第187話 帰国の旅路 その8
腰を据えたテラス席から覗けば大通りを進む上品な風格の人々、昼の光に煌めく街の活気と共に、新たな一日の始まりを告げた。その中には、貴族の子弟や商人、旅人たちが混ざり合い、彼らの話し声が時折、穏やかな風に乗って喫茶店の方へと届いていた。
教団の聖騎士部隊による孤児を釣り餌に利用した襲撃から日を跨いだ領都の昼下がり。俺の姿は城郭都市ヴァンロン中心部からわずかに離れた一角、言うなれば都市外部から一段高く、畳石が綺麗に舗装された道が続く上級地区の隅に建てられた喫茶店にあった。温かいカフェオレを手に、一口すすりクスリと俺の顔を一瞥したエレニールの弱々しい微笑みを唇に漂わす。
昨日彼女と交わした約束を誠実に守り、今朝から二人で街を散策し、ふらりと店舗を巡りショッピングを心置きなく満喫した俺達は、店員から教えてくれた喫茶店に足を運んでいた。
「昨晩…報告を受けたけど。街に入った早々無法者に襲われるなんて、貴方はまるで蜂が群がる一輪の花ね。女王蜂として誇らしいわ」
耐え切れずクスクスと笑い声を漏らすエレニールに俺はただ肩を上下に揺らす。普段の戦場で身に着けているドレスアーマーではなく、上位貴族令嬢が好んで着る防寒対策が施された長袖のロングワンピース服装に貴族言葉で上品に話すエレニールの洗練された姿は、どの角度から見てもお姫様に相応しい。特徴的な赤髪と瞳は、レースのファシネーターで巧みに隠し、最低限の変装としての役割を果している。
名目上俺達の近くに護衛の騎士は見えないが、王室に忠誠を誓った諜報機関部隊、通称『影の者』が今も闇に紛れ此方を窺っている。当然ながら彼等の潜伏に気付いているエレニールは不満そうだが王族の役目として割り切っていた。
「昨日の調査は大掛かりだったそうよ。なんせ貧民街から魔法の戦闘音が聞こえたら、統一した白ローブ集団の死体が大量に転がっていたらねぇ」
「ああ、犯罪者として懸賞金がかけられなくて安心したさ」
流し目でこちらを見つめるエレニールを傍に俺はほろ苦いコーヒーを口にしながら、昨夜のことを振り返った。
教団の聖騎士を退けた俺だったが、広場から逃げず待機していると、五分も経たないうちに衛兵に囲取り囲まれたいた。
ちょうど貧民街を巡回中だった兵士達が鳴り響く剣戟を耳にし、急ぎ戦いの場へ駆けつけた。無傷の姿で佇む俺と、一面に広がる血だまりに伏す十人の死体が目に飛び込んでくれば当然のように驚愕し、槍の穂先を俺に向けて構えた。
警戒を強めて問いかける兵士に、俺は嘘偽りがなく真実のみ告げた。事の重大さに自分たちだけでは対処出来ないと踏んだ兵士は一度詰め所へ戻り、上司を引き連れてきた。再び説明を求められる羽目になったが…。
ここで問題が起きた。
冷たい空気の中、命を落とした襲撃犯の身元を示す物が一切見当たらなかった。幾ら兵士たちが持ち物を探ろうと、教団で活躍する聖騎士たる証拠が何処にもない。この時、首から下げた聖印は所持者が死に至ると溶けて水銀に液体化する魔道具だと知った。彼等が使っていたテンプルソードもただのなまくらに変わっていた。
「手加減して周囲の建物を破壊しなかったのが好印象だったのか、三階の突き上げ戸から目撃していた娼婦が一部始終を証言したことで状況が一変した」
俺はそう彼女に締め括った。気付けば手に持つカップは空…、直後追加のカフェオレが注がれたカップをトレーに乗せた女性店員がやってくる。
「ありがとう」と礼を言い、湯気が立つ温かいカフェオレを一口すすった。
エレニールは少し考え込むように視線を落とし、やがて顔を上げて言った。
「教団の聖騎士の実態は噂程度に聞き及んでいたけど、徹底した後処理だわ。得られた情報を元に教国へ非公式に抗議しても適当にあしらわれて終いよ」
彼女の言葉に小さく頷く。エレニールの表情を読み取る限り不安らしき感情はない、寧ろありきたりな対応。
「そう言えば…奴等は私の命も狙っている、そう言ってたのね?」
確認するエレニールに再度頷いた。
「あぁ、この耳でハッキリと聞き取った。異端審問官も色々嗅ぎまわっているらしい。エレニールも気を付けろ」
「ふふ誰に物言っているのかしら。百年一日の如く警戒を怠らない私が――」
言葉の終わりを吞み込んだエレニールが黙り込んだ。彼女が喉までせり上がった言葉を言いよどむ。急に真剣な表情になり暫くの間、彼女の瞳は遠くを見つめ、何かを考え込んでいるようだった。俺はその沈黙を破ることなく、彼女が言葉を見つけるのを待った。
思案に耽っていたエレニールが深呼吸をし静かに口を開く。
「…でも、どんな危険が追っても貴方に守ってもらいたいって、そう私が本心を促すの。だから今決めたわ」
いいことを脳裏に思いついたエレニールの美しく引き締まった顔に、笑顔が浮かぶ。その姿は、まるで数多の宝玉より美しい薔薇。
「王都に帰還したら婚礼の儀を――」
「先に言わせてくれ」
俺は彼女の言葉を遮った。目を見開くエレニールに続きの言葉を先んじて告げる。
「俺と結婚して欲しい。…二人の未来を共に築こう」
その言葉を口にした途端、エレニールの瞳に涙が浮かんだ。
「ありがとうショウ、一生の宝物よ」
伸ばした彼女の手をしっかりと握りしめた。
しかし、俺は忘れていた。決闘後彼女が見せた抜け目ない知略を。
「――では法衣子爵へ上がる出世の手始めに、王都学園武術指南役の任、頼んだぞショウ」
「……」
何時もの口調に戻したエレニールの確固たる決意と期待が宿った瞳に、神らしからぬ苦笑を添えた俺は頷いた。
「分かった。エレニールの為、力を尽くす」
エレニールは満足げに微笑み、その笑顔は太陽のように輝いていた。
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