第183話 帰国の旅路 その3

 魔導国最大の要塞を抜けた俺たちは馬車に乗り込み、ランキャスター王国の領土を示す崩壊寸前の看板が目に入るまで、両国を結ぶ国境線を進む。やがて、泥と沼で覆われた温地の森へと足を踏み入れる。湿った空気を深い静寅が包み込む、まるで別世界のような場所。


「おお!見てみろ、マジで円滑な道が引かれているぞ!ッふはは、行きと段違いだ!」


 エレニールも、乗馬で進むのが困難な沼地を避けたかったため、事前に雇った土魔法使いが先行して森の中に道を舗装した結果進み具合は格段に向上、冒険者たちは声を重ねて絶賛の嵐を巻き起こした。騎士たちに囲まれ、先頭を進むエレニールの顔にも、安堵の色が浮かんでいました。


「おい…ちと早くねぇか?」


「え?真っ直ぐ平らな道を走っているだけだよ。ただの錯覚じゃないのか?」


 馬車は二列に並んで進み、前回とは比べ物にならない速度で駆け抜ける。その速さに、一人の冒険者は不安を感じ、弱々しい声で疑問を投げかける。しかし、他の者たちはそれを気にしすぎだと判断し、杞憂だと伝えた。

 だから俺は真実を告げる。


「空を見れば、答えは自ずと明らかになる」


「…ッ!お、脅かすなよショウ、急に声を出せばビックリするじゃねぇか。あ~空がなんだって?」


 決して多くを話さない俺が唇を開いて話の輪に切り出すと、周囲の冒険者が何故か驚いた表情を見浮かべた。その後、俺を疑うような不審の眉を寄せつつも加速する荷馬車から顔を覗かせ空を――見上げた。


「おいおいっ⁉マジかよ!」


 彼が叫び声を荒げたのを引き金に便乗した他の冒険者たちが一斉に空を見上げる。


 ――水平線の上に、侵食する雷雲が連なっている。


「これは不自然だわ。確かに、今日の天気は心地よいとは言えなかったけれど、こんなに重く、まさに雨が降りそうな空ではなかった!」


 流れ風が吹き、とんがり帽子のブリムが羽ばたくように動く魔法使いの姿をした女冒険者が、指で帽子を押さえながら慌てて声を上げた。


「み、皆さん!席に戻ってください!!落としてしまいます!」


 やっと背後の現状に気付いた王国軍の御者が、馬を操りながら肩越しに警告を発する。彼の顔には焦りが見え、手綱を強く打ち付けて馬車の速度を上げていく。




『偵察隊より伝令!上空前方にハーピーの群れを確認、速度を落とせ!繰り返す、速度を落とせ!』


 一見平和に思えた帰路の旅は、四半刻経たずして中断を余儀なくされた。魔道具によって増幅された声が前方から響き渡り、冒険者たちの耳に届く。


「ックソ!雨も降り始めたってのに今度は魔物の襲撃かよ!尽いてねー!」


「文句は後回しにするぞ。馬車が完全に停止すると同時に、我々も行動を開始する。弓使いと魔法使いは前線に出ず、防衛態勢を取れ。前衛クラスは全力を尽くし、非戦闘員を守るのだ!」


「「「おう!」」」


「皆に低ランクのエンチャントを付与するわ。どうか、皆、無事でいてね。」


 彼等の笑顔は一瞬で消え、冒険者たちは即座に戦士の顔に変わった。愛用の武器を手に取り、臨戦態勢を整える。この流れは一瞬で生まれ、一瞬で終わる。それが彼等の冒険者としての生き方。俺も脚に挟んだミスリルソードを手に立ち上がる。この瞬間も馬車の速度は落とし、何時でも停車しそうな雰囲気。


 …止まった。他も感じ取ったらしく一気に引き締める。


「さあ、行くぞ!」


 人知れずリーダーになった男が叫び、同時に全員が馬車を飛び出た。絹糸のような雨粒が顔を濡らす。状況を確認すると他の馬車からも次々と冒険者が外へ飛び出し、周囲の森を警戒している。


「あっちから来るぞ!」


 弓使いが辺りに届く大声で叫んだ。その声は鋭く、冷静でもあった。彼の瞳は遠くの上空を見つめている。目線の先を見れば、70を超える鳥と人間の特徴を併せ持つ魔物が空を巡回して使節団の隙を狙っている。人族の上半身と鳥面の顔、そして特徴的な大きな翼を広げて空高く舞い上がるハーピーは群れを作り、一緒に獲物を狩る危険な魔物。対空攻撃を持ち合わせない低級冒険者では手も足も出せず、生きたままエサとして食われる。


 魔物の群れを視認した前衛クラスの戦士たちは盾を構え、剣を引き抜いた。俺達の背後では、魔法使いが呪文を唱え始め、空気が震えるのを受け止める。


 雷雲で日は陰って、初冬の冷たい風、泥沼に叩きつける雨の音はまるで太鼓の音。


「「「ピイィィーー!!」」」


 ハーピーの群れが空中から襲い掛かってきた。目標の使節団目掛けて急降下すると、その鋭い爪で獲物を引っ掻く。毒塗られた爪を受ければ一撃で運の尽き。


「走れー!!」


 立ち向かう冒険者の叱咤に続いて反撃する使節団の近くへ駆け走る。俺も彼等に混ざってエレニールの元へ赴く。

 弓使いは忽ち矢を放ち、魔法使いは呪文を唱える。一方、全力疾走で間に合った戦士クラスの者達は振るい下ろされる爪を盾で防御、カウンターの一閃で魔物の首を刎ねる。


 戦闘は激しく、緊張感が高まる。だが兵士に騎士、追加で冒険者達は一瞬たりとも気を抜くことなく、ハーピーと戦い続ける。


「ピィロロォー」


 群れの中に鳴き声に魔力を込めて放つ個体も存在していた。


「魔封剣」


 空気を切り裂く不可視な風魔法が馬車に直撃する寸前、俺が振るった剣がそれを分散させ、攻撃を無効化した。


「良くやったショウ。次は此方の番だ」


 俺の気配を感じたエレニールが満足気に笑い。剣を天に掲げる。剣身に宿る稲妻がひときわ激しく轟く。


「武技――雷鳴飛翔斬!」


 エレニールが叫ぶ、瞬間。闇が裂け、一筋の光が走る。


 エレニールが放った一撃で停空していたハーピーは墨の如く真っ黒に焦げていた。勿論生きている個体は一匹もいない


「ふふんどうだショウ。私が生み出した新技の感想は?」


 馬を器用に近くまで寄って来たエレニールは得意げに剣を鞘に収める。彼女の新技は、確かに強力で、その力は彼女の自信を裏付けている。現に一撃を目の当たりにした者達が息が詰まるほど驚いている。


「そうだな…」


 考える振りをしながら身をひるがした俺は剣を振り上げた。空に向かって上昇したその軌跡は美しい光の線を描いて待ち構えていた残りのハーピーを空気ごと斬り裂く。他者から見ると目に追えない速さで振られた剣は音を遠くまで響き渡す。


「…最後まで気を抜かなかったら満点だったな」


「っふ戯け、ワザと其方に美味しい所を残しておいたのだ」


 二人の視線がそれぞれ凝視し合い、やがて両者の口角が歪み、笑みへ変化した。


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