第17話



(……トラウマを刺激してしまったか)


 ルナンダが大事な人をどうやって失くしたのかは聞いていないし、彼らのふきだしからなんとなく事情を察しただけだ。しかし今のルナンダの顔を見ていると彼を庇って死んでしまったのではないかと思えてくる。今の私と過去の状況が重なっているのではないだろうか。

 だからまともに歩けないほど震えて、ここにやってくるのも遅くなったのではないかと推測する。



「レイリン様……俺、いえ、わたくしを庇って、毒を」


「ああ、大丈夫です。私よりも皆さんはご無事ですか? 余裕がなかったのでいきなり突き飛ばしてしまい……お怪我は? 毒に触れてしまった人はいませんか?」



 勿論怪我をさせるような力は込めていないが突然で受け身が取れず怪我をした者はいるかもしれない。守るためとはいえ護衛対象を傷付けるなんてことがあれば護衛失格である。申し訳なくなりながら集まった一同を見回した。

 しかし私を責める人間は誰もその場に居ないようだ。ルナンダの付き人や護衛からは【何という献身……慈悲深い】やら【これが英雄レイリンか】やら、過大評価を頂いてしまっている。私は仕事をしただけなので居心地が悪い。



「わたくしたちは何ともございません……。レイリン様は、本当に……ご無事なのですか」


「ええ。魔法の防壁を張っていましたので助かったようです」


「……そう、ですか。よかった。本当によかった……っ」

【また俺のせいで誰かを殺してしまったかと、思った……】



 ルナンダの黄金の目が涙で揺らぐ。そんな主人の姿に周りの付き人たちも狼狽えて、ロイドなどは固まっていた。人前で泣いてしまうほど、彼の心の傷に触れる出来事であったのだろう。

 ついに溢れて零れ落ちる涙に放って置けなくなってしまい、ハンカチを取り出して彼に歩み寄る。その頬にそっと布を押し当て涙を拭った。大きく見開いた目で私を見つめるルナンダは驚いたおかげで涙が止まったようだ。……それに少しほっとした。泣いている人を見ていると落ち着かない。



「この通り、私は何ともありません。……大丈夫ですよ」


「……レイリン様……」


「たとえ私が死んだとしても貴方を責めることはなかったでしょう。しかしそれでも気に病やまれるなら、こんなことを仕掛けてくる大元を叩き潰すのはいかがですか? 私ならそう致します」



 ふきだしで過去を知ってしまったとは言えない。彼を苦しめているのはその過去であって私への罪悪感で泣いている訳ではない。けれどいつまでもこの恐怖に怯え続けて生きるのは苦しいだろう。だからそんな言い方で助言した。

 失った命に悔いるならば元凶を叩き潰せばいい。二度と手出しができないように何かしらの手段は講じられるはずだ。腕力で静かにさせるくらいしか思いつかない私と違って、彼ならいくつでも方法は思いつくだろう。それをできないのはきっと、相手が他人ではなく兄弟だから。……家族の情を切れないからではないだろうか。



「……そう、ですね。身内だからと、どうしても厳しい手を取れませんでしたが……やってみましょう」


「ええ、応援しています。……そうすれば、わざわざ強い女性など探さなくていい。貴方が愛したい人を愛してください、ルナンダ殿」


「ああ……気づかれていたのですか」

【……敏い御方だ。気づいた上で、この茶番に付き合ってくださったのか】



 本来、私は他人の感情に疎い方である。それを補って余りある魔法を手に入れたからルナンダの求婚に本当の好意がないことも気づけただけだ。鋭い人間ならこの魔法がなくても分かったのかもしれないが、長年の幼馴染の好意にも気づかない私には土台無理な話である。



「ありがとうございました。……汚してしまいましたね。新しいものをお返しいたします」

【求婚相手の目の前で泣いた上に涙を拭ってもらうとは、俺もまだまだ未熟者だ】


 困ったように、申し訳なさそうに微笑んだ彼がそっとハンカチを添える私の手を取った。褐色の肌の目元がほんのりと赤く見えるのは羞恥によるものだろうか。



「いえ、お気遣いなく。安物ですので捨ててくだされば」


「いいえ、せめてこれくらいのお返しはさせてくださいませ。貴女様には返しきれぬ恩があります故」



 そう言われてしまうと断れない。苦笑しながら頷くと彼はハンカチを受け取って私の手を離した。そしてルナンダが次の言葉を紡ぐ前に背後から「この刺客を連行しましょう」とロイドに声をかけられ振り返る。



「ああ、そうだな。私が先に行って尋問官に話をつけておく。その方が早いだろう」


「はい。よろしくお願いします」


「では、ルナンダ殿。今日はこれで失礼いたします。明日はまたいつもの通りに」



 今回使われた毒については調査が必要だ。一番足の速い私が報告と尋問官への依頼を兼ねて一足先に本部へと向かう。

 仕事を待ちわびて騎士団で待機しているサディコフに話を通すのは早かったが、使用された魔法毒についての報告は簡単には終わらない。今回の件は被害者である私が責任者となり調査を取り仕切ることになった。となれば今日は尋問終了まで帰れないだろう。

 この案件と私の私的な用事はどちらが優先されるかといえば明らかに前者であり、今日の勤務終了が遅くなってしまうことが確定した。


(……私が通信魔法を使えたらな)


