第23話
「あのお酒って、お米の代わりにもらったんじゃなかったの?」
出発前の朝のひととき。村の中央の家では、樊季が意外そうな声を出していた。
「いや、酒は、康令府の知府から防衛所の兵たちへの陣中見舞いということにする。俺たちは運んできただけ」
人と荷が一気に増えて大所帯になった。が、道中立ち寄ったこの村の人たちは、快く一夜の宿を貸してくれた。浙冶たち一行は何軒かの家に分かれて泊まり、先ほど朝飯も食べたところだ。もう少しで出発するため、他の者は準備に追われている。しかし、浙冶は樊季に用があると言って、ふたりだけで話をしていた。
あの暗愚な知府のいる康令府を越えたからか人々が温和な気がする、と浙冶は余計なことを考えながら樊季と会話をしていた。すると、当然の問いが返ってくる。
「どうして?」
浙冶が呂苞に米の補填を願い出たとき、酒もつけることを強く要望したのだ。しかも米の容量の十倍以上ある。それなのに、その酒は自分たちからではなく康令府からの差し入れにするという。運んだだけならば、無駄骨を折るだけではないのか。
「あのやる気のない知府にやる気を出させるようにしないと、上手くいかない計画だったからな。酒は単なる餌だ」
「意味が分からないわ。だいたい餌ってなによ」
「呂苞は中央に戻りたいんだよな。それならそっち方面に人脈があったほうが戻りやすい。寵姫の兄と面識をもてるなら望むところだと思うんだが」
「それ、誰のことを言ってるの?」
「
同知とは副官に当たると浙冶は説明した。当然、官品は軍長官である指揮使の下である。が。
「涛同知はそろそろ中央に戻ることになるだろうと噂されている。噂っていってもかなり確定に近いものだ。涛同知の妹が最近、後宮入りをしたんだが、皇帝がいたく気に入っているらしい」
つまり、皇帝の寵姫の兄である。
「それって、この前あんたが言ってた、皇帝に一目で気に入られたっていう人?」
「そうだ。お前に似ているらしいっていう、あれな」
出発前に玄亥からは、「塩を売るだけで満足はするな」と言われていたので、浙冶はあらゆることを想定していろいろなことを調べておいた。防衛所の軍長官と副官の経歴諸々も。玄亥の命令の意味にすぐには気付けなかったが、ここへきてようやく確信が持てた。
「武官とはいえ、涛同知と誼を通じておくのは悪くない。寵姫は普段控えめで要望をあまり言わないらしいんだが、「心細いので兄だけでも自分の近くに呼び寄せたい」という願いを皇帝に訴えたそうなんだな。控えめってところがお前と違うが」
「うるさいわねっ!」
浙冶は説明の端々に余計なひと言を入れるので時々話が分かりにくい。樊季は頭の中で必死に整理した。
「えーっと、それって、つまり……涛同知と関係を持ちたいってことね!」
「樊季、お前、言葉の使い方に気をつけろよ。微妙にやばい表現になってるぞ、それ」
話が逸れたので戻そうとすると、樊季から疑問の声が上がった。
「涛同知と関係……じゃなかった、誼を通じたいってことは分かったわ。でもそれって、康令府の知府は自分でやったほうがいいんじゃないかしら? 私たちが仲介する意味ってあるの? そもそも私たちにできることなの?」
「呂苞だけじゃなくて俺たちも涛同知と誼を通じたい」
「ごめん、意味が分からなくなってきたわ」
ふたつのことを同時に話していることに気づいて、浙冶は説明し直すことにした。樊季にはここできちんと理解をしてもらわなければならない。
「まず、防衛所に行く目的なんだが、涛同知と親しくなることだ。これは分かるな?」
「分かるわ」
樊季も真剣な表情で話を聴いている。珍しいと思いながら浙冶は続ける。
「だが、普通に荷を運んで涛同知に会わせてくれと言っても会うことはできない。これは呂苞が使いを出しても同じだ。規則でそうなっている」
樊季が言葉を挟まずに頷きながら聴いている。つい茶々を入れたくなるが我慢した。
「米や酒を納める先は防衛所にある倉だ。受取手形は、その倉を管理している役人が発行することになっている。普通に俺が手続きしちまうと、軍の人間にはまったく会えず、だれとも誼も結べずに帰ることになる」
「ということは、別の方法でお目通りを願うってこと?」
樊季が冴えを見せ始めた、ような気がする。気がするだけかもしれない。
「そういうことだ。俺じゃないやつが手続きをする」
「誰よ」
「お前」
樊季は目を瞬かせた。
「どうゆうこと? 私は手続きするだけでいいの?」
「その手続きが重要なんだ」
浙冶は少し息を継いだ。自分でも、もう一度計画を整理してみる。
「涛同知は闊達な性格で、あと、まあ、愉快な人柄らしい。冗談を好むというか。だから、下心見え見えの呂苞が、袖の下よろしく酒を持って目通りを願っても、人物的に捻りがないし利もないから会ってはもらえない。それよりは、涛同知の妹にそっくりなお前のほうが、会ってもらえる確率が高い」
「妹さんに似ているってだけで私は会ってもらえるの?」
ああ、と浙冶はなぜか無表情になり、さらりと言葉を吐く。
「涛同知は妹にぞっこん……妹思いなんだと。もう何か月も会っていないし」
それまで真剣な面持ちだった樊季が、『今、なんか、聞いてはならない言葉を聞いたような気がする』という表情に変わったのを浙冶は見た。樊季は今言われたことを確認するかのように浙冶の顔をじっと見つめる。が、浙冶は目を逸らしている。今言った言葉のせいというより、次の言葉を発するのを躊躇っている様子だった。
「それで、私は何をすればいいの?」
樊季が促すと浙冶は意を決し、向き直って答えた。
「肝心の目通りを願うときなんだがな。……親父なら、多分、そういうことをお前にはさせないと思うんだが。だが、俺には他にいい考えが浮かばない。嫌なら断ってくれても構わない」
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