第14話
振り切れる。相手が武術の達人だとしても、捕まりさえしなければいい。今までだって逃げ切れた。そう思った矢先に捕まって地面に叩きつけられた。視界が揺れて立てなかった。その瞬間。
(父さんたちのところに行けるのかも)
思いが頭をかすめた。どんなに逃げても帰る場所はなかったけれど、そこがまさに帰れる場所なのかもしれない。
そう思ったら、縄で縛られてそれまで走ってきた道のりを歩かされ、口髭の男の前に突き出された時にはじたばたすることもなくなった。
「鏢師の者たちを相手にして盗みを働くとはいい度胸だな、小僧」
上から降ってくる声にまっすぐに顔を上げる。恐怖がなくなったことで少し大胆になった。
「なあ、おっさん、あんた商人なんだろ? 俺と取引しない?」
「取引?」
「俺をさ、雇わない? 真面目に働くよ」
相手は呆れたような顔をした。
「面白いことを言うな、小僧。盗みを働く輩をなんで雇うと思うんだ? 信用が第一の商売で」
「ああ、そうだろうね。信用が第一なら俺なんかぴったりなんだけどな。もうこれ以上信用は落ちないから」
「問答をしてる場合ではないがな。このまま役所へ突き出せばお前は終わりだ。いまさら命乞いか?」
一瞬、言葉に詰まった。現実を見る。ほんの先ほど、父親の元に行けるから怖くないと思ったばかりなのに、口から零れ出た言葉は命にしがみついたものだった。
でも、確かにこの髭の男の言うとおり、もう終わりなのだ。子供は力なく笑った。
「いくら命乞いしたって、算盤を弾くほどの価値がなけりゃ、救う気はないんだろ? それくらい俺だって分かるさ。冗談だよ、冗談」
つまり、それくらい命の価値などない人間になってしまったのだと、無理やり納得させるためだけに発した言葉だった。自分の身に起こったことは理不尽だとずっと思っている。でも、そう思い続けながら罪を犯し続けた結果は、決して理不尽なものではなく、それはもう当然のことだった。
「いいよ、もう。役所でもどこでも連れてってくれよ。知りたいことがあったけど、もう分かんないし。帰る家も家族もないし。俺がいなくなっても……誰も困んないし……」
最後はもう、蚊の鳴くような声だった。すでに不安も恐怖もない。子供は諦めと絶望がないまぜになった表情でうなだれていた。
男は顎髭を撫ぜながら、こちらを見ていた。突然。
「小僧、わしと取引をするか?」
思いがけないことを返された。
「俺と? 何を?」
子供は驚いて顔を上げる。
「お前の望み通り、わしのところで雇ってやろう。ただし期限付きだ」
その言葉を取り消されたりしないうちに、慌てて答える。
「期限付きでもいい。雇ってよ。それで?」
「表向きは親子の関係を演じても構わない。だが、儂の命じたことは必ずやれ。それでどうだ?」
子供は何度も頷いた。
「分かった。いいよ、それで。で……今から連れてってくれるの?」
「それより先に名を聞こうか」
その言葉を聞いた途端、子供は黙り込んでしまった。答えるのを躊躇っているようにも見える。男は、分かった分かったと手を振って続けた。
「つまり、お前は本当の名を明かすと都合が悪いということだな。なら、今から『浙冶』と名乗れ。ちなみに儂の名は葉玄亥という」
その言葉で子供は決心したように顔を上げ、頷いた。
「分かった。で、俺はいつ……」
玄亥は考え込んだ。さすがに今運んでる荷と一緒に行動させるのはまずいと思っているようだ。潜んでいるかもしれない元仲間のこともある。子供――浙冶をこの商旅に一緒に連れて行くことはできない。
結局、玄亥たちが荷の取引を終えて再びここを訪れたら、拾ってもらうことになった。ただし、生き残れたら、だ。盗賊衆にも見つからず盗みもせずに玄亥たちを待つことができたら。それを自分の力で。待つ間の食料を融通してくれるほど玄亥は甘くはない。そしてその条件を、浙冶は呑んだ。
厳しい寒さの中、吹きさらしの堂の中で浙冶は耐えた。食料を探しに出かけている間に玄亥たちが戻ってきてしまうといけないと思い、空腹でも我慢した。
そうしてひたすら待ち続けて十日間。寒さとひもじさで動けなくなって全てを諦めかけていたころ。玄亥たちが戻ってきたのだった。
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