第22話 花を食い散らかした罪

 瑠香るかは、高校時代もモテた。

 しかし、硬派な男ではなく、瑠香の見た目の美しさを自分のアクセサリーの様に身に付けたがるような軟派な男子から声がかかるのであった。

 なので、ラブレターをもらうなどということはないのだが、文化祭や修学旅行などの学校行事の時に、瑠香と親密になりたがり、その場で声を掛けたり、瑠香と同じグループになりたがったりする男子、また、瑠香の写真を勝手に撮るような男子たちが後を絶たなかった。


 瑠香は大人しいが、男子にモテたので、女子からは嫌われ、トイレで虐められたり、掃除当番や日直やクラス委員などを連続で押し付けられる、などの虐めを受け続けていた。


 高校の『職業体験』の授業の『職場体験実習』では、病院内での看護師の勤務を選択した。

 当時から瑠香は、看護師になることが夢であり、男子と付き合いたいという欲求は全く起きなかった。

 献身的に、病に苦しむ人々のために、身を粉にして働くことが、人生の喜びになるような気がしていたのだ。


 なので、高校生活において男子にモテることは、瑠香にとっては喜びでもなんでもなかった。


◇◇◇


 ある日、朝は晴れていたのだが、午後から大雨が降ってきた。

 瑠香は折り畳み傘を忘れてしまい、雨の中、高校から離れたバス停まで走らなければならない、と覚悟を決めて、下駄箱玄関を出ようとした。


 「平吹さん。傘持ってないの?」

 横からいきなり、同じクラスの男子、三沢が声を掛けた。

 「ああ、うん。」

 瑠香は答えた。

 「俺、平吹さんと同じバスだよ。一緒に帰ろうよ。」

 三沢は頬を赤くして、笑顔で瑠香に言った。

 「ありがとう。お願いします。」

 この答え方に、三沢はドキッとした。

 さらに顔が赤くなってしまった。

 それと同時に、両親のいない自宅に誘い、瑠香といけるところまでいってしまおうか、という悪魔的な妄想も生まれていた。 


 瑠香と三沢は、バス停まで三沢の傘をさしながら歩いた。

 「平吹さんてさ、他の女子たちから、嫉妬されてるよね。」

 「えっ?」

 「男子はみんな言ってるよ。平吹さんが美人だから、他の女子たちが焼いてるんだって。」

 三沢は、瑠香の顔を見ながら、真剣な表情で言った。


 「塾があるからって、他の女子たちが平吹さんに掃除押し付けてるの、見たことあるよ。」

 「・・・。」


 「平吹さんは、俺、クラスで一番、綺麗だと思ってるんだ。」

 顔を赤くして、上を見ながら、三沢は二人きりのバス停のベンチで言った。

 瑠香は、この言葉で思いのほか心が温かくなった。


 男子と付き合いたい願望はない。

 しかし、自分の事を、女性として認めてくれたようなこの言葉に、虐めを受け続けている過酷な校内での人間関係に疲れ果てていた瑠香はどこかで救われていた。


◇◇◇


 二人が乗るバスが来た。

 二人はバスに乗車し、二人掛けの座席を見つけた三沢は、奥の席に瑠香を誘導し、自分が通路側の席に座った。

 三沢は瑠香と二人座りの席に座れたことで、まるで映画館の座席に二人で座っているかのような幸福感に浸っていた。


 「平吹さん、今度、映画でも観に行かない?」

 「えっ?」

 「いやあ、今流行ってるやつ。俺はどんな映画でもいいからさ、平吹さんが観たい映画、行こうよ、一緒に。」

 「え、私は、映画とかは・・・。」

 「あ、全部俺がおごる。俺、女子たちの話、聞いちゃったんだけど、平吹さん、あまりお小遣い、多くないんだよね。」

 「・・・。」


 お小遣いの問題じゃないんだけどな、と瑠香は思った。

 男子と二人でどこかに行く、ということを、今まで経験したことがないから、抵抗があるのだ。

 そういうことをしてみたいと思ったことはない。

 誘われたのも、今回が初めてだ。

 この誘いも、どこまで本気に受け取れば良いのか、わからないのだった。


 「平吹さん、これから家に来ない?」

 「えっ?それは・・・。」

 「この雨は、夜になれば上がるって。それまで家に居なよ。」

 「でも、そろそろ夕食時だし。」

 「大丈夫だよ。ママは平吹さんの分まで、夕食を用意してくれるから。」

 「母に怒られるから。」

 「それなら、俺が連絡してやるから。」

 三沢はかなりしつこくて強引であった。


 実は、三沢の父親と母親は、今日と明日は旅行で居ないのだった。

 玄関で傘が無く、躊躇ちゅうちょしている瑠香を誘ったのは、両親のいない家に招く絶好のチャンスだったからだ。


 瑠香は、三沢の家に行きたいとは思っていなかった。

 しかし、あまりに強引なので、言われるままになってしまった。


◇◇◇


 二人は三沢の家の最寄りのバス停でバスを降りた。

 相合傘で三沢の家に向かう。


 三沢の家は、公団住宅の三階だった。


 「どうぞ。」


 三沢の家は、綺麗に片付いていた。


 「ママが帰ってくるまでにはまだ時間があるけど。・・・俺、お腹すいちゃったな。お菓子でも食べようか?」

 「やっぱり、母に怒られるから・・・。」

 「せっかく来たのに。こんな雨の中、帰るの?」

 「・・・。」


 「そうだ、映画でも観ようぜ。」

 三沢は応接間のDVDプレイヤーを操作した。

 アベンジャーズシリーズの『アイアンマン』が始まった。


 「麦茶でいいよな。」

 三沢は、作り置きしてあった冷えた麦茶とポテトチップスを持ってきた。

 瑠香と並んで、ソファに座っている。


 アイアンマンがカッコよく登場した。

 「うおー、かっけえ。」

 「・・・。」


 「平吹って、あまり喋らないのな。だけど俺は、平吹みたいな静かな女子の方がいいかな。俺がうるさいから。」


 

