第87話 本戦 その12

――パリンッ!


 その音はまるで地面にガラスを落とし、砕けた破裂音がスピーカー越しに会場に響き渡った。


『――ッツ!!』


 その音が聞こえた次の瞬間、万を優に超える歓声が闘技場を支配した。突然の歓声に横で腰で深く下ろし、美味しそうにパンケーキを食べていた銀弧が思わずペタンと狐耳を塞いでしまう。可愛らしい反応を見せてくれた銀弧、しかしこのままでは流石に可愛そうなので部屋の周りに音量調整の結界を張る。


『ああっとお!?惜しくも準決勝に敗れた二名の猛者!デトロア選手対シエル・ロンベル選手による3位決定戦は!『魔導士』シエル選手が繰り出す強力なルーン魔法によって近づく暇も無く、デトロア選手の魔道具の破壊を確認!今大会、名誉ある3位に決定したのは、大陸中に知らしめた異名通りの素晴らしいルーン魔法を使いこなし、見るもの全てを魅了する風貌!その名は…シエル選手!!』


 興奮した美人司会者が震えた手に持ったマイクに叫ぶように実況を続ける。


――どああああああああぁぁ!!――


「「シエル様あああああぁ!」」


 勝利宣言の直後、観客席から祝福するような大歓声が上がる。観客の中には感動するあまり、泣き出す女性の姿もここからバッチリと確認できる。


 すると、立っている限界も近かったのか。ルーン魔法使いシエルと対した巨体の男、デトロアがその場で仰向けに倒れた。


 彼の状況に会場の一角からは悲鳴らしき声が上がる。今まで応援していた会場へ若々しい白い歯並びを見せ優しい笑みを浮かべながら手を振っていたシエルは意識を失うように仰向けで倒れたデトロアの傍まで近づき、荒々しく呼吸を取っている彼へ手を差し伸べる。


 差し伸べられた手に一瞬焦点の飛んだ目を見せたデトロア。だが彼は差し出した傷一つ見つけられないエルフ族特有のほっそりとした色白の手を強く握った。


 その様子に今度は黄色い女性の悲鳴が先程とは違う場所から聞こえてきた。その悲鳴の中に男性の声も含まれていた事は気にしないでおこう。


 肩を組んだシエルと彼に敗れたデトロアが選手用の出入口へ消えていき、未だ興奮しきっている美人司会者のアナウンスによって今日の試合は全て終えた。明日は闘技大会最終日、いよいよ最強を決める決勝戦が開始される。準決勝が終了した今なお、会場から立ち去った観客はそう多く無く。明日の決勝へ向けて周りの人々が一か所に集まり、所々で会話が行われている。会話は息が弾み、彼らの顔には楽しみで仕方ない晴れ晴れした笑みを見せていた。とあるグループでは真剣な表情を見せどちらの選手に賭けるかと、選手のデータが乗った資料と睨めっこしている瞬間も此方から見受けられる。


――コンッコンッコンッ。


「ショウ、私だ。入るぞ」


 メイドが注いでくれたレモネードで喉を麗し、隣に座るナビリスと銀弧の三人で何も意味なくボー、と闘技場を眺めていると突然のノック音が扉から聞こえてきた。俺が入室の許可を出す前に勝手に扉を開き、一人の絶世の美女が護衛の騎士数名を連れ添って観客室へ入ってきた。扉の傍で待機している護衛係の戦闘奴隷達も既に見慣れた光景なのか、突如現れた彼女の姿に取り乱す事も無く流れる動作で床に敷かれた厚く柔らかいカーペットに跪き、無言で頭を垂れる。


「やぁエレニール。昨日のドレスも似合ってたけど、そっちの軍装姿も似合ってる」


 部屋に入ってきた婚約者でお姫様エレニールにそう声を掛ける。今日の彼女は可愛らしいドレスは来ておらず、恐らく彼女の好みであろう軍装の格好だ。髪色と同じ赤を基調としたその軍装は、襟や袖に金糸で飾り模様が縫われているものの、原則動きやすさと頑丈さを追求した代物。服の全身に魔力が流れていることから魔方陣も組み込まれている。軍服の厚めの布地で作られているが、エレニールの豊かな胸元や、鍛えられた大きめの臀部を隠しきることは出来ない。まして、腰には俺が献呈した神剣プロメテウス(レプリカ)を下げる必要性から、竜の革で鞣した大きめのベルトでギュッとウエストを締めている。剣専用に作られた鞘は高ランクの魔物から剝ぎ取った高級素材が使われ。ブーツはもしもの時汚れても良いように黒く、金属特有の光沢が太陽からの日で反射している。


