第18話


 いつものように厨房で食事を摂った。今回は私の料理ではないがこの部屋が一番物が少なく、台が広いので食事に適している。

 ロイドから受け取った弁当には香辛料がよく効いた異国の料理が詰められており、食べ慣れない味であるものの美味しく食べさせてもらった。明日ルナンダに会った時にはしっかり感謝を述べようと思う。

 ただ、辛いものが苦手らしいハウエルはかなりスパイシーな鶏肉の料理に【辛ッあの商人の嫌がらせか!】という反応をしていた。しかし表面上はほんのすこし眉をひそめた程度である。



「それで、今日は何があった訳?」



 食後に何から話すべきかと頭の中を整理していたところでハウエルがそう切り出したので、まずは今日の事件から話すことにした。彼も遅くなった理由が気になっているだろう。どうせ明日には詳細が魔塔に伝わり、彼にも連絡がくるのだろうから先に話していても問題ないはずだ。



「ああ、魔法毒を投げつけられてな。そちらの処理で遅くなった」


「………………は?」

【今魔法毒って言った? しかも、投げつけられた……って……体調は!? 治癒魔法を……!】


「毒は当たったが当たってないというか……それでハウエルに礼を言わなくてはいけないと思って、今日どうしても会いたかった」



 【何の話だ】と言いたげな、というよりふきだしで問うてくるハウエルに笑いかける。私が笑うと彼は動揺してしまうのだが、今はこの表情を堪えるのは無理だ。私はそれだけ今回のことが嬉しかった。



「貴方の防壁に守られたんだ。ありがとう、ハウエル。……私を守ってくれて」



 きっと。この世で私を守ってくれるのはハウエルだけだろう。守られるということがこんなに嬉しいものとは知らなかった。

 銀の目を大きく見開いたハウエルが数秒固まって、ふいと顔をそらした。その横顔はほんのりと赤く染まって見える。以前は照れていても顔色に変化はなかったのに、健康的な生活を送らせようと努力してきた成果だろうか。



「…………昔からそうするって言ってただろ」

【そうか。やっと守ることができたんだな……よかった】


「はは、そうだな。子供の頃に約束したもんな」



 私がハウエルを、ハウエルが私を守る。そうすればずっと一緒に居られるというのは事実だった。幼い日の約束を守ろうとハウエルが努力し、研究を続けた結果、私はこの場に生きて戻ってくることができたのだ。感謝は勿論、愛おしさもより一層深くなる。



「……レイリン。ちょっと見せたいものがある」

【今なら言えるかもしれない】



 そのふきだしの言葉にドキリとした。珍しく自分の心臓の鼓動が早くなって、耳の中でうるさく響き始めたので聴覚の強化を切った。……これは、期待してしまう。

 ハウエルが何かを取ってくるというのでその間に弁当の空を片付けておいた。戻ってきた彼が手にしていたのは大きな魔法石を球体に加工した魔道具だ。見たことのない代物なので流通していない、彼が開発したものだろう。



「これはなんだ?」


「景色を部屋に反映する魔道具。見た方が早い」



 室内の照明を消してから台の上に置いたそれにハウエルが触れると、厨房の様子が一変した。部屋に景色を映し出すという意味が分からなかったのだが、確かにそれは部屋の中を――別の景色に変えてしまうものだ。

 映像を記録する魔道具と似ているようで、全く違う。あれは魔道具の中に記録した映像が再生されるものだからだ。今、この厨房は見覚えのある景色に変わっていた。



「……ここは、懐かしいな。よく遊んだ河原だ」



 部屋の内装は変わらないはずなのに、元々あった調理器具などの存在感はかなり薄くなっている。その代わりに映し出された緩やかな小川や転がる小石、のびのびと育った雑草と夕暮れの空が強く目を引いた。壁に映っているはずの景色はずっと遠くまで続いているようにも見えて、まるでその河原に突然放り出されたような心地だ。

