ICE
三浦花
ICE
一時は、コンテストの優勝から華々しくデビューを飾ったICEだったが、やがて次のコンテストが開かれ、新しいバンドがデビューすれば、その影は薄れていっていた。
デビュー直後に借りたマンションには、直後は時間がなく今はお金がないので、物はあまりない。今日も昼間からテレビでワイドショーを眺める。
ピロン
小さく、携帯が鳴った。
『金光寺のスタジオ、今日八時から取れたから、来いよ』
蒼空からだった。
メッセージを読んで、なぜか手の中の携帯がやたらと重く感じて、床に投げ出した。
俺がバンドに入ったのは、ほんの些細なきっかけだ。
それまではサッカーに打ち込む、スポーツ男子だった。特別うまいわけではなかったけど、キャプテンだってやった。それが高校に入り、試合中の怪我で、長らく部を休むことになったのだ。そのときに、幼馴染でバンドをやっていた蒼空に声をかけられた。夏のコンテストに助っ人でボーカルやってくれないか、と。
サッカーも怪我のことで少し諦めかけていたときだった。クラスのカラオケなどでは、歌はうまい方で、人前で歌うのも嫌いではなかった。なにより、高校でやっとやりたいことを見つけた蒼空の力になりたかった。
そんな軽い気持ちで始めたバンド活動だった。しかし、蒼空は高校でやっとやりたいことを見つけた、なんて生易しいものではなく、むしろ、このために中学は部活には入らず、ひとり、音楽の研究に勤しんでいた。その才能と努力が、ある意味報われた。
なにも知らない俺は、ただの負けず嫌いでコンテストを駆け抜けるうちに、蒼空と一緒にICEとしてバンドデビューが決まっていたのだった。
宏哉にとっては、何もかもがトントン拍子に進みすぎていた。
だからこうして、一度躓いた時に、立ち上がる理由を見つけられずにいた。
あの時、怪我をしてなければ、きっと今ごろ普通に大学へ入り、それなりに楽しいキャンパスライフを送っていただろう。
あの時、蒼空が声をかけてこなければ、歌なんか精々カラオケで歌うくらい。膝も治して、軽いスポーツサークルくらいはしてたかもしれない。
『君は、なんのために歌っている?なにを伝えたい?そういうのがさ、見えてこないんだよね』
最後のレッスンで言われた言葉が、今になって突き刺さる。
テレビを切る。
バイトの時間だ。
携帯と財布をコートのポケットに放り込み部屋をでた。
*****
蒼空は焦っていた。
宏哉は男の自分からみてもかっこいいうえに、歌のセンスがいい。宏哉がボーカルに加わって、やっとICEは完成した。
けど、最近は宏哉に前ほどの熱量を感じられなかった。コンテストの時は、他のバンドの誰にも負けないという気迫があった。だからこその優勝だったし、だからこそのデビューだった。
この苦境、宏哉が立ち上がらなければ抜け出せないだろうと、蒼空はあの手この手を尽くしていたが、いまひとつ響かないのが現状だった。
今日も、宏哉のために新しい曲をかいた。
What's your name?