 とても目の場所に困りそうな格好をしている第三王女。もっとも、祖国を愛する民たちは決して彼女に不埒な視線を向けるはずもない。


「素直な誉め言葉感謝する…ありがとう。それより少し話す時間はあるか?」


 彼女を褒めると恥ずかしくなったのか頬をほんのり赤く染め、誤魔化すように話を変えてくる。


「勿論平気だ。何か問題でも起きたのか?」


 空いているソファーへ座らせて、取り敢えず疑問に思ったことを尋ねる。


「…ふふ、つれないなショウ。何か問題が起きないと婚約者であるお前と話したらダメなのか?」


 メイドが注いだレモンティーを一口啜ると、何やらからかう微笑みを見せ言い返す。


「冗談だ。…うむ、美味いな。いいレモンを使用しているが…甘味はこっちの方がちょっぴりと強めだが、ハルロペ産のレモンか。料理長に同じレモンがあるか聞いてみるか」


 俺をからかう仕草を見せたのは一瞬のみで、直ぐに何時もの凛とした表情に戻った。喉に流し込んだレモンティーが気に入ったらしく、王国を代表するお姫様から直々に美味いと褒められたメイドが感動のあまり泣き出してしまう。メイドも奴隷に落ちてから直接王女から褒められるなんて思いもしなかっただろう。しかし、メイド姿の奴隷が泣き出してしまったので周りの空気が何とも言いにくい雰囲気に陥ってしまう。褒めたエレニール自身も思わず泣き出すとは思ってなく、珍しく俺にチラチラと助けの目線を送ってくる。


「まあ、俺もエレニールと話したかったから丁度良かったよ。話題は変わるが、明日はいよいよ決勝戦だな。決勝にはランキャスター代表の選手は残らなかったが、エレニールはどちらが勝利すると考えている?」


 折角の年に一度だけ開催される闘技大会。せめて俺の周りでは楽しんでいて欲しい。


「うん?ああ、そうだな…実を言うとその事で話があったんだ」


「どうした?」


 今度は言いにくそうな表情を見せる彼女に、何処か不穏な感じを覚えた俺はテーブルの上に置かれたマカロンを一つポイッと口に含むと、口腔内から鼻先へ、花の精のような芳香がすっと抜けて出た。


 うん~銀弧が気に入る理由が理解出来る。日を追うごとに調理が上手くなってきてる。流石俺のナビリス。


「色々あって明日の決勝戦に特別司会者ゲストとして私が決勝の解説をすることになった。だから…非常に残念だが明日の試合は一緒に観戦出来なくなってしまった。随分と悩んだけど、私とて国の王族。愛する国民に恥を晒す事は出来ない」


 実質王国代表のシエルが敗れ、結局はバンクス帝国代表の勇者。相手はカサ・ロサン代表の召喚術士アルルの対決となった。成る程、開催側として決勝に開催国の選手が出ないのは王国としても不味いことなんだろう。…人の国は何時の時代でも柵や無駄なプライドが前に立ちはだかる。


 書物でも良く主人公が王へと成り上がる物語を数多く読んだが、神になり魂を書き換えれた俺には理解する事が出来ない。今でもAランク冒険者として目立っているが、星を管理する現人神が下界の王になるよりかはマシだ。


 おっと、話が余計な方向へ行ってしまったな。

 

「そうか、俺もエレニールと一緒に観戦するのを楽しみにしていたが、理由が理由だ仕方ない」


「すまないショウ。代わり、と言っては何だが。アンジュとティトリマが私の分まで此方へ遊びに来るつもりだ」


ん?


「モフモフ大好きのアンジュが来たいのは薄々分かってたが、第四王女ティトリマ姫も?」


「ああ、って何だそのモフモフ大好きなアンジュとは」


 アンジュは銀弧の尻尾で遊びたいとして。会ったことも話したことが無いティトリマはどうしてだ?

 ただの興味半分か…、それとも何か別の理由。


「気にするな、しかし俺とティトリマ姫は一言も喋ったことは無い。そんなお姫様がどうして俺の所まで?」


「う~ん私もティトリマが普段何を考えているか知らないからな。彼女が突然ショウと「会いたい」と言われた時は私の耳を疑ったぞ」


 言い終えたエレニールが苦笑交じりにマカロンを一つ手に取る。


「そっか。まあお姫様が何人遊びに来ようと俺は気にしないが。それどころかナビリスが腕によりをかけて美味い菓子を大量に作ってしまうぞ」


「ショウ様、適当な事は言わないで下さい」

『ショウ…後で覚えておきなさい』


 彼女の言葉に黙秘権の行使を使用しておこう。


「ふふふ、確かにナビリスが作る御菓子は絶賛するほど美味いからな。明日大量に口に出来る二人の愛妹が羨ましいよ…」


「王女殿下、そろそろお時間でございます」


 更に会話を続けようと口から言葉が飛び出てくる瞬間。扉の傍で待機していた騎士の一人が声を掛ける。


 騎士の言葉に一瞬不機嫌そうに口を尖らすがそこは長らく王族の教育を受けている王女様、俺達以外に気付いた者は居なかった。


「それは残念だ。それではショウ、明日は妹達の事を頼む」


 騎士に反発することなくソファーから立ち上がり、立て掛けていた神剣プロメテウスを腰に収める。


「ああ、任せておけ。エレニールも決勝の司会頑張れよ」


 俺も彼女同様にソファーから立ち上がると、観客が誰も見ていない瞬間を見計らって頬に軽く唇を当てた。


「ッツ!…う、うん。あ、ありがとうショウ!」


 隙を付いた突然のキスに顔を真っ赤にしたエレニールが早歩きで部屋から出て行った。彼女を追いかける騎士数名一度後ろを向いて俺を睨み付けると激しい舌打ちをしてそのまま彼女の後を追っていく。


『私にも日頃の感謝を込めてキスをくださいね?』


『ああ、勿論』


 明日には闘技大会最強を決める決勝戦が始まる。

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