第18話
目の前に大きな川が流れていた。そこに古びた木製の大きな橋が架かっている。
浙冶は馬車から降りて橋の様子を見ながら渡った。渡るときギシギシミシミシと音が鳴ったのが気になった。
「結構古いな。そのうち壊れるんじゃないか?」
浙冶が欄干から覗くと、眼下には豊富な水がゆったりと流れていた。何かの間違いで落ちたら、一瞬にしてうねりの中に飲み込まれるに違いない。
「康の城市に行きつくまではこういう橋をまだ渡らなきゃいけないわよ」
「まだ他にも川があるってことか?」
そうよ、と、璃鈴は前方を見たまま話を続ける。
「城市の周りは大きな川が何本も流れているの。この川みたいに幅広いのがね。橋はかなり昔から架かってはいるけど……往来に重要なという割には橋の管理とか修繕とかは疎かにするのよね、ここの歴代の知府って」
浙冶は何かに気がついて璃鈴を振り返る。
「だけどそれって……橋さえなければ、外からは遮断された天然の要害になるってことじゃないか、一応?」
ご名答、と、璃鈴は歌うように言った。実際大昔にはこの城市を拠点として反旗を翻した貴族がいたらしい。その貴族は橋を落として敵の進軍を阻み、長期にわたる苦戦を相手に強いたという。ただし。
「まあ、水攻めされたらたまったもんじゃないけどな」
「あら、だったらなぜ反乱を犯した貴族は苦戦を強いることができたのかしら?」
浙冶は「俺は戦には詳しくないけど」と前置きをしてすぐに答えを返した。
「水計って通常は城市を攻撃する側がするもんで、目標地点の周りに堤防を造って川から水を引き入れるんだろ。でも、城市側の兵の機動力が高ければ敵が堤防を造っても壊しに行けば失敗させられるし、こんだけ川があるんなら逆に城市側から仕掛けることだってできる。ただ単に、その貴族は討伐軍よりずば抜けて戦が上手かったんじゃないか」
璃鈴は「そうね」と笑いながら肩をすくめた。
「話を戻すけどさ、なんで造り直したりしないんだろうな、ここの橋。こんなにボロいのはさすがにやばいぞ」
同じような橋を二本渡り、あと半時で康の城市に入れる、はずだった。先行した高殊が戻ってきて言うには、城門はすでに閉まっていたという。
浙冶はあからさまにがっかりした。最近、夢見が良くない。延令府の城市に寄ってから、毎晩過去の出来事ばかりが夢に出てきて、夜中に何度も目が覚めた。訊き込みをしたときの疲れもまだ残っている。浙冶としては今日こそは宿を取って眠りたかった。が、今夜も残念ながら野宿のようだ。
「今日も野宿なの? じゃあ、お手伝いしてくるわね」
樊季は意外にも野宿に順応した。世間知らずではあるが根っこは庶民の娘、雑草育ちなので少々のことでは根を上げない。旅の間、文句ひとつ言わなかった。そこだけは浙冶も感心したが、その代わり、自分とは毎日のように衝突していた。なんでこんなに毎日喧嘩をするネタがあるのか、浙冶自身も呆れている。野宿の用意をしようと馬車へ荷物を取りに行った。
「浙冶さん、ちょっといい?」
別の方面に先行して様子を見てきた璃鈴に呼ばれた。みんなとは少し離れたところでふたりは話を始める。それに気づいた樊季も勝手にまざってきた。
「どうしたの?」
「この先に村があるらしいんだが」
中心城市へ続く道から少し離れたところに小さな村があった。おそらく五十人に満たない村である。が、村全体に覇気がない。
二日前に通りかかった別の村で聞いた話によると、今年は天候の関係で作物の出来がどこもかなり悪かったらしい。それでも何とかなる村もあるのだが、この先の村はわずかな食べ物さえも役人に取られてしまい、冬を越せそうにないという。
「普通はこういう場合、府から支給があるはずなんだが」
村を管轄するのは県であるが、そこそこの規模の飢饉なら最終的には府でもなんとかしなければならない。だから、不作の年は税を徴収せずに役所の備蓄を分け与えることになっている、はずだった。役人がまともでさえあれば。それが、与えるどころか民が生きる分の食料までをむしり取るとは。つまり、ここを管轄している知府は。