 「麦茶、いただきます。」

 「おう、ポテチも食べてね。」


 ゴクゴク・・・


 瑠香が麦茶を飲むところを、三沢は真横からじっと見ていた。


 瑠香がテーブルにグラスを置くと、三沢が瑠香に覆いかぶさってきた。


 「え?」

 「平吹さん、俺は平吹さんの事、ずっと・・・。」

 「え、ちょっ、やめ・・・。」

 三沢は瑠香の両肩を両手でしっかりとつかみ、ソファに押し倒した。


 瑠香は、このようなかたちで強引に迫られ、生まれて初めての性交をした。


◇◇◇


 その後、学校で三沢は、瑠香に対してよそよそしくなった。

 男子が瑠香を見て、ニヤニヤしたり吹き出したりした。


 三沢は、瑠香の処女を奪ったにも拘らず、何も責任を取ろうとはしなかったし、男女の付き合いに発展させようともしなかった。

 そして、ミステリアスな美人の瑠香と性交したことを自慢気に話し、自分の男としての株を上げると同時に、面白半分に性交の様子の詳細を男子たちに喋りまくったのだ。


 三沢と瑠香の性交の詳細は、女子にも伝わった。

 瑠香はトイレで「ビッチ」などとののしられるようになった。


◇◇◇


 「そのようなことがあったのでございますね。」

 「何だったのかしら、あの三沢は。」


 「この三沢という男には、どのような罰が相応ふさわしいでしょうか?」

 「そうね。結婚しているのであれば、不倫させて、相手の女性に妊娠をさせて、離婚させて、堕胎させて、振られる、というのはどう?」

 「男女の愛の純粋を、教育していくわけですな。」

 「一生涯、女性の愛に恵まれないようにするわ。」

 「かしこまりました。」


◇◇◇


 三沢は二十五歳で結婚し、すぐに長女を儲けた。

 二年空けて長男が生まれ、翌年次男が生まれた。

 妻と子供三人の生活を支えるために、三沢は中堅の会社のサラリーマンとして懸命に働いていた。



 この春も、新入社員が三沢の部署に配置された。

 新入社員の内、ひときわ目をく美しい女性がいた。

 佐倉花梨さくらかりんである。

 彼女は短大卒の二十一歳であった。


 歓送迎会の幹事を引き受けた三沢は、予算を決め、会場を押さえ、座席も指定した。

 もちろん、花梨かりんの隣に自分が座るためである。


◇◇◇


 「おつかれさまです。」

 佐倉花梨が三沢にビールを注いだ。

 多分、短大のサークルなどにも入っていなかったのであろう。ビールの注ぎ方も知らないようだった。


 「瓶ビールはね、底に手を添えて、ラベルを上に向けて注ぐんだよ。」

 「あ、そうなんですね。ありがとうございます。初めて知りました。」


 花梨は、三沢に言われた通りに、ビールを三沢のグラスに注いだ。

 花梨の手は、若くて美しかった。

 白魚のような手、とはこのような手の事を言うのだろう、と思わせるような手であった。


 「新人さん、これから頑張ってくださいね。あ、佐倉さん、でしたね。」

 「三沢さん、もう私の名前を覚えてくれたのですか?嬉しいです。ありがとうございます。」

 三沢は片手で、ビールを花梨のグラスに注いだ。


 花梨はとても礼儀正しく、失礼のないように配慮して三沢に接していた。


 「かんぱーい。」

 三沢は自分のグラスを花梨のグラスに近づけた。


 三沢は歓送迎会の進行などもしたが、花梨をどのように口説こうか、と花梨との夜の計画に尽力したいところであった。


 「佐倉さんは、なぜ、この会社に入社したいと思ったの?」

 そのような質問をし、花梨の若く美しい目を見つめる三沢。

 「業績がとても良く、社風も良いからです。」

 「そうなの。」


 「三沢さん、ビール飲みますか?」

 「そうだな、そろそろ酎ハイにしようかな。佐倉さんは?」

 「私はあまり、お酒は飲まないので、乾杯の一口だけにしておきます。」

 「そうなのか。ここで無理にお酒を進めると、ハラスメントになるんだよな。」

 ははは・・・と三沢は笑ったが、花梨の固さを残念に思った。


 「それではこれで、一次会を終わります。お疲れさまでした!」

 「お疲れさまでした!」

 「来週からまた、頑張りましょう!」

 花梨は、駅の方向に歩いて一人で帰ってしまった。

 「二次会に行く方は、私についてきてください。」

 三沢は、二次会の会場への誘導をしなければならなかった。

 焦ることはない、またチャンスはやってくるだろう、と思った。


◇◇◇


 「ただいま~。」

 玄関の電気こそ点いていたものの、三沢の家族は寝静まっていた。


 歓送迎会では、足元に小型のスーツケースを置き、その上にスマートフォンを固定して、花梨の太もも付近の動画撮影を試みた。

 撮影が成功したかどうか、その映像を確認する。


 暗かったので、かなりぼやけてはいるが、それがやらせではなく、本物の盗撮映像の雰囲気を醸し出し、かえって興奮する映像になっていた。


 「スタイルもいいんだよな。」


 この盗撮映像を何度も見ることにより、三沢の花梨に対する征服願望は高まった。


 「二十一歳か・・・。」


◇◇◇


 三沢は社内で根回しをして、新人を鍛えると称して、花梨に多くの仕事を与え、残業させるように仕向けた。

 もちろん、夜のオフィスで二人きりになるためである。

 その時間帯に信頼関係を築き、関係を発展させようとしていた。


 「佐倉さんは、仕事が速いって噂でね、上司もあなたに、つい任せてしまうのじゃないかな。」

 「ありがとうございます。がんばります。」



 この様子を見ていた瑠香とみーこは、佐倉花梨があまりにも真面目で良い若者なので、彼女の身体を傷つけるのはやめよう、ということになり、当初の計画を少し変更することにした。


◇◇◇


 他の新人よりも多くの仕事を任されている花梨は、残業続きではあったが、嬉しかったし、そのことに満足していた。


 北関東から東京にやってきて一人暮らしをしている彼女には、たまに連絡を取る程度の高校時代の彼氏がいた。

 しかし、彼には新しい彼女が出来そうになっているので、花梨に対する連絡は徐々に減っていった。

 花梨も、彼とはまだ別れてはいない、という認識はあるものの、今彼である、とも言えなかった。自然消滅したわけでもないが、懐かしくほのぼのと思い出す程度の間柄になったのだろう。


