第185話 帰国の旅路 その5
「ッぐす……うえーっん!うえーん」
まだ高く上がった太陽光が地を這う時間帯、色彩が失せた寒さの季節にも拘らず、コートを羽織った多くの人々が行き交う城郭都市ヴァンロンは、活気に満ち溢れていた。
街の大通りを抜けた小道の一画に聳え立つ木造建物の宿屋で二晩分借りた俺は部屋を一瞥。荷物を背負ったまま外を歩き始めた途端、道端から子供の泣き声が響いた。
年季が入ったみすぼらしい麻の肌着を着た年端も行かぬ子供が俯きすすり泣く光景を不自然と周囲の人間は近づこうとしない。寧ろ、関わりたくないと近づこうとせず、視線を逸らして早足で離れていく。
肩下程度の長さがある頭巾を被った故か男女の判断は悩む所だが…肩幅の広さを見る限り、初冬の街ですすり泣く子供の性別は男の子。
「……」
「うーえん、うえーん!」
地面に顔を伏せ、指を丸めた手で両目を覆った子供は泣き止まない。幾ら泣き喚こうと親が出てくる様子も見受けられない。……なるほど、本命は俺か。
「うーん!ぅえーん!」
「坊や、迷子か?」
ワザと足音を立てながら子供の目の前まで歩み寄り、片膝を地に付けて尋ねた。子供は一瞬こちらをチラリと確認するも、泣き止まない。
「ッぐすん。うえーん!」
「…どうした坊や、親とはぐれたか?」
根気よく問いかける俺に子供からの返答は無い。頬を伝う雫が履物に落ちる。仕方なしに立ち去ろうとしたその時、突然嗚咽が止まり、涙を拭った子供が咄嗟に取った行動は俺の袖を掴むことであった。
「っあ…助けて、助けて、ママが人質にっ」
焦燥を隠せない様子の子供は、伸ばした腕を引きながら身を翻し、周囲の視線を気にする素振りを見せず奥へ一目散に駆け抜ける。俺はその子を追い、小道の更に奥へと続く路地裏に入った。
道から逸れて子供の背中を追いかけていると、狭く薄暗い通りに入り込んだ。漂う下水の臭いが鼻を強く絡みつき、陰鬱な空間には端に散乱したゴミに群がるネズミがいた。
両側に入り組む家々は粗末な木材と泥で造られ、屋根に使われた藁や古布で覆われ、ひび割れた壁には所々補修の跡が見られるが、それもまた風雨に晒されてはがれ落ちていた。
「こっち、助けて!」
確かな足取りで追いかける俺の存在を確認した子供は、ある角を曲がり、行方をくらます。子供を追って角を曲がった先は、無秩序に建てられた建物とは対照的に広い空間へと繋がっていた。中央には、貧民街の住人たちが日々の水を汲む為に使う共同井戸が設置されている。そして、井戸を囲むように群がっている10人の武装部隊。彼らは共通して白いローブを身に纏い、一種の統一感を醸し出していた。
「白黒の髪……連れて来た。金、金っ!」
「へぇ、よくやった。ほら、約束の銀貨5枚だ。怪我したくなければ、さっさと失せろガキ」
その一角、先程まで涙にくれていた子供が、不気味に笑う男たちの一人から小銭を受け取っている光景が目に入った。子供の表情は一変しており、数分前の泣き顔からは想像もつかない勝ち誇った生意気な笑みを浮かべていた。要するに、男たちは金に困った子供を利用して俺を誘い出したのだ。
「冒険者のショウだな、間違いない」
小銭を受け取った子供がそそくさとその場を去り、俺を囲んだグループの中から一人が声をかけてきた。瞳には、言葉にならない殺気が宿り、鋭い視線が俺に集中する。訓練された足さばきで剣の間合いを測りながら確実に距離を縮めてきた。
「お上は悪行を働くお前の代償を御望みだ。己の行動を悔いながら命を流せ、冒険者よ」
その言葉を放ったのは男たちの中でも特に大柄な一人。彼の声は低く、重々しく響き渡る。彼の手には、聖なる光を放つ長剣が握られていた。その剣は、日の光を反射して煌々と輝いている。彼の背後では、他の男たちもそれぞれの武器を構え、戦いの準備を整えていた。空気は一層緊張に満ち、盗み見ていた貧民街の住民たちは、恐れをなして静かに身を潜め始めた。井戸の水音だけが、この静寂を破る唯一の音。
動きに合わせてローブから露わになったネックレスに、俺の目が留まった。記憶が確かならば、ロスチャーロス教国が広める教典のシンボルを象徴したネックレスに違いない。なるほど、ここで教会が出しゃばって来るか。
『(すっかり忘れていたが、王都を出発する間際、エレニールから注意勧告を受けていたな)』
魔導国では何も行動を見せなかったから、忘れ去られたと思っていたが、まさか今日ここで仕掛けてくるとは。内心でそんな事を思い巡らせながら、俺は彼らの正体を口に出して言った。
「教会の人間か。王国でしでかした過去の失点を取り戻しに来たのか?」
俺の問いに白ローブ集団は押し黙って答えない。沈黙が重苦しく流れる。だが彼等が放つ殺気の密が濃くなった。お互いが壁のように黙り合う奇妙な沈黙はリーダー格の男が終わらせた。
「我々はただ、命令の実行に移すだけだ。お前がどれほどの実力を持っていようと、神の前では無力。…お前には二つの選択肢が残ってある。神に服従するか、この場で神の怒りを受けるかだ」
彼の言葉が終わると同時に、白ローブ集団は一斉に剣を抜く。彼らの眼は俺を貫かんと睨み、返答次第では襲い掛かる構えを取っている。
『(世界を見届ける現人神である俺に、神の裁きを求めるとは…なんと皮肉なものだ)』
当然俺の返答は決まっている――。
「来い、教会の犬ども。お前らが信じる神が本当に俺を裁けるか、試してみようじゃないか」
おぉ、今の挑発に怒りで血が昇ったらしい。顔を真っ赤にして突撃してきた。
「欲深い罪人がッ!同士達よ、ここで審判を下す!」
彼の言葉が、衝突の始まりを告げる鐘となった。
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