第9話


「うわっ!」

目前に飛凰が立っている。

「迎えに来たわよ」

「迎えに? って何のことだ?」

「稽古よ。今日は来ないと駄目だって言ったでしょう」

「あぁ、そんなこと言ってたな……」

龍一郎は舌打ちする。

「今日は、その……自主練ってことにしようかと……」

「サボる気ね。聞いたわよ、稽古するのがそんなに嫌?」

大袈裟にため息をつく飛凰。

「がっかりしたわ、心の底までたるみきってるのね」

「それは、その……」

目を逸らし、言い訳を考える龍一郎。

「そうだ、オマエはサッカー部の練習があるだろう。邪魔しちゃ悪いからな」

「ご心配なく、今日は雨で練習は休みよ」

「雨? あぁ雨か……」

龍一郎は窓の外に目をやり、そそくさと逃げようとする。

「残念、傘を持ってないんだ。止むまで教室で待つとしよう」

「ご心配なく、私のに入れてあげるわ」

飛凰は肩を掴んで龍一郎を引き止め、まるで剣で脅迫するように傘の柄を突きつける。

「逃げようとしても無駄よ」

「逃げても無駄ね。そうか……」

龍一郎は諦めたような顔つきで、差し向けられた傘の柄を取る。

「やるだけやってみよう」

柄のスイッチを指で弾くと、勢いよく傘が開く。

飛凰は慌てて傘を脇に投げ捨てるが、目に映ったのは一目散に逃げる龍一郎の背中。


「どけ、どいてくれ!」

人ごみをかきわけて走る龍一郎、引き戸を開けて外へ飛び出そうとする。

その瞬間、喉に傘の柄がフックのように絡みつく。

「ぐっ……!」

傘を掴んで引き寄せる飛凰。

「傘もささずに飛び出すなんて、風邪をひくわよ」

龍一郎が後ろ手で引き戸を閉めると、身体は柄と扉に挟まれる形となる。

「人の好意には素直に甘えなさい」

言葉とは裏腹に飛凰は傘を引く手に力を込める。龍一郎は柄で首を絞められる形になる。

「心優しい幼なじみがいることに感謝するべきだわ」

「ぐっ……せっかくだけど、遠慮しとくよ」

腰を落とし、扉の下に手をかける龍一郎。

「よ……っと!」

扉をレールから外すと、飛凰の身体ごと背負い投げのように持ち上げる。

「はっ!」

龍一郎の腰を中心としたシーソーとなった扉により、飛凰の身体は外へ投げ出される。

だが、飛凰は難なく着地してみせる。

「何するのよ、服が濡れちゃったじゃない!」


ダメージの残る喉元を手で押え、龍一郎は反転して校舎内へと走る。

しかし下校途中の生徒達に難儀し思うように進むことができない。

「危ない、頼むからどいてくれ……」

「見つけたわよ、さぁ来なさい!」

猿臂を伸ばす飛凰、しかし龍一郎は寸前でかわしてみせる。

「おっと!」

「いいかげん、観念しなさいったら!」

再び伸ばした飛凰の手を、今度は近くにいた見知らぬ生徒を盾にしてかわす龍一郎。

「おちょくってるの? 怒るわよ!」

今度は低い体勢で足を掴もうとするが、龍一郎は両脚を180度開いてジャンプ。

飛凰は攻撃の手を休めないが、狭い下駄箱の間に脚をつっかい棒のようにして登っていく龍一郎。

「よっ、よっと!」

下駄箱のてっぺんまで登りつめると、ひらりと飛び降りて去っていく。


「コラーッ、待ちなさい!」

飛凰は恥も外聞も無く、大声を張り上げて追ってくる。

捕まると厄介だ。しかし玄関へは引き返せない、どこかの窓から飛び出ようか……

そう考えながら走る龍一郎、ふと振り返ると真後ろまで飛凰が迫って来ている。

「もう逃げられないわよ!」

「ヤバい!」

切羽詰まった龍一郎は、廊下の突き当たりに開け放された窓を発見する。

しかし、それは人が通り抜けるには小さいように感じた。

「えぇい、イチかバチか……」


龍一郎はジャンプして窓に突っ込む。案の定腰の辺りでつかえるが、身体をよじってなんとか片足まで外に出す。

「やった!」

もう片方の足も引っ張り出して跳ぼうとした瞬間、後ろから傘の柄が伸びてきて足首に絡みついた。

「うおっ!」

足をとられ、地べたに頭から墜落した龍一郎。

「はっ!」

飛凰は窓の縁から身を乗り出すと、しなやかな身のこなしでスルリと脱け出してみせる。

傘をくるくると弄ぶと、泥だらけで苦痛に歪む龍一郎の顔の横に突き立てる。

「やっと観念した?」

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