第12話

 辺りはすっかり夜の城市と化している。城門へ着いた浙冶は、遅かったわねという声に迎えられた。


「宿も手配してもらって、樊季さんは今食事中よ。はい、これ」

 割符を渡される。浙冶は礼を述べると、璃鈴と並んで歩き始めた。通りの左右からは明るい笑い声が幾重にも聞こえてくる。


「この城市って結構栄えているよな。ここでなら商売もしやすそうだな」

 浙冶は辺りを見回しながら言う。

「あら、ひとりで城市見物でもしてたの?」

 浙冶は、「ああ」とだけ答え、聞き込みのことは黙っていた。


「ここは施設が揃ってるよな。学舎とか診療所とかだけじゃなくて商業会館とか劇場とかもあるし。俺たちが住んでる城市よりも充実してる。人が集まって出て行かない要素がたくさんある。そう思ってさ」


 人の多さが豊かさを表す。昌の城市にはないものがここにはある。むしろ、昌のほうがやや遅れていると浙冶は感じた。

「でもさ、ここって何か儲かるようなものあったか? ここの特産品といやぁ、茶や芋類くらいじゃないか? 織物が発達しているわけでもないし、金属製品ならむしろ南の三府が産出量・加工共に群を抜いてるし」

「さあ、わたしにはそっちの方面のことは分からないわ」

「旅慣れた璃鈴でも見当がつかないのか」

 浙冶はそこで言葉を切り、何かをふと思い出したように視線を上へ向けた。


「どうしたの?」

「いや……そういえば、この地方でしか咲かない花ってなかったか?」

 長葉明にいるときに、誰かに聞いたような気がする。もしかすると、客同士のお喋りを小耳にはさんだだけかもしれない。しかし、ここではその話をまったく聞かなかった。なぜ今になって思い出したのか、自分でも不思議だった。

「さあ……」

「宿でだれかに聞けば分かるか」

 降参とばかりに溜息を吐き、璃鈴は返す。


「あるわよ。珍しい花がね。名前は知らないけど。でもその話、他人の前ではくれぐれもしないでちょうだい」

 念を押しながら璃鈴は視線を逸らした。浙冶は気にせず話を続ける。

「それが特産品じゃないのか? どんな花なんだ?」

 璃鈴は躊躇うかように間を置いてから、手短に答えた。

「特産品じゃないわ。売るようなものではないし。ただ……本当に珍しいだけなのよ。たくさんの花びらが重なり合う白い花でね、一本だけで咲いてるなら」

「一本だけで咲く?」

 奇妙な言い方に、浙冶は言葉を繰り返して訊ねた。


「一本でひとつの白い花が咲くのよね。それが二本集まると互いが紅色に、三本集まると橙色に、四本、五本と集まれば、黄色、薄緑に……って感じで色が変わる不思議な花なの。手折ってもしばらくは枯れない、そこも不思議なんだけど。でも、人の手で栽培できるものじゃなくて自生したものを探すしかないのよね」

「へぇ……こんなところにそんな花があるのか。世の中知らないことばかりだな」

と言いながら、浙冶は呟くように続けた。


「金持ち連中が欲しがりそうだな。それ、売ったら儲かるんじゃないか?」

 途端に、璃鈴が激しい声を上げた。

「ダメよ! 御禁制の花よ! そんなことしたら捕まるわ!」

璃鈴は声が大きすぎたとすぐに自分の手で自分の口を塞いだ。浙冶は璃鈴のそんな姿に驚く。と、璃鈴は素早く浙冶の手を取り、脇の小路へ引っ張って壁脇に押し付け、小声で低く脅すように念を押した。


「もう一度言うわ。御禁制の花なの。皇帝のためにだけある花。わたしたち庶民は触れることも目にすることもできないのよ。もう忘れて。そして口にしないで」

普段とは違う璃鈴の冷たい声と気迫に、浙冶は一瞬呑みこまれそうになる。が、すぐに我に返った。

「分かったよ。そんな事情なら手なんて出さないし。せっかくいろんな城市を見られるんなら、何か売れるものでもないか、ぐらいに考えてただけだ」

「考えるのもやめて」


 はいはいと、浙冶は璃鈴の鋭い視線をかわし、壁際から離れた。そうしてから今度はこちらが不審げに目を上げて、煽った。

「でもさぁ、そこまで知っていて……本当に名前を知らないのか?」


 璃鈴がしぶしぶ情報を与えたのは、おそらく浙冶に詮索をさせないためだ。知りたいことがあれば浙冶は分かるまで誰かに聞きまくる性分だと見抜いている。ならば、名前くらい教えてくれてもいいはずなのだが。


「忘れたのよ。そういうことってあるでしょ。でも、だからって他人に聞こうとしないで。疑われるようなことをしないで欲しいの」

「疑われるって、御禁制の花の名前を尋ねるくらいでか?」

 浙冶は首を傾げた。

「そうよ」


 璃鈴は見るからに苛立っている。そして、ひとつ大きく溜め息をつくと、念を押すようにゆっくりはっきりと言う。

「あなたはたいしたことではないと思うかもしれないけれど。別の人間からすると、とても重要なことなのよ。そして、他人からみればあなたと樊季さんは同じ『葉家の人間』なの。何も関係ないとは普通考えないでしょう」

疑われるとはそういうことかと浙冶は合点した。


「お願いだから、行動に注意して。巻き込まれたら何も知らない樊季さんがかわいそうだわ」

 ただの護衛にしては感情が入り過ぎている。しかし、浙冶はそこには触れなかった。


「分かってるさ。だってそれ、俺が最初にあんたに頼んだことだろ。『何かあったら樊季の命を優先に』って。じゃないと俺が親父に殺されるからな」

「そう……ならいいけど」

 璃鈴はまだ納得がいかないという表情をしていた。それを見て、浙冶は話を逸らそうとする。


「そういえば、あっちの方角に廟があったんだけどさ。あれ、誰を祀ってるんだ? ずいぶんと寂れてたんだが」

「廟? さあ……高殊が何か知ってるかもしれないわ。この近くの村の出身だから」

 そっけない態度で璃鈴が返す。まるで興味がないといわんばかりだ。

「あの軽そうなあんたの部下か? 仕事はまあ、ちゃんとしてるけど」

ずっと同行している背の高い、陽気な男を浙冶は思い出した。ところで、と今度は璃鈴のほうが話題を移す。

「あとで樊季さんの部屋に行っておしゃべりするつもりなのよ。何か言伝ある?」

「ない」


 言下に否定する。が、何かを思い出して懐を探る。

「ああ、そうだ。樊季のお守をするならこれでも持ってってくれ」

 浙冶は懐から布に包んだなつめを取り出して渡した。小さな青い実が五つある。茶屋でもらったものだ。


「あなたは?」

「俺はいらない。樊季にやるなら、俺からってのは黙っててくれ。どうせもらいもんだし。あいつはあんたのこと、『姉ができたみたい』だと喜んでいたからな。あとは頼んだ」

「それは光栄よね」


 そこで璃鈴はようやく表情を和らげた。本当に嬉しそうである。その様子を見て浙冶は肩を竦め、ふたりは宿へと入って行った。

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