第3.5話



 ハウエルには幼馴染がいる。烈火の如き赤い髪に、新緑の煌きを映したような瞳を持つ、この国で名を知らぬ者がいない程有名な女性の騎士だ。

 子供の頃はとても仲が良かった。内気で力もないハウエルとは真逆で、炎を思わせる強さと明るさを持った彼女は憧れであり、目標であり――いつか、守られるのではなく自分が守れるようになりたいと願う存在で。


(なんでレイリンは無茶ばかりするんだ。心配する僕の身にもなってほしい)


 大魔導士になれと命じられた時、ハウエルは喜んだ。これでレイリンを国ごと守ることができる。大魔導士の作る防壁の内側に居れば魔獣の脅威にさらされることも、敵国の魔法使いに襲われることもない。

 そのはずだったのに彼女は騎士になると言い出した。たしかにレイリンの持つ身体強化の魔法は戦闘向きで、騎士団も表向きは女性を拒んではいない。それでもわざわざ自ら危険に首を突っ込む必要など、どこにもないというのに。


(そりゃレイリンは強いし、綺麗だし、真面目だし、完璧だけど)


 民衆は理想の騎士像を思い浮かべる時、レイリンを想像するだろう。強く、気高く、美しい。この国では騎士の働きが数字として公開される。その第一位に君臨し続ける彼女はそれに胡坐をかくこともなく、規律を重んじるが話しかければ気さくな人柄で、傍から見れば欠点など見当たらない。人々がそんな彼女を崇め称える気持ちは分かる。しかし、それでも。


(外に出たら僕は君を守れないじゃないか)


 騎士や兵士には防壁の外へ出て魔獣討伐をするものだ。特に戦力として見なされる騎士は街の治安維持よりも危険な外の現場へと駆り出されやすい。レイリンはその仕事を選んでしまった。

 防壁を張っているハウエルには魔獣の力がよく分かる。あれは一般人では太刀打ちできない。兵士には毎年死傷者が出るし、騎士だって同時に複数の魔獣の群れと出くわせば無事では済まない。魔獣行進などという災害が起きた時には必ずと言っていいほど死人が出る。


(レイリンは強い。……でも、そのせいで誰もレイリンを守ろうとしない。守られるのが当然になっている。だから騎士を続けてくれ、なんて言えるんだ)


 レイリンは騎士、つまり魔法を使う者。彼女が防壁を出入りするにはハウエルの魔力が籠った証の指輪が必要になる。それを彼女の指にはめるのが心底苦痛で仕方がない。それさえしなければ彼女が外に出ることはできなくなるのに、最後の後押しを自分がしなければならないのだから。


(どうせはめるなら結婚指輪が……じゃない。ちがう、これは違う……)


 昔、子供の頃の話だ。「大きくなったら結婚しよう」なんて仲の良い異性の友達と約束するのはよくあることで、恋も知らぬ年齢の子供の約束が守られるはずもない。本気にする方が間違っている。

 しかも今は険悪な仲になってしまった。その約束が果たされないであろうことは、ハウエル自身が一番よく分かっている。


(君が好きだから危ないことはしてほしくないなんて言えるかよ……)


 その結果、刺々しい物言いになってしまってレイリンとの間に距離ができた。自業自得なのでどうしようもない。それでもハウエルは騎士をやめろと彼女に言い続けるしかなかった。

 魔塔の地下にある防壁の魔法陣へと魔力を注ぎ込む部屋。そこで防壁の魔力を注ぎ込んだ後は新しい魔法の考案と開発を行うのハウエルの仕事だ。しかしレイリンが外に出る日はそれに全く集中できないため紙の上は真っ白なまま変わらない。


 その時だった。魔法陣が強く光りを放ち、耳障りな警報音が鳴る。注ぎ込まれた魔力を平常以上に消費している証だ。

 ハウエルは直ぐに魔法陣に魔力を注ぐ。魔力の消費量からして複数の魔物が壁を破ろうとしている。しかも削れているのは先程討伐隊が出たばかりの北門の方角だ。……これは、おかしい。


(レイリンが居て魔物を見逃すなんてことはありえない。……一体、どうなっているんだ?)


