第13話

 夕食が終わったあと、樊季は璃鈴と部屋にいた。お茶を飲みながら卓を挟んで向かい合い、女同士の気兼ねないおしゃべりをしている。璃鈴が棗を差し出すと樊季は、「私、乾燥したものより、この生のままのものが大好きなの」と嬉しそうに言った。


 最初は今流行りの服や小物の話をし、美味しい点心の店の話で盛り上がっていた。が、話は広がり、璃鈴の仕事の話や樊季の一方的な浙冶の悪口にまで飛んだ。

「これでももう、七年も鏢師をやっているの。家業には元々興味がなかったから。それでも小さいころから基礎的な学問と武術は学ばせてもらったのよ。それが役に立ったわ」

「璃鈴のおうちって何をしていたの? 鏢師の家ではなかったの? 継がなくて良かったの?」


 樊季の素朴な質問になぜか璃鈴の表情が曇った。少し重い口調で言葉を濁すように言う。

「家業は言うほどのことではないわ。もう父もいないし。仲が良くなかったの……父のしたことを今でも許せなくて。過去に戻れるなら父の暴挙は止めていた」

「あ、ごめんなさい」


 璃鈴の物言いは微妙だったが、樊季は余計な質問をしたと悟って素直に謝った。

「謝る必要はないわ。わたしから話を向けたんだもの」

 璃鈴はその代りにという感じで、仕事に関する話をした。

「武術の師匠が蔡鏢頭なの。最初は武術を教えてもらうだけのつもりだったんだけど、そのうち師父のところに転がり込んで、生活も面倒を見てもらうようになってね。だから成り行きで鏢師になったのよね」


 璃鈴は寛いだ気分からか、蔡鏢頭のことを『師父』と呼んでいる。

「師父の鏢局ひょうきょくで四年いさせてもらって、そのあと、高殊と独立して自分たちの鏢戸を作ったの。ありがたいことに師父から仕事も回してもらっているのよ。わたしたちはその縁ね」

「いい方なのね、その蔡頭領って方」

「見た目と柄は悪いんだけどね」


 璃鈴は悪戯っぽく笑いながら言うが、一方で怪訝な顔をした。

「師父はあなたのお父さまや長葉明とは長い付き合いなの。会ったことはないかしら?」

「私はあまり、父さまの仕事ことは知らないから」

 そういって樊季は手を組んで顎の上にのせた。


「私はほとんど店に出たことがないし、出るなとも言われているの」

 ちょっと前までは外に出るときも顔を隠すようにいわれたのよねと不満顔で言う樊季に、「今まで悪い虫がつかなくて良かったわね」と璃鈴はひとりごちた。


「てっきり、あなたが長葉明を継ぐからこの旅に来たのだと思っていたわ」

「お店の誰かが継ぐんじゃないかしら。私に商才はないのよね。農村からの買い付けで適正価格を出したりとか、高級品の価値なんて全然分かんないから取引なんてできないし」

「お店のものを見たり、お父さまに付いて教えてもらえば、徐々に分かるようになるんじゃないのかしら?」

 璃鈴は首をかしげたが、続く樊季の言葉ですぐに納得した。


「ずっと前にね、村の人から綿を買い付けるときを想定して買い付け価格を出してみろって父さまにお題を出されたことがあるの。貧乏で子だくさんの一家からっていう設定で。答えた値段とかもう忘れちゃったけど、父さま、すごい溜息をついてたわ」

 おそらく樊季は、通常の買い付け額を異常に超える値をつけたと想像がつく。


「高級品にしてもよく分からないのよねぇ。そりゃあ材質の良いものの方が長持ちはするでしょうけど、材質が物の用途に影響するっていうほど私はこだわってないから。使えればいいじゃない、くらいにしか思わないんだけど、それを言ったら、やっぱり父さま、またもや、すっごい溜息をついてたわ」


 商才の有無以前の問題かもしれない。しかし、でもね、と樊季は嬉しそうに続ける。

「父さまは私の自慢なの。ちょっと厳しかったりもするけど。だって、昌令でも城市の人たちが『長葉明の葉玄亥は義の商人だ』って口々に言うもの。父さまも、『商人とは自分が儲けるだけでなく、周りも幸せにするものだ』っていつも言ってるし。実際、城市のいろんな施設は父さまが作ったのよ」

 璃鈴も感心したように頷く。


「知ってるわ。あの城市どころか国中の施設を作っているのよね」

旅の間、長葉明の商用だということは知らせることはあっても、樊季が玄亥の娘だということは伏せるように浙冶に言われた。


「あちこちで歓迎されると、その対処に手間取って旅程が遅れる」

というのが言い分だったが、あながちその予想は外れていないだろうと璃鈴は思った。どの城市でも商人相手に玄亥の名前を出せば知らない者はなく、仲介屋の対応にしても玄亥の名を出すだけで、樊季の簪の威力並みに素晴らしく良くなった。