◇◇◇


 「佐倉さん、今夜も頑張るね。もう七時半になるよ。」

 「はい。今日中にこの書類のデータを整理しておかないと。」

 花梨は、パソコン画面に向き合いながら、三沢と会話した。


 「何か、買ってきてあげようか?おにぎりと、お茶でいい?」

 「あ、それなら私が行きます!」


 外は雨が降っていた。

 こんな雨天に、近くのコンビニまで上司を買い物に行かせるわけにはいかない。


 「いいよいいよ、コンビニでの支払いのついでだから。」

 そう言うと、三沢は買い物に出かけた。


 オフィスには、花梨が一人だけになった。

 「三沢さんは、私の事、気遣ってくれる・・・。」


 東京で一人暮らしをして、高校時代の彼氏もあまり連絡をよこさなくなった状態で、新しい仕事に慣れようと、毎日頑張っている花梨にとって、社内で一番、心が許せる上司は三沢であった。

 男性として認識することはないが、親切心に感謝していた。


◇◇◇


 今夜も三沢と花梨の二人が残業していた。

 「佐倉さん、ここのところ残業続きだね。」

 「はい。仕事を明日に先延ばししたくなくて。明日は明日で新たな仕事があるので、今日引き受けた仕事は今日中にやっておきたいんです。」

 「頑張るね。会社も佐倉さんのような熱心な社員を求めていたと思うよ。仕事熱心な佐倉さんのペースを邪魔しようとしているわけじゃないんだけど、たまには、美味しいものをゆっくり食べたい、とかない?」


