第9話 イアソンの決意
「・・というわけだ」
アルゴ号の船室奥深く、主だった乗組員を前に二日酔いで苦しむ頭を抱えたままイアソンはだいたいの説明を終えた。二日酔いがひどいと、最初は最悪の事態に思えたものでさえどうでもよくなることに、イアソンは少し驚いていた。
「つまり、この島の王様は海神ポセイドンのバカ息子で、おまけに殴り合いが大好きな殺人狂。月に一度は人を殴り殺さないと気が済まない、ってことですね」甲板長が簡潔にまとめた。
「今夜がその祭りの日だ。昨夜がその前夜祭で、街の連中に取っては生贄となる者とのお別れの宴でもある」イアソンが引き継いだ。
「ただし、誰か強そうな旅人が通りかかったときはそいつが身代わりとなる。我々はそれにすっぽりと嵌っちまったというわけだ」
「実は昨日そのアミュコスとやらをみかけた」と航海長。「こっそり様子を見に来たんだろうな。背が高くて筋肉質。でも見かけは普通の人間だ。腕が何本もあるわけじゃないし、鱗が生えているわけでもない。いわゆる怪物の類じゃないな」
「だからポセイドンはアミュコスを溺愛しているんだろうな」どことなく悟った口調で一等航海士がつぶやいた。「とにかくポセイドン神の子供には怪物が多い。その中でアミュコスは比較的に人間に近い」
「神の力を持っていると言っても怪力の類だろ。これが不死身とか再生だと、倒すことも殺すこともできないが」航海長が指摘した。「アミュコスは倒せないわけじゃない。武器も効き目があるだろうし、毒を飲ませることもできる。水の中で溺れさせるのだけは無理な気がするが」
「一番大きな問題はそこじゃないことは知っているだろう?」
押さえつけさえすれば二日酔いの痛みが減るとでも言うかのように、自分の頭を絞めつけながらイアソンは口を挟んだ。
「そのバカ息子を親馬鹿のポセイドンが溺愛してるってことだ」
「俺の小耳にはさんだ話なんだが」大きな耳をした漕ぎ手頭が言った。
「ほら、この街の道路って綺麗に敷石て舗装されているだろ。あれは昔はただの道だったんだってよ。ところがある日、幼いアミュコスが道で転んで泥だらけになったもんで」
「父親が怒って嵐を起こしたんだ!」と話を聞いていた一人が言った。
「いや、魚を獲れなくしたんだろう」ともう一人。
「残念でした」ゴシップを流す者の常でさんざん焦らしてから漕ぎ手頭が秘密を明かした。
「正解は怪物スキュラを送り込んで街を一つ消し去った、です」
船室を重い沈黙が支配した。
「スキュラ、と言うと、あの足が犬の頭になっている化け物の大蛸か」
イアソンが呆れたように言った。
「超大物クラスの怪物じゃないか」
「子供が転んだから街を一つ滅ぼすだって」とは航海長。「もう親馬鹿なんて話じゃ収まらないな」
「じゃあ、アミュコスを殺したりしたら」暗い面持ちで一等航海士がつぶやいた。
「殺すまでやる必要はない。顔にアザを作るだけでも十分だ」
イアソンが冷たい口調で結論を述べた。
「俺達は皆殺しにされる。それに誰も気づいていないかもしれないが、このアルゴ号は基本的に船だ。そしてポセイドンは海の神様だ。ポセイドンを怒らせれば、アルゴ号はどこにも行けないし、水の上に浮いていることもできない」
「アルゴ号を捨てて、島の一番高いところに登れば」と航海長。
それにイアソンは頷いた。
「少なくとも命は助かるだろうな。ありとあらゆる海の怪物が押し寄せるまでは。あるいは島そのものが海の中に引きずり込まれるまでは。何せ相手は神様だ。ポセイドン神を抑えようと思ったら、それよりも強い天界のゼウス神か、冥界のハデス神ぐらいしかない。この中の誰か、実は強い神様が親父でしたとか、母親でしたとか、そういう秘密を持っていないか?」
「イアソンの旦那」急に明るい顔になって舵取りが言った。「そう物事の暗い面ばかりみちゃいけませんぜ」
「この話のどこに明るい面があるっていうんだ」
「アミュコス王が要求しているのは大英雄との一騎打ちなんですぜ。つまり、最悪の場合でもイアソンの旦那が一人死ねば、俺たちは助かるという理屈です」
部屋の中に明るい空気が復活した。どことなく部屋を照らすランプの光まで明るくなった。
「そうだ。確かにそうだ。俺たちは何を悩んでいたんだ」
航海長がばんばんと音を立ててイアソンの背中を叩いた。
「頼みますぜ。旦那。ここが英雄の力のみせどころです」
「待て。待て。待てまて待てまて」イアソンが押しとどめた。「お前たち何を言っている?」
「何って」ぼりぼりと耳を掻きながら航海長が答えた。「これが世に言うところの絶対多数の絶対的幸福ってやつですぜ」
「ただの少数意見の圧殺じゃないか」イアソンは抗議したが、無視された。
「よく考えてくだせえ。旦那はこのアルゴ探検隊のリーダーなんですぜ。だから少数意見ではなく、リーダーの責任の下に行われる決断ってことになるんです。なあ、みんな!」
部屋に居た全員が頷いた。
イアソンは逃げ出そうと部屋の扉へ向けて走ったが、背後から無数の手が伸びて彼を床に抑えつけた。こうなるともう二日酔いどころじゃない。
扉が外から開くと、水夫の一人が顔を出した。
「あの、お取り込み中のところすみません。たった今、島の王宮から伝令が来まして」
足下で必死の形相で暴れているイアソンを見てぎょっとしてから、慌てて後を続けた。ここで何が起きているにしろ、さっさと義務を果たして巻き込まれないに限る。
「アミュコス王からの提言、というか命令です。アルゴ号には五十人の英雄が乗っていると聞いた。俺はその五十人全員を同時に相手にして見せる、とのことです」
「物事の明るい面を見よう」イアソンの顔が意地悪な笑みで満たされた。「これで俺たち全員、運命共同体だ」
誰かがポカリとイアソンの頭を殴った後、イアソンを解放して立たせてくれた。
「何かいいアイデアはないか?」とリーダーに戻ったイアソン。「代案が無いならばまず俺たちがやることは」
皆が静かになった。
「時間稼ぎだ」イアソンは一人頷いた。
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