第19話
が、次の日。
米は全てなくなっていた。犯人はひとりしかいない。
「なんてことしやがった! お前、俺の話聞いてなかったのかよ!」
「だって、やっぱり見過ごせないじゃない。このままだと村の人たちが」
夜中にこっそりと村人たちを手引きして持ち出させたらしい。しかし、空腹よりも連日の疲れから、よりによって昨晩は熟睡してしまった。それで気がつかなかった自分も間が抜けていると、浙冶は心底嫌になった。
確かに樊季の言いたいことはよく分かる。が、こちらも商売。しかも御上が相手の重要な任務である。「できませんでした」、では済まないのだ。期限までもう七日もない。
「あー! やっぱ深夜強行で通り過ぎるべきだった!!」
「いいじゃない」
浙冶の嘆きとは対照的に、あっけらかんとして樊季が提案する。
「城市へ行ってそこでお米を買えばいいじゃない」
その言葉を聞くと騒いでいた浙冶はぴたりと動きを止め、冷たい視線を送った。
「論外だな。米の値が高すぎる。今年は不作だっつってたろ。買ったら塩を売りに行く途中で有り金が底をつくぞ」
途中寄った城市の米の価格は十倍だった。不作に加え、買占めをしている不届きな商いを行う者がいるらしい。
「じゃあ、もう少し南まで行って米を仕入れるのは? 周りの河をつたっていけば南の方まで行けるでしょ。衛所まで運んでもらうの」
南方の地域は今年は米が豊作だと樊季も聞いていた。が。
「それでも期日には間に合わない」
河は確かに南方の城市まで繋がっている。城市には商用の舟もたくさんあると聞く。しかし、北にある防衛所は国境沿いにあり、その近くに河はない。ぎりぎりの地点まで水運を利用しても、防衛所までが遠い。それに加えて、陸地だけを行くよりも通るべき関門が増えるため、通行の手続きに時間がかかる。それが難点だった。浙冶は頭を抱えた。
「あー! もー! 考えなしに動くのはやめてくれーーー!」
そこでようやく樊季も事は重大なのかもしれないと、悟ったような悟ってないような、いや、おそらくは、やっぱり米をあげたことの何が悪いのか分かっていなさそうな表情をした。それを見て浙冶はいろいろ言うのを諦めた。
絶望的な気分で璃鈴のほうに視線を送ると、こちらからはばつの悪そうな表情を返された。
「悪かったわね。その、あなたを起こす前に村の人たちを連れてきちゃって……止めきれなかったのよね」
璃鈴からすれば、樊季も一応、依頼主である。盗賊から品物を守れなければ鏢師は面目が立たない。が、依頼主の要望なら聞くしかない。
「くっそ……俺の周りには敵しかいないのかよ」
こめかみを揉みながら、ふと、浙冶は思い出した。
今回は塩を手に入れて売るのが目的ではある。しかし、玄亥からはそのことよりも『それだけで満足をするな』と厳命されていた。ただし肝心の答えについては何ひとつ分からない。自分で考えろということだろう。
「璃鈴、防衛所の長官って誰だ?」
「
「奏指揮使……じゃないな、きっと……」
浙冶はしばらく考えた。商い人として誼を通じたい相手は誰か。浙冶はふと思った。辺境とはいえ、敵の侵入を防ぐという大役を預かる軍長官は皇帝からの信任も厚く職位も高い。しかも、北方防衛所は軍の中でもかなり統制がとれている、規律が正しい軍だと聞く。
しかし、武器は国からの支給が主であり、食糧は今回のように商人経由、他の品は現地で許可をされた商人が店を開いて売るといった体で、ほぼ供給体系は決まっている。
何かを買うとしても北の防衛所に特産品などの特別なものがあるわけではない。往来だけでもこんなに苦労をする。仮にもし、何か事に当たるとしても頼みにできるわけではないことは明らかだ。
米の問題の解決策を見つけなければならないのだが、浙冶はなぜか玄亥の命(めい)のことが気になった。しばし考え、そして、樊季の顔を見て突然理解した。
「あー……だからこいつを連れてきたのかー」
「なによ」
「お前が唯一、役に立ちそうな方法」