「バカか無能か非情かのどれかだな。こんな目の前にある村の状況くらい分かるだろうに。まあ、そんなやつらに従わなきゃならん村の連中には心底同情はするけどな。どうしようもない」
一瞬、ある考えが頭を掠めたが、浙冶は気がつかないふりをした。いい案のように思えるがその提案は諸刃の剱だ。
「……でね、そこの長老に食料を分けてもらえないかって言われたのよ」
たった今、頭を掠めてかき消した考えを、横から殴られるかのように提示される。浙冶は少し、諦め口調で呟いた。
「仕方がない」
その言葉を聞いた樊季は、当然のように勘違いをした。
「そうよね。荷を配るしかないわよね。じゃあ村長(むらおさ)に話をつけて……」
「よそ見をせずに全速力で駆け抜ける!」
浙冶は聞こえないふりをし、いっそ清々しく言い放った。樊季は一瞬、浙冶が何を言ったか分からないという表情をした。が、次第に、信じられないという表情へ変化した。
「って、ちょっとぉ! 人助けしようって気はないの?」
「ない」
「まったく? まったくないの?」
「まったく、全然、これっぽっちも」
「まさか、うそでしょ?! 食べ物がなくて困ってる人を見捨てて、その目の前をお米乗せたまま素通りするつもりなの?! それでもあんた人間?!」
樊季の罵りに浙冶は微塵も動じない。
「人間じゃないかもしれんな。残念だな、俺が人間だったら助けたかもな」
「真面目に答えてよ! だって父さまたちは飢饉があれば食べ物を配ったり、子供たちのために学舎を作ったり、『富める者は分け与えるべきだ』って常日頃言ってるじゃないの!」
玄亥が『義を重んずる商人』と言われ、昌令府内の城市に様々な貢献をしているのは知っている。そのせいもあり、『人を助けるのは当たり前』という思考になんの疑問を持たない樊季がここにいる。実際、ここまでの旅程で何人かの食べ物に困っている人々に樊季は自分が持ってきたお金や持ち物を分けたりしてきた。それがこの娘のいいところだ。だが、米を分け与えられない本当の理由を今話せない以上、押し切るしかない。
「とにかくだめだ。期限も迫っているし米はやれない」
「じゃあ、あんたは自分が困っていても助けはいらないわけ?」
樊季の言葉に、半ば嘲るような口調で浙冶は吐き捨てる。
「自分のことは自分で面倒を見る。不本意で借りができたとしても必ず返す」
「義理とか人情とか、あんたにはそういうものがないの?」
「そんなもんで生きていけると思うほど、頭に花畑は広がってない」
ときにはそれに裏切られることもある――そのことは身を以って知っていたが、樊季の前では言うのをやめた。
「そう……あんた、そういうことを言うわけね。じゃあ、今日のあんたの夕飯は抜きよ!」
「はあ? なんでそうなるんだよ!」
「ご飯がたべられなくてひもじい思い、あんたもしてみなさいよ。自分が困ってて助けてもらえないってどれだけ辛いか、あんたでも分かるから!」
「そんなこと、とっくの昔に嫌というほど経験済だ!」と言うのをかろうじて抑えた。樊季には自分の過去の話はほとんどしていない。盗みをした話はしたが、なぜそうしなければならなかったのかはあのあと聞かれなかったし言う気もない。浙冶は冷ややかな目で樊季を睨みつけながら言葉を吐いた。
「わかった。じゃあ、飯なんか要らない。だから、お前もこれ以上この件には口を挟むな」
そのまま踵を返して野営から離れようとする。これから食事をするところだったのだ。ここにいても意味がない。
「いいか、明日は朝早く起きて全力で走るぞ。樊季、お前はくれぐれも余計なことはするなよ。分かったな?」
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