 三沢は自分に関心があるのかもしれない、と花梨は思い始めていた。

 会社で良いポジションに就きたい、という欲は無かったので、上司の三沢の機嫌を取ろうとは思っていない。

 しかし、三沢のような妻帯者は嫌いではなかった。

 自分一人の薄給では、到底美味しい食事などにありつけないし、一人で高級料理店で食事をすることもできない。

 この誘いは受けたかったし、断る理由がない。

 たまに夕食時に二人きりでデートのような状態になったとしても、社内会議の延長、として捉えれば、浮気とはみなされないだろう。



 「例えば、これから夜の街に行くのだとしたら、佐倉さん、何が食べたい?」


 三沢は花梨中心に振る舞い、徹底的に優しく接する作戦に出た。


 優しさというのは結局、征服欲と絡んでいる。

 二十一歳の佐倉花梨を征服して、相性が合えばしばらく付き合い、飽きてきたら社内に噂を流して辞めさせてしまえばよい。


 女性の身体は、流行りの食べ物と同じだ。

 ショーケースに並んだ新入社員のうち、一番美味しそうな女性を飽きるまで食べ尽くす。そのための努力を惜しむとしたら、何のために生まれてきたのかわからない。

 三沢にとって周囲の人間は、自分にとって美味しく利用するための道具に過ぎない。


 二十一歳の女性が味わえるなら、高価な夕食代など数十分の一の価格でしかない。

 二十一歳の女性を味わいたい。


 三沢は肉欲でギラギラしていたが、見た目が爽やかなので、全くそのようには見受けられない。

 花梨も、爽やかで何でも相談できて優しい上司、としか捉えていない。



 「そんな!私は・・・もうしばらくここで仕事しますので・・・。」

 「本当はうなぎでも食べたいんじゃない?ていうか、僕は今、無性に鰻が食べたくなってきてね。いい鰻屋うなぎやがあるんだけど、ちょっとタクシー飛ばして行ってみない?」

 「え、そんな・・・悪いし・・・。」


 「残業代が出ているのかわからないけど、佐倉さんは他の新人さんに比べて働き過ぎているよ。上司の僕からの、ささやかな残業代として、鰻をおごらせてもらえませんか?」

 花梨はお願いされると弱いのだった。


 「上司の頼みと思って、鰻屋、付き合ってくれよ~。」

 三沢は徐々に、甘えた口調になった。

 「なんだか、いいのかなって感じはするんですけど・・・。」

 「いいんだよ!たまには行きましょう!」

 「それじゃ、あと少し。区切りのところまで仕事してから・・・。」

 「わかった。会社を出る時間は佐倉さんに合わせるよ。」


◇◇◇


 結局、二人が会社を出たのは八時少し前だった。大通りまで歩いてタクシーを捕まえることにした。


 三沢は右手を爽やかに上げて、タクシーを止めた。

 右側の後部座席に花梨を促して、自分が後から乗った。


 タクシーの中では、少し距離をとって座り、身体の接触は避けた。

 次のプレゼンについての話だけしかしかなった。

 花梨から三沢に話題を振ることはないので、会話は三沢が主導していた。


 三沢はタクシーを停車させ、料金をクレジットカードで支払うと、狭い路地に入った。二人は手前から三件目の『鰻柳まんりゅう』の暖簾のれんをくぐった。


