第9話



 今日もハウエルは魔法陣の開発に勤しんでいるものの、その筆は全く進んでいるように見えなかった。朝の私の行動が彼の心をかき乱してしまったようで少し反省している。

 ハウエルと仲良く過ごしたいとは思っていても仕事の邪魔をしたい訳ではないのだ。そういう訳で現在はとても真面目にこの家の唯一の入り口である扉の前に立ち、護衛任務中である。


(誰か来たな。これは……ロイドじゃないか?)


 昨日聞いたばかりの足音と同じリズム、同じ大きさの音だ。暫くして扉がノックされ、昨日と変わらない調子でロイドが名乗りを上げた。

 ハウエルに視線を向けると【またあいつか……】とどこか嫌がっているようにも思えるふきだしを見せつつ頷いたので扉を開ける。



「今回の件で少し進展があったので報告に参りました。お二人に聞いて頂きたい」



 報告に来たと言う彼の手には何やら大きな荷物がある。何らかの証拠品が入っているのだろうか。それはひとまず置いておいてロイドを中に招き入れた。元から仕事が手についていなかったハウエルも執務机から立ち上がり、ソファへと場所を移す。私は護衛なのでハウエルの背後へ、ロイドは対面のソファへ腰かけた。



「外の調査とキース隊の生き残りの証言、そしてレイリンが捕えた刺客の話を合わせて、今回の魔獣行進はあまりに不自然であり、人為的な――おそらく魔法で引き起こされたものだろうと結論づけられました」



 通常の魔獣行進は繁殖期のみに起こる、いわば自然現象だ。そもそも魔獣たちの多くが冬眠に入るこの時期に起こるのは異常である。そして襲われたキース隊は、他にも奇妙な魔獣の行動を確認していた。

 まず、行進の序盤に現れるのは小型魔獣である。しかしキース隊を最初に襲ったのは十体の大型魔獣で、しかもそれらすべてがキースを狙った。その異常事態にキースは咄嗟に私を呼んだが、魔法を使う間もなく大型に殺されてしまった。

 そしてその遺体を大型の魔獣たちが持ち去ったのだという。隊長を一瞬で失って混乱した隊はその後やってきた小型魔獣たちに蹂躙され、そこへ私が到着した。



「魔獣を操る魔法、ということか?」


「可能性ですが、神の贈り物ならありえなくはないかと。……西王国がそのような実験をしているという話もありますからね」



 刺客から得た情報で彼を雇った人間が西側の大国ヨンドルドーー通称西王国の者だということが分かった。積極的にゴルナゴを狙っている敵国の一つで、よくない噂も多い。……魔法使いを増やすため、いい魔法を手に入れるためにわざと国民を死に目に合わせるような人体実験をしている、なんて話もあるくらいだ。


(根も葉もない噂でもないだろう。実際、魔法使いの人数はゴルナゴどころか他国より少ないのに、珍しい魔法使いがいるらしいからな)


 洗脳、催眠、誘惑といった特殊な魔法使いの話を最も多く聞くのはヨンドルドだ。神の贈り物を授かった魔法使いの記録は少ないがどれも珍しい魔法の記述が残っている。

 私が授けられた魔法も前例のないものであったことを考えれば、死にかけて得られる魔法は未知数であり予測のできるものではないと分かる。人ではなく魔獣を洗脳できる魔法だってありえなくはないだろう。



「尋問官からの報告で旧型指輪の確認をしたところ、現在紛失したものはありません。保管を厳重にするためすべて回収したところです。大魔導士殿にはかなりのご苦労をおかけすることになりますが」



 今日はこれから外の調査に出る騎士が次々と訪れてハウエルに指輪をつけてもらいに来る。その後、この騒動が終わるまでは装着したままにするとのことだ。終わればまた外してもらいに来ることになる。指輪に使う魔力は微量だとはいえ、人嫌いの傾向があるハウエルからすれば短期間にあらゆる人間が訪ねてくる環境は負担に違いない。

 ハウエルも了解の返事をしながら【今日は絶対研究が進まないんだろうな。面倒だ】と心の中で愚痴を吐いている。声には出ていないので彼が面倒くさがっていることを知っているのは私だけだ。



