第13話


 6


道をゆく顔色の悪い女。

病院で身に付けるような薄い生地の寝間着の上から汚れたの白衣を羽織っている。

あちこち巻いてある包帯には赤茶色の染み。おまけに頭のてっぺんからつま先まで泥だらけ。

足取りは重く、ぎこちなく、まるで何年も身体を動かしていないかのようだ。

赤い舌で紫色の唇を舐める。

左手で喉を押さえ、口で息をする女。苦しそうな表情を浮かべる。

辺りを見渡すと、一軒の喫茶店が目に入る。


「いらっしゃいま……せ……?」

異様な風体の客に、定員も一瞬喉を詰まらせる。

「水を……」

かすれた声で、苦しげに呟く。

「お飲み物をお探しですか? それでしたら、あちらに……」

店員が奥のショーケースを指すと、コクリと頷いてそちらへと向かう。

商品が陳列された棚に挟まれた通路を、足を引きずるようにして進む。

その衣服から、真っ白なリノリウムの床に泥が落ちる。

訝しげな表情をで、その後を目で追う店員。ふと女が振り返ると、店員は慌てて首を引っ込めた。

ほどなく女はショーケースの前に辿り着く。色とりどりの、清涼飲料水のボトルが陳列された冷蔵ケース。

その、冷蔵ケースのドアを開こうとして右手を伸ばすが、取っ手を掴むことはできない。

右手が、手首から先が千切れて無くなっていた。


 7


「落ち着けよ。ほら、水だ」

手で顔を覆い、ソファで震える飛凰に水を注いだコップを手渡す龍一郎。

「これが落ち着いていられる? 死体なのよ! 何処から運んで来たのかしら……」


テーブルの上に置いた手首に顔を近付け、まじまじと観察する龍一郎。

「男性の手にしては小さいな。きっと若い女性だ」

飛凰が飲みかけた水を吹き出し、激しくむせた。

「なんで持って来たのよ、そんなもの!」

「だって、そのままにはしておけないじゃないか。猫が持って行っちゃうかも」

「あぁもう、まず警察に届けなきゃ」

飛凰は音を立ててコップをテーブルに置く。その拍子に飛び散る飛沫。

数滴のしずくが手首にもかかる。

飛凰は壁に取り付けられた電話へ向かい、受話器を取り上げようとする。慌てて龍一郎が止めた。

「どうして止めるのよ」

「どうして……だろう……?」

なぜ止めたのか自分でもわからなかったが、警察に届けるのはお門違いのような気がした。

龍一郎は森の土の感触を思い出す。

細い木の枝で削れるほど軟らかかった土、まるで誰かが穴を掘って何かを埋めた後のように。

そして……ハルキが言っていた噂話を思い出した。

森に死体を埋めていた人影を見たとかいう噂を……


その時、ピクリとテーブルの上の手首が動いた。

這いずるように指を動かし、水の入ったコップに近付く。


「なにボンヤリしてるのよ?」

飛凰の声に、龍一郎は我に帰る。

「とにかく誰かに来てもらわないと」

「ちょっと待ってくれってば」

「待ってどうするのよ」

飛凰を制止しながら龍一郎は考える。もし仮にあの場所に死体が埋まっていたらと……

その場所で、猫を生き返らせるとどうなるのだろう?

「待ってたら持ち主が現れる、とでも言うつもり?」

「もう一度よく考えてから……」


「考えるって、何をよ?」

「もしかしたら、死体じゃなくて作りものかも? ほら、映画の小道具みたいなさ」

「それで?」

「もっとこう、よく見て確認してからのほうが……」


「イヤッ! もう一度見るなんて無理、絶対!」

飛凰の顔から血の気が失せ、声がヒステリックな響きを帯びる。

龍一郎はなんとか飛凰の気を落ち着かせようと、再びコップを手渡す。

大きく息をつき、渡されるがままコップを口へと運ぶ飛凰。


ふと、異変に気付く飛凰と龍一郎。

飛凰は右手でコップをつかんでいる。その反対側で、もう一つの手がコップをつかんでいた。

手首から下が無い。あの千切れた手首が。

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