これが、そのタイトル。
ほんとのお前を思い出せ、俺はお前の歌が好きなんだ、そんな想いを込めた。
...が
その夜、いざ合わせてみると、思うようにはいかなかった。
「ヒロ、サビの跳躍地声でいけないんか?」
ベースの鏑木が早速指摘した。
「ん、わかった」
「わかったじゃなくてさ、できるなら、曲の感じ的にここは地声だろ?なんで裏で歌ったわけ」
こいつも、若干苛立っていた。
「そうかな、それは決めつけじゃない?今どき張り上げればいいってものでもないし、ちょっと切ない感じかと思った」
「だったら、そういえよ!わかったなんて言われると、俺が悪いみたいじゃん」
「そんなことねーだろ」
「あー!もうストップ!」
しかたなしに、割ってはいる。
「とりあえずどうする?地声でいく?裏声でいく?」
「ソラはどっちのつもりで書いたの?」
「...それは、地声だけど。でも、ヒロがしっくり来るなら裏声もありだよ」
「地声でいくわ」
「...」
そうじゃないんだけどな。この想いをどう伝えるべきか迷っているうちに、
「一回やってみよう」
ヒロはさっさと進んでしまった。
結局、地声でやっても、ヒロはそれなりにそつなく歌い上げた。
裏声のはそれはそれでよかったけど、バンドにあってない感じかあっから、やはり、どちらかというと地声でよかったのだと思うけれど、それでも、宏哉の本来の良さみたいなのはまだでてない感じがしていた。
なにより、この曲で俺がヒロに伝えたかったことが伝わってない気がした。
お前の気持ちを知らないやつに俺の歌は歌わせない
時間をかけて積み上げた物が君をつくっているのだろう
お前の気持ちを汲まないやつに俺の歌は歌わせない
生きてきた時間全てがいまに繋がってここにいるのだろう
怪我でサッカーをあきらめて、
それでもみんなの期待を背負って、プレッシャーにも涙を見せず、全ての勝負に勝ってきた、そんなヒロに、俺は俺の歌を託してるんだ。
手遅れになる前に、伝えなくちゃいけない。
*****
「君たち、最近仲良くやってる?」
翌週のレッスンで、この曲を披露して、トレーナーにそう言われた。先日の練習でも、鏑木と一触即発だった。
うまく行かない感じは、音楽にも現れてしまっているわけだ。
「中村くんはこの歌からなにを伝えたい?」
すっと、シンプルで、ナイフのように切れ味のよい質問が、体に突き刺さった。
咄嗟にうまい答えが浮かばなかった。
少しだまってしまうと、先生は少し困ったように、続けた。
「この曲はさ、来島君が書いたんだよね?先生には来島くんの伝えたい想いがちゃんと伝わってくる。けど、中村くんの声にしっくり来てない。たぶん、ちゃんと府に落ちてないんだね。でも、もうさんざん話し合ってると思うしさ、たぶんこれは中村くんの問題。」
そう、これは俺の問題。
「一回、自分で詩書いてみな。」
「僕がですか?」
「うん。大丈夫、多少ダサくても来島がいい曲つけてくれるでしょ?」
そう笑いかけると、蒼空の顔がぱっと輝いた。
「もちろん、全力を尽くします」
「じゃあ決まり。できるまで、レッスンはおやすみね。できたらもってきて。わかった?」
「...はい」
「いいのかよ、できるまでレッスンなしって」
自信がなくて、つい聞いてしまった。
「お前が言えた立場か?このまま続けたってどうせ毎回同じこと言われるだけだ」
鏑木は遠慮もなく、ずばりと言ってのけた。
「ごめん」
返す言葉もなく、あやまると、蒼空が言った。
「責めてる訳じゃないんだ。俺が巻き込んだことだ、ヒロが迷っているなら、とことん付き合う」
「俺がじゃないっすよ、俺らっす」
これまで黙ってたドラムの五十嵐が言った。
「俺も宏哉くんの歌、すげえって思ってました。コンテスト中とか、他のボーカルにないもんもってるなって。」
「ま、今はすっかり影を潜めてるけどな」
「鏑木」
「わり」
「だから、自分の歌いたい歌詞書けよ。いつでも、相談に乗るから。やってみなよ。」
気がつけば、退路をたたれていた。
「わかった」
「...おい、...おい聞いてるか?」