 「らっしゃい。三沢さん、久しぶり!」

 どうやら顔なじみらしい。

 多分、クレジットカードで料金を支払っているのだろう。店員に名前を覚えられていた。


 「今夜は、・・・社員さん?」

 店員は、花梨を見ながら聞いた。多分、新しい浮気相手だろうと思いながら。


 「ああ、期待の新人なんだ。この人は仕事熱心でねえ。残業代が出ているかわからないから、残業代の代わりにここの最高の鰻をご馳走することにしたんだよ。」


 「ご贔屓ひいきにしていただいて、ありがとうございます!」

 店員は騙されたフリをして、快く振舞った。三沢がこの店に若い女性を連れてくることは、今までも度々あったのだ。



 三沢は店員に、奥の一段高くなった畳の座敷の個室のテーブルを希望した。

 二人は靴を脱いで座敷に上がった。


 「今日は僕がご馳走するから、佐倉さんにはメニューは見せないよ。」

 花梨は、どうせ一番安い並を注文するだろう、と思ったからである。

 三沢は一番高い『特上』を頼むことにした。


 「特上二つ、それと瓶ビール。」

 「かしこまりました。」


 ここの特上は肝吸いとお新香が付いて八千五百円だ。値段を見せると遠慮するだろうから、メニューを自分の座布団の近くに隠した。


 タクシーの乗り方といい、座敷での座り方といい、花梨の一挙手一投足が三沢の好みだった。早くホテルで共に過ごしてみたい。焦る気持ちとは裏腹に、三沢は落ち着いた中年男性を演じていた。


 二人はビールグラスを満たした。花梨は初めの一杯だけ、と言った。三沢がウーロン茶を注文すると、ビールを一口飲んでからウーロン茶に切り替えた。

 

 「佐倉さんは、大学で何を勉強していたの?」

 「語学を学んでいました。英語とドイツ語です。ドイツに憧れていて、ドイツに留学することを夢見ていたのですが、金銭的なことで留学は諦め、やはり日本で仕事をして、自立してゆくことが一番良いと今は考えています。短大で勉強したことは、この会社では役立たないかもしれません。」


 花梨の話を聞きたくて聞いたわけではなくて、心を開かせるために無難なプライバシーに触れただけである。自分から根掘り葉掘り聞いてくる女性は苦手だった。無口であっても、聞かれたことに答えるだけの女性はコントロールしやすい。

 


 「特上お待ち!」

 店員が特上の鰻重のセットが乗ったトレイを二つ運んできた。


 肉厚の鰻は二段重ねになっており、肝吸いとお新香が添えられていた。


 「・・・こんな鰻重、見たことないです。」

 「温かいうちに食べちゃいましょう。残業代です。」


 三沢は冗談を言いながら割りばしを割った。花梨が食べているところをあまりジロジロ見ないように注意しながら、下を向いて頷きながら、鰻の美味しさに舌鼓を打った。

 花梨も柔らかい肉厚の鰻でほっぺたがとろけて、自然と笑顔になった。若く美しい女性の穏やかな笑顔は三沢の征服欲をあおるのだった。しかし、責めるにはまだ早い。欲のない振りを数か月は続けなければならない。来年の新人女性が入るまでの遊び相手なのだから、半年ほど楽しめればよい、と三沢は思っていた。



