第15話 女たらしイアソン


 アルゴ号の乗組員たちが商売の振りをするのに熱意を捧げている間、イアソンはせっせとおめかしをしてメーディア姫の下へと通った。

 王宮の監視の目はついていたがそれほど厳しくはないのを知って、イアソンはメーディア姫がこの王宮の中ではそれほど大事にされていないことを理解した。

 コルキス王アイエーテースの長女はメーディアだったが、メーディアの弟のアプシュルトスこそがコルキス王家の跡継ぎとしてすでに決定していた。

 古代ギリシアの時代、男女同権を実現していたのは意外なことに軍事国家スパルタだけで、その他の都市国家は実質上男尊女卑主義がまかり通っている。コルキスも例外ではなく、メーディア姫はその男勝りの性格と能力にも関わらず、コルキス王の後継とは見なされてはいなかった。

 イアソンがメーディア姫に易々と近付けた背景にはそれがあった。コルキス王に取っては、この口うるさい娘がどこか遠くの王国の王子の下にでも嫁いでくれれば、それで厄介払いが出来ると考えていたのだ。

 この絶好の機会を逃すようなイアソンではない。故郷で鍛えた口説きのテクニックを全て使って、ここぞとばかりに攻め込んだ。

 実を言えば、イアソンが人よりも優れてできることと言えば、これしかない。

 甘いマスクに、気のきいた贈り物。ちょっとした上品なジョークに、さりげない優しさの演出。大きな街とは言え、結局はドが付く田舎のコルキスにおいて、最先端を行くギリシアの中心地から来た優雅な若者である。さらに言うならば、今回に限り使い放題の予算と、遠い国の王子という背後に後光の射すような肩書が付いている。イアソンは王子とは名ばかりで、その実、故郷のイオルコスでは王位を伯父に簒奪されているただの冷や飯食いなのだが、ここではそれを知るものはいないのだからお構いなしだ。

 海千山千のイアソンの大攻勢に懸って、メーディナ姫は三日で落ちた。いや、彼女の名誉のために付け加えるなら、最初にアルゴ号の船上で一目イアソンを見たときから、彼女は恋に落ちていたとも言える。

 イアソンが甘い思いにたっぷりと浸ってアルゴ号に帰ると、船室の中で本日の戦利品を見せびらかせている光景に出くわした。

「隊長、見てくださいよ、これを」一人が差し出したのは黄金色に輝く見事な羊毛だ。

「なんと、もう盗みだして来たのか」イアソンは驚愕した。

「まさか」皆がどっと笑った。

「市場で売っていたお土産品ですよ。結構高かったですが。ただの羊の毛皮に金粉がまぶしてあるだけの代物でさあ。おまけに大きさも形も本物そっくりに作ってある」

 申し分の無い品だ。イアソンは感心した。

 黄金の羊の毛皮を盗み出すこと自体は可能なのだ。問題はその後、それを持ってコルキスの軍隊の手を逃れ、アルゴ号と共にイオルコスに帰れるかどうかなのだ。

 そのためには毛皮を盗んだ後、偽の毛皮を置いておくのが一番の策だった。完璧な偽物が最初から用意してあるなら、わざわざ新しく偽物を作りだす必要はない。

「食糧と水の積み込みは終わってます。それに荷物もあらかた売りつくしました」とは会計を任されていた航海長。

「だいぶ儲けて、だいぶ使って、結局はまあ、とんとん、と言うべきところですかね。それでも帰りの航海には十分ですし、銀貨の重みで船が沈むほどでもない」

「偵察は済んでいやすぜ」舵取りが報告する。

「お目当てのお宝は、山ん中に建てられた神殿の中にありやすぜ。お頭」

「誰がお頭だ」イアソンは思わず突っ込む。「俺は海賊の頭か」

「アルゴ海賊団」誰かが言い、皆でどっと笑った。

「冗談はさて置き、神殿の中にわざわざ木を植えて、その木に金の羊毛をかけてあるんでさ。問題はその木の傍にいつもいる見張りで。なんだと思いやす?」

 答える前にイアソンはニヤリとした。

「小型ドラゴンだろう。名前はシェンダロス」

 その場に居合わせた全員の顔に驚きの表情が浮かぶのを見て、イアソンは心地よい満足感を覚えた。

「メーディナに聞いたんだ。何でもあのドラゴンを育てたのは彼女らしい」

「でも、でっけえドラゴンですぜ」おずおずと舵取りが言った。

「育てるのに七年かかったらしい。彼女以外には懐かないと言っていたな」

「凶暴そうに見えましたが」

「人見知りする性質らしい。今までに殺したのはたったの十人だ」

「火も吐いてやしたが」

「空腹になると腹にガスが溜まってそれが出るそうだ。火力はせいぜいが建物がまる焼けになる程度らしい」

「で、それで何の問題もないと」

「メーディナが抑えていてくれるぞうだ」

「計画をばらしちまったんで!」全員が合唱した。

「彼女はこちら側の人間だ。それにおれが故郷に連れて帰るし」

 またもや全員が絶句した。

「良い娘なんだよ。妻に迎えたい」とイアソンは弁解した。

「後の問題は何だ?」航海長が話を切り替えた。

「港を出たら、一度逆の向きに船を進めて、進路をごまかす。シュプレーガヌスの海峡を俺たちが抜けて来た事はばれていないから、迂回してそこを抜ければ万一盗みがばれて包囲されても突破できるだろう」

「天候もしばらくは大丈夫」マストの上が居場所の見張りが断言した。

「神々への祈りは欠かしていないな」

 少なくとも大英雄ヘラクレスに関してはアルゴ号はゼウス神の不興を買っている。だが、神々は物事を忘れやすい。人間に対して深い恨みは抱くが、相手が誰だったかを長くは覚えていられない。神々とはそういうものだ。だから、船の上に自分たちに向けた祭壇があることを知れば、取りあえずは怒りの矛先を反らすことはできる。


 とにもかくにも、コルキスの至宝、黄金の羊毛を盗み出す手立ては揃った。

 アルゴ海賊団の行く手に栄光あれ!

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