 ここは私とハウエルが子供の頃によく遊んでいた場所。中央区からは遠く、南門に近い街はずれにある。元々私たちの家はそのあたりにあったが大人になって仕事場が代わり、家族もいないため単身で中央に移り住んで以降戻ることがなく、数年ぶりに見た景色である。



「この景色を見せたかったのか?」


「違う。もうちょっと待って、もう少ししたら夜になるから。……これも約束だったからな」



 ハウエルの言葉通り、日が沈んで辺りが次第に暗くなる。そうするとぽつり、ぽつりと川の中に光るものが出てきた。やがて水面が青く輝き、その光は水上へと出てくる。そうすると今度は川の周りをゆらゆらと淡い光が舞うように漂って、美しい。

 これはゴルナゴ国内、しかも南部にしか生息していない虫だ。夏の夜にだけ見ることができると聞いてはいたが、子供の頃は日暮れ前に家に帰らねばならなかったので見たことがなかった。



「これは……星虫か? そう言えばこれもいつか見たいって話をしてたな。……見る機会はなかったが」



 大きくなったら一緒に見に行こうという約束をしていたことを思い出した。けれど私たちは、大人になる頃に離れてしまったからそれは叶わなかったのだ。私も一人で見に行く気にはなれず、そのまま騎士団に入って中央に移った。……ハウエルと約束したものを無意識に避けていたのかもしれない。一緒に見られないなら、星虫だって見なくていいと。



「まあ、僕の態度が悪くなったからな」

【それで未練がましくこんな魔道具を作って景色を記録させたんだけど】


「はは……まあ、でもこれで約束は果たせたな」



 どうやらこの景色のためだけにこの魔道具を作ったらしい。必要な知識も技術も、魔力も時間も膨大だったろうに。今のハウエルは魔塔を長時間離れられないが、いつか二人で本物を見に行けないだろうか。私が彼を抱えて全力で走ればどうにかなりそうな気もする。そんな提案をしてみようかと私が口を開くより先に、ハウエルが小さく「悪かった」と呟いた。



「君は僕の態度に戸惑っただろうけど……僕は、君に危ないことをしてほしくなかった。……心配、だった」



 部屋の照明はなく、あるのは魔道具に映し出された星虫と月明かり。常人ならこんな薄暗い中では近くの人間の顔も判別できないかもしれないが、私の強化された目にははっきりと映って見える。

 それでもこの薄暗さだからこそ、ハウエルは頬を赤く染めながらもその本音を漏らしてくれたのかもしれない。



「心配してくれてありがとう。……それでも私は騎士を辞められない」


「分かってる。……だから僕は、それでも君を守れるようになる」


「……ああ。ありがとう、ハウエル」



 ふきだしが見えないからこそこれはハウエルの素直な気持ちだ。それに照れ臭くなって首元を掻いた。暫くの沈黙の後、風の音はしないが映像の中では風が吹いたらしい。星虫の光が一気に流されて広がった。淡い光が舞い散るその光景に思わず感嘆の息が漏れる。



【今言うべき……絶対今、言うなら今……】



 その幻想的な雰囲気を一瞬で壊したのはハウエルのふきだしだ。この魔法に暗さは関係ないようではっきりとその文字が浮かび上がっている。

 そうかこれが彼の言っていた“そういう雰囲気”かと納得すると同時に、ふきだしのせいで台無しだなと可笑しな気持ちにもなった。



「あの、さ……昔…………家族になるって約束したの……覚えてるか?」

【言った……! やっと言えた……ッ でも心臓破裂しそう】



 その声は少し震えていた。聴覚強化は切っているので残念ながら破裂しそうだという心音は聞こえない。こちらを見ないように顔をそむけたまま、ぼそりと呟くように尋ねられたそれに、私は頷く。……ようやく訊いてくれたことが嬉しい。私はこれをずっと待っていた。