 「三沢はこんな最低な男になったのね。」

 様子を見ていた女帝幽霊の瑠香が言った。幽霊になると、人間の思考も全て読めるのだ。

 「瑠香様は高校生時代、お美しかったのでしょう。瑠香様がこの男性を選んだわけではありません。被害に遭われたのです。しっかりと復讐してゆきましょう。」



 二人は『鰻柳まんりゅう』で特上の鰻重セットをしっかり平らげた。

 「おなかいっぱいです。本当に、ご馳走様でした。」

 「美味しかったね。食べたいときに食べたいものを食べることって、人生の幸せのひとつだね。」

 三沢が今一番食べたいのは花梨だったのだが、今夜はやめておこうと思った。


 「タクシー呼ぶから・・・家、何処だっけ?」

 右手を挙げてタクシーを呼んだ三沢は、花梨に聞いた住所地に向かうよう、運転手に指示した。タクシーに花梨だけを促し、タクシーの扉が締まると、花梨に笑顔を向けて軽く手を挙げた。

 

 花梨は自宅に戻ると、三沢を素敵な男性だと思い始めてきてしまった。

 できることなら、このまま残業三昧の日々を過ごし、その後に時々三沢とこのようなリッチなデートを繰り返してみたい、と思い始めた。


◇◇◇


 特上鰻重デートの翌日、三沢は左手の薬指に結婚指輪をしてきた。

 花梨ともいつもよりも視線を合わせないようにした。

 勤務三年目の二十歳代の女性に、花梨の目の前で笑顔で対話してみせたりした。



 「押した後は引いてみた、って感じね。」

 霊界から至近距離で様子を見ていた女帝幽霊の瑠香が言った。

 「どうやってらしめましょうかね。」

 みーこが言った。



 「佐倉さん、今日もこれからこれ、お願いできる?」

 夕方の四時を回ったころ、三沢は真顔で、いつもより強めに花梨にデータに変換させるための資料のファイルを渡した。周囲から見ると、少し残業を押し付けるパワハラのような雰囲気でもあった。

 「あ、はい。」

 花梨は、視線を下に向けたが、頬が少し赤くなっていた。


 その日も三沢と花梨だけがオフィスに残った。

 「あ、あの、三沢さん。」

 花梨から話しかけた。

 「昨夜は本当に、ご馳走様でした。美味しくて、お腹いっぱいになりました。」

 軽く会釈をしながら、花梨は三沢にあらためて礼を言った。

 「ああ、これからも時々、付き合ってもらえると嬉しいな。」

 三沢は昨夜と同じような、昼間とは違う笑顔で花梨に言った。


 花梨は、心変わりしたわけではなかったんだ、と思ってホッとした。

 その日は、花梨が先に自宅に向かい、三沢だけがオフィスに残った。


 その後も三沢は、焼肉が食べたくなれば高級焼肉店に誘い、しゃぶしゃぶ、ステーキ、割烹料理、寿司など、高価な食事を度々花梨にご馳走した。

 ご馳走の翌日は、必ずそっけない態度を取り、花梨の心を揺さぶって掴んでいった。


◇◇◇


 特上鰻重デートから半年が過ぎた頃、十一月の街はイルミネーションに彩られたクリスマスムードになってきた。

 木枯らしが吹き、コートやマフラーが必要な日もあった。


 年末調整のための仕事が目白押しになっていたので、仕事がデキるようになってきた花梨に、三沢は今日も残業を頼んだ。

 同僚も、花梨にばかり仕事を押し付けることにやや不信感を抱き始めたが、かといって誰も残業などしたくはないので、言及することはなかった。

 

