第19話




 魔法毒の事件から半月が経ち、今日はルナンダの率いる隊商がゴルナゴを出立することが決まっている。暖かな春の陽気に包まれて絶好の旅立ち日和だ。

 ハウエルと恋人になった翌日、その日の護衛の終了時にルナンダの求婚をはっきり断ろうとしたのだが止められてしまった。答えはもう分かっている、けれどそれは出立の時に聞かせてほしいと。それまでどうか、変わらず護衛を続けてくれないかと。


(私には分からないが……ルナンダ殿にはこの時間が、必要だったのだろうな)


 東門に並ぶ荷馬車の行列はすべてルナンダ達のものだ。彼らが買い集めた品の中には魔道具も多く、中から外へ運ぶには少し時間がかかる。ひとまとめにして持ち出そうとすると魔力量が多すぎて防壁に阻まれてしまうのである。そのため内側の荷馬車から外の荷馬車へ一つずつ運搬しなければならない。

 不正な持ち出しが行われないよう騎士に見張られながらの作業になるものの、後ろ暗いところのない者には余計な緊張など必要ない。淡々とした荷運び作業が行われているそこから少し離れた場所で、私とルナンダは二人で向き合っていた。

 付き人たちの声にならない【頑張ってください、若君!】という応援と期待には応えらないため少々申し訳なくなる。あとは付き人たちの方の護衛についているロイドがそわそわ落ち着かずに心配しているのが珍しい。……彼のふきだしである【最後の最後に二人きりにしてしまうとは不覚……!】の意味はよく分からないが。



「わたくしの我儘にお付き合いいただき、ありがとうございました。……ご返答をお聞かせください」

【分かり切っているのに、未練がましいな俺も】



 微笑むルナンダのふきだしに少し戸惑う。初めは確かに、彼は私に好意など抱いていなかったはずだ。しかし魔法毒の暗殺未遂以降なんだか少し違うような気がする。……それでも私の答えが変わることは、あり得ない。



「申し訳ございませんルナンダ殿。……貴方には、他の方と幸せになって頂きたい」


「そう、ですか。……最後に理由をお尋ねしてもよろしいでしょうか。わたくしの……俺の、何がいけませんでしたか」



 私の前では常に丁寧な一人称を遣っていた彼の変化に驚きつつ、首を振る。彼が悪い訳ではない。商人として真面目に働き、その才能を持ち、部下に慕われる人柄でありながら弱い部分もあって、同情してしまう程の過去を持ちながらそれでもしっかり立っている。大変魅力的な人間であろうことは間違いない。



「ルナンダ殿は素晴らしい人だと思います。ただ……私にはこの人でなければならない、という相手がいるのです」



 ルナンダがどれほど素晴らしい人間であったとしても、私がこの世で最も大事にしたい人は別にいる。それは素直ではない性格をしていて、態度も口も悪くて、けれど根はとても優しくて可愛い人だ。もう恋人関係になったというのに、この見送りの仕事に行くのにもやきもきして嫌そうだったのがふきだしに全部出ていた。私が他の人間を好きになるはずもないのに心配性である。



「……俺はとても余計なことをしてしまったようですね。申し訳ございません」


「いいえ。それに気づけたのはルナンダ殿のおかげでしたから。……お礼を言うのはおかしいのかもしれませんが……ありがとうございます。私は貴方に出会えてよかった」



 自分の持つ好意の種類を理解できたのも、ハウエルが私を守ってくれる存在だと気づけたのも、全部ルナンダがきっかけだった。彼に出会わなくてもいずれは気づく時がきたのかもしれないけれど今この時の幸福があるのは彼のおかげなのである。

 しかし、それを自覚して他人に話すというのは気恥ずかしいもので、誤魔化すように照れ笑いなどを浮かべてしまい余計に恥ずかしくなってきた。自分の恋について話すというのは慣れないものだ。



「……ああ、やはり。俺は余計なことをしてしまいました」

【俺を知って貰うどころか逆にこの御方を……手に入らないものほど魅力的に見えるものだな】



 苦笑したルナンダが彼の国の流儀で一礼して見せる。頭を下げる一瞬、唇を噛んでいるのが見えたけれど何も気づかないフリをした。それがきっと、お互いのためだろう。次に顔を上げた彼はいつも通りの穏やかな笑みを浮かべ、そこにほんの少しの哀愁を漂わせているだけだった。