「報告は以上です。……それから、レイリン。こちらは貴女の着替えなど、護衛期間中に必要そうなものをまとめた荷物です」


「ああ、それは助かる」



 ロイドの持ってきた大きな荷物は私の物だったようだ。今日からの着替えなどをどうするべきかは悩ましい問題だった。私はハウエルの傍を離れたくないし、着替えを誰かに取ってきてもらうか、魔塔に注文を出して新しく買うしかないと思っていたのだがこれで解決だ。



【なんでこいつがレイリンの服を持ってるんだ……!? どういう関係!? え、まさかそういう……!?】



 そういうもどういうもなく、ロイドはただの同僚である。この着替えは騎士団の中央本部内に置いてある分だろう。私の部下なら皆どこにあるか知っているし、ロイドは彼らに聞いたのか、彼らに持って行くように頼まれたかのどちらかだと思われる。

 私は全く疑問に思っていなかったが幼馴染が動揺しながら私とロイドの関係を邪推し始めたので一応、どうして持ってきてくれたのかと尋ねてみた。



「昨夜訪れた時、レイリンの荷物らしいものが見当たらなかったので貴女の部下に頼んでまとめて頂きました。……貴女は護衛任務の経験がないでしょうから、頭から抜けているのかと思いまして」


「はは、耳が痛い。その通りだ。……助かった」



 私の戦力は誰もが知るところ。私の主要任務は魔獣討伐であり、その次に多いのが間者の確保や凶悪犯の取り締まりで、その次は騎士や兵士の稽古相手になってやることである。休息という名目がなければ護衛任務につけられることなんてなかっただろう。

 護衛をしている騎士が制服を脱いで目立たぬ恰好をすることは知っていたので、ハウエルの元を訪れる前に着替えはしたのだがそれ以外は頭になかった。……正直、仲直りできそうな幼馴染を守るという仕事に浮かれていたのもある。



「本当は護衛の任務もせず休んでほしいのですが、出来るサポートはいくらでもしましょう。他ならぬレイリンのためですからね」


「いつもすまないな。ありがとう、ロイド」



 私もどちらかといえば真面目な部類のためか、ロイドとは馬が合う。同僚の中でも親しい方だろう。私はあまり頭を使うのが得意ではないので、その辺りを補ってくれることが多いのはロイドだった。

 さすがに二人で出かけることはないし友人とまでは呼べなくともそれに近い存在で、今回もいつもの通り私の失敗に気づいてこうして手助けをしてくれた。それだけなのだがハウエルは納得していない様子だ。



【この男もレイリンのことが好きなんじゃ……しかも僕より親しそうなんだけど。まさかレイリンもこの男のことを……!】


(それはないから落ち着け)



 ハウエルの動揺が激しいことはふきだしに浮かび上がる文字のスピードからも伝わってくる。彼の中では私とロイドがお互いに想い合っているのではないかという疑惑が深まっていくので違うと否定したい。しかし心の中の考えには口を出しようがない。



「それでは、失礼致します。……無理をしないでくださいね、レイリン」


「……ああ。ではな」



 ロイドは最後まで私を気遣いながらこの部屋を後にした。残されたのは無言のまま思い込みが激しくなって動揺を続けているハウエルと、それにどう対処していいか分からない私だけだ。

 ひとまずハウエルが落ち着くまで放っておこうとロイドが持ってきてくれた荷物を確認した。着替えや携帯食料から、洗浄の魔道具まである。私は洗浄魔法を持っていないのでシャワーを浴びることが出来ない環境にいる時はこれがありがたい。


(多くの魔法を使うハウエルもこれは持っていないしな。これだけを使える人間は結構多いのに)


 生活魔法に分類される洗浄魔法を使える者はそれなりにいる。必要な魔力が微力なため、ハウエルの防壁も通れるくらいの少ない魔力量でも扱えるのだ。一日に二、三度しか発動できず“魔法使い”と呼べるほどの力はなくても生活の中ではかなり重宝する能力である。私の部下にもこの使い手はいて、門の外での野営訓練などの時はかなり世話になった。

 そんな魔法がなくても魔力さえあればいつでも全身丸洗いできるのがこの洗浄の魔道具である。つい「さすがロイドだ」と声を漏らしてしまい、それにハウエルが反応した。



「あの男のこと好きなのか?」

【さっきの奴と仲いいのか?】



 ハウエルの銀の瞳がじっと私を見つめている。それはどこか不安げに見えたのだけれど、それよりも――ふきだしと台詞が、逆ではないだろうか。

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