 今日は金曜日である。三沢は単純に鍋が食べたくなり、オフィスに二人きりになったタイミングで花梨に打診した。

 三沢に惹かれている花梨は、もちろん二つ返事で鍋料理の店に付き合うことにした。


 いつものようにタクシーを拾って鍋料理の店に向かった。


 三沢は、結婚指輪をしてきた。


 「寒くなって来たよねえ。いつも残業お疲れ様!」

 鍋料理の個室お座敷で、三沢は花梨にリボンのついた包みを渡した。

 「え?何ですか?これ。」

 「ははは、開けてごらん。」

 花梨が丁寧に包みを開けると、中身はボルドー色のカシミアのマフラーだった。

 「!」

 「残業代だから。ははっ、お返しなんてしなくていいからね!僕があげる物なんて、気にしないでね」

 花梨はボルドーが似合う、色白だった。

 「え?いただいてしまってもいいんですか?」

 「いいんですよ。いつもお疲れ様。」

 「あ、ありがとうございます!寒くなってきたので、明日から使わせていただきます!」

 「ははは、いいよ、気を使わなくても。明日は暖かいかもしれないんだしさ。」

 三沢は、自分の思うツボになりそうな佐倉花梨の存在に感謝して、下を向いて顔をクシャクシャにして笑った。


 三沢は大皿に乗ってきたネギを、沸騰した鍋の中に入れながら答えた。

 「私、春菊が好きなんです。」

 「ああ、春菊?僕も好き。美味しいよね。あの苦みがいいよね。」

 三沢は、大皿に乗った春菊を、全て鍋に入れた。

 花梨は天国に居るような気分になった。

 

 三沢が頼んだビール瓶を、いつもグラスに一杯だけ注いでもらって、一口しか飲まなかった花梨が、今日はグビグビと一気に飲み干した。

 「え?佐倉さん。そんなに一気に飲んで、大丈夫なの?」

 「今夜は、こういう気分なんです。」

 こういう言い方をするのか。

 三沢は花梨を、今夜戴くことになるかもしれない、と予感した。



 二人はラブホテルの中にいた。

 花梨が気が付くと、隣で三沢が寝ていた。

 上半身は、裸である。

 花梨は、自分の身体を認識したが、全裸だった。

 花梨と三沢は、花梨の意識がない状態で一線を越えてしまっていたのだ。


 花梨に意識が戻ってきたら、部屋をチェックアウトし、三沢はタクシーを呼んで花梨の自宅住所を告げると、無事送り届けることを運転手に頼んだ。



 花梨が再び気づくと、自宅の部屋の中にいた。昨夜何があったのかを知る由もなかったが、多分、三沢と一線を越えてしまったのだ、ということは認識していた。


 三沢は昨夜の美味しい御馳走を、また食べたい、と思っていた。

 想像した以上に、二十一歳の花梨の肉体は三沢を満たした。

 三沢はこのミッションに成功したことを幸いに思った。

 花梨をまた食べたいと思った。


◇◇◇


 鍋料理デートから二週間後、二人きりの残業中、三沢は花梨を誘った。

 花梨は二つ返事で受け入れた。


 三沢はふぐ料理が食べたくなり、この夜のデート会場はふぐ料理の店にした。

 いつものようにタクシーを拾ってふぐ料理の店に向かった。

 熱燗あつかんを頼むと、花梨も飲みたい、と言い出したので、三沢はお猪口ちょこをもう一つ頼んで、お猪口ちょこで二人は乾杯した。


 花梨は案の定、酔っぱらった。

 タクシーで花梨の家に二人で向かい、花梨の部屋のベッドで二人は性交した。

 もちろん、避妊具はあらかじめ三沢が用意していた。

 前回もそうだった。

 心神耗弱状態の花梨を、三沢は公然と犯した。

 何の責任も取らずに、二十一歳の肉体を貪った。



 「そろそろ天罰を与えましょう。」

 「そうですね。我々は瑠香様に全面的に協力いたします。」

 女帝幽霊の瑠香とみーこと幽霊の戦闘部隊代表は確認をとった。



 ふぐ毒が効き始めてきたのは、午前八時以降だった。

 三沢がタクシーで自宅に戻り、自宅に帰って来なかった理由を妻に問い詰められていた時であった。

 「う・・・なんか、気持ち悪い・・・。」

 洗面所に三沢は駆け込んだ。

 三沢の妻は、度重なる三沢の外泊に、ほとほと呆れかえっていたし、多分浮気なのだろうと思っていたので、苦しんでいた三沢を放っておいた。

 すると、洗面所で吐いていた三沢が、いきなり床に倒れ込んだ。

 三沢はそのまま、帰らぬ人となった。


 「ふぐ毒を効かせたのですね。」

 みーこが言った。

 「こんな奴は、いつまでもこのような行動を繰り返すだけでしょう?佐倉花梨さんを守る意味でも、早々にこのようにすべきだと思ったのよ。」

 「このプロジェクトは継続させていきましょう。」

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