第168話 大野外演習その34
「……なにこれ」
太陽は既に水平線の彼方へ沈み、地上が厚い闇に閉ざされた時刻。ランキャスター王国より冬の訪れがやや早い魔導国の夜は渡る風が霜冷えする程、気温が冷たくなる。雲ひとつ見当たらない夜空の下、防寒魔法が付与された魔道具を発動している冒険者、学園より支給された外套に身を包む教師陣は兎も角。油で煮ることで硬化された革鎧の上に、急所を覆うように金属製の帯が走った防具を身に着け、寒さ対策に動物の毛皮で首元のみ温めた革命軍には厳しい環境だろう。
流石に軍の上司各は寒さ耐性が施された高性能アミュレットを装備している。
しんと冷えた外の夜、上半身裸で特攻を繰り出すゾアバックに分厚いマントを羽織りつ下は半袖、前腕を被さった籠手を着用した俺。第三者が見れば何とも初冬に満たされた空間を舐めているとしか言い表せない格好の二人が決着が付かない攻防の時が随分過ぎ去った頃。
高所から突如聞こえてくる、年端もいかない少女特有で雲雀のように甲高い声が言霊と成って死地と化した戦場に小さな波紋をもたらした。
「アぁ?」
対峙するゾアバックは戦場に畑違いな声が聞こえてきた方角へ視線を向けたので、俺も彼に沿って顔を振り向く。負傷者や白兵戦に不向きな学園教師陣が固まった丘陵地帯の高所から約50メートル離れた位置から森を抜けてきた人影。宙に浮かぶ
学園が支給する学生用のローブに全身を包んだ男女陣の姿が六名。その内二人は俺と名を交わした人物。恐怖を感じる弱々しい言葉を呟いた背が一番低い女子生徒は必然にもメルセデスが発売したゲームをプレイ済みの転生者。
神の視角を持つ此方の瞳には生徒達六名全員が恐怖に満ちて蒼く強張った顔に、血管が膨れ上がり血の気の引いた唇を固く結んでいた。声は出ず、膝はしきりに震えて立っていられない。
…無理も無いだろう。教師を追って戦場へ駆けつけたら、眼下に悪夢のような光景が広がっているのだから。無数に積まれた魔物の死骸、血と臓物が振りまく匂い、バケツからぶちまけたような勢いで血が飛び散り、零れ落ちた臓器と肉片が地面の染みと化した人間の肉体。正に死屍累々といった有様だ。
突如訪れた戦の急変にいち早く気を正常に戻したリーダー役のリーバスが恐怖に支配されて口を利けない生徒等に思い切り声を張り上げる。
「君たち其処から離れろ‼この場は危険だ!」
耳に響く大声を上げたリーバス、しかし恐怖にすくむ生徒達の身体は板のように硬直し動くことが出来なかった。
「魔獣ども、手土産に学園の生徒等を虐殺しろ!女は捕らえて人質にする!」
「ッチ!待ってろ今助けに行く!」
革命軍本隊後方にて指揮を執る壮年の隊長が指揮棒を姿を見せた生徒へ向けて命令を出した。所持した指揮棒も一種の魔道具なのか、魔物産みの蛙より誕生した魔物が素直に行動する。人間であれば高レベルの前衛職業が両手を使ってようやく振り回せるであろうサイズの斧を、まるで爪楊枝を振るが如く両手にそれぞれ構えたミノタウロスが二匹、地響きと共に突進して一直線に生徒へ向かっていく。巨体のミノタウロスはCランク以上の狂暴な魔物、一匹でも生徒全員を粉砕するのに十分な戦力だった。
状況を視認したリーバスが咄嗟に発動した高速移動術を使って50メートル以上の距離を一瞬でゼロにする。槍武器から変化させた魔法双剣を掌に納めたリーバスはミノタウロスの横に移動すると、時計回り体を捻る。闇夜を光で照らした刀身は一条の筋を描き、外から内へと横一閃に薙ぐように振るわれた。肩から先だけで振った攻撃は回避する暇を与えず刃は分厚いミノタウロスの外皮を断ち割って切り進み、斜め上に胴体を二つに分けた。
反撃する間を与えずに一匹倒したリーバスだったがもう一匹のミノタウロスは死んだ仲間を気に止めたのは一瞬たりとも無く、口から涎を溢れさせながら荒れ狂って生徒達へ向かう。指揮官が持つ魔道具は錯乱状態を起こす代物なのか?