 嫌な予感が胸に満ちる。しかしハウエルにできるのはこの魔法陣に魔力を注ぎ、国の防壁を張り続けることだ。遠距離の意思疎通魔法が使える人間はそれぞれの門、騎士団、裁判所、魔塔に必ず配置されている。何かあれば地下のハウエルにもすぐに知らせがやってくる決まりだ。

 通達が来たのは十分ほど後だった。季節外れの魔獣行進が発生し、レイリンとキースという二人の騎士とその小隊が対応をしている。すぐに召集をかけ部隊を編成し討伐に向かう、と言われた時のハウエルの顔色は蒼白だったことだろう。


(嘘だろ……レイリン……)


 彼女のことはよく知っている。正義感と責任感が強く、なまじ力が強いだけにあらゆる危険に一人でも立ち向かってしまう、物語の英雄のような人だ。ハウエルが大好きな、そして大嫌いな彼女の性格だ。

 レイリンが引く訳がない。その身を犠牲に時間を稼ごうとする可能性が高い。……討伐隊の編成が終わるまでの間、少しでも防壁の負担を減らそうとするに違いないのだ。


(僕の防壁なら大丈夫だから、引いていてくれよ、頼むよ)


 そんな願いも虚しく、その後また二十分もすれば防壁にかかる負荷もなくなってしまった。部隊はまだ出発していないのだから、外に出ている二つの隊が処理したと考えるべきだ。まだ戦っているのだと、そう確信した。一気に魔力を注げば倦怠感に襲われるが今のハウエルはそれどころではない。ただ一人の幼馴染の安否だけが頭を占めている。


 最初の知らせから一時間程で編成を完了した北門付近の駐屯地部隊が出発した。別所の部隊も召集しているが、問題はその先発隊が間に合ったかどうかだ。今すぐ部屋をでて北門へと赴きたい。レイリンの無事を確認したい。



「大魔導士殿! お知らせが!」


「内容を早く」



 ノックされた扉をすぐに開けて伝令を急かす。そんなハウエルの姿に少々面食らった伝令係だがすぐに姿勢を正して報告を始めた。隊が出発してすぐの知らせなのだから重要なことがあるはずだ。レイリンのことが分かるかもしれない。



「ええと、部隊が到着した頃には決着がついており、軽傷の兵と意識不明の重体の騎士一名を連れて帰還。もう一名の騎士は行方不明で」


「名前は。騎士の名前」


「北門付近の病院へ運ばれた騎士はレイリン=フォーチュン。行方不明の騎士はキー……大魔導士殿?」



 もう一人の騎士には悪いがハウエルにとって重要な情報は既に得た。背を向けて部屋の中心に向かい、魔法陣に魔力を注ぐハウエルを伝令係は驚きながら見つめている。

 多めに注いでおけば少しくらいこの場を離れてもいい。短時間に魔力を使いすぎて軽くめまいがするが構わない。



「僕は病院へ向かう。君が留守をしてくれ」


「は!?」


「よろしく」



 戸惑う声の返事を待たずに移動魔法を使った。魔力を注ぐのが仕事である大魔導士なのだから当然体力などないし、身体強化の魔法は持っていないから素早く走れない。馬を使っても北門に最も近い病院まで街中を移動すれば数時間はかかる。それでは間に合わない。

 自分の魔力で覆われている国内限定だが移動の魔法が使えてよかった。移動中の酔いが酷いなんて文句は言っていられない。これしか間に合う方法がないのだから。

 まるで瓶の中に詰められて上下に振られているかような浮遊感の中、胸を押しつぶしそうな圧迫感に襲われる。これは魔力を消費しているせいか、それとも痛いほどに鼓動する心臓のせいか、分からない。


 病院の前に降り立った時、そこには血の臭いが充満していた。滴った血が点々と院内へと続いている。軽傷の兵氏達は外で手当てを受けているのだからこれは、おそらくレイリンのものだ。治癒魔法の使い手である治療師の姿は見当たらない。……彼らは一人の患者に掛かりきりであると思われる。



「だ、大魔導士殿が何故このような場所へ……!?」


「騎士レイリンはどこに?」


「あ、へ、はい。こちらで……」



 建物の内へずかずかと踏み入ったハウエルについてくる、看護師らしい男に尋ねる。彼が指し示した先はやはり血の続く先だった。

 血痕を辿り入った部屋では四人の治療師が一つの寝台を囲って治癒魔法を使っていた。それでは間に合わないのか、赤い血は床へ流れ続けている。


(馬鹿かよ。なんでだよ)


 浅く呼吸しているのだからまだ生きている。しかし髪どころか全身が赤い。腕は取れかけているし、腹を牙でえぐられて内臓が見えるような状態で、生きている方が不思議なくらい。けれどまだ生きている。だから治療師たちは必死の形相で、死に掛けの英雄を生かそうとしているのだ。しかしそれは延命になっているだけで、このままならレイリンは助からない。……けれど、その延命のおかげでハウエルが間に合った。

