第92話 迷い人

唸り声をあげ、高速で木の間を移動し獲物の隙を狙うと首へ目掛けて、鋭く伸びた爪を振るう。


「ふッ!重てぇ攻撃だか!俺には足らんぞ!!」


全長三メートルを超え。顔を凶暴に歪めた狼型の魔物が人の姿をした餌を目掛けて、頭上から振り下ろした爪を一振りの長剣で受け止めるルードサイファ。

岩をバターの如く簡単に切れそうな鋭さを持つ爪で引っ掻かれば彼の防具事真っ二つに切断されるだろう。

しかし、魔力を纏い身体強化で超人じみた筋力を維持する今のルードサイファにはどれだけ剣を押し込もうと彼の腕はピクリとも動かなかった。それどころか逆に魔物を押し返した。


「絶閃一刀ッ!」


筋力で押し返した魔物の毛に覆われた無防備の腹が目の前に晒される。樹海に転移されてから極限状態が続く戦闘でほぼ無意識で魔物との攻防を繰り広げているルードサイファが一瞬の突いた隙を逃す筈無く、長年剣だけを振り続けた彼の剣技が炸裂する。


一振り。彼の一振りで狼は胴体から二つに分かれ、そして唸り声をあげていた顔がゆっくりとズレていき最後には首から地面にズレ落ちた。


「はぁ…はぁ…」


樹海で最初の魔物と遭遇してからどれだけの時刻が経っただろう。肩で息をしながらも剣を構え、探索魔法を絶やさない。


――ブーンブン―プシュッ――


背後上空から虫が羽ばたく翅の雑音をルードサイファの耳に届いた。さらに、その虫が何やら吐き出す音と共に。


彼は上空で羽ばたく虫の正体を確認する事も無く、すぐさま前へローリングをすることで虫の魔物が吐き出した何かを回避する。


ルードサイファが前へ飛び込んだ瞬間、背後から爆発音が響いた。爆煙混じりの爆風が体の横を駆け抜けていく。


「くッ!?『魔刃』!」


ローリングの姿勢からすぐさま剣の構えを取る。膝を地面に付いた体勢から横一閃に剣を振るう。刀身に纏わせた魔力が飛び出し、離れた位置で翅を五月蠅く鳴らし空中で停止した巨大な蠅の姿をした魔物の頭が斜めに半分に斬り分かれた。絶命した蠅の魔物から飛び出た緑色に濁った血が後ろの木、そして地面にべっとりと張り付く。零れ落ちた緑のから漂うこの世とは思えない強烈な悪臭に離れた距離から討伐したルードサイファも思わず剣を持たない左手で鼻を抑える。


「なんちゅう臭いだ…血が付着した木も一瞬にして溶けだしたぞっ!……ははっ、今世色々の場所へ足を伸ばしてきたが、俺の運もここまで、か」


勘に頼った羅針盤を信じて前へ進んでいたルードサイファ、高レベルの彼でも無傷でジンソル樹海を探索するのは非常に困難。況してや一人の仲間も居ない状況は正に自殺行為にも等しい。口では弱音を吐きつつも、本音は諦めていなかった。



――ブーンブン―ブーンブン――ブーンブン―ブーンブン――ブーンブン―ブーンブン――ブーンブン―ブーンブン――ブーンブンブーンブン―ブーンブン――ブーンブン―ブーンブン――ブーンブン――ブーンブンブーンブン―ブーンブン―ブーンブン――ブーンブン――ブーンブン―ブーンブン――ブーンブン――ブーンブン――ブーンブン――ブーンブン―ブーンブンブーンブン


「…マジかよ」


―ああ、運命とはどれだけ過酷な試練を受ければ済むのだろうか―


肩と膝に付いた土や雑草を手で払い、羅針盤の針が示した先へ進もうと前へ進もうと一歩前に踏み出した瞬間、遠くからうっすら羽音が風に乗って聞こえてくる。

耳を澄まし音の出所に、神経を集中させた。聞こえてきた方角へ顔が振り向かれる。音の正体へ視線を飛ばした瞬間、ルードサイファの顔が段々と青ざめた。


そう、聞こえてきた羽音の正体は先程、顔面を二つに斬り落としたハエ系の魔物から零れ落ちた緑色に濁った血に誘われたハエの集団。華麗に天に聳える樹木を躱しながら追いかけてくる。


