第21話
「わ、わしの家で話せばいいのではないか?」
結局、浙冶と呂苞は城市から少し離れた林で話をすることになった。高殊たちは無言でその周りを囲み、圧力をかけるように待機している。呂苞が乗ってきた馬もその辺りまで連れてきて放した。
「俺としても、城市へ入って屋根のあるところで落ち着いて話をしたいとこだけどな。門を潜るときに門兵が俺に気づいたら、捕まっちまうだろ?」
緊急で開門したとはいえ、門兵は人が入るときの視認まではさすがに怠らないだろう。
しかし、門を出て行った知府が戻って来ないことについてはどうやら誰も気にしないらしい。部下の役人たちが馬で城市の中に入り終わると、城門は再び閉じられてしまった。
適当な言い訳もなにも必要なかった。人望の問題かもしれないなと浙冶は冷ややかな目で門を見る。暗がりの中、呂苞の目の前に何かを突き出しながら、いつもの不遜な口調で言葉を吐いた。
「単刀直入に言う。役所の倉にある米を俺によこせ。あんたんとこの管轄地区、つーか、目の前にある村がいくつか、今、食料不足だってこと、あんたは知っているのか? みんな飢えて苦しんでる。で、俺が持ってきた米がなくなっちまった」
取引きが成立するかどうかはまだ分からない。浙冶はここまではあえて、自分ひとりだけの行動のようにみせた。
「こ、米……?」
「そうだ。それと、酒な。酒は多ければ多いほどいい。あんたの家の蔵にあるだろ?」
「酒……」
呂苞が渋る態度を見せた。少し冷静になってきたようだ。が。
「まず、取引というのは? 中央へ戻れる方法はなんだ?」
この状態でも呂苞は中央への執念を見せた。しかし、その執念は別のところに注いでほしいと、浙冶は心底思う。
「とある大貴族と縁のある娘が今、この城市にいる」
「だ、大貴族? その娘がわしを中央へ戻してくれるのか?」
「違う。まだ話は始まってない。いいから黙って聞きやがれ! 俺たちは北方の防衛所に行く予定なんだよ。そこに――」
浙冶は感情を入れずに説明をした。あたかもすべてが上手くいくかのように熱を入れて話をすると、逆に嘘くさくなる。状況と事実だけを淡々と述べたあと、計画について簡潔に、しかし根拠を示しながら話をした。呂苞はおとなしく聞いている。
「――というわけだ。俺の言う通りにすれば、中央へ戻ることはもちろん、今この現状をすべてを丸くおさめることができる。さあ、あんたはどうする?」
あくまでも居丈高に言う。呂苞が浙冶の提案を呑まなければ窮するのはむしろ浙冶のほうなのだが、それはおくびにも出さない。こちらの余裕がないのを悟られないため、するしないの選択権は呂苞に与える。が、話の主導権だけは渡さない。
「どうなんだ?」
呂苞はまだ考えている。しかし、おそらくすでに、脅しは見せかけで殺されることはないと気づいているに違いない。曲がりなりにも知府、康令府をまとめる立場なのだ、一応。それに気づかないほどの頭ではないはずだ、多分。
それに、と浙冶はさらに考えた。まだ白状してはいないが、『橋を落とした』事実は状況を見れば誰の仕業か明らかだ。さすがに呂苞でも気づいているだろう。そして……実はもうひとつの事実にも呂苞が気づいてしまうと、浙冶の計画は本当の意味で終わってしまう。
「分かった、分かった! 中央へ戻れるのであれば……協力しよう」
「本当に? 逆に俺を嵌めるつもりじゃねーの?」
わざと、疑わしげに聞く。待っていた返答に飛び付いたりはしない。
「本当だ。わしが中央に戻れるのなら、何でもしよう」
そこで浙冶は勘づいた。あまりにも返答が早いし良すぎる。
「そうかい。そりゃ良かった。言っておくけど、俺を巡按への言い訳に使わないほうがいい。それだけは忠告しとく。やつらに引き渡したら、俺はここに着くまでに見聞きしてきたことを洗いざらい喋るからな」
呂苞はそこで挙動不審になった。
(あ、こいつ図星だったな)
巡按へ浙冶を突き出すのは、橋を焼き落とした犯人としてだ。この地は中央へ反旗を翻した過去があり、橋を落とすことはそれだけで重罪。その責任を浙冶に取らせるのは理にかなっている。しかし。
「重罪人なら康令府内で裁けないんだよな。さすがに刑部はあんたと違って杜撰な取り調べはしないと思うが。俺がここに来るまでに見てきた康令府の実情、そりゃあひどいもんだったさ、あんたのせいで」
基本的に、府で起こった事件は知府や同知が裁く。が、重罪案件に当たるものだけは罪人を中央機関の刑部で取り調べる。浙冶を巡按へ突き出しても、裁くのは巡按ではないので言い訳にしか使えない。それどころか、府の手を離れた事案となってしまう。中央へ送られた浙冶が、橋落としまでの経緯と合わせて康令府の実情を喋れば、監察用に作成した書類の嘘がばれる。