「え?あ、すみません。」
「これも片しといて」
そう言って、先輩は空いたグラスをどんと置いた。バイト中だった。
「また、お前噂になってる」
そう言って指差した先を見やると若い女性グループが慌てて目をそらしてなにやら盛り上がっている。
「フロアやればいいのに、もったいない」
「めんどくさいじゃないですか」
そう答えると盛大にため息をつかれた。そしてふと真顔になって言った。
「お前って、顔もよくて華もあるのに、なーんか、暗いよね。昔からそうなの?」
「いや...」
そういえば、いつからだろう。
昔は、学校でも人気者な自覚はあった。サッカー部をはじめたくさんの友達に囲まれるのも、行事も、遊びも、楽しかった。
それが今は、、、
「ふーん、ま、人生いろいろあるからねー」
そう言って先輩は先ほどの女性客の方へ注文を聞きに行った。
*****
明日の朝、もう一度、部屋をでるまで、ただ生きるために、今日も部屋をでる
玄関に積まれた、ダイレクトメールの山が、僕の人生に重なる
捨てられることもなく、拾われることもなくただむなしく積み重ねられていく
朝方、懐かしい夢を見ていたけど、具体的には思い出せない
夢だからなのか、それとも、思い出したくないのだろうか
ただ、懐かしい、そんな気持ちだけが残っていた
地元で誓った約束を何一つ叶えられないまま、今日も一日が過ぎていく
この街は居場所を隠している
*****
自分で詩を書くというのは、想像以上に難易度が高かった。
はじめは、とりあえず勢いで書いてやろう、くらいに思っていたが、書いてみて眺めると、全然ださい。とても歌いたいようなものにはならなかった。
歌詞だけじゃなくて、メロディもつけてもってくる蒼空が、今更雲の上の存在に思えた。
よく考えたら、蒼空だけじゃない。鏑木だって、メロにそってベースラインをある程度自分でアレンジしてつけてるし、五十嵐に至ってはドラム譜なんてあってないようなもので、彼のセンスで頭の中で作ってる。
俺だけが、なにもしてない。
ただ、みんなの作った音楽に歌をいれるだけ。
はあ。やめよう。
一度吐いたため息を、大きく吸う。
ここで立ち止まってもなにも変わらない。なにより、俺のプライドが、ここで立ち止まっていることを、許さない。
進まないペンを取る。
『時間が解決してくれた答えで、僕は僕をどう救える?』
*****
ヒロが、はじめて、余裕のない顔をしていた。
翌週のスタジオ練習、最後に来たヒロの表情をみて、みんな、変化を感じた。
「わるい、全然書けなかった」
これまでも、スタジオにくるとき、悩んでいるような暗い感じはあったけど、どこか諦めてる感じがあった。
でも、今日は一週間ヒロなりにもがき続けた痕が、その顔に残っていた。
それが、嬉しかった。
「書いてみたの?」
喜びを隠して、でも穏やかに尋ねた。
「書いたけど、全然、歌いたいようなのは書けなかった。ほんと、すごいんだな、蒼空」
その泣き笑いみたいな表情が、ちょっと苛立ったが、でも、前に進もうとしていることのほうが大事だった。
「それでもいい、見して」
ほんとに、ダサいのしかないんだわ、そう防衛線を張って、何枚かメモをだしてきた。
どれもなんども線で消され、どこがどう繋がってるか、定かではない。
鏑木と五十嵐も、それを見て、どう見たらいいか、困り果てているようだった。
「字、汚いよね」
字が、とかそう言うレベルじゃなくて、消されたり破れたり、そっちで読めないんだよ、と思ったが、それでも、黙って読んでいると、ヒロの手で書かれた言葉の断片が、ヒロの心の声を確かに伝えていた。
ヒロの言葉は、蒼空の言葉よりも、悲壮で、深くて、静かだった。
一見華やかな彼の人生の、だからこそ際立つ闇。サッカーで致命的な怪我を追った絶望感や、デビュー後一発屋のように、勢いを失うバンドのなかで、光の見えない現状への悲壮感、それでも、また静かに立ち上がろうとする人としての強さ。
近しい人が、日々をこんな風にとらえていたなんて。蒼空にとって、それは静かな衝撃だった。