「ああ、覚えてる。……その話をしたのもこの河原だったな」


「……そう。…………僕は、まだ……その約束、守りたい」



 好きだと言われた訳でも、結婚してほしいと願われた訳でもない。けれどこれは告白であり、結婚の申し出に違いない。しかし、それにしても。


【僕はずっと君の事好きだったし、どう考えても僕以上に君を好きな奴なんていないし、そもそも君を守れるのなんて僕くらいだと思うし、っていうか家族になったら一番近くで君を守れるし。レイリンを幸せにするのは絶対僕、僕以外と結婚しないでほしい。でも断られたらどうしよう、死にそう。僕は本当にただ、心の底から君だけが好きなんだ】


 その大変大きく長いふきだしの台詞に思わず笑ってしまう。私の笑い声にびくりと肩を揺らしたハウエルの不安そうな銀の瞳がこちらに向いた。彼にはこの薄明かりの中で、私の幸福に満ちた顔が見えていないかもしれない。


(……ふきだしで愛を語るにも程がありますよ、大魔導士殿)


 そう言ってからかいたくなったが心の中に留めておく。まだ、私もこの秘密を打ち明けていないから。



「私もその約束を守りたいと思っていた。それでな、ハウエル。貴方に謝らなければならないことがある」


「え……何?」

【あれ、すんなりいい返事もらった……? でも、謝ることって……】


「家族になる相手には打ち明けると決めてたんだ。……実はな、魔獣行進で死にかけたあの日から他人の心の声が見えるようになった」


「…………は?」



 ぽかんと口を半開きにして驚くハウエルに自分が見ているものについて説明した。あの日以降、人間の横にその人の考えていることと思しき文字が浮かぶようになったこと。私はそれを「ふきだし」と呼ぶことにしたこと。誰にも話していないのでその内容が事実かどうか検証はしていないものの、状況的におそらく正しい心の声だと思っていること。



「まあ、だから貴方に心配されていたことはこの力で知っていたんだ。黙っていてすまなかった」


「いや……え、いや、待て。じゃあもしかしてさっきも、僕の思考……」


「ん、ハウエル以上に私を想っているに人間なんていないとか、自分以外と結婚しないでほしいという内容だったが事実か?」



 暗闇の中でハウエルの白い顔が、それまで以上に勢いよく赤く染まったのが見えた。これも私が彼の生活改善をして血流が良くなった成果だろうか。そんな顔を両手で覆い、彼は無言のまましゃがみ込んでしまった。



【あああぁ゛ぁ゛ああ゛あ――――!!!】



 成程、これが声にならない叫びというものらしい。「あ」と「゛」がひたすら連なってふきだしが大きくなり、文字が流れては消えていく。心の中の大絶叫なので音としては響かないもののふきだしはがたがたと揺れているようにも見えた。このふきだしは感情が強すぎると振動することもあるようだ。

 暫くしてそのふきだしが収まると、絞り出すような声で文句を言われてしまった。



「早く言ってくれよ……ッ!」


「はは、それは私の台詞だな。ハウエルが言葉にしてくれるのを待ってたんだ」



 ようやく言ってくれたし、ようやく言えた。今の私はとても満ち足りていて、幸福だ。ゆっくりと手を降ろし長い息を吐いたハウエルが乱暴に自分の髪をかき乱し、敵意も悪意も籠っていない、迫力のない剣のように輝く瞳で私を睨んでくる。



「……くそ……隠せてないならもういい。僕は君が好きだし、結婚したいんだよ悪いかよ!」


「いや、嬉しいよ。……結婚しよう、ハウエル。私が貴方を守るから貴方は私を守ってくれ。それで、ずっと一緒にいよう」



 ハウエルの前に膝をつき、騎士の誓いを述べる時のように心臓の上に手を置いてのプロポーズ。ぼんやりとした青い光が私たちを照らすだけだが、この距離なら互いに表情が分かるだろう。私の体も熱を持っているから、ハウエルほどではないかもしれないが赤い顔をしているはずだ。



「……じゃあ、約束」


「ああ、約束だな」



 子供の頃の口約束を改めて結び直し、私たちは晴れて結婚を約束した恋人同士となった。


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