第4話 『ホントのまなべさん』

季節も変わり、


肌寒い季節から蒸し暑い季節に変わったころに、


まなべ姓も世間に浸透し、すっかり珍しい名字でもなくなった頃に、


それでもなお、男はまなべさんをまなべさんの中から探していた。

 

俺が探しているのは、


まなべさんはまなべさんでも、


『あの日、アパートでニアミスしたまなべさん』なのだ。


会ったら言いたいことがある。


それでも見つからない。


そもそも顔も知らないのに、どうやって、


見つけるというのだろう。


馬鹿馬鹿しい。


翌年は、強烈なデフレで日本企業の株価が大暴落した年で、


それと同時にまなべ流行りもなくなり、


すっかりまなべ姓に変えた人たちは、


元の名前を取り戻していった。


まなべを名乗る人間もいなくなった頃に、


彼は、仕事から帰ると、一本の留守電が入っていることに気づいた。


父親が亡くなった。


田舎に帰り、父親の弔いをしてやると、


久しぶりに母子水入らずの時間を過ごした。


いつの間にか名前の話になり、


母の旧姓が『まなべ』だと知る。


田舎だからか、流行りも知らないため、


まなべブームがあったことなど母は知る由もない。


だから、男は、


なんとなくごまかした。


ただ、それからなんとなく、


いつまでも父の名前を名乗ってもいいのだが、


『まなべ姓』を名乗ることで母の名前を残すという意味で自分もまなべに名字を変えることにした。


さんざんブームが去ったあとなので、ヤジも飛ばされたが、そんなことは気にしない。


今日から私が本当のまなべなのだ。


少しこの名前を今なら愛せるような気がした。


探していたのはまなべさんではなく、


こんな気持ちだったのかもしれない。


そして、


私は、まなべさんとして、


新しい人生を生きていくことにした。


探していたのは、


『自分』だった。


そんな理由で、

旅を終えるのも悪くはない。


ミイラ取りがミイラになるように、


私は、まなべさんを探しながら、


ゆっくり私自身がまなべさんに


なっていったのだ。


今は少しまなべさんらしくなっただろうか。


完。








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『まなべさん』 石燕の筆(影絵草子) @masingan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