「唯一ってなによ、唯一って」
樊季はむくれた。たとえ拗ねた表情でも美人がすれば人目を惹くものがある。が、今の浙冶にはただの能天気にしか見えない。
浙冶は地図を広げ、もう一度見比べる。地図は、今回の計画のために昌令で買ったが、現地に着いてからも何枚か購入した。数枚の地図を何度も見ながら考え、一行の誰ともなしに問いの言葉を発した。
「なあ、ここの管轄って康令府だよな。知府ってどんなやつなんだ?」
「あーそれっ、この前の城市で噂を聞きました。
綿のような軽さで高殊が答えた。
「わたしも聞いたわ。ここのお偉い知府さまは人一倍仕事しないってもっぱらの噂よ。その割に、小心者らしいのよね。城市中どこでも噂してるから間違いないわよ」
「なんで仕事しないんだ?」
「そこまでは知らないわ」
「地方配属が気に入らなかったらしいですよ。呂苞のオッサン、中央で成果を挙げたかったみたいで」
本人の軽さに反して情報集めはしっかりしている。やはり見た目に反して有能なようだ。
「知府なら地位的にも結構いいはずじゃないか。文句なんてないだろ。それでも中央にこだわるのか? 贅沢だな」
確かに中央のほうが出世は早いかもしれない。しかし、出世のためだけに役人になり、地方の政が疎かになるのは本末転倒だった、本来なら。
(今の皇帝からして『民のための政治』なんて考え、多分、ないもんな。明らかに『皇帝のための政治』って感じだよな)
理想と現実は程遠い。が、それでも世の中何とかまわっている。そして、だからこそ呂苞のような役人もいるわけで。それが巡り巡って今の浙冶の苦境に繋がったわけだ。
「しっかし、そこまで中央にこだわる役立たずなら……なおさら好都合だな」
「どうするつもり?」
「あの村の管轄は康令府だ。だから、知府に訴えて補填してもらう」
「補填て? どこから?」
璃鈴が今までの会話の流れを聞いてなかったの? という目で訴えてくる。
「府の食糧庫があるだろ? そこからだ」
村にあげてしまった米と同じ分だけ府の食糧庫から出せば問題ないはずだ。だが。
「もらえるかしら……」
至極当然の疑問である。
「もらうさ。でなきゃもう、後がない。渡さないようなら村の管理ができていないと巡按に訴える、と脅すのもいいんだが……俺たちに巡按に会う機会があるわけない。多分、動かないだろうな」
地方政治の査察をするために三年に一度、中央から巡按が派遣される。昌令府でも今年、知府のいる昌の城市に巡按が巡回すると聞いた。路引をもらいに行ったときに役所中がバタバタせわしなかったのを覚えている。
昌令府がそうであれば、この康令府の康の城市も同様のはずだ。しかし、知府のほうでも対策はしているだろう。民たちが訴えたところで黙殺するくらい、なんてことはない。
「あと、酒ももらうか。これは知府の家の蔵から」
酒は上納する項目に入っていないが、必要だと浙冶は考えた。不作ではあるが祖先の祀りで必ず使うので、知府の家になら備蓄があると踏んだ。隣で聞いていた樊季が他人事のように、首を傾げて訊く。
「でも、そもそも知府に会うこと自体難しいんじゃないの? どうするの?」
仕事のできない冴えない知府とはいえ、地方では唯一皇帝に謁見できる地位の役人には違いないのだ。一介の民、商人風情が対面で会おうとしても簡単に会うことはできない。
「そりゃあ、まともに会おうとするのは不可能だけどな」
ボソっと浙冶がひとりごとを呟いた。
「ん? なんて言ったの?」
樊季にはそのことばがよく聞こえなかったようだ。
「目途が立ちそうだなって言っただけだ」
「あら、そう」
だから喋りかけてくるなよな、と浙冶は心の中で悪態をついた。
「でも、良かったわよねー解決できそうで」
今度はあまりの能天気で軽い発言をされ、浙冶がキレかかる。
「あ? まだ全然解決してねえよ! それよりお前、反省してんのか?」
「えっ? 反省? 何を?」
「勝手に米をバラ撒いたことに決まってんだろ! そのおかげでこんな苦労してんだぞ! 少しは悪いと思えっ!」