玄亥の数々の逸話を語りながら、そういえば父さまと言えば、と樊季は何かを思い出した。


「浙冶は父さまが連れてきたのよね」

 璃鈴も頷きながら話を引き取る。

「そうらしいわね。わたしはそのときは別行動をしていたからそのことを知らなくて。今回初めて浙冶さんから依頼があったから、昔の仲間たちにどんな人かを聞いたのよね。当時のことも含めて、知ってるはずだから」

「そうだったの。ねえ、蔡鏢頭のとこでも、浙冶の評判て良くないでしょ? だって、上から目線で態度も尊大だし、言葉遣いも乱暴だもの」


 樊季の熱の入った悪口に、璃鈴は苦笑する。

「そういう話じゃなかったけれどね。師父や前の仲間たちは、浙冶さんと一緒に仕事をしたわけじゃないから。よく聞いたのは長葉明の人たちからの評判の又聞きね」

 長葉明の者と商い旅で一緒になったときに、雑談として出た浙冶の評判を聞いたということらしい。


「でも、仕事ぶりは悪くないらしいって聞いたわ。朝から晩までよく働いてるって。ほとんど休みなしで働いてるらしいわね。けど、仕事仲間とはそれほど仲が良くないとも誰かが言ってたわね。みんなとしてはもう少し休んで欲しいそうよ」

 そこまで言って璃鈴は首を傾げた。いや、まえから疑問に思っていることをようやく口にしたという感じだった。

「あの、樊季さん。こんなこと、聞いていいのか分からないけど。なぜ、浙冶さんと仲が悪いの?」


 ふたりとも毎日口喧嘩をし、必要時以外には浙冶は樊季に近づこうともしない。相性が合わないだけだと思って最初は気にも留めなかったが、気がかりなのは、ここに着く前に簪のことで樊季と浙冶が揉めたことだ。璃鈴が簪を回収して戻ると、なぜか樊季がすっかり拗ねてしまっていて馬車に戻ろうとしない。高殊に事情を聞いて浙冶に折れるようにいったが、向こうは向こうで頑として謝ろうとしなかった。それで出発が遅れた。


 誰にでもよくある普通の喧嘩だと思ったが、あまりにも喧嘩ばかりしているので、もしかするともっと根深いものがあるのかと気になり始めた。今はまだ大きな支障は出てないが、慣れない旅路で人間関係をますます拗らせることもある。璃鈴としては今後の旅に影響するかどうかが知りたかった。


「言いたくないなら言わなくても構わないわよ」

 さすがに個人的なことを聞きすぎたかと反省すると、「ちがうの」と言葉が返ってきた。


「最初から仲が悪かったわけじゃないのよ。仲良くしようと話しかけたり遊びに誘ったりもしたの、浙冶が来たばかりのころは。だって父さまが『新しい家族だ』って言ったもの。仲良くしたいじゃない」

「そうなの?」

璃鈴はちょっと意外そうに言葉を返したが、同時に納得もした。とすると、最初から生理的に毛嫌いしているというわけではないらしい。


「じゃあ、どうして?」

「だって……」

 樊季が一瞬、口ごもる。

「陶器の人形を……母さまの形見を浙冶が壊して、それを謝ってくれなかったから」

 璃鈴は驚いた表情をし、「それは……ひどいわね」と心から同情した。形見を壊し、なおかつ謝罪もしないとは人格を疑われても仕方がない。一方で、でも、と璃鈴は心の中で首を傾げた。本当にそこまで浙冶がひどい人間だとも思えない。樊季は俯いて少し躊躇った後、話を続けた。


「母さまは浙冶がうちに来る少し前に殺されたの」

「えっ?! 誰に?!」

「店に押し入った盗賊に」

 樊季の話し方がゆっくりになり、声もやや小さくなった。


「母さまは父さまと一緒に商いをしていたから。父さまが仕入れの旅に出かけると、代わりに母さまがお店の様子を見に回ったり番をしたりしていたの。それで、その夜も別の城市にある店に最後まで残って閉めようとしていたの。そうしたら」

 樊季はそこで話を切った。震えている。その様子で、あとのことは話さなくても分かる。

「樊季さん、ありがとう、話してくれて。ごめんなさいね、辛いことも思い出させて」


 璃鈴が労わるように言葉をかけると、樊季は無言で首を横に振った。璃鈴は酷かもとは思いながらもうひとつ立ち入った質問した。

「じゃあ、浙冶さんが葉家に来なければ良かったと思う?」

 樊季が浙冶に対して根深く息づいている感情があるなら、今後の旅は充分に注意した方がいい。しかし、樊季はまたも首を横に振った。


「さっきも言ったことだけどね。父さまは、『商人は周りを幸せにできるような、困っている人を助けられるような商売をしろ』っていつも言ってるの」

 ひとつ息をつく。樊季の目尻は少し赤かった。


「母さまがいなくなって、しばらくしてから浙冶が来たの。着ているものもみんなボロボロで獣みたいで怖かったわ。でも、帰る家がなくて父さまが拾ってきたっていうなら、間違ったことしてるわけじゃないもの。浙冶が来なければ、なんて、一度も思ったことはないわ」

