第179話 晩餐会 その7
部屋に入って来た彼女の姿を見た途端、星を管理する現人神の視界は綺羅星に満たされた。エレニールの姿は、月あかりの下で輝く白鳥の如く、美しく、優雅で何とも言えないオーラを放っている。
「ほう…良く似合っている」
眼前の光景に、我知らず感嘆の声が漏れる。普段俺が表さないリアクションに満足気な表情を見せるエレニール、事実彼女の姿は俺の心に深く刻まれ、記憶に永久に残るだろう。
エレニールが身に纏うドレスは、静かな湖畔の表面を反射する深い藍色、切り取った夜空に星々を散りばめたような美しさできらきらと光を反射していた。ドレスに使われた素材は、光を受けると微妙に色を変え、動くたびに様々な色の藍色が広がる。ドレスはそれだけで豪華絢爛な空間を生み出していた。
ドレスは彼女の体にフィットし、その曲線を美しく強調させている。デザインはシンプルでありながらも、その色と素材が高級感を演出している。スカート部分は広がり、デコルテが大きく開いた艶のあるドレスに金糸の刺繍が散りばめ、エレニールのに近しい大粒のルビーのネックレスを掛けている。腰に巻いたサッシュにはランキャスター王国を象徴する紋章のバッジを佩用している。
見間違いじゃなければ首に巻き付けたネックレスに埋め込んだ宝石は俺が前にプレゼントした物と瓜二つ。気に適って結構。
はめた手袋は上等な布で仕立てられており、扇にはドレスと同色の飾り紐が結ばれている。
「其方もとてもお似合いだ。普段より一段洗練されて見える私自ら選んだ甲斐があった」
そっと目を下げた彼女の瞳は上向きに流れ、俺の方へ視線を向ける。照れくさそうに頬を柔らかな桜色に染めたエレニールの表情が内面の感情を静かに物語っている。その赤みが増すごとに、彼女の魅力がますます際立って俺の心をくすぐる。
「エレニールが選択した正装なのか?選んだセンスの良さに感銘を受けたよ、ありがとう」
素直に褒め称えつつ感謝を告げると、照れた頬の赤みが増した。エレニールは開いた扇で顔をそっと隠した。しかし、その静寂は短くやがて「気にするな、私が良かれと思って選んだだけだ」とぶっきらぼうに言葉を返した。
彼女の姿に神らしからぬ愛おしさを受けた俺は一歩、二歩と近づく。
「ショウ…」
照れ隠しで開いた扇の裏側から目だけ出し俺と視線が交差する。深紅の瞳は、扇の裏からこちらを眺めていた。――そして二人の距離は縮まり唇と唇が触れる寸前、既に顔を遮る扇は無い。二人だけの時間がゆっくりと流れ、周囲を音は無音へと遠くなり…。
「えっ――姫様⁉」
「――ッ!」
閉じ忘れた扉の向こうから突如聞こえた声がエレニールを正常に戻し、人間離れした動きで離れた。又もや扇で顔を隠すが露出した耳が真っ赤に染まっている。
「んっ、うむ…か、肩に埃が付いていたぞショウ。大勢が集う晩餐会に汚れを付着させたままでは無礼に当たる…次回より、ショウが行動に移す前には、より注意深く気を付けたまえ」
実に無理がある弁明を述べたエレニール、二人を迎えに部屋を訪ねた侍女は言葉を返さない代わりに微笑ましく笑みを浮かべて、俺とエレニールを見つめていた。その笑顔は、暖かな日差しのように心地よく、長年一緒に過ごしたエレニールに注ぐ目は慈しむ眼差しで見守っている。
「さ、大ホールへ向かうぞショウ。恐らく私達が最後の招待客となる」
待合室から出たエレニールの手を握りしめ、俺達は長く続く廊下を歩き出す。彼女の手を一定の強さで握り続けているといつの間にか、俺の腕を絡ませてくる。顔を正面へ向けながら一緒に進む婚約者へ一瞥すると彼女の笑顔は朱を含ん夕空に照らされ、髪がさやさや風に靡く。パーティー会場に到着する間、俺達は言葉を交わすことなくただ互いの存在を感じていた。
「あの扉の向こう側がパーティー会場」
「既に私達以外の面々は食事を共にしつつ交歓を楽しんでいるようだ…入場の準備は良いかショウ?」
「問題ない、行こう」
正面に立ちはだかるのは、高さ三メートルを超える壮大な扉。閉ざされたその扉の向こうからは、ざわめきが聞こえてくる。どうやら、俺達がパーティー会場に入る前に、二人の正体が既に知らされているようだ。
「行くぞ」
「ああ」
内側から開かれた扉を通り、大国の王女と腕を組んだまま、俺たちは優雅にホールへ進んでいく。天井に幾つも吊るされたシャンデリア、カットした水晶が魔法蝋燭の光を反射して幻想的な光のカーテンを作り出している。全体が渡って煌々と照らされた大広場は、豪華な料理が並び、美麗な音楽が流れる様は殊更に非日常感を演出させている。使用されている石材の色の違いを利用した美しい幾何学模様が施された床は汚れ一つなく磨き上げられている。
当然ながらこの催し物は野外演習に参加した者たちを称える為のもので、集まった来訪者の大半は学生が占めている。
言うまでもなくVIP待遇として会場に登場した俺とエレニールに集中される視線。もし視線に物理的な圧力があれば身体に穴が空くんじゃないか程に視線を集めている。
「素敵…。王女殿下の御姿を拝謁できるなんてっ」
「彼方の殿方が王女様の婚約者なのかしら?お顔も非常に整っていらして羨ましぃわ。私も同じ演習グループに選ばれたかったわ」
「ほえぇ―、あんな風に美しい美男性居るんやな。彼の顔面を一度見たら最後、他の男共が猿に見えちゃうぞ」
「王女殿下の美しさは、月あかりに照らされた夜の海のように、深く、静かで、魅力的ですわ」
集まった女子生徒たちはキャッキャッと興味津々に己の興奮を共有し、一緒に語り合う声、実に生き生きとしている。
「(一方…)」
エレニールと華やかな会場を進む俺を睨み付ける男子生徒等の視線。その視線は明らかな悪意…だけではなく、欲情といった下卑た視線を向けている。
「……アイツが王女様の婚約者か。っはん!パッとしねえ野郎が格好つけやがって。何様のつもりだよ」
「全くだ、王女殿下と腕を組むなんて、羨ま――生意気だ」
「同意、同意。噂ではアイツ下民の生まれらしいぞ。運よく力に恵まれた位で王族に近づくなど傍若無人!名家嫡男の俺と結ばれるのが筋だろう」
「ああ、エレニール殿下、今宵も美しい…じゅるり」
男子生徒の眼は俺がエレニールと腕を組んでいることに対する嫉妬と不満で燃えている。しかし、俺とエレニールは彼等の戯言を無視し、二人共に堂々と会場を進んだ。
「皆さま揃ったようで…只今をもって親睦を深める宴の開催を始める!」
広場の奥で一段高い位置に姿を見せた学園長らしき長い髭を蓄えた老人が厳かな口調で広場に浪々と声を響かせた。
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