第180話 晩餐会 最後

「――宴の開催を始める!」


 大ホール全域を見渡せる台に姿を見せ、杯を掲げた学園長の声に参加する学生たちもそれに倣い、広場に歓声が起こった。学園長が持つ杯には酒が注がれているけど流石に未成年の学生が飲むのはアルコール含有量1%未満のブドウを絞った果汁ジュースやレモネードを入れたガラスが配られた。


 満足気に頷いた学園長は最後に俺とエレニールに意味ありげに睥睨してから広場に用意された大きめの椅子に腰かける。魔法を学ぶ名門学園の長からすれば王族が絡んだ政情と言え、他国の人間が己の庭に足を踏み入れた現状が気に食わないだろう。特に学園側と表立って反目している冒険者組合に席を置く俺は一層目障りと向けられた視線がそう物語っている。


「エレニールは何か飲むか?俺が持ってくるよ」


 腕を組んだまま、あからさまに空いたテーブルに移動した俺達、横で真っすぐこちらを見つめる婚約者に声を掛けた。突如、話し掛けられたエレニールは特に驚いたリアクションは取らず顔を微かに横へ振った。


「この場合、主催側が雇った給仕人が飲み物を運んでくるまで待つのが一般的。魔導国の習慣では飲み物を勧められて、それを断ることは失礼とされている」


 下界に降りてして慣れない晩餐会に参加した俺の事情を知ってか知らでか扇で口元を隠したエレニールが小さな声で教えてくれた。


「もっとも…」


 しかし、そこから先の言葉は喉元まで出かかっていただろうに、すんでのところで続きの言葉を紡ぐ事を拒んだ。凛とした視線は会場の奥に座る教師陣に向けられている。


「こうした交流会の場では王族に顔を売ろうとエレニールに群がってくると警戒していたが、一向に俺達に近づいてくる気配がない」


 チラチラとこちらを見つめる視線は増え続けているが、誰も近寄ろうとしない。もしくは近寄れないのか定かではない。


「ふふ、皆どう対応して良いのか困惑しているのだ。茶会に参加した私には話してくれたが、ラーヘムに暮らす同年代の王族は少々内気で表舞台に出ない性格のようだ。自国の王族と関りの経験が無い生徒等にすぐさま他国の姫と知己を得ようとするのは非常にハードルが高いのだ」


「ふーむ、そう言うものか。とはいえ、祝勝会の主役は演習を見事成し遂げた生徒達の為なんだ。外様は大人しく無礼講で夜会を楽しもうじゃないか?」


 そう冗談めかした言い方で告げれば、ほんのり笑みを浮かべたエレニールは「そうね、口うるさい近習も居ないことだし、少しは羽目を外して貴方との時を楽しみましょう」と女言葉で返事した。


「そこの君、シャンパンを二つ貰おう」


 丁度近くを通りかかった給仕人に飲み物を頼む。手に持つお盆に乗せたボトルに入った琥珀色の液体、神の嗅覚を持つ俺の鼻には漂ってきたアルコールの匂い。


「は、はい!勿論です!」


 声を掛けられた給仕人の目は、俺たちの顔を交互に見つめていた。若い男性で、制服の襟元が汗で湿っているのが分かる。彼の眼は緊張と責任感の光が宿っている。表情から考えてエレニールの情報が給仕人の間で広まっているようだ。

 シャンパンの泡がグラスに溢れると、若い男性は全神経を使いつつ微笑みながら頭を下げ、静かに「ごゆっくりお楽しみください」と告げてこの場を去った。やや早歩きだがエレニールは特に文句を言わない。極度に緊張した相手のリアクションに慣れている証拠。


「此度の宴に乾杯」

「今宵に乾杯」


 シャンパンが注がれた二人のグラスが合わさる。遠くで教会の鐘が鳴った音がした。



「エレニール様っ‼とショウさん!ご無沙汰しております」


 二人仲良く邪魔されず他愛もない話題を喋り、笑い、うなずき合った。口に含んだシャンパンは甘酸っぱく、体隅々まで行き渡る。すると元気な声で俺とエレニールの名前を呼ばれた。同時に名を呼ばれた方角へ顔を向けるとテクテクした歩きで接近する小さな女子生徒の姿が。


