカしてしまった。または別の引き受け先が決まっていたのにそちらが資金繰りがどうたらで夜逃げしてしまったとか、そういう不幸があったのだろうと想像できます。
そこで、連珠園から『我が子(桃)を助けてください』と連絡があり、救急車が出動しました。桃は全部で三十三個ありましたが、どの桃も熟れに熟れていて、まるで発熱外来に来た球形のジェラート、見ている間にジュワと溶けてしまいそうな感じでした。匂いを嗅ぎつけた蝿が死神よろしく迎えにくる寸前、という感じでもありました。
事態は深刻です。一分一秒を争う、とはまさにこのこと。連珠園の担当者は、『桃を救ってくださる方でしたら、どなたでも結構です。そこへ運んでください』と救急救命士に訴えます。『私たちは、私たちが育てた大事な桃が、〈破棄〉という最悪のシナリオを回避して、無事誰かの胃袋に辿り着いてくれたら、それでいいのです』
救急救命士は言います。『任せてください。必ずや桃を救ってみせます。私の命に変えてでも』──握りこぶしが胸の前に掲げられる」
「救命士のグウェイン、ひゅぅー、男っ前!」と友人は感想を挟む。「さすがはプロ」
「勝手に名前をつけるなよ。日本人なんだから、
救急車の中では、救命処置が行われました。点滴は安息香酸ナトリウムでしょうか、それともビタミンC? 一般人には公開されていない情報もあるでしょう。
とにかく、ストレッチャーの上で桃がゴロゴロしないように、すべての桃の隙間に緩衝材が詰められ、患部が固定されました。またこの際、ちょっとでも人の手が触れようものならそこが新たな傷となり、患部領域を広げることに繋がりかねません。そのような繊細さが果物にはありますから、桃からすれば、『まるでそよ風にしか触れられていないようだった』という感じにしなければならないわけです。
なので細心の注意が払われました。毎夜、このような戦いがくり広げられているのです、救急車の中では」
「あのさ」と友人が言った。「さっき、
僕はそれを聞くとガン、と拳を振り降ろした。僕たち二人の体が挟んでいるテーブルがびびびんっと震えた。
「タダで?」と僕は怒りに震える。「我々の税金で生活している公務員がタダで連珠園の桃を食らうということ?」
「いや」と友人は弱り顔でレスポンス。「だって、桃が救われたらそれでいいって。誰の胃袋でも同じ胃袋かなーって思って」
「連珠園の人たちの願いは、自分たちの愛する桃が〈お客様〉の下へ届くことだろうが、それ以外にこの物語のゴールはないだろ!」僕は叫んだ。
「ああ、はいはい」と友人。「話の腰を折って悪かったよ」
僕は折られた腰をただちに接合した。「まさに、こうして一息ついている間にも、桃は刻一刻と腐敗への道を転がり落ちているのですから、油断は禁物です。
搬入先を決定するために方々へ連絡を取っていた救急隊員が言いました。『朗報です。
リーダー救命士が声を弾ませます。『本当か?』
『はい。今、ご令嬢の誕生日パーティーを行っている最中とかで、そこで手作りミックスジュースを出す予定らしいのですが、よかったら材料として受け入れようか? と』
『よし、決まりだ』
ドライバー役の隊員はそれを聞くと、運転席の〈方向転換ボタン〉を押しました。たちまち周囲の車へ向けて、『横回転いたします、ご注意ください』の音声が二回流れ、ストレッチャーの上に患者の落下を防ぐシールドが降りてきます。救急救命士たちもそれぞれ身の安全のためにアシスト・グリップを掴みます。救急車の底から鋼鉄ハンドが現れ、アスファルトを突いて車体を浮かせると、くりっと180°回転、反対方向を目指しました」
「ふーん」と友人。「空は飛べないのか? 空は」
「まだそういう時代に到達していない頃のお話だからね」と僕は説明する。「スピッツの『空も飛べるはず』もリリースされていなかったから」
「リリースされたところで」と友人。
「いろいろ不満はあるだろうけどさ……」
「いや、いい。人の恋路をじゃまするやつは、牛に引かれて善光寺参り──でもして精進しやがれ、てやんでぇってね。そんな無粋なまねはしねえよ」
「その江戸っ子、モブっぽいからスルーして、再開するよ?