「ハア…ハァ…魔力がッ!」
長時間休息を取る暇も無く戦い続けたリーバスだったがここに来て魔力の限界が訪れた。体内に蓄積した魔力は底を尽き、湯気が立たんばかりの汗が顔中濡らす。両膝に手を置いて苦しそうに、肩を上げ下げして呼吸するリーバスだが、ミノタウロスの突進は一向に止まらない。寧ろ速度を上げて生徒との間合いを詰める。
絶望の兆しが生徒の瞳に侵食する手前、恐怖を克服した最高学年の勇敢な男子生徒が一歩前へ進んだ。口を堅く結んで決意を胸に、その足はしっかりと地に着いている。ホルダーから手に取った短杖を銃に見立てた構え、片眼を閉じて、まるで照準器があるかのように目標を定める。
「
最大物量の土魔法を唱えるが、直撃したミノタウロスを少々怯ませたが大したダメージを与えられない。そもそもミノタウロスの全身を覆い被さる毛は高い魔法耐性を補っている。叩くならば魔法より物理攻撃が理想。
「何ヲしている貴様…」
攻撃範囲まで近づいたミノタウロスは今まさに、生徒等に対して襲い掛からんと斧の斬撃が繰り出される。人間六名の五体を切り裂くには余りある威力。刃先が肉体を掠めれば衝撃だけで人体に破壊的ダメージを与えるだろう。教え子たちの絶対的危機に教師の悲鳴が響く。――だがそんな未来は訪れない。
「光の魔力よ汝の灯は守護する盾と成り弱き者を守護せよ
振り下ろした斧より早い速度で唱えた光魔法の遠距離応用術で離れた生徒の前に光の壁を生成、傷一つ付ける事もなくミノタウロスの斧を防ぐ。ダリア経由で俺が光属性の魔法も使えると結社に知れ渡るが、中級神のショウはこの星に住まう善を守り、正しき道を広げるのが役割の定め。特に愛娘メルセデスがわざわざゲームのベースとなった此方の世界に転生させる程、心に留まった『ヴィオレット』を易々見殺しにするのは父親失格。もし今回の件で娘に嫌われたら実際何が起こるか俺ですら測定不可。
「ッハ!自主的に余計なお荷物を抱え込んだな『孤独狼』ショウ!遠慮なくその隙突かせてもらうゼェ!」
「させん」
俺の弱点を見つけたばかりに凶悪に変化した顔面に凶々しい笑みを浮かべたゾアバックは踵を転じて巨体をの体をバネのように跳ねて――飛び跳ねる直前に伸び切った右足の脹脛を握り締めた俺に妨害された。
「ックソ!…反――!」
薬によって強化した反射の能力を発動より先に地面へ叩きつける。肺に強く衝突したらしく息が詰まって呼吸も上手くできていない。
『(そろそろ決着を付けて良い頃合い…か)』
ダリアの様子を観察していたが結社を裏切る積もりは皆無でも俺と敵対しない事は理解した。常識内に力とレベルと落とした戦いも風代わりに一興の時であった。
『ナビリス…□□□の準備を』
長く謳歌した依頼を終了される通達をナビリスに送った。周囲の無数の人の目とダリアのみ認識できる幻鳥を欺く終焉の一撃を。
『あとがき』
近状ノートにナビリス&エレニールのAIイラストを添付しました。初AIなので至らぬ点ありますがお手柔らかに。
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