第37話 霊界は見逃さない

 人間は、死後の世界を知らない。

 死んだら終わりだと思っている人間が多い。

 なので、生きている間に、可能な限り、自分の欲を満たそうとしたり、刑務所に入ることのないギリギリのところまで、他者の生命を傷つけたり、殺して奪ったりするような、悪辣あくらつな命が後を絶たない。

 しかし、生前、悪辣な行いをしてきた者は、肉体がちたら終わりとなる。

 悪辣な命は、永遠に存在できる幽霊になることは出来ないのである。

 何故ならば、彼らには『心が無い』からである。

 また霊界は、『善なる魂』を持つものしか入ることが出来ない世界だからである。


 幽霊たちは常に、生きている人間が見たり聞いたりすることができないような言動や心の動きまで、一部始終観察している。彼らが観察している地球上の生物が、霊界に相応しい魂を持っているか、判断材料を常に収集している。

 監視カメラや盗聴器などなくても、一部始終観察されているので、いかなるごまかしもきかないのだ。

 つまり、いわゆる肉体が朽ちる前の『生きている期間』というのは、死んだ後で幽霊になれるかどうかを判断するための、単なる『試験期間』に過ぎないのである。

 『試験期間』としての、肉体という入れ物に魂が入っている状態が、いわゆる『生きている状態』なのである。

 もちろん、育子や拓斗の様に『試験期間』中に魂が向上していく場合もある。そのような魂の向上も、霊界は見逃さない。同様に、堕落も見逃さない。

 どのようにものを捉え、思考し、どのような言動をしてきた人間なのかが、死後、幽霊になるかならないかの判断材料になる。

 宇宙空間と相性の合わないもの、つまり、悪辣な魂というのは、死後、幽霊となることは出来ずに、他の新たな生命体として生まれ変わることもなく、死後、永久に葬り去られる。


 魂は、微粒子やウイルスの様に『可視化することができない』。

 生きている人間の中には、『可視化することができない』ものを、『存在しない』ものであるかのようにしか認識できない者もいる。

 またその逆に、『存在しない』ものを、造り出された『可視化できる』幻想によって、本当に存在するものであるかのように『錯覚』し、存在を疑わない場合もある。


 『可視化できる』ものを、いかようにも操作可能な時代であっても、『可視化できる』ものによって、人間は騙され続け、コントロールされ続けている。

 『可視化できる』ものによって、翻弄ほんろうされ続けているにも関わらず、自己の感覚だけがこの世の絶対的真実であるかのように思い込み、謙虚さを失って傲慢ごうまんになることで争いが起こることもある。


 『死人に口なし』ということわざがあるが、死人が永遠の口を持つ場合がある。


 死んだ人間が幽霊になった場合、永遠に死ぬことのない、質量のない生命体として、時空を超え、体という質量を持つものに『憑依ひょうい』し、生命体の思考をコントロールしたり、別の物質を作用させたりすることが可能なのである。


 善人の死後の幽霊は、質量を持たないので、どんなに狭い空間であっても、いくらでも存在しうる。地球上に浮遊している幽霊が、どれほど存在するのかわからない。


 『超人』がヒーローになっている映画が流行った時代があったが、幽霊は時空を超えて、まさにその『超人』と同じ働きをすることが出来るのである。


 彼らは、場合によっては、善人を傷つけた悪辣な人間をらしめるために、時空を超えて、様々な策略を練って、あちらこちらで復讐したりもしているのだ。


 女帝幽霊となった平吹瑠香という元看護師の幽霊は、その後、五千年に及んで地球を統治した。女帝として、悪辣なものをいち早く宇宙空間から排除し、地球が美しく健全であり続けるための地球生命体の浄化活動を、今も続けている。

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女帝転生 冨平新 @hudairashin

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