第8話




『わたしもいつか絶対に一人になっちゃうんだよね。……家にひとりぼっちは寂しいな』



 それはゴルナゴ国内で死亡率の高い病気が流行していた時だった。傷や病を治せる治療師の数もその魔力量も限られているから、治療には優先順位がある。最優先は大魔導士、二番目は騎士と治療師、三番目がその他魔法使い。魔力を持たない一般人の優先度は低く、その中でも最も後に回されるのは老人だ。

 祖母が病に罹ればおそらくそのまま失うだろう。幼い私はそれが怖かったし、この流行り病が収まったとしても祖母は必ず自分より早く死が訪れることにも気づいてしまった。子供だからこそそんな未来を憂い、寂しさに耐えきれそうになくなっていた。



『じゃあぼくと結婚して家族になればいいんじゃないの。……ぼくはレイリンを一人になんてしないよ』



 そんな心情を吐露したら幼馴染は何でもないような顔でそう言った。その頃の私はまだ恋愛なんてこれっぽちも理解していなかったけれど、仲の良い幼馴染と家族として暮らせるようになるのはとても嬉しいことに思えて、喜んだ。そして何より、そう言ってくれた彼をそれまで以上に好きになったし、そんな優しい彼をこれからも絶対に守るのだと自分に誓った。



『それならわたしもハウエルをずっと守ってあげられるね。よし、大人になったら結婚しよう! 約束だよ』


『うん、約束。……でも大人になったらぼくがレイリンを守るから』



 そう言った彼に、私は何と答えただろうか。それを思い出す前に意識が浮上して目が覚めた。見慣れない天井と部屋の暗さに一瞬驚いたが、そう言えば昨日から護衛任務でハウエルの家に泊まり始めたのだと思い出す。寝台代わりに借りたソファから起き上がり、照明の魔道具に魔力を注いで部屋を明るくした。


(随分懐かしい夢だ。……ハウエルのふきだしにあった“約束”は……これのことかもしれないな)


 昨夜、ハウエルの内心を見て彼の好意が友愛ではないこと知ってしまった。さすがに私も驚いて、それからハウエルとあまり会話できなかったように思う。一晩経って落ち着いてきたのでようやくまともに考えられるようになった。


(なんというか、少しばかり……恥ずかしいような、くすぐったいような……照れると言うべきか)


 すでに結婚して子供がいてもおかしくない年齢なのだが、実は恋愛経験など全くない。周りが私に求めるのは“英雄”であって、恋人や伴侶ではなかった。それに、私もそうなりたいと願っていた部分がある。……まあ、認めてほしかったのはただ一人なのだけれど。


(そういえば、ハウエルに英雄それを求められたことはなかったな。私がハウエルの英雄であろうとしていただけで)


 私たちは随分と長い間すれ違っていた。私はただ以前のような友人に戻りたいと思っていたけれど、ハウエルはきっとそれ以上を求めている。……果たして私はそれに応えられるのかと考えてみた。


(…………ふむ。驚くほどすんなり受け入れられそうだな。意外なことに)


 ハウエルに好意を寄せられることにも、彼と結婚して暮らすことにも、不思議なほど違和感がなかった。もしかして自分の好意もまた恋愛感情なのか、とも考えたがそれはよく分からない。しかし私にとって今、この国で一番大事な存在がハウエルであることは間違いない。


(もしハウエルがふきだしではなく言葉で伝えてくれたら、その時に結論を出そう)


 悩むのは性分でないし、何より悩むことでもない気がした。幼馴染の心を盗み見てしまって少々動揺したがそれは言葉で伝えられない限り考えることではない。心の内にある願いは行動に移さなければ叶うことはないのだから。彼が行動で示してくれたらその時、私は自分の感情のままに応えればいい。それまでは今まで通り、私にとってハウエルは守るべき大事な幼馴染であってそれ以外の何者でもないのだ。


(ハウエルはまだ起きてこないな。……昔から朝は弱かったしな)


 日の出と共に目が覚めるような私と違って、ハウエルはあたりが明るくならないと目が覚めない。この家は地下にあり、日光が差さないのでなおさらだろう。むしろ寝室に入って明かりを灯してやるべきではないだろうか。

 もうしばらくしたら起こしに行くことを決めて、やることを探す。朝食は彼が起きてから作ろうと思うので身なりを整えたらもうやることがない。


(……鍛練でもするか)


 そういう訳で音を立てずにできる鍛練を始める。体を解す体操を終えて腕立てをしていたら、隣の部屋で人の動く気配を察知した。暫くしてゆっくりと寝室の扉が開き、まだ眠そうな顔をしたハウエルが出てくる。



「おはよう。よく眠れたか?」


「……あんまり……」



 頭も回っていないのかふきだしが出てくることもない。ぼんやりした様子の彼はそのままソファにすとんと腰を下ろして動かなくなった。……長い髪が絡まったり寝ぐせになったりしているのがとても気になる。



