第134話 その頃エレニールは
魔都ガヘムの正門より王城まで一直線に続く石畳の道路、開ききった門の向こうに伸びる一本の広く幅を取った道を進み続ければ、いずれ王族が住まう頭一飛び抜けた建物が前方に見えてくる。それは青空が広がり、その空の色を映した三日月型の湖が遠くに望める。鏡のように澄み切った、青い湖の中央に浮かぶ小さな島、その上に佇んだ恐ろしく巨大な…そして、思わず胸が熱くなってしまうように美しい城が、そこには鎮座していた。まるでおとぎ話の世界から抜け出してきたかのような、城。
多くの人の行き交う魔都の大通りを一直線に進めばやがて陸地と王が住まう王城を繋ぐ一本の大橋を進む際、魔法使い達の主な移動手段である箒による飛行術の使用は原則禁止にされている。城に用がある者は掛けられた橋手前に箒から降りて目測三百メートルの大橋を地面に足を付けて移動する魔法使い達の光景が毎日見ることが出来る。
基本は王権国家なので全権は王にあるが、魔法が全てと国策に走る国柄、王家に然程権力は無く実勢は魔導評議会が握っている。あくまで受任される程度のものらしい。しかし、強い権力は無くとも国民に希望の象徴として内乱も起らず、皆からの評価も高い。長年敵対関係にある中央大陸最大宗教国家、ロスチャーロス教国からちょっかいを仕掛けられる以外は穏やかで平和な小国。
魔都ガヘムに辿り着いたエレニール王女は初日に国の主である魔導国の王に謁見を終え、宴会後は手配された寝室で長旅で疲れた体力を回復する事となる。
昼間から夕方まで用意された貴賓室で過ごすエレニールは部下達に命令を指示したり、手元に届いた手紙、報告書に目を通して溜まった公務をそつなくこなすエレニール。周囲の人間より使節団総団長と肩書を持ったエレニールは軽視される訳にはいかないと、休み暇が無い日々を過ごしていた。
魔都ガヘムに到着して五日目の夜。陽は沈み、闇がたちこめている。部屋から繋がった浴場にて、夜の入浴で癒されたエレニールは清清しい気持ちで寝室に戻り、バスタオルで身体を一通り拭く。着替え用の棚に置かれたフリルの突いた空色のワンピースに腕を通し、部屋に設置された化粧台の前に腰を落とした。
「
「ええ、まだ濡れている部分があるから乾かして頂戴」
化粧台の椅子に腰かけたエレニールに声を掛け背後に寄って来た一人の女性。小さい耳の斜め後ろ高い部分でくくられた黒色の髪。濃い藍色の、上品なロングワンピースにオフホワイトのエプロン。彼女は王都ランキャスターより連れて来たエレニールお付きとして世話係の侍女であった。
エレニールが乳飲み子だった頃より可愛がり、親身になって世話をしてきた専属侍女はある意味家族以上に信用を寄せている。侍女の名はヴェロニカ。
エレニールの流れるような黄みの強い赤色の髪を整え始める侍女。何時も緩く三つ編みにしてうなじの上で巻き上げて留めた髪は解かれ、背中まで届いた髪をブラッシングで軽く毛先から丁寧に、同時に手慣れた手つきで外側から薄く髪を手ですくって、とかしていく。
「…それでヴェロニカ、明日の予定は何が入っているの?」
気持ちよさそうに目を細めるエレニールは目の前の鏡に映るブラシでゆっくりと髪の波に沿ってブラシで梳く専用侍女ヴェロニカに尋ねた。世話係であるヴェロニカはエレニールのスケジュール管理も行っている。
「明日の午前は王妃殿下が催すお茶会にご参加する事になっております」
「王妃様の他に魔法名門家の令嬢達も参加するお茶会よね?…花を観察して詩を読むより剣が似合う私が参加しても喜ばれるかしら」
「…ご無礼ながらも然程気にされないかと。割と引き籠りがちな令嬢達からすれば――自ら武器を持ち、お国の為、兵の先頭に立つ姫様は眩しく、尊敬に値する人物です」
「そう…ふふ、そういうものね。なら当日のコーディネイトも考えてもらえますかしら」
「はい、かしこまりました。すぐに手配をいたします。それと午後にはイヴァルニー魔法魔術学園にて半年に一度行われる魔法のお披露目会からも招待されておりますが…ご参加なられますか?」
「……そう、ね」
一度目を閉じて考えるエレニール。しかし、直ぐに答えを出した。
「私も魔導国の芽吹き始めた若い才能の魔法使いによる魔法の披露会は求知心があった所よ。王国軍の魔法師団部隊が知らない新たな魔法を先んじて見られるかもしれない良い機会だわ。彼方には話を通して頂戴」
「畏まりました。即座に部下に先触れを送ります。…それより姫様、御髪が伸びましたね」
ブラッシングを終えたヴェロニカは濡れた髪に温風を送り出すヘアドライヤー型魔道具をエレニールへ当てていると、彼女の髪の長さが前より長くなっている事に気付いた。
「…私の勘だけど、ショウは長髪の女が好みだと思うから伸ばし始めたの。変じゃないかしら?」
幼児だった頃から世話を見てきた王女に舞い降りた初めての恋にヴェロニカは胸にときめきを覚え、嬉しさに動かされて反射的に微笑む。その表情は愛する妹に向けた家族愛。
すると婚約者であるショウの名が出た事で一つ思い出した侍女ヴェロニカは髪を整えながら正面に腰をかけたエレニールに告げる。
「婚約者殿で思い出したんですが、姫様宛の手紙を部下より預かっております」
「ショウから?内容は確認したのかしら」
「そんな恐れ多い…、それにどうやら恋文らしいので彼方の机の引き出しに入れておきました」
愛しき男からの恋文に思わず頬に赤みを見せたエレニール。即座に咳をする仕草を取れば崩れた表情を凛とした顔に戻した。
「そ、そうか。ならば就寝する前に確認しておこう。うん、何か大事な報告が書かれているかもしれないからな」
「そうですね」
肯定した侍女の目元には親しみが籠った笑みを浮かべていた。
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