 その輪の中に入っていくと一瞬邪魔をするなとばかりに睨まれたが、相手が大魔導士と呼ばれる存在であることに気づき治療師たちは場所を空けた。魔力が多ければ多いほど治癒魔法の効果も高くなることは常識だ。


(死ぬなよ。君に死なれたら僕は何のために大魔導士を続けたらいいんだよ)


 この時ほど治癒魔法が使えてよかったと思ったことはない。治療師たちはハウエルの使う魔法のサポートを始めた。肉体が再生する際に歪まないよう腕を支えたり、手足の先など魔法のいき渡りにくい先端部分を中心に治療している。

 ハウエルの魔力量があれば腹の穴もふさがる。腕も繋がった。命を落とすような損傷は回復させただろう。ただ、彼女を完全に治すには魔力が足りず、その場でふらついて膝をつく。大きな呼吸を繰り返しているのに空気が足りない。心臓は耳の中にあるのではないかというくらい鳴っているし、痛い。魔力の使い過ぎだ。けれど、そんなことよりも。



「大丈夫ですか!?」


「だい、じょうぶ……レイリン、は」


「…………はい。命の危険はもうありません。しばらくすれば目も覚ます、でしょう……」



 涙声のその返答にどっと力が抜けた。しばらくはまともに動けそうにない。疲労だか安堵だか分からない気持ちを呼吸と共に吐き出した。

 人の苦労も心配も知らない顔で眠る幼馴染は、その後血まみれの状態から洗われて入院用のベッドへと運ばれた。まだ外の怪我人も残っていると出て行った看護士や治療師たちを見送って、彼女のベッドの横で椅子に腰かける。



「……指輪、返しにこいって言ったのに。約束、破るつもりだったのかよ」



 シーツの上に投げ出された左手を取って、指輪を外した。これがあるからレイリンは外へ行ってしまう。そして、彼女を送り出したのはハウエルだ。指輪を投げ捨てたくなったが何とか堪えローブの内側へと仕舞った。


(あったかい……生きてる)


 剣を握る彼女の手のひらは堅い。部屋にこもってばかりのハウエルとは大違いだ。けれど、その手の大きさはハウエルよりも小さい。どれだけ強くて格好良くても女性の手なのだと、そう気づいた瞬間パッと放した。眠っている人間の手を握るのは、家族ならともかく、現在は険悪な関係の幼馴染のすることではない。


(……早く起きろよ、文句言ってやる。騎士をやめろって、それから……)


 言いたいことはたくさんあった。けれど彼女の生命の輝きそのもののような新緑の瞳に見つめられると言葉が出て来なくなるのが常だ。

 せめて目を覚ますまで傍にいたい。魔塔を空けていられるのは三時間が限界だ。その時間が近づいてくると段々落ち着かなくなってきた。そうしてようやく瞼を振るわせて目を開けた彼女に「やっと起きた」と声を漏らしたのは仕方のないことだっただろう。



 レイリンと言葉を交わし動揺のまま病院を飛び出したハウエルは、再び移動魔法で魔塔へと帰った。他のものに目を回されるような心地だったせいか移動酔いがまったく気にならない。戻ったところで言いつけの通りに留守番していた伝令係にレイリンの容態について尋ねられ「知らない」と答えてしまったがそれどころではないのだ。


(何なんだよあのレイリンは……!! いつもの呆れ顔はどこ行ったんだよ!)


 目を覚ました彼女は暫くぼうっとしていたが、穏やかな表情でハウエルと話していた。いつもは刺々しい言葉に苦笑するか呆れているかのどちらかなのに。そんな顔は久々に見たし、なにより「貴方を守りたくて騎士になった」などと言われてしまって、ハウエルの心の中は大混乱に陥っている。


(僕が守るんですけど! 僕が、君を! 全然分かってない!)


 その勢いのまま騎士団宛てに意見書を送った。レイリンを外に出すべきではない、休ませるべきだという意見を書き連ねたものだ。大魔導士からの意見なのだから考慮せざるを得ないだろう。

 彼女が壁の外へ出る必要がなければ、ハウエルがこの防壁で守れる。これでいいと満足した翌日のこと、その問題のレイリンが訪ねてきた。



「今日から護衛の任に就くことになったレイリン=フォーチュンです。よろしく頼みますよ、大魔導士殿」


「は……?」



 ――予想外過ぎる。どうしてこうなった。

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