「一回これ、もらっていい?」
「いいけど」
「おい、蒼空、宏哉を甘やかすなよ」
いったん宏哉のメモを持ちかえろうとする蒼空に鏑木が言った。
「俺も、ちゃんと自分で描きたい。甘えたくない。」
「もちろん、でも、ちょっとだけ読ませてほしい。アドバイスするからさ、な?」
「俺はいいと思います。蒼空くんは、ちゃんと書ける人だから、宏哉くんも教わった方がいいと思います。」
「イガちゃんがそう言うなら」
「わかった」
*****
3日じっくり読んで、宏哉をカフェに呼び出した。
少し緊張した面持ちの宏哉が、なんか可笑しくて、にやける。
「なんだよ」
「いや、緊張してるなーって」
「別にしてないし」
ふーん。強がるので、そういうことにしてあげる。
「いくつか、気になった詞に印をつけた。わりと、いい線いくと思うけど」
「まじ?」
「うん」
少しだけ、嬉しそうな表情になった。
「でも、その前にいくつか聞きたいんだけど。いい?」
「もちろん」
「お前さ、怪我したとき、ぶっちゃけどうだったの?」
宏哉にとって、おそらく圧倒的な挫折がそれだ。幼馴染だった蒼空から見て、常に人気者、順風満帆の彼の人生の、唯一最大の、挫折。その時の気持ちを、一度も聞いたことがなかった。
右手のリングに目をやりながら、たっぷり間を置いて、口を開いた。
「絶望した。そりゃ、プロになるような実力じゃないし、精々高校までのつもりだった。でも、あの時、まだもう一年半くらい残っていて、そこが集大成のつもりだったから、積み上げてきたものを、発揮するチャンスを奪われて、悔しいし、悲しいし、虚しかった。どうにもならないことってあるんだなあって、身に沁みて思わされたし、絶望した。」
「泣いた?」
「泣いた。昼間とか家族の前とかは、平気なんだけどさ、夜寝る前とか、ベッドで一人になると、どうしようもなく涙が溢れてくる、みたいな日は結構続いた」
「バンド誘ったときも?」
「ううん、その前にいったん、諦めはついてた。なんか、起きたことがストンと落ちて、もう違う世界なんだなって。虚しさはあったけどね、泣かなくはなってた」
「誰にも相談はしなかった?」
「してないね。したところでって思ってたのかも。結局、自分のことを救えるのって自分だけなんだよね。諦めるっていうのも、前に進むことなんだって、そのときに感じた」
「ヒロのこの詞、」
『時間が解決してくれた答えで、僕は僕をどう救える?』
「これが、書きたい」
その言葉に応えるように、力強い目が、俺をとらえた。
そこから一気に、詞について、思ったことを色ペンで書きながら議論した。
「書けそう?」
三時間程、議論して、聞いた。
「やってみる」
「じゃあ、まかすわ」
別れた背中は、頼もしかった。
*****
それから、何度か蒼空と議論して、最終稿を預けた。
そして、一週間後、デモ音源が送られてきた。
落ち着いたテンポ、でも流れのあるシンプルなギターイントロ。
鳥肌が立った。
*****
デモ音源が共有された次のスタジオ練、着くと、防音室の前に、イガちゃんが立ち尽くしてた。
「どうした?」
前の人がまだいるのかなー、と思ったら、シーと指を口に当てて、中を指差していた。
宏哉だった。
ここのところ、集合時間ギリギリにしか来なかった宏哉がこんなに早くから、と感動するのもつかの間、漏れてきた声に、鳥肌がだった。
「おっすー」
鏑木もやってきたが、それに構うこともできなかった。五十嵐がなにか説明してくれていたが、あまり聞こえてなかった。
かつての宏哉が戻ってきた。
いや、コンテストで歌ってたときより、格段に進化していた。説得力というか凄みが、増していた。
*****
入ってきた三人の表情で、確信した。
この曲で、俺らは復活を果たす。
そして、翌月、その確信は現実になった。
〜クロノスタシス(RADWINPS)〜
ICE 三浦花 @kaniyomu
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