第167話 大野外演習その33

 毒が塗られた可能性を視野に入れて布越しに掴んだ見えない矢インビジブルアローを掌中へ収めたリーバス。彼は何処か悲しそうに落胆した眼差しを高所から攻撃魔法を降らせる学園教師陣と共に支援したE級の青年に向けた。

 学園より先んじて森に跋扈する魔獣の間引きの際には誰よりも進んで雑用を引き受けた面倒見が良い新人冒険者。今回の依頼に集まった誰よりも美味い料理を提供してきた成人を迎えたばかりの若人が番えた弓を再び引こうとしていた。革命軍に情報を流していた裏切者は、その恐怖に染まり切った表情で明らか。


「ショウはここに残って敵将の足止めを頼む。俺は…ギルドの一員として責務を全うしてくる」


 これ以上溢れ出す感情を無理矢理蓋を閉じたリーバスは俺が返答する間も与えず、足に集中させた魔力を爆発させて目にも止まらぬ速度で高所に一直線へ駆け抜ける。目の奥底は覚悟を決めていた。義を示す男に助言や文句を言う権利は誰も持たない。自由を求めて人生の道を選んで進むのが冒険者の存在意義。


 …それに、相手側の準備も整ったらしい。


「待たせたなぁジジィの仇、否ッ『孤独狼』ショウ‼。あれ程激痛を味わったのはお前で二人目…お陰で俺様は更なる成長を遂げた!」


 遺跡跡の入り口から暴力的な負のオーラをまき散らした結社の幹部、ゾアバックの完治した姿で俺の目先に飛び込んできた。宙に拡散した土煙の中より表れたゾアバック、切り落とした手首は綺麗に繋がっている。辛くも回復ポーションが間に合ったようだ、欠けた耳輪も元通り回復している。


「足らんぞ未だ足らん、贄が足らん!…更なる高みへのし上がる俺様の糧とナレェ!ショウ‼」


 理由はともあれ、気付けば餌認定された俺。此方に視線を縫い付けたゾアバックがニヤッと唇の端を上げて笑えばズボンのポケットに手を突っ込むと何を取り出す。錠剤…?


「結社で開発された新薬、借り物を服用するのは癪だがテメーを此処で殺す」


 それだけ告げたゾアバックが手にした薬を口中に入れた。


「ぅぅぅううおぉおおおおおオオ!」


 食道を通り過ぎた錠剤が体の中で溶け、全身に行き渡ったゾアバックに異変が起こる。不意に喉から血を出しながら低く獣めいた声で呻いた。肩の三角筋が異様に浮き出し、全身の筋肉が増幅していく。見上げる程の堂々とした巨躯が更に膨張していく。最後に綺麗に剃った頭部より悪魔に近しい禍々しい紫黒色の角が頭皮を突き破り生えてくる。


「体中に漲る膨大な暴力…これが魔大陸に住む魔将軍の血肉から抽出した薬の力か、なんと心地よい」


 人体の比例を無視した大きさまで膨張したゾアバックの皮膚は張力の限界を超えた末、亀裂が蜘蛛の巣のように走っている。想像以上の強化に手を握って開く動作を確認して手応えを実感するゾアバックを俺は黙って眺めていた。


「おぉ!使者殿の何とも素晴らしいお姿で。同士達よ我らも使者殿に続いて切り札、今使う時!魔物産み蛙の召喚儀式を準備せよ!」


 全身の筋肉が盛り上がり、周囲の空気を歪ませる程に澱んだ魔力を放出するゾアバックの姿に感動の涙を浮かべた革命軍の指揮隊長が兵たちに何かを命じた。魔力で強化した聴覚より聞き取った魔物産みの蛙と言う言葉、記憶が正しければ中大陸列強諸国が同意した禁句魔物複製法の一種だった筈。


 形状は巨大な蛙系の複合体魔物キメラモンスター。全長は易く見積もっても4、5メートル以上、分厚く覆われた皮は断熱性、断寒性に優れており。粒状物質による摩耗耐性も相俟って近接武器では傷を付けるのは至難の業。


