第178話 晩餐会 その6

 石畳やタイルなどで綺麗に舗装された道路を進む一台の小型馬車。二人専用の馬車に腰を据えた俺と同車したエレニールの元で働く下級貴族出身のメイド。宿で衣服を剥ぎ取った時からよそよそしい態度をするメイドと同行する狭い馬車では会話の一つ無い。狭い空間に焚かれた香が充満している。ほんのりした自然の香りは強すぎず、微弱すぎない丁度良い匂い。


「香を焚いているのか?」


「え…あ、そうです」


 車輪がものうい単純な音を立てて鳴く中、思い切って聞いてみた。いきなり話しかけられたメイドは言葉が詰まったが、そこはプロ、見事立て直した。


 「こちらの香炉で香料を加熱させています」


 柱の一部を慣れた手つきで動かし露わになった隠し収納に収まった器具を見せた。漂う煙から干し草の匂いが鼻に入ってくる。自然に近い匂いからして中に刻んだ香木は伽羅に近い。


「どこか安心させる良い香りだな」


「気に入りましたか!」


 ふむ?話題作りに香木を褒めるとメイドのテンションが急に上がった。


「実は実家の領地で採れた木なんです!此度の長旅を懸念した領主の父がわざわざ特産物を送ってくれたのですわ。特に獣人が暮らす東方連邦で好まれており、向こうでは少量の木粉でも白金貨が動くと聞き及んでおります。光栄にも姫様が御気に召す香りです」


「…成る程、確かに心地よい芳香だ。ランキャスター王国に帰還後、俺も購入しよう」


「お買い上げ有り難う御座いますショウ様!領民も喜びます」


 屋敷に住まう銀弧が気に入れば継続取引を検討するのも良きかな。

 …話題を変えてみるか。


「ところで、王女殿下は既に学園へいらっしゃるのか?」


 エレニールと一緒じゃない時は呼び捨てで彼女の名を言わない。例え婚約者でも親しき仲にも礼儀あり。幾らエレニールと親公を深めて有れど、この場に居ない王族を軽々しく呼んでは不敬罪に値する。王より叙爵された貴族当主であっても公の場で白昼堂々みだりに王族を呼び捨てすれば即日処刑、一族郎党連座で全員打ち首と非常に厳しい処遇を受ける。


「その通りで御座います。姫様は只今魔術学園の生徒会長と談話中かと存じ上げます」


「生徒会長…?どんな人物か知っているか」


 野外演習に参加した生徒達に生徒会長らしき人物は居なかった。違う演習会場に参加したのか、参加を見送り学園に残っていたのか定かではない。


「ええ、ラーヘム魔導国第二王女ミサ・ディ・ラーヘム様。両殿下は幼い頃よりお知り合いの間柄であられます」


 これは驚いた。自国の姫を野外演習に参加させないのは推して知るべし。




「お話し中失礼ショウ殿、学園に到着しました」


 やがて緊張が消えたメイドと他愛もない会話を交わしていれば馬車がゆっくりと停止し、御者席に座る騎士から到着を知らせる声が聞こえてきた。


 馬車の扉が開き、新鮮な空気が流れ込んできた。目の前に広がる魔法学園の建物は、その存在自体が魔法の様な美しさを放っている。壮大な建築は、古代の城を思わせる堂々とした姿、白と金色の大理石が贅沢に使われた外観は太陽の光を反射して輝いている。門の向こうには広大な中庭が広がっている、色とりどりの花々が咲き乱れ、磨き抜かれた噴水の周りには魔法を学ぶ学生たちが集まって遊び、交流している。建物の最上階には大きな天文台らしき突起が見えた。…成る程これ程豪華な建物に通う学生たちにとって魔法学園は最高の学びの場。


「それでは待合室まで案内します」


「ああ頼む」


 俺の後ろから降りたメイドに従って学園の敷地内を歩く。礼服に身だしなみを整えた自分に注がれる学生たちの視線。その視線の種類は頬を赤く染めた女子生徒の好奇の目、嫉妬で怨念の籠った眼で睨む男子生徒で分割していた。


「ねー見てあの人!凄い魅力的な偉丈夫が歩いている!」

「まぁ本当ですわ、気品に満ち溢れた貴公子ですこと。上級貴族の子息かしら?」

「あれ程美貌のお持ちならきっと名の知れた殿方に違いありませんわ!」

「っけ!澄ました表情見せやがって、どうせ性格クソ野郎の地方出身者だろ!」

「だな、第一何故部外者が学園の門を潜ったんだ?もしかして初めての魔都で迷子かぁ?」

「っぷ、迷子とかダセェ~!」


「人気者ですねショウ様」


 エレニールの共で働くメイドも俺に集中する視線を肌で感じ取ったのか、此方を憐憫な目で訴えた。


「平気だ。慣れている」


 あらゆる感情を含んだ視線に晒される中、長い廊下を進みメイドの案内に付いていけば『待合室』とプレートに書かれた扉に辿り着いた。その扉は古木で作られ、細かい彫刻が施されている。扉のノブをメイドが回し、静かに扉を開けた。


 部屋の中に足を踏み入れると、暖かい日差しが窓から差し込み、部屋全体を明るく照らしていた。部屋は広々としており、中央に配置されたテーブルの上に菓子が入った皿が置かれている。


 部屋には誰も居ない。メイドに疑問を投げると冷静に教えてくれた。


「姫様は衣服直し中と連絡を受けています。どうか準備が整るまで此方の待合室でお待ちください」


 それなら仕方ないと、呟く。その声に抵抗や不満はなく、納得と受け入れの色彩が混ざっている。


 …そして、メイドが出て行って凡そ15分が経過した時。扉に近づく気配を探知する。


「私だショウ。入るぞ」


 扉の向こうから聞こえてきた声が部屋の静寂を破った。その声は期待と緊張を高め、心が揺れている。

 待ち人は自ら扉を開き、部屋に入る。


「お、お待たせ」


 神の眼は部屋に入って来た綺羅星に奪われた。

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