「髪が乱れているぞ、ハウエル。整えないのか?」


「あとでする……めんどくさい」


「……私が整えてもいいか?」


「……ん……」


 ソファの前のテーブルに櫛が投げ出されているので、いつも目が覚めたらここで髪を梳いているのだろう。それを手に取ってソファの後ろに回った。

 乱れた髪に櫛を通していく。引っ張ってしまわないよう毛先から丁寧に梳いた。彼の髪質は昔と変わらず、柔らかくて雪兎のようだ。



「こうして整えるのが面倒なら、何故伸ばしているんだ?」


「……レイリンが好きだって言ったんだろ……」



 つい、櫛を動かす手が止まった。彼が自分の白髪を疎んでいることを聞いた時に「私は好きだ」と返したことがあったように思う。まさか、それだけで面倒臭いと言いながら髪を伸ばしているというのか。……私の存在は彼の中で随分大きなものであるらしい。


(……寝ぼけてる時は素直なんだな)


 今なら何を訊いても素直に答えてくれるのかもしれない。しかし聞くべきことがぱっと思いつかなかった。そのまま梳き終えた髪を三つ編みにし始めたところで彼の横にふきだしが浮かぶ。



【待って、なにこの状況、いや何……!?】



 どうやらハウエルの目が覚めたようだ。顔も見えず無言のまま動かなくてもふきだしが見えればそれが伝わる。後ろから見ても鏡文字になったりしないのだな、と新たな発見をした。



【なんでレイリンが僕の髪を……しかもなんか編んでるし……っ】



 彼にしっかり許可を取ったはずだがどうやら寝ぼけている間のことは記憶にないらしい。

 ハウエルはいつも長い髪をまとめることなく流していて、昨日は顔にかかる度鬱陶しそうに払う姿を何度も見たので邪魔にならない髪型にしているだけだ。私の持っている予備の髪紐で結んで完成である。



「できたぞ。……目は覚めたのか?」


「……ああ、うん」

【寝ぼけてたの見られた? うわ、恥ずかしい。まともに顔見られない】



 櫛をテーブルに戻しながらハウエルの様子を窺うと顔を背けられた。機嫌悪そうに眉間に皺を寄せながらそっけない態度を取られたら嫌われていると勘違いをしても仕方がないだろう。まさかこれで恥ずかしがっているだけとは思うまい。……きっとそういう積み重ねだったのだ。


(しかしこうして見るとだんだん……なんだろうな。愛おしいというか)


 ハウエルは素直ではないので表に出ないだけで私のことを好いてくれているのだと、そう知ったからなのか彼の反応一つ一つが好ましく思えてくる。



「……ねえ、何この髪型」

【っていうかなんでレイリンが僕の髪をいじってたんだ。落ち着かないんだけど】


「昨日、作業しながら邪魔そうにしていたからな。……お似合いですよ、大魔導士殿」



 ハウエルは日光に当たらず不健康な生活をしているせいか血色がよくない。その上で長い髪で顔が隠れてしまうのでかなり暗い印象になってしまう。しかしこうして髪をまとめてすっきりさせてみれば、剣のような銀の瞳に少し鋭い印象はあるものの綺麗な顔をしていることが分かる。

 少年時代の面影を残して大人の男性へと変わっていることに今初めて気づいた。それほど、私は彼を見る機会が減っていたということだろうか。



「……そう」

【心臓がおかしくなるから冗談でもいきなり褒めるのやめてくれる!?】



 冗談交じりではあったが嘘ではない。似合っているし、こちらの方が彼の顔も良く見える。しかしこれ以上は言わない方が彼のためだろう。


(本当に速いな。顔色は変わらないんだが)


 身体強化の魔法のおかげで私の耳には彼の速くなった鼓動が聞こえていた。ハウエルに嫌われていない、好かれているのだと分かった以上、私が親しい幼馴染としての態度を遠慮する必要はないのかもしれない。けれど彼からすれば私が急に親し気な態度を取るので落ち着かないのだろう。……しかし、またハウエルと仲良くできるのが嬉しい私としては態度を改めるのもなかなか難しいのである。



「大魔導士殿、明日から毎日こうして整えてさしあげましょうか?」


「………………好きにしたら。っていうか何その口調。ふざけてるのか?」

【本当に最近のレイリンなんなんだ!? 僕をからかってるのか!? それともまだ夢見てる……!?】


「ああ、からかってる」



 思わずふきだしの中の言葉に返答してしまったが、そう答えてもおかしくない問いかけでもあったので彼は疑問に思わなかったようだ。むしろこのやりとりが楽しくて笑顔になってしまった私の表情に反応している。



【だからいきなり笑われたら僕の心の準備が……っ】



 無言で目を伏せた姿とふきだしの差異の大きさにこみ上げるものを堪え切れず、小さく笑い声を漏らした。

 私はどうやら、この幼馴染の反応が好ましくて仕方がない。大人になってからこんなに楽しいのは、これが初めてかもしれなかった。

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