「なんでよ! 私、何も悪いことしてないわよ!」
樊季の言葉は正論ではある。確かに悪いことは何ひとつしていない。利になるようなことも何ひとつしていないが。
「だいたい、仕事なんか失敗しても、人の命を助けられたからいいじゃないの! 人のためになることをして何が悪いのよ!」
浙冶はそこで樊季のことを理解し、ため息をついた。
「樊季、お前な、確かに今回のことで村を助けることはできたかもしんねーけどな。仕事は失敗してもいいような軽いもんじゃねーぞ」
樊季には言わなかったが、浙冶も村のことは考えていた。しかし、せいぜい手持ちの金で旅費を削って食料を買い分け与えるしかない。
そして実は、手持ちの米をあげたとしても、別の問題が村に降りかかる可能性があった。それを浙冶は危惧したからこそ、米はあげられなかったのだ。が、今は言えない。替わりにもうひとつの至極単純な理由を明かす。
「期限までに米を納入できなかったらどうなると思う? お前、それを考えたことあるか?」
「どうって……」
分からない。樊季もさすがに勢いが萎んだ。
「まず、店の信用はどうなる? 親父の信用は? 世の中の連中は、最初は村を助けたことを評価してくれるかもしれんが、御上との取引でさえ反故にしたということで、信用はガタ落ちになる。当然これからの商売にも影響が出る」
「でも、多少影響が出るくらいでしょ? そんなに問題にすることは」
「多少の『多』ということもあるぞ、影響力。商人同士の信用は些細なことでも崩れるし取り返しがつかない。それだけは今後のために覚えておけ。まあ、もっとも、今回は失敗しても俺の首が離れるだけだけどな」
樊季は顔色を変えた。そこまでは考えていなかったようだ。
「まさか……冗談言わないでよ。そんな、お米が納められないくらいで」
浙冶は樊季を一瞥したが何も答えなかった。それよりも知府に会うにはどうすればいいか。あらすじはだいたいできている。あとはどのように実行をするべきか。
「あんたたち、手伝ってくれないか? 俺が全部責任を持つから」
璃鈴が樊季と向こう側で何やら話をしている。その隙に、璃鈴以外の同行した鏢師三人に小声で頼み込んだ。
「何をです?」
高殊が真っ先に答えてくれた。あとのふたりは怪訝そうにこちらを見ているだけである。
「ここの知府と話がしたい。そのためにまず、話せる機会を持たなきゃいけない……んだが、あいにくと正式な手続きをして面会するには時間がかかり過ぎる。そこで」
うんうんと高殊だけが頷いていたが、最後の言葉を聞くと、全員が「ええっ?!」と大声を上げた。樊季と璃鈴がこちらを振り返ったが、「なんでもない」と浙冶はごまかした。小声で高殊が言葉を返す。
「そんなことして大丈夫ですか?! ふつーに捕まる案件ですよ、それ?!」
「こうでもしなきゃ、俺みたいな庶民が知府に会うなんて、絶対無理だろ?」
延令の場合は特例中の特例だ。あんなことは他の府ではありえない。
そもそも、村が困窮するのを黙って見過ごすようなダメ過ぎる地府を相手にするのだ。正攻法では通用しない。無理や無謀は承知だった。
「まあ、もし、失敗しそうになったらみんなは遠慮なく逃げてくれ。俺がその場に残って責任をとるから」
「ああ、なるほど! 浙冶さんなら、捕まっても金を払えば釈放されますね!」
明るく高殊が言った。しかし、浙冶はふっと悟り切ったような微妙な笑みを浮かべて言葉を返した。
「……いや、俺、こう見えても十六なんだわ。失敗したら脊杖二十は覚悟しとく」
法では、罪にもよるが十五歳以下は家財をいくらか納めれば刑は執行されない。しかし残念ながら、浙冶は今年で十六になった。もし捕縛されれば酌量の余地なく、棒で背中を打たれることになる。
「けど、そうならないことを期待する。じゃあ、頼んだぞ」
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