「それとも俺を消すか?」
浙冶を亡き者にして、巡按へ弁明だけをするということもできない。この橋落としに関していえば。勝手に府内で処理なんてすれば、逆に中央からは疑惑の目が向けられる。
そこでようやく呂苞は観念したようだ。
「分かった……要件を呑もう。だが、橋が……」
「橋なら心配ない。あんたたちの部下は慌てていなかったろ?」
余所者の俺でも分かったのに。こいつ康令府のことを全然知らないんだなと浙冶は呆れた。
でも、それで救われた。呂苞は「だが」、とぐずぐずと言葉を続けていたが。
「お前は信用できるという証拠はあるのか?」
当然の疑問である。しかし浙冶はこれに関しては自信満々に答えた。
「ある。さっき言った娘と会わせてやるよ。それがなによりの証拠だろ?」
そこで初めて呂苞は浙冶の話の内容を信じ、熟考した。そして、計画と捕縛を天秤にかけたらしい。しかし、浙冶の提示した条件を呑んだほうが自分にとって都合がいいと判断したようだ。自身で損得を勘定して選んだなら裏切ることはないだろう。
浙冶はそこでようやく呂苞と計画の細かい部分を詰めた。話が終わって、浙冶が思い出したように言葉を吐く。
「けどさ、知府さま。あんたはあの橋が燃えたことに動揺してたけどさ。あれ、古すぎて、いつ壊れてもおかしくなかったんだからな。中央から来た巡按が通ったときに橋が落っこちたらどうするつもりだったんだよ」
呂苞は青ざめた。巡按が査察の対象とする康令府の行政文書に関しては、当然のごとく分からないように細工をしてあった。しかし、ここに来るために通らなければならない橋のことなど思いつきもしなかった。
「あんた、なんで中央に帰りたいんだ? 出世のためか?」
確か、高殊がそう言っていた。すぐに、訊く価値もないようなことを尋ねちまったな、と浙冶は自嘲した。しかし。
「もちろん、出世のためだ」
呂苞は胸を張って、清々しいほどはっきりあっさり言い切った。期待していたわけではまったくないが、やっぱり噂は本当だったのかと浙冶はめまいがした。これでは康令府の民としても、もう少しやる気と思いやりのある知府が就任してくれたほうが何万倍もありがたいだろう。
「じゃあ、夜も明けてきたことだし、移動するか。そろそろ門も開くころだろ」
陽が昇り始めたせいか、昨夜の寒さとは打って変わって暖かくなってきたような気がする。
はっきり言って今夜、ここまで上手くいくとは思ってもみなかった。気分が高揚しているせいもあるかもしれない。
門のところまで移動し、開門まで待った。高殊以外の鏢師ふたりと呂苞は放した馬を探しにいった。馬にも主人とは思われていなかったのか、どこかへ行ってしまったのだ。
「ところで浙冶さん、なんですか、それ?」
高殊が浙冶の手に持ってるものを指差した。これで呂苞を小突いたりしていたわけだが。
「これか? 牛蒡子(ごぼうし)が育ったやつだとさ」
牛蒡子は解毒や解熱、咳止めなどに効く薬だ。植えれば地中に長く根が伸び、そちらも薬となる。食用とする習慣はないがこの辺りでは食べる家もあるというので、少しばかり作っているらしい。
「で、なんでそんなもん、持ってるんですか?」
「仕入れができないかと思ってさ。こいつは昨日の夕方に試しに買ってみたんだ。そのまま持ってきちまったけど。たまたまなのか意外に硬くてな。でもってまさか、今夜あの能無しが出てくるとは思わなかったから、小突くのに使ってみた。暗いとあんま分かんないしな」
ちょっと笑いながら返答すると、高殊が心配そうな顔をした。
「それ、種のほうが必要かもしれないですよ」
「あ? なんで?」
高殊が「失礼」と、浙冶の額に手を当てる。かなり熱い。
「あー……やっぱり。熱がある。風邪でもひいたんですかね」
さっき夜が明けて暖かいと思ったのは熱があったからだ。普通に考えればすぐ気づく。夜明け前が一番冷える。
「早く宿で寝たほうがいいです。立ってるのも辛いでしょ? さあ」
高殊は浙冶の前で屈んで背負ってくれようとした。すると、ちょうど背後から呂苞たちの声が聞こえてきた。どんどん近づいてくる。
浙冶は慌てて高殊の腕を引っ張って立たせようとした。
「いや、高殊、頼む、立ってくれ。大丈夫だから」
「全然大丈夫じゃないでしょ、顔も赤いし。気づいてないようですが、ふらついてますよ」
「それでも立ってくれ。頼む!」