「貴女…確か前回の訪問で初対面した子よね?名前はヴィオレットだったかしら?」


「は、はいっ!覚えてくれて光栄で御座います!ヴィオレット・フランソワ・ミレディリックと申します!」


 たたたと駆け寄った小さき女子は同グループの野外演習に参加して、戦に巻き込まれた転生者。地球の管理者兼娘のメルセデスが暇つぶしに兄弟を誘って作成したゲームにドハマりしてた人間。死後間もない魂をゲームのベースにしたこの世界へ送り込まれた元日本人。

 反応を見る限りゲーム内に登場するエレニールの大ファンだったらしい。


「ふふ、可愛らしいヴィオレット嬢もその若さで演習に参加していたの?素晴らしい才をお持ちね」


 妹好きのエレニールの声音が極めて優しい。裏表がない人懐こそうな愛嬌も感じられる少女に好意を抱かれてエレニールも内心まんざらでも無い。


「ありがとうございます!えっと…演習中は危険な目に遭いましたけど、お隣のショウさんが窮地を救ってくれたのです!ショウさんは私達の命の恩人です!」


 気持ちが高ぶり浮かれた声が周りに響く。『本当なの?』と意が込められた視線をエレニールに向けられたので俺は相槌を打つ。


「まぁ災難だったわね。でもこうして今も元気に動き回っていることは、類い希なる才能に胡坐をかくことなく努力を積み重ねきた貴女の功績よ。とても立派だわ」


「ゔゔぅ…心に沁みるお言葉有り難うございまずぅ~!苦労が報われました!」


 珍しくエレニールが褒め称えたら感謝の余り嬉しくて目が涙に濡れる。歓喜の雫が頬を転がりワインレッドのドレスに落ちる。


「折角の化粧が崩れてしまう、これで涙を拭いてくれ」


 幸せの証となって輝く涙が溢れる光景を見ていた俺は、ポケットから人間の頃飼っていた愛犬が刺繍された白いハンカチを取り出し、そっとヴィオレットに差し出した。彼女は驚いたように俺を見上げ、そして優しく微笑みながらハンカチを受け取った。


「っん、ありがとうございますショウさん!」


 二人の様子をエレニールは口元を扇で隠し、目のみ言葉以上の何かが通じていた。



その後、女性陣はガールズトークに勤しんでいると楽士隊が奏でる曲が変化した。直後、広場の各方面で色とりどりのどれを身に纏った女子生徒たちに、スーツに身を包んだ男性たちが、優雅に踊り始める。彼等の動きは、音楽と完全に一体化していた。


「請謁ながら私と踊ってくれますか姫様」


 俺はホールの中央で踊る人々を眺めていたエレニールの元へと歩み寄り、彼女の前で一礼する。そして、大袈裟なジェスチャーで彼女の手を取りダンスの誘いを伝えた。彼女は驚いた表情を浮かべながらも、表情は笑みに変わり俺の誘いを受け入れ、二人で共にダンスフロアへ足を踏み入れた。その瞬間、周りの人々の視線は彼ら二人に集まった。


「っふこの私を誘ったのだ。月並みの踊りでは許されないわよ」


「田舎生まれにハードル上げないでくれよ。っま、頑張ってみるさ」


 ダンスフロアに足を踏み入れると、ニヤリと挑発染みた笑みを浮かべたエレニールに俺も精一杯の笑顔を返す。手を取り合う俺に伝わった胸が弾んだ気持ちを感じる。彼女の表情は、俺に対する深い愛情と、これから始まるダンスへの期待感を表していた。俺もエレニールの笑みを見て、自分が最も幸せな現人神であることを実感する。

 そして、俺は彼女を引き寄せ、手を引き、つむじ風の如く踊り始めた。まさに一夜限りの夢のような時間、俺らが魅せた舞姿は、その晩餐会の大ホールを更に華やかに彩った。

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