第29話
馬車に戻ったが浙冶たちはまだ帰ってきていない。高殊たちは何か話をしているところだった。樊季は邪魔をしないようにとそっと馬車に中に戻る。壺のことは浙冶が帰ってきたら話せばいいと思った。
馬車の中は塩の入った袋でいっぱいだった。五袋とはいえ馬車も狭い。この袋の中身が大金に化けるのかと思うと不思議な感じがする。
手を滑らせたら大変と、樊季は手頃な木の箱を見つけ、壺をそこに入れて布で詰めた。そうしてそのまま皆を待ったが、一向に帰ってくる気配がない。そのうちそのまま寝てしまった。
やがて、馬車がガタゴトと動く音で目が覚めた。外を見ると、日はかなり傾いている。
「疲れた……ようやく通れる」
浙冶が馬車に乗り込んできた。疲労の色が濃い。
「今までなにしてたの?」
「片付けを手伝ってたんだよ。ぶちまいた豆と果物に加えて、豚まで脱走しやがったからな」
結局、なんだかんだ言っても浙冶ってお人好しよね、と樊季は思った。文句を言いながらもいつも他人の手助けをする。
「俺たちが最後だ。もう他のやつらは誰もいない」
「あっ、浙冶、そういえば」
呼び止めて先ほどの老婆の壺の話をしようと思ったが、浙冶は馬車から降りて行ってしまった。関所の入り口に着いたので手続きをするつもりらしい。
しかし、浙冶はなかなか帰って来なかった。馬車から顔を出して様子を見ると、何か揉めているらしい。
「どうしたの?」
樊季が声をかけると璃鈴が近寄って来て困った顔をしながら答えた。
「なんか、いちゃもんつけられてるみたいなのよね」
「いちゃもん? 『付け届け』ってのを渡したら通してもらえるんじゃないの?」
樊季は、旅の途中で浙冶が何度も小袋にお金を入れて役人に渡しているのを見ていた。
「そういえば……ここの役人、あまり評判が良くなかったんだわ」
「評判が良くないって、どうゆうこと?」
璃鈴が小声で話すので樊季も小声で返した。
「ありていに言えば、付け届けとかそういう規模じゃなくて……商人は荷を全部取られちゃうことがあるの、身に覚えのない罪を着せられて。この荷は塩だし売れば結構な額でしょ。すべての商人の荷が没収されるわけじゃないけど……五組のうち、ひと組の確率かな」
「え……その五組のうちのひと組になっちゃうの、私たち……」
樊季が心配そうに呟いた途端、浙冶の怒鳴り声が聞こえてきた。
「だから! これってちゃんとした正真正銘の通行証だろ! で、こっちがあの娘の路引! なにがいけないんだよ!」
「長葉明の者か。身元がしっかりしていても、規定にない荷が積まれていることがあるからな。調べさせてもらう」
三人の役人が浙冶の前に立ちはだかっている。喋っているのはそのうちのひとりだ。
「さっきまでの馬車はすべて問題ないって通過させてただろ! なんで俺のとこだけ足止めするんだよ?!」
「とにかく、荷を検める。騒ぐな」
浙冶の抗議を無視し、関所の役人たちは馬車に近寄ってきた。
「樊季さん、馬車から降りて」
「あ……」
璃鈴に手を引かれて慌てて馬車を降りたが、老婆に預かった壺が置いたままだった。
入れ違いに役人たちは馬車に乗り込む。そして、なぜかすぐにその壺を発見した。
「これは何だ?!」
役人がこれ見よがしに壺を掲げ持った。しかも、樊季が止める間もなく壺が割られてしまった。が。
割れた壺から出て来たのは、奇妙な粉だった。
「えっ……」
樊季は絶句した。牛蒡子は見たことがないから分からない。だが、植物の種だと聞いていた。あれはどう見ても種には見えない。
「お前、どこであの壺を?」
異変に気づいた浙冶が急いで樊季に近づき、声を殺して口早に問い詰める。樊季は蒼白な顔をしながら、早くなる呼吸とともに言葉を継ぐ。
「延令の城市で占ってくれたお婆さんがいたでしょ? さっき、この関所で偶然会ったの。境の城市にいる息子さんに早くこの壺を届けたいって。ずっと歩いてきたから足が動かなくなってしまったって。お婆さん、馬車は苦手だっていうし、境の城市なら私たちがこれから行くから……その、中身は牛蒡子だって聞いてたから……私が荷物を引き受けたの」
浙冶は舌打ちをした。少し考えれば分かる。罠だ。しかし、今ここで樊季を責めても何もならない。
「樊季、今の話は絶対口にするなよ。それと今からお前は何も喋るな」
「でも、私……」
「いいから何が起こっても喋るな。余計に面倒なことになる。お前が黙ってさえいればすべて丸く治まる」
俺に任せろと小声で念押しをし、浙冶は役人に向き直った。
「失礼した。違う荷が紛れ込んでいたようだ」
「なんだ、これは?」
「さあ? それは、俺たちには関係のない荷です。捨ててくれても一向に構わない」
「いや、これは……麻薬だな! ただの粉ではない! すべての荷を没収しろ!」
このときになって浙冶は役人の狙いにようやく気づいた。つまり、最初から狙いは塩だったのだ。こんな砂のようなものが大金に化けるのだから狙うものは大勢いる。そしてそれは盗賊とは限らない。が。
「な、何だ、これは!?」
役人が袋を開けると、中から出て来たのは砂。中身はすべて砂だった。
樊季が呆然としながら誰ともなく訊いた。
「なんで……?」