 仕事に関係することならともかく、ただ「今日は仕事の終わりが遅くなる」と友人に言伝してくれと部下に頼むのは職権乱用というものだろう。遠くの人間と連絡を取れる通信魔法があれば伝えられただろうけれど残念ながら私には身体強化の魔法しかない。無いものをねだっても仕方あるまい。……見かけによらず心配症のハウエルに、余計な心配をかけてしまいそうだ。よりにもよって「またあとで」と約束した日にこれである。自分の運の悪さと魔法毒なんて特殊なものを持ち出した刺客を恨んでしまいそうだ。



「尋問官殿、できるだけ早めに終わらせることはできるだろうか」


「ええ、可能です。……レイリン殿の頼みなら今回はそう致しましょう」

【本当はじっくり楽しみたいのですけど、英雄レイリンは激しいのがお好みですか。ふふ、仕方ありませんねぇ】



 じっくりでも激しくでも私の好みではないのだがサディコフがそれを口にしたわけではないので否定もできない。しかしやる気は出してくれたようなのでよしとする。……彼は私が知る中で一番の変わり者だ。どこにやる気の出るポイントがあったのかさっぱり分からない。


 尋問が終わるまでの間に書類を作成する。ルナンダ達の事情聴取は明日お願いする旨を伝達してもらい、現在分かっているだけの状況や経緯、それから私が助かった理由などを報告書として記した。……実はこういう書類仕事がとてつもなく苦手なのでこれにかなり時間を食ってしまった。おかげでサディコフの尋問が終了したほどである。

 どこかすえたような臭いを放ちながらとても満ち足りた笑顔のサディコフから報告を受け、その内容もまた書類にまとめなければならない。……さすがに鼻が曲がりそうだったので嗅覚の強化を遮断したのは秘密である。


(製造方法、製造期間については分かったがコストを考えると莫大だな……)


 少なくともゴルナゴ国内だけで作れるものではない。世界中から素材を集め、ゴルナゴ国内で大量の魔法石を購入して魔法毒へと仕上げている。魔法石の使用量を考えれば持ち出すにしても国外で集めるにしても年単位の時間がかかるだろう。ゴルナゴでしか作れない魔法毒かつ、富豪でなければ不可能な方法だ。


(一滴でも当たれば確実に死ぬはずだった。まさかこれで殺せないとは相手にとっても誤算だったろうな)


 それもこれもすべてハウエルのおかげである。それに、この製造方法なら対策もできそうだ。単純に魔法石の購入に何かしらの制限をつけるだけでも製造の難易度が跳ねあがる。その規制方法は考える必要があるけれど、一人が大量の魔法石を集められない仕組みにすればいい。そのあたりを詳しく考えるのは魔塔と騎士団と司法のお偉いさんたちであって、私の仕事ではないので進言を書くのは諦めた。私に頭を使う仕事は向いていない。

 唸りながらその報告文章をまとめているとロイドが声を掛けてきた。美味しそうなにおいが漂っているので何か食べてきたところかもしれない。



「レイリン。もう上がってください、残りの書類は私がやりましょう」


「ああ、ロイド。しかし中途半端なものを任せてしまうのは……」


「私は書類仕事が得意ですし、私の方が早くて正確かと思います」



 ぐうの音も出ない正論である。ロイドの作る資料はとても綺麗にまとまっていて読みやすいと評判なのだ。……ちなみに私の書類は散らかっていて読みにくいと言われる。

 ロイドはよくこうして書類を前に悩む私を手伝う、というかむしろ私の代わりに書類仕事をしてくれることが多くいつも助けられている。



「毎回すまない。ありがとう」


「いえ、貴女の役に立てるなら幸いです。……それから、こちらをどうぞ」


「ん……それは弁当か?」



 ロイドが差し出した袋から香ばしい料理の香りが漂っている。美味しそうな匂いの元はこれだったらしい。こんなに近くにあれば強烈に感じるはずの匂いが薄かったことで嗅覚の強化を切ったままだったことを思い出した。そんなことにも気が回らないほど疲れているようだ。



「ルナンダ殿から私と貴女にと。仕事を長引かせてしまった詫びだそうです。……しかし私はもう食事を摂ってしまいましたので、よろしければどなたかと召し上がってください」


「そうか、助かるな。ではありがたく」



 二人分ならハウエルの元に持っていける。おそらく彼は私を待っていて夕食を摂っていないだろうから本当にありがたい。

 ロイドに後を任せて魔塔へと走った。外はすでに真っ暗で、子供なら眠っていてもおかしくない時間だ。こんな時間に尋ねても迷惑かもしれない。けれど「またあとで」と約束してしまったからには行かないという選択肢はない。


 階段を飛び降りるように下り、地下の扉を叩く。数秒と経たずにその扉は開いて剣のように鋭い銀の瞳と目が合った。



「すまない、仕事が長引いて遅くなった」


「……おつかれ。本当に遅かったな、待ちくたびれた」

【よかった……何か、あったかと……心配しただろ】



 やはり心配をかけてしまっていた。まるで遅刻を責めるような眼差しと言葉は心配の裏返しだ。もう一度謝って、持ってきた弁当を掲げた。



「食べてないかと思って持ってきた。食事にしないか?」


「……そうだね。とりあえず入りなよ」

【僕がどれだけ心配してたかも知らないで能天気だな全く……】



 ちゃんと知っている。ただ、知っていると言えないだけだ。表に出せないその性格を愛おしいとも思っている。


(……ああ、ハウエルの顔を見るとほっとするな。帰ってきたって感じがする)


 ここは私の家ではないのだけれど、この安心感は落ち着く家に帰ってきた時と同じだ。私はこの場所に、ハウエルの元に帰りたいと思っているのかもしれない。

 背を向けて部屋の中へと歩き出した幼馴染を後ろから抱きしめたい心地になりながら、それを堪えて後ろ手に扉を閉めた。



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