救急車は道路の車と車の間を縫うように走り、目的地を目指しました。そこに鴨の親子の横断があろうが、カラスが死骸をつついていようが、おそらく救急車は物ともしなかったでしょう」
「どういうふうに物ともしないんだよ。動物はさすがに空気なんて読んじゃくれないだろ」
「物語の中の動物は添え物だよ」僕は堂々と言った。「この物語をじゃまするものは誰一人としていない」
「おれがじゃましてやる」と友人は言った。「おれは無関心のパセリじゃないからな。傍観者にはならないと誓ったパセリだ」
僕は構わず続けた。「なんと、ここで最大のピンチが。救急車の後ろに、別の救急車の姿が現れたのです」
「なんと!」と友人。
「救急車と後続の救急車、一体、どちらが優先されるのでしょうか。
助手席の救急隊員が、後ろの救急車の所属番号を確認すると、本部に連絡を入れ、出動内容を訊きます。
その救急車は、出前の最中に力尽きて倒れたラーメン屋〈
「救急車同士の優先順位問題を入れてくるとはね」友人は感心してみせる。「読者の関心を最後までグイグイっと。……って、倒れたラーメン屋はほったらかしかよ」
「物語はそうであるからして、そうなんだ。語っている僕でさえも息継ぎを忘れそうになる。
ピーチのピンチは喫緊の問題であるわけですが、世の中には同じように命の危機に
救急車はその後も同じ交差点に現れたパトカー、消防車たちとの優先順位サバイバルを見事に突破し、速度をあげることに成功しました。
死者の国へと旅立ったスレイプニルが行きがけに落とした花瓶を帰宅後に落ちる寸前拾いあげるあの奇蹟のように、まさにファンタジックな走りを実現。
開かずの踏切を飛び越え、心臓破りの男坂を駆けのぼり、
なぜかガソリンスタンドがどこにもない十キロの危険な道のり。
迷い込んだら最後、京都もびっくり碁盤の目のような住宅街。
虹のたもとに宝物が埋まっているというなら、そこへも行く、
あなたと一緒に居られるのなら、どこへだって行くわ、と言うなら、どこへも行く──
激走の末、ようやく鳥飼邸の門をくぐりました。
桃は腐敗の呪縛を脱ぎ捨て、その薄紅の翼を、ネープルスイエローの素肌を、ミックスジュースのパステルカラーの中で解き放つ。華やかなパーティー会場に甘い香りが漂います。
僕の母親が昔、家にあった大量のみかんが腐りかけていて、誰も食べようとしない、どうしよう……と困っていたのですが、会社に持っていったら、『まあ、このみかん、味が濃ゆくておいしいわね』って、すごく喜んで食べてくれたって話したことがありましたが、
そういう感じで連珠園の桃も大好評を博し、世紀の救急救命劇は幕を閉じたのです」
友人は拍手をくれた。「ま、ある意味、手に汗握る物語だったな。いろいろツッコミどころはあったけど」
「うん。僕の思いが伝わったようでうれしいよ」
「でもさ、おまえが最初に言ってた『行動体としての強さ』、これに関しては少し弱いような気がするな」
「え?」僕は驚いた。「嘘だろ? どこが?」
「救急車の『緊急性』は十二分に伝わった。でも、救急車が主役じゃないだろ、それ。もしおまえが語った物語におれがタイトルをつけるなら『連珠園の桃』になるな」
「はあ? なんでだよ」僕は不満を発した。「救急車がクローズアップされてただろ? 桃やラーメンは単なる時間の象徴であり、〈行動〉そのものにスポットライトが当たっていたはずだよ」
「いや、桃が強すぎだよ。めちゃくちゃ桃食いたくなったもん」
「そんなことは──」
「こういうのはどうだ?」と友人が身を乗りだす。「おれが真の救急車ストーリーを編みだしてやるよ。登場人物は〈ロード・ファイター〉のフェリクスとナイジェル。子どものころからの親友でライバル同士でもあった彼らは、〈真の勇者〉という称号を手に入れるために戦わなければならなくなった。フェリクスは博士が用意してくれた救急車型巨大スーツに乗り込み、日々ブルドーザーを相手に練習に勤しんでいた。ナイジェルはフェリクスを打ち負かすにはこれしかないと、消防車型スーツを選択し、観光バスを相手に特訓する。
救急車VS消防車、どちらも見劣りしない、世界最強のスーツ。しかし、今回の戦いで負けた方は一生、交差点で相手を見かけたら敬礼して姿がなくなるまで見送らなければならない、という鬼のルールが採用されることになった。
「ああ……」と僕はめまいを起こしそうになった。その物語もまた、すごく眩しいな。
僕たちの救急車もいつか空を飛べるのかな 崇期 @suuki-shu
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