「何処まで…やれるか知らねぇが。今回ばかりは魔法使用を解禁するか――!」


実は彼が五歳になった頃、教会の洗礼にて授けられたステータス画面には剣術スキルの他に氷魔法の文字も示されていた。しかし、剣一本に絞っていたルードサイファにとって魔法は邪魔者以外の何物でも無く。彼が成人するまで氷魔法は一度も使ってこなかった。


騎士団の仕事で万物を凍らす氷魔法のレベルが低かった理由で一人の少女の命を救うことが出来なかった事件から彼は魔法にも手を出してきた。それでも戦闘では極力使わないと自分に枷を付けていた。


「氷の魔力 汝の敵に寒冷の柱を 降り注げ『アイシクルレイン』!」


剣を持たない片方の腕が、魔法を唱えると共に振り下ろされた。



「はぁ…はぁ…はぁ、はぁ…はぁ……死ぬ。まじで死ぬ」


雲一つ見えない青空の下に一つ、大の字で寝転がる男性の影が周辺の村人は絶対に近づかない樹海の中にいた。髪は泥だらけ、身体中に見える傷口から流れた血が固まった後。革製の服装は血がへばり付いており、ボロボロに千切れている。周囲を見渡せば所々にクレーターだらけ、根元から溶けた木々。無残にも壊れた防具の部品は派手にぶちまかれて。


数えるのも馬鹿らしいほどの氷の槍が無数に突き刺さった、原形を留めていない魔物の集団。決して手から離さなかった剣には血と油がべっとりとこびりついており戦闘の後半は最早斬る、と言うより急所目掛けて叩き付けていた。


「み、水…水が飲みたいぃ」


魔法鞄に入ってたポーション類は全部使い切っており、生活魔法『水生成ウォーター』を唱え飲み水を生成しようとしたが彼の魔力も空っぽで何も起こらなかった。普段は持ち歩いている水筒も今回に限って宿に置き忘れていた。


「じっ、畜生ぅ。付近に川や、湖があれば…!」


残った力を振りしぼって大の字姿勢からまず両足をくの字に曲げて地面に付ける。次に右手に持った剣を突き刺すと最後に、胴体が起き上がる。


地面に突き刺した剣に支えられながらも立ち上がったルードサイファは喉の渇きを潤す為、水場を探してゆっくりと進み始める。無数に散らばった魔物の死骸は剥ぎ取りもしなずその場に置いていった。今の彼に死骸の処理する気力は全く残っていない。


暫く樹海の中を歩き腰の高さまで伸びた雑草を剣で二つに分けていると、そうそうと水が流れる音が耳に届いてきた。


「(川だ!川がこの先にある!!)」


 流れる水の音を聞いた瞬間、へとへとだったルードサイファは一瞬にして元気となり。水が聞こえる場所へ駆け出した。それでも体力は少ないのか、掛け走る姿はおぼつかない様子だった。


「(うめぇ~!今まで生きてきて一番美味い!!)」


 やっとの思いで透き通った水が流れる川を目に捉えたルードサイファは豪快に顔面ダイブを決め、川の水のグイグイ飲み始めた。顔を水中に突っ込み、浴びるように水を飲む。


「っぷああぁ!!あぁ~生き返るぅ~」


 満足するまで飲み続けた彼が顔を上げた。樹木の葉っぱから漏れた太陽の日差しが彼の体に当たり、体力が少し戻る感覚を覚える。

 

 これで、もっと先に進めると思った最中。


「痛てッ!な、何だ……ッツ!?」


 川から顔を上げた次の瞬間、太腿にピリッとした痛みを感じたルードサイファが痛みの原因を確認しようと振り向く。


 そこには蛇。いや、只の蛇では無い。危険度Cランクはあるであろう猛毒を体内に持つ蛇系の魔物が彼の太腿を齧り付いていた。


「ッくそ!!」


 魔物から喰らった攻撃を認識した途端、太腿から広がる強烈な痛みで上手く体が動かなかったが。長年訓練してきた剣でブレること無く脳天を突き刺した。

 途端に景色が揺れる。そう、毒だ。魔物に噛まれた際に魔物に猛毒を流入された。不運にも解毒剤を切らしていたルードサイファ。立ち上がろうと足に力を入れるが、立ち上がることが出来ない。


「(ああ、本当にここで俺の探検は終わりか……もっと探検したかったなぁ。食べてないメシも、行ってない国もまだまだあったのに…ああ、ここまでか)」


 目も見えなくなって意識を失う間近。彼は内心後悔しながら暗闇の眠りについた。

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