「お前、熱心に見てたじゃないか、婚礼の行列を。あれの新郎役は東宜だ」
「えっ……」
それで合点した。あれが、塩が運ばれるところだったのだ。
浙冶はあらかじめ康の宿で塩を砂にすり替えておいたのだ。仕込んだのは計画通りに落ち合った東宜たちだ。
この場では浙冶以外の誰もが袋の中身は塩だと信じていた。すり替えの事実さえ知らなかったのだ。捕縛したところで問いただしようがないし、それ以前に問いただす理由がない。中身は砂なのだから。
しかし、麻薬の件は別である。璃鈴たち鏢師はこの場を動くなと命じられ、浙冶と樊季は別の場所に連れて行かれた。樊季が泣きながら浙冶に謝る。
「浙冶、ごめんなさい。私が……」
「お前は黙れ! 何も知らないやつが横から口をだすな!」
わざと声を張り上げて樊季の声を打ち消す。
しかし、役人は浙冶と樊季を並ばせて交互に睨みつけながらわざとらしく質問をする。
「で、どっちが主犯だ?」
間髪を入れず、浙冶が答えた。
「俺に決まってるだろ。この女にそんな度胸があるとでも? 関所の役人のくせに案外見る目がな……」
浙冶が言い終わらないうちに役人は浙冶の顔を横から殴りつけた。派手に地面に倒れるその姿を見て、樊季が悲鳴を上げる。役人が邪魔だとばかりに今度は樊季に手をだそうとすると、浙冶がすぐに立ちあがってその腕を掴んだ。
「その女には、手を出さないほうがいい。こう見えても、尹家に輿入れする身だからな。指一本でも触れれば、尹家よりどんな報復があるか」
「黙れ!」
今度は浙冶の鳩尾に拳が入り、倒れる間もなく胸倉をつかまれる。
「ならば、貴様になら、いくら手を出しても構わないわけだな?」
大金を逃した元凶として、憎悪の視線が浙冶に突き刺さる。樊季は別の役人に両腕を芋かまれて動けず、「浙冶に手を出さないで! やめて! やめてください!」と泣きながら訴えていた。
「ええ、どうぞ、お好きなように。あとついでに言っておくが、同行の者たちにも絶対に手を出すな。その女が俺たちの主人だ。もう一度言うが、その女はもうすぐ尹家の人間となる者。尹家に連なる者が身に覚えのない罪を着せられたら、尹家は黙っていない。あんたらのことを地の果てまでも追いかける」
「では、粉のことは? 麻薬があったことはどう説明する?誰の責任だ!」
「俺が持ち込んだ。俺は、尹家とも葉家……この女とも直接関係がない、今回の旅についてきたただの下僕だ」
それが答えだった。
砂の荷物を運ぶ商人一行は麻薬の運搬を偽装した容疑で全員捕縛。それが普通だ。しかし、下っ端役人が尹家の逆鱗にふれるような真似はできない。役人の存在を消すことくらい、尹家はひと言口を開くだけでできるのだ。尹家を敵に回さず犯人の捕縛という目的を達するには、方法はひとつしかない。
そのとき、別の役人が走ってきて主格の役人に耳打ちをした。無情な言葉が浙冶に下る。
「そいつを連れて行け」
「浙冶!」
樊季が叫ぶと、浙冶は役人に気付かれないように素早く認可証一式が入った財布をよこした。
「俺のことは気にするな。お前は璃鈴の言うとおりにしてろ。そうすれば家に帰れるから!」
***
目隠しをされ、連れて来られたここがどこなのかは分からない。石が積まれてできた部屋はそれほど広くはない。暗く、濁った空気があたりを満たしていた。
本来ならば、関所の所属する府、延令の役所に連れて来られたと考えるべきだ。が、果たしてあの延令の役所の中なのか、よく分からない。
それよりも、今から自分の身に何が起こるのか。浙冶は充分に理解し覚悟していた。
康令府ではたとえ橋の件で捕まったとしても、内情をぶちまけるという切り札があった。だから、本当の身元がばれる懸念はなかった。
しかし、今がどういう状況で、誰に何を言えば解放されるのか分からない。そしてとにかく、浙冶は麻薬に関係していると白状しなければならないらしい。その真偽に関係なく、言わせたいことをどうしても相手に言わせる手段といえば、ひとつしかない。
「麻薬はどこで手に入れた?」
男たちはさっきの役人たちではない。服装からするに、もっと上位の役人たちである。しかし、どのような立場の者たちなのかは分からない。
「さあ? 関係のない荷が紛れ込んだと俺は最初に言ったはずです。知るわけがない」
男が目配せをすると、左右にいた屈強な部下たちが無理やり浙冶を抑え込み、浙冶の手を天井から吊り下げられた二つの手錠にかける。両足も鎖で固定され、まったく身動きが取れなくなった。
「何をするんです?」
見ると、男の手に棒が握られている。浙冶は刑の規定の詳しいことなどは知らないが、拷訊しろ刑罰にしろ、使用刑具の形状には決まりがある。そして、拷訊は刑罰の実行数より超えてはならないのだ。本来なら。
「これでも知らないと言い切るつもりか?」
手に持ったそれで相手の顔をくいっと上げる。浙冶は不敵な笑みをみせた。
「ええ、俺は何も知りません。一言も喋りませんよ」
「その言葉、どこまで守れるかな」
「さあね」
執行人が振りかぶると、浙冶は目を閉じた。
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