第2章

第10話


 1


「龍一郎、起きて」

寝床の中で突っ伏している身体を飛凰が揺すると、龍一郎はうめき声をあげる。

「全身筋肉痛だ」

よろよろと起きあがる龍一郎。

「何よ、だらしないわね」

「だらしがない? 昨日の稽古を思い出してみろよ」

「ぬるぬる滑る油の上で型をやったり、でかい木の人形と殴り合ったり……とても身体がもたない」

「全くもって鍛錬が足りないわ。鍛え方を間違ったのかしら……


「鍛え方は間違ってるね、完璧に」

腿や腰を労りながらも立ち上がり、一階のリビングへと向かう。

「気付いてくれて嬉しいよ」

「困ったわね。龍一郎を一人前にしてくれって、小母様からお願いされてるのに」

「何考えてんだ、母さんは……」


「そうそう、ポストに荷物が届いてたわ」

そう言って、飛凰は龍一郎に小包を手渡す。

「小母様からよ」

「母さんから?」

受け取って包みを開くと、10センチ程の瓶と手紙が入っていた。

「中国の奥地で発見した黄泉返りの秘薬……なんだこりゃ?」

母は中国に存在する怪しげな邪教集団について調査中だと言っていた。そこで見つけた証拠品を送って来たのだろうか。

階段を降りながら手紙を開くと、後ろから飛凰が覗きこむ。

「なぁに、それ?」

「なになに……この薬を術者の血液に溶き合わせ、真綿に染み込ませたものを屍の口の中へ詰め込む。また、外傷が酷い場合にはそれを傷口によくすり込む。満月の晩に浅く埋葬して一晩経つと……」


「どうなるの?」

「黄泉返り……つまり、死んだ人を甦らせる薬かなぁ?」

それを聞いてぶるりと身体を震わせる飛凰。

「何よそれ、とんでもない!」


「そうか? ちょっと面白そうだ」

「そんなこと言っちゃダメよ! 貸しなさい、そんな穢らわしいもの処分しなきゃ!」


そう言って、飛凰は包みを奪おうと手を伸ばす。

すんでのところで死守した龍一郎は、飛凰に尋ねた。

「オマエが否定するとは意外だな。むしろ専門家じゃないの?」

龍一郎の母が不老不死の秘術について調べていた時に中国で知り合った一族、それが飛凰の実家だ。妖怪や魔物を退治する道士の一族の末裔だという。

中国の奥地には不死の魔物がいるらしい。数千年も前から、代々伝わる法術と体術を駆使してその魔物と戦ってきたゴーストハンターの一族らしい。

「“ありえない”って言ってるんじゃないの、“あってはならない”と言ってるのよ」

そう言って、飛凰は再度身体を震わせる。

お化け、幽霊、妖怪……その他悪魔やら吸血鬼やら、オカルトじみた様々な物象。

多くの人はそれらを信じてはいない、龍一郎もそうだ。それらはあくまでフィクション、映画の中にのみ存在するものであって、実在はしないと思っている。

しかし飛凰は違う、確固たる意志を持ってそれらの存在を肯定している。

それは……ゴーストハンターの家系に生まれた所以もあると思うが、何より飛凰自身の経験に基づいている。幼い頃、魔物に襲われた経験があるというのだ。

飛凰にとってそれは大きなトラウマになっているらしく、龍一郎も詳しくは聞かされていない。

何より、それが飛凰を極端な“お化け恐怖症”にした原因だ。

そりゃそうだ、もしゾンビや幽霊が実在すると信じていたら、とてもじゃないが墓場で肝試しなどできないのではないだろうか?

「死者の魂への冒涜と言っていいわ……そんなもの!」


隙あらば奪おうと、なおも包みを狙う飛凰を落ち着かせるようになだめる龍一郎。

「まぁまぁ、どうせこんなの眉唾モンだよ。現地で見つけた怪しい土産物か何かだろう」


手紙を畳みながら、なおも説得を続ける。

「母さんの調査に関係があるのかもしれない。勝手に捨てたら怒られるよ」

母の名を出すと、漸く飛凰も納得したようだ。龍一郎は安心して話題を変える。

「今日の朝飯は?」

「包子よ。テーブルの上に置いてあるわ」


リビングへ入るや否や、飛凰は庭へと通じる窓辺に直行する。

「猫ちゃーん、おいでおいで♪」

庭に出て猫を呼ぶが来ない。飛凰は心配そうな表情を見せる。

「ヘンね。いないみたい……」

「ウチで飼ってるワケじゃないって言ってるだろ」

肉まんを頬張りながら答える龍一郎。

「昨日は雨だったから、何処かで雨宿りでもしてるのかもな」

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