「しかし、俺も貴女に出会えてよかった。一度国へ戻り……すべてを綺麗に片付けて、またこの国を訪れます。その時にまた、お会い出来れば幸いです。それまでどうか、ご健勝をお祈り申し上げます」


「ええ、私も……ルナンダ殿の健闘を祈ります。また、この国でお会いしましょう」



 片付けるというのはルナンダの立場を狙う兄弟との争いのことだ。それをするために彼は今回の仕事を早々に切り上げて自国へ帰る決断をしたのである。

 遠く離れた地で戦うことになる彼を助けることはできない。私はこの国に守るべきものがあり、ここを離れることはできないからだ。……だからせめて、彼がまた元気にこの国へと訪れる日がくるように神に祈るくらいはしよう。



「レイリン様。こちらを」


「これは……」


「先日のお返しです。……貴女に涙を拭われ、背中を押していただいた恩、一生忘れません。ありがとうございました、レイリン様」



 何やら立派な木彫りの箱を渡された。中には一目で高級品と分かるハンカチが納められており、赤い花と緑の蔦の美しい刺繍が施されている。こんなにいいものを貰っていいのかと戸惑いそうになったがこれは彼の感謝の気持ちが籠っているのだ。受け取らない方が悪いと思って受け取ることにした。



「それでは、お元気で」



 そう言い残して背を向けたルナンダがこちらを振り返ることはもうなかった。遠くでショックを受けている彼の付き人たちのふきだしとその文字が私の強化された目に映るが、こればかりはどうしようもない。

 門を潜ってゴルナゴを出ていく一行をロイドと共に見送ったのち、騎士団へと戻る。今回の任務はこれで終了であり、その報告はロイドが買って出てくれたので任せた。

 すぐに新しい任務が入ることもなく今日は手が空いていたので、久々に騎士団に併設された訓練場へと顔を出す。自主訓練中の兵士が私に気づき、声をかけてくれた。



「レイリン隊長! お疲れ様です!」

【よかった……! あの商人について他国へ行かれたらどうしようかと……!】


「……ああ、久々に稽古をつけようかと思ったんだが」


「! お願いします!」

【是非俺を投げてください!】



 目を輝かせながらふきだしにちょっと特殊な喜び方を表す兵士たちに稽古をつけて、何事もなく一日を終える。ようやく日常が戻ってきたような、ほっとした心地だ。

 だが、今までと少し違うのは帰るべき場所が変わった点だろうか。……いや、仕事帰りに食料を買って魔塔に向かうまでは同じなのだが。


(たしか、今日だと言っていたはずだが……)


 少し弾んだ気持ちは足にも表れるらしい。飛び跳ねるようにしながら魔塔の地下へと降りていく。いつものようにその扉を叩けばいつも通りの顔をしたハウエルが私を出迎えた。



「ただいま、ハウエル」


「…………おかえり」

【夫婦みたいだな……あっ】



 すでにふきだしの魔法を知っているハウエルはさっと顔を逸らした。いまだにこの魔法の制御方法、つまり消し方は分かっていないので常に心を読んでいる状態が続いている。ハウエルからもそれは「もう仕方ない」と許されているし、何ならこれがあった方が円滑なコミュニケーションが取れると分かっているので魔法を止める方法が分かったとしても使っていいと言われていた。



「例の物は届いたか?」


「……届いたけど……本気でここに住むのか?」

【僕は嬉しいけど本当にいいのか……?】



 この魔塔に新しく寝台を入れてもらうよう注文し、それが今日届く予定だったのだ。私は同じ寝室でも良かったのがハウエルの心の準備が出来ていないらしいので、執務部屋の隅に寝台を設置し、護衛をしていた時と同じような部屋割りで寝泊まりすることに決まっている。……つまり、今日からハウエルと私の家は同じになったのだ。嬉しくてたまらない。