高殊が渋々立ち上がると、疲れ切った呂苞がとぼとぼとこちらへ歩いてくるのが目に入った。
「馬は見つからなかった……」
だろうなぁ、馬も嫌だったんだろうなぁ、こんなアホな主人を乗せて……と、これでもう何度目かの心の中で毒づきだ。そんな浙冶を見て呂苞がなにかに気づいたのか、顔を覗きこむ。
「ん? そなた、顔が赤いぞ」
指摘されて一瞬ギクッとした。弱みを少しでも見せれば、裏切られるかもしれないという考えが、ぼうっとする頭を掠めたのだ。が、浙冶はなんとか平静を装った。
「ああ、退屈だったからな。身体を動かしたんだよ。それはそうと、ほら、開門するぞ」
とはいえ、だんだん身体も怠くなり動くのも億劫になってきた。しかし、呂苞を樊季に会わせる約束がある。樊季には言っていないが。
(あー……宿が遠いな)
実際はそれほど距離はないのだが、今の浙冶には道のりが非常に長い。高殊が気遣わしげな視線を何度か送ってきたが、答える余裕もない。
「あ、ちょっと待った! 浙冶さん、ここです! この宿!」
そのまま通りすぎようとした宿の前で高殊に腕を引かれた。その反動でよろめき倒れそうになったところを支えてもらう。
「璃鈴さんを起こしてきます」
高殊に起こされるまでもなく、璃鈴は夜明けとともに目覚めていた。昨夜起こったことと今現在の事情を手短に聞くとすぐに浙冶たちのところへ駆けつけてくれた。
「樊季のやつ、まだ寝てるんだろ。悪いが、事情が事情なんで起こしてくれないか」
荒い息遣いの浙冶を目にし、璃鈴は困ったような表情をしながら、仕方なくという感じで頷いた。
「樊季さん、昨日は眠れなかったらしいの。あなたたちが帰ってこないのが心配で。わたしの部屋に来て寝付いたのが明け方なのよね」
半時も経たずに起こすのはかわいそうだが、時を置くと呂苞に余計な疑念を持たせてしまうため、待つわけにはいかなかった。
皆をだれもいない樊季の部屋で待たせ、身支度をさせるために樊季の持ち物一式を璃鈴の部屋に運んだ。ちょっといいかしらと、璃鈴は浙冶を手招きして部屋の外へ連れ出した。
「罰でも当たったのかしら」
いきなり辛辣な言葉が投げかけられた。
「なんのことだ? 村を見捨てようとしたことか?」
「それもあるけど、樊季さんのお母さまの形見のこと」
「なんの話だ?」
頭痛までしてきて、話は聞こえているのに意味が理解できない。
「樊季さんからきいたわよ。あなたが」
「あいつの母親の形見を壊したのは俺じゃない」
浙冶は言いきった。何のことを言われているのか急に分かったのだ。
「あのとき、あいつが母親を思い出して泣きだしたから、部屋に飾ってあったあの人形を持ってこようとしただけだ。でも、持ち上げたらすでに壊れてたんだよ」
あのときは浙冶も驚いた。樊季が大事にしていた陶器の人形。それを樊季のところに持っていこうと慎重に持ち上げた。なのに、首がぽろりととれたのだ。あれは明らかに最初から壊れていた。あるいは――壊されていた。
「自分がやったわけじゃないのに謝れるわけないだろ。それともその場を収めるためだけに嘘をつけって言うのか?」
璃鈴は一人合点だったと気づき、すぐに謝った。
「悪かったわ。でも、なんでそのことを樊季さんとちゃんと話合わないの?」
「あのときはあいつもう、俺の話をまともに聞ける状態じゃなかったし。ほとぼりが冷めたら事情を話そうとも思ったんだがな。なんかもう、どうでもいいやって思ってさ。仲良くなんてする意味、ないだろ」
あいつが俺と、と付け加えた言葉とともに荒い呼吸の音がした。それで璃鈴は本来の用件を思い出した。
「こんなことを言いにあなたを呼び出したんじゃなかったわ。さっき宿の主人に頼んでここの突き当りの部屋を取ったのよ。今がどういう事情かは理解したからあとはこちらに任せて。あなたは早く休みなさい」
「だが、もし呂苞のやつが……」
「大丈夫よ。樊季さんには指一本触れさせないし、計画に疑いを持たせるような行為もしない。あなたは安心して休んで」
一瞬、浙冶は躊躇した。が、璃鈴が腕を掴んで連れて行こうとすると、頭を大きく振って、腕を振りほどいた。
「……やっぱり、ダメだ。この件はまだ終わっちゃいないし油断できない。それに、やらなきゃいけないことを途中で放り出して、他人に押し付けるなんてな。あんたならそんなやつ、信用できるか?」
璃鈴は肩を竦めて「信用しないわね」と返した。
「薬をもらってくるわ」
ああ、とだけ言い、浙冶は壁にもたれたまましばらく目を閉じた。
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