第181話 帰国の旅路

 学園が主催した晩餐会で、婚約者エレニールと共に過ごした穏やかな風が吹くような素敵な時間は、まるで砂時計の砂粒がさらりと落ちるように過ぎていった。日時に表すと今日で六日目。


 その間俺は、エレニールと立てた誓いを心から尊重し、一心に守り続けた。最後に受けた依頼から冒険者へ足を運ぶ事は無く、退屈しのぎに訪れた魔道具店で冷やかしをしたり、美術展に展示された魔法の絵画を気に入り、そのまま画廊に寄って景色が変化し続ける作品を幾つか購入した。存外アートに付けられた値段は高く、思いがけない出費が嵩んだけど後悔は無い。


 ともあれ、魔導国に滞在する期間は数日と残されていない。根拠は巷で飛び回る色んな人間の噂、内容はランキャスター使節団が自国への帰還の旅立ちが近いらしい。

 恐らく都市に流れた噂は事実に等しい、だって――ほら。


「冒険者ショウ殿はお見えなられるか。帰国の旨を示す書状を携えて参りました」


 扉の向かいから来訪した男の声が部屋の沈黙を切り裂く。ベッドより降りた俺は年季が入った染みで痛んだ宿泊部屋の扉を軋ませて開けると、廊下には王国兵士が堂々と立っていた。記憶が正しければその姿は、使節団に同行していたエレニールの忠実な部下の一人だったと俺はすぐに思い出した。兵士の存在は宿屋の空気を一層引き締めて、建物に緊張感を高めていた。実際、何事かと宿主や他の宿泊客が此方を見つめている。


「お勤めご苦労。行事は無事に終えたのか?」


「っは、全ては殿下の見事な手腕の賜物により、つつぐなく完了いたしました」


 誇らしげに答えた兵士に俺は一言「そうか」と短い返事を告げた。


「憶測するに書状の内容は指名依頼に関してか?」


 俺の言葉に首を縦に振った王国兵士は両手に持つ丸められた書状を差しだす。…今の渡し方、エレニールの直筆ではないな。受け取った書状を指先で広げて紙に刻まれた文字を一行一行と追いながら、文の意味を解釈した。


「あい分かった。これより冒険者組合に足を運び、依頼を受注しよう」


 読み終えた紙をそのまま目前の兵士に返した。書き連ねた内容の一文には手紙を拝借厳禁、他の面々にも赴くので即刻、伝達役に書状を返却するよう文面に刻まれていた。

 他にも帰還ルートは行きとあらかた同じで、集合地は魔導列車が行き交う駅。魔都から直接線路を引いたヴェンロン要塞へ直行で列車に乗って移動、彼方に預けた馬車を受け取った後は国境を越えて、再び沼と泥が広がった温地の森を休息取りつつ横断。その後辺境伯が治める街で充分に疲れを癒し、そこから一ヶ月を目安に王都ランキャスターへ到着する予定が練り上げていた。


「了承しました。集合日時は二日後、朝の鐘が九つ鳴った時にいらしてください。では二日後にお会いしましょう」


「ああ」


 踵を返して宿を後にした兵士を横目に部屋に戻った俺は膳は急げとばかりに支度に取りかかる。とはいえ時間はそう掛からない、王都で待つ者達に購入した土産は前々からインベントリーに放り込んでいるし、精々脱ぎ捨てた服を魔法袋マジックバッグに戻し、散らかったゴミを中庭の焼却炉に捨てる位。五分もあれば全部片付く。





「使節団の件ですね。既に承っております、お手数ですがこちらの書類にショウ様のサインをお願いします」


 早速依頼の受ける為冒険者ギルドに向かったところ、対応に出てきた受付嬢にそんな事を言われ羽ペンを差し出される。カウンター越しで対応する人形のように表情を失った受付嬢の正体は結社のスパイ。仮面に似た無表情だが目に込めた殺気を俺にぶつけている。短時間で幹部二名を殺した憎き仇が目の前にいるのだ、無理もない。


「これでいいか?」


「はい、依頼が受理されました。……またのご利用お待ちしております『孤独狼』様」


「ああ、じゃあな」


 無事依頼のやり取りを終えた俺は短い別れの言葉を結社の受付嬢に告げ、この場を後にする。余談だが背中を向けた途端、背後に当たる殺気が重くなったが特に気にする事なく外へ出た。





 ――カアーン、カアーン、カアーン。


「(八回目の鐘、そろそろ出るか)」


 遠くの教会から響き渡る八時を知らせる鐘の音が鳴った。使節団が発注した依頼を受理してから二日後の寒空に四方に澄みわたる時鐘の音と同時に軽く身体を解してから俺は部屋を出た。


「あら?もう出るのかい?」


 宿部屋の鍵を返そうとフロントへ赴くと、今日まで世話になった女将に声を掛けられた。


「遅れる訳にはいかないからな。今までお世話になった、次があればまた訪れる」


「そうかい。ウチも男前の兄さんと会話したら十歳若返った気分だったさ。何時でもいらっしゃい」


 朝の仕事をしながら別れの挨拶を語った俺は外へ繋がる扉を開けて集合場所である駅へ足を進む――。




「あっちか」


 真っ直ぐガヘム駅に向かった俺は駅の入り口から構内へと入ると、広く大きな駅構内の一画に集まった王国兵士、紋章をマントにつけた騎士が交じるグループが目に映った。出発の一時間前こともあり帰りの依頼を受けた冒険者の姿は見えない。


 時間潰しに食料品が並ぶ店に入り、クッキーとストロベリードリンクを購入して店を後にした俺は身なりが整った王国騎士へ向かった。


 近づく俺の姿に気付いた騎士が姿を覗かせる、疑わしげな目つきで俺に視線を送る騎士の口が開いた。


「っふむ?もしや帰還の依頼を受けた者か?名を何と申す」


「A級のショウ、俺の情報が伝わっていると思うが?」


 白銀に輝くギルドカードを見せながら名を告げれば、目を丸くして驚いた表情を浮かべた。


「なんとっ貴殿が噂の…。あい分かった。係の兵士から一般席の切符を受け取ってくれ」


 騎士の言葉に頷き、担当の兵士より列車の切符をポケットに入れた俺は残りの一時間、店舗巡りを再開した。

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