「結婚するんだから構わないだろう? それに、好きな相手とは出来るだけ一緒にいたい」



 魔塔なら騎士団にも近いし出勤に問題はない。なにより、できるだけハウエルの傍に居たいのだ。その方がいざという時に守ることができるし、安心する。一緒に暮らしたい理由はたくさんあるし、どうせ近いうちに家族になるのだから早めに生活を共にすればいいと思ったのだ。……これはハウエルも了承したはずなのに何故か動揺している。



【こういうところがほんとレイリンだな……! 好きだけども!】


「はは。私も好きだよ」


「っだからほんと……もういい」

【これ以上は僕が死ぬ】



 私たちの間にもう秘密はない。二人きりでいる時にはこうしてふきだしにある言葉にも返事ができるようになった。今まで堪えていた言葉も話すことができるようになって、とても気分が楽だ。落ち着いて穏やかでいられる、というべきだろうか。ここは本当に居心地がいい。



「今日はハウエルの好きな野菜のスープを作るから楽しみに待っていてくれ」


「……いつでも楽しみですけど」



 そしてハウエルがほんの少し、言い方は悪いものの素直になったのも大きな変化の一つだろうか。知られていると分かった以上隠す意味もないといった様子で、こうして言葉にしてくれるようになったのだ。それが嬉しくて笑顔が零れる。



「結婚式の予定も立てないといけないな。夕食の後に話そう」



 しかし、英雄と大魔導士の結婚ともなれば国中大騒ぎになるのは間違いない。二人でひっそりという訳にはいかないのだろう。目立つのが嫌いなハウエルにとってはかなり大変なことになりそうだな、と私は心配したのだがそのハウエルの方は心配していないらしい。


【レイリンの花嫁姿】


 心配していないというか、ふきだしがこの文字で固定されている。とりあえず私が花嫁として着飾るのを楽しみにしてくれていることだけはよく伝わってきた。



「……楽しみだな?」


「そうだね。……待ち遠しい、と……思う」

【レイリンの花嫁姿】



 ふと。こうしてふきだしが固定されている時は、この文字をずっと考えている訳ではないのではないかと思いついた。この魔法について知っているのはハウエルだけなので彼に尋ねてみるしかない。以前は【レイリンの手料理】で固定されていたし、どういう状況なのか気になっていたのだ。



「ハウエル。さっきから貴方のふきだしが私の花嫁姿という文字で固まっているんだが何を考えている?」


「っ……気にしなくていい!」

【花嫁衣装の綺麗な君を想像してただけなんて言えるか! ああでも全部伝わってるんだろこれ……!】


「ははは。全部伝わってるなぁ」



 言葉ではなく絵として想像していたらふきだしが固定になるのかもしれない。これはまた追々検証していけば分かるだろう。

 しかしそんなことよりも、がばりと両手で顔を覆ったハウエルの白い髪から覗く真っ赤な耳が目を引く。……何故かそれが愛おしくて仕方がない。あれにかぶりついたらどんな反応をするんだろうな、とは思うが行動には出さずに堪えた。それは名実ともに夫婦になってからするとしよう。


(しかし、本当に……幸せだ。ずっとこの幸せが続くといいな)


 魔獣行進に立ち向かって死にかけたあの日、死の淵から生還し彼の横に初めてふきだしを見る前まで。私はハウエルとこんなに穏やかで愛おしさに満ちた時間を過ごせるようになるなんて思いもしなかった。

 何故か嫌われてしまった幼馴染をそれでも守りたくて、ただ体と命を削っていた。今はもう、同じことをしようとは思わない。それではハウエルを悲しませてしまう。


(本当に贈り物だ。この魔法も、今の生活も、満ち足りて……いや、そうだな、もう少し欲を言うと……)


 顔を隠したままのハウエルに視線を向けた。彼は声を発していないが、噴き出す心の声が見えている。



【だってずっと好きだったんだから仕方ないだろ! 花嫁姿だって何度も夢に出てきたんだからな! いや待てこれほんとに現実か? 夢の続き見てない?】



 もう少し欲を言うとするならば、今も声に出すことなくふきだしの中で愛を語り続ける幼馴染がもっと言葉に出してくれるようになる未来が訪れてほしい。

 さすがに強欲すぎるので神には願わないけれど。目の前の愛しい大魔導士殿には願ってみるとしよう。


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ふきだしで愛を語るにも程がありますよ、大魔導士殿 Mikura @innkohousiMikura

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