 最後に『魔物産みの蛙』を禁忌魔物と戒めた最大の特徴…開いた口より無限に産み出す魔物の群れ。召喚指輪部隊が召喚した方法とは根本的に違って蛙の場合、生存している限り地底に付着する魔物の記憶を把捉して産み続ける。一匹でも大都会に持ち込めば一夜にして大虐殺を可能にする邪悪な生物。


「反…二重ダブル!」


 短縮した詠唱を唱えたゾアバックに彫られた蛇の刺青が青みを増して一層明るく輝い…て、俺の横腹寸前まで拳が迫っていた。移動速度も随分強化されている。ともあれ此方は星を管理する現人神の身、タダで殴られる訳にはいかない。


「流の舞」


 彼の攻撃が届く直前に腰を捻じながらサイドステップで拳を回避、半円を描くように剣を振りかざし左足を踏み込んでカウンターの一撃を膝に叩き込む。ミスリルの刃がゾアバックに当たった瞬間、これ程までに無い強制力を味わった俺の全身が後方へ押し戻される。


「強化したのは肉体に限らず反射の能力も反映されたか…」


 三秒間宙に飛ばされた俺は一回転して地面に着地した後、軽く呟いた。


 「ガハハッハこれでテメーも理解しただろ!万能の力を得た俺様に敵無し!分かればサッサとその命、貰う!反…三重トリプル!」


 ニヤけた口角を深く刻んだゾアバックが再度、短縮した反射の詠唱を唱える。今度は三重の反射、同レベルに落とした実力で奴を狩るのは少々骨が折れる。と言っても些細な小骨に過ぎないが。


「ッうら!」


 一度目の攻撃で己に自信が付いたのか再び駆け出して大雑把に動き回り、俺の視角を撹乱して意識が逸れた方角より奇襲の隙を狙っているのが見え見え。ゾアバック自身隠していないが。

 …右、上、背後、左、上…此処。


 猫手に曲げた手刀で飛び上がって空気を足場として反射、勢いをつけた拳を上方から俺の頭を潰そうと繰り出す。半端な実力者が正面切って防げば反射の衝撃で背骨が木端微塵に砕ける威力を持っている。それに太陽の位置はゾアバックの真上、灼けた円盤が眩しく目を射る。俺に脳が搭載されていればこの瞬間勝敗が決しただろう。残念だが俺には効かん。


 「水の魔力よ底に集まりし裁きの水を用いて我が敵を捕縛せよ『ウォーターバインド』」


 俺は高速で近づくゾアバックよりも早く魔法の詠唱を完了する。充分に勢いをつけた拳が眼先に迫った直後ゾアバックの背後より水色の魔方陣が浮かび上がれば、水で生成した紐が彼の首と手足に巻き付いて地面に叩きつけた。


「うおっ⁉」


 叩きつけた威力は乾いた土の埃が雲のように立つ、捕縛魔法は反射の能力に効果があった模様。ゾアバックにダメージを与えた感触が全く無いが。


「タマンネーよ孤独狼!それでこそ俺様の糧に相応しい男ッ、もっともっと!テンション上げていくぜェ!」





 それから暫く、俺達の攻防は休息も取らず続いた。太陽は早くも水平線を滑り下り、日差しは没して頼りの光は魔法使いが唱えた光の玉が戦場を照らしている。


 当初緑の大地に覆われた土地は禿山の頂のように、草がなく、剥き出しの赤土がサラサラと光った場所へと荒れた。決定打が決まらない中、時間だけが過ぎ去り革命軍で戦く無傷の兵士は皆無。兵士が召喚した魔物の群れはとっくに討伐済み、魔力消費が激しい魔道具を続け様に使用した指輪部隊は元々魔力量が低いこともあり総員微睡の中へ、沈んでいった。


 あれだけ数の不利だった冒険者側。死者こそ出てないが疲労が溜り見るからに動きが鈍くなっている。

 今もまともに動けているのはリーダーのリーバスに後方より襲い掛かる魔物を掃討するダリア位。二人とも魔物産みの蛙が吐き出した群れの対処に追われている。


 決着が付かず膠着状態が長引く時だった。


「……なにこれ」


戦場には不似合いな鈴のような女性の声が響き渡った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る