「そう……あなたもあなたのお父さまも寛大な心の持ち主ね」


 璃鈴はため息をついた。葉の父娘への感嘆の念と同時に、心配しすぎて余計なことを聞きまくった自分を恥じた。そして、自分はそこまで寛大にはなれないとも。

そんな璃鈴の様子を気にすることなく、樊季は会話を引き継ぐ。


「そうよね、父さまは心が広いというか、あまり気にしない性質よね。娘の私でももう少し気にしたほうがいいんじゃないかって思うときがあるわ」

 樊季は璃鈴の言ったことを言葉通りに受け取っていた。珍しく思案顔で俯いているが、すでにいつもの調子に戻っている。璃鈴はその様子にほっとしながら、首を縦に振って答えた。


「本当にね。子供とはいえ、盗人を自分のとこで雇うなんて」

「えっ? 何の話?」

 俯き顔を勢いよく上げ、璃鈴のほうを向く。

「ほら、樊季さんも知ってる例の話よ。浙冶さんが、葉の旦那様のお荷物だったかお財布だったかをくすねようとして、師父たちに捕まったって話。師父も仲間も驚いてたわ。葉の旦那様は大海よりも心が広いって」


 樊季は目を丸くした。その様子で璃鈴は気づいた。樊季にとっては初めて聞いた話だったのだと。

「えー……もしかして。樊季さんは、このことは、知らなかった、のかしら?」

 璃鈴は躊躇いがちに言葉をなんとか繋いだ。マズいと思っているのが分かりすぎるほど分かる。依頼主に関する守秘義務を破ってしまったのかもしれない。


「いえ、いいの。いずれは聞いておかなくちゃいけない話だったから」

「樊季さん、あの」

「璃鈴、前言撤回。浙冶なんて、やっぱりうちに来なければ良かったと思うわ」

 じゃあ、また明日ね、といいながら樊季は部屋を出て行った。が、ここは樊季の部屋だ。出ていく必要はまったくない。


「浙冶! 入るわよ!」


 ふたつ隣の浙冶の部屋の戸を思いっきり叩いてから、樊季は勢いよく入っていった。が、すぐに、「きゃあ!」と悲鳴を上げて部屋から転がり出た。

「……んだよ」

 浙冶が部屋で着替えをしているところだった。

「お前だって勝手に入ってくるんじゃねーか。人のこと言えるかよ」

 樊季の部屋に入ったときに怒られたことを言っているらしい。かなり根に持っている。


「早く、上! 着なさいよ!」

 樊季は中を見ないようにして部屋の外から声をかけている。浙冶は長袍だけ脱いでいた。小柄で細い身体つきをしている。が。


(傷だらけ、だったわ)


一瞬しか目に入らなかった樊季でもすぐ気づいたように、浙冶の身体には大小様々な傷がついていた。


(あの傷ってなんなの? どんな怪我したの?)


 見たものの衝撃で樊季がぐるぐると考え事をしていると、頭越しに言葉がかかった。

「で、何か用か?」

 二枚しかない衣服のもう一方に着替えた浙冶が戸を開けてこちらを見ていた。明らかに不機嫌そうである。

「俺、お前に付き合ってる暇はないんだが」


 手には書を持っていた。これから読むつもりなのだろう。先ほどの浙冶の身体の傷のことを樊季はまだ考えていた。が、我に返ると、挑戦的な目で浙冶を睨みつけながら問う。


「あんた、昔、父さまの荷を盗もうとして捕まったって、本当?」

「違うな」

 浙冶は腕を組み、即答した。


「俺が盗んだのって、荷じゃなくて親父の財布」

「どっちも同じよ!」


 叫んでから、樊季はため息をつき、情けなさそうに言葉を吐いた。

「私、知らなかったわ。あんたがそんなやつだったなんて。なんで父さまはあんたを連れて来たのかしら」

「俺からすれば、何を今さらって感じなんだがな」


 浙冶は面倒そうに樊季の会話に付き合っている。その態度に樊季はイラっとした。

「もう少し真面目に聞いてくれないかしら。私、あんたのことを全然知らなくて、今さら知って後悔してるんだから。もうあんたのこと、信用できないわ!」

「元々俺のことなんて信用なんてしてないだろ、お前」


浙冶のつっこみに、「あ、そういえばそうね」と、樊季は急に気を取り直したような表情をした。分かり易過ぎると浙冶は呆れた。

「とにかくな、旅の間は我慢しろ。終わったら、俺のことは親父に言いつけて、煮るなり焼くなり好きしていいから。別に道中、お前を取って食ったりはせん。あぁ、そうだ。ついでにな、もうひとつ面白いことを教えてやるよ」


 畳み掛けるように言葉を連ねたあと、最後の言葉で急に声量を落とす。浙冶は悪戯を仕掛けた子供のように、明らかに樊季の反応を楽しんでいる表情をした。


「俺の名、『浙冶』ってのは、偽名」


 樊季は驚きで次の言葉が出てこない。そこで、急に浙冶は真顔になると、ぶっきらぼうに言葉を投げた。


「さあ、もういいだろ? 明日も早い。とっとと寝ろ。じゃあな」


 そのまま、浙冶は立ち尽くす樊季を残して戸を閉めた。

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