第25話

 ここから先の旅は驚くほど順調だった。


 まず、防衛所の倉に米を納め、塩と引き換えるための受取手形を役人に発行してもらう。手形には、いつ誰がどこへ何をどれくらい納め、塩をどれくらい渡すべきかたかということだけではなく、この手形が正式なものであり各役人が確認したとの記述、そのうえ、便宜上旅の主となっている樊季の年齢や身体的特徴まで書かれた。その手形をもらって、康令府から付き合ってくれた人々とはここで別れを告げる。


 次にそのまま四日ほどかけて沿岸部に行き、塩場で規定量の塩が入った袋を受け取る。袋ひとつひとつにはすべて塩引がついていた。全部で五袋。換算すると、米一石につき塩袋ひとつ。この袋ひとつが浙冶の言う、「樊季ふたりと半人分よりちょっと多いくらいの重さ」だ。


「結構、あるわねー……これでどれくらいかしら?」

 樊季が感心したように呟くと、余計な答えが返ってくる。

「だから、お前ふたりと……」

「そんなんじゃ分からないわよ!」

「全部合わせて、お前十三人分くらいの重さだな」


 塩袋ひとつを五倍しただけだ。樊季はむくれた。


 少し離れたところでは、ここで働く民が大きな石の重りを載せた大きな秤で塩の重さを量り、袋に入れている姿が見える。ここからは見えないが、奥には大きな鉄鍋で海水を煮出している者もいるという。


「ここってな、特別なんだよな。塩づくりの人員は必ず確保する。足りなくなると罪人や別の場所から人を連れてくることもあるらしい。だけど、不慣れな連中が作ってもいい塩はなかなかできないんだとさ」

 まだむくれている樊季に向かって、浙冶がどこからか聞いた話をした。


「ま、お前には興味のないことだと思うけどな」

「じゃあ、なんで話したのよ」

「これからは必要なさそうなことでも知っといたほうがいいだろ?」

 樊季は一瞬、「今気づいた」というような顔をしたが、笑顔で誤魔化しながら「当然でしょ」と答えた。


 塩を手に入れ、塩場を後にしたあとは、延令に近い販売地区に向かって馬車を走らせるだけだった。心配した盗賊も道中現れず、関所も難なく通過し、野宿をする必要がないほど上手い具合に城市か村の宿を求めることができた。しかし、康令府の境まで来ると、浙冶は気が重くなった。溜息を吐きながら言う。


「仕方がない。このまま呂苞のところに寄ってみるか。あいつの顔なんて全然見たくないけど」

 残念ながら、呂苞がいる康の城市は行程上、通らなければならない。最初は無視するつもりだった。しかし、立ち寄った城市で往路で防衛所に同行した一団と会い、「浙冶に会いたいからと毎日一時ごとに城門を見に来ている」と気持ち悪い情報を手に入れてしまった。嫌なことは早く終わらせようと、非常に気が進まないながらひとり、役所の門前に立った。


 呂苞は、尻尾を振りちぎらんばかりの犬のような喜び方で浙冶たちを出迎えた。犬に例えるのも犬に失礼だよなと浙冶は思いながら、通された執務室の椅子に座る。

「首尾よくいったそうではないか! ご苦労ご苦労」


 案の定、先に帰った一団が結果を報告してくれてたらしい。だから会う必要なんてまったくないんだけどなと、気怠い感じで適当に返事をした。

「あとは涛同知が中央に戻るのを待っててくれ。これ以上は俺たちでは何もできない」

「ああ、いいだろう。ここまでしてくれれば上等だ」


 なんでこの無能はこんなに上から目線なんだろうなと、浙冶は怒りを通り越して、かえって新鮮な気持ちになった。約束した村の救済のことを訊くと、一応、おこなったということなので、それを確認するためだけにここに来たんだと割り切ることにした。 


「延令の楊同知?」

 呂苞は終始機嫌が良く、満面の笑みで様々なことを話してくれた。早めに切り上げて帰るつもりだった浙冶だが、無能とはいえ高位の役人という立場にある呂苞の知識と情報を聞くことができるのは面白かった。そこで延令の同知の名を何気なく話すと、意外な反応があった。


「それは楊士准のことか?」

 呂苞は首を捻る。

「知っているのか?」

「知っているも何も、やつもこの間まで中央にいたんでな」

 浙冶は軽く驚く。

「中央に? それってどこの部署だ?」

「それが、分からぬ」

「分からないって。何か秘密の仕事でもしていたのかよ」

 いや、と呂苞は、短くかつ歯切れの悪い返事をした。


「三、四年前、史上最年少の三元が現れてな、それが楊士准だったのだ」

「三元!? あいつが!?」

 国を動かす地位の役人になるには必ず試験を受ける。三元とは、そのために受ける三つの考試すべてを主席で合格した者のことである。


「なんであんた、そんな有名人がいた部署を知らないんだよ」

「……いや、その、まあ、一応、近づこうとはしたのだが……」

 昇進の早そうな若手を取り込んで自分の出世の駒とする。呂苞は当然そう考えた。が、士准から何人たりとも決して寄せ付けようとはしない凄まじいまでの気迫を感じ、さすがの呂苞も近づくのを諦めたということだった。


「ただ、やつの個人的なこと、官職に就く前の経歴についてなど、最初に調べてみたのだがな。これがなんと、一切分からなかった。やつのことを知っている者も誰もいない。家柄についても確かな情報がない」

「そんな優秀なやつが中央から地方にって、左遷か?」

 しかし、この後に聞くことのできた情報はひと言だけだった。


「なぜ地方に来ることになったのかはまったく分からぬ」

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