第7話

「ねえ、あとどれくらいで着くの?」


 浙冶が書をめくるたびに樊季は聞いてくる。ちなみに浙冶は書を読むのがかなり速い。


「出発してからまだ一時も経ってないんだが。さっきみたく、大人しく地図か景色でも見てろよ」

「もう飽きちゃった」


 馬車から放り出したくなった。が、自制心を総動員してなんとか堪え、無視をすることで精神の均衡を保った。

 ここまで、平坦で広い道を順調に揺られてきている。荷馬車は屋根や幌のない庶民が使う一般のものである。


 風が当たって少々肌寒い。景色を楽しむにはちょうどいいはずだったが、周りは見渡す限り紅葉しかかった樹木ばかりだ。もう少し時が経てば辺り一面、黄と紅が見事な色の調和を為し、美しく映えるだろう。が、今は中途半端で単調な景色ばかりが続く。樊季の退屈そうな声も続く。


「さっきいろいろ教えてくれるって言ったじゃない。何でもいいから話をしてよ」

「お前が嫁にいったらなー」


 書を読みながらの気のない返答。樊季はむくれた。

 荷馬車は三台が列を為して進んでいる。この馬車はその真ん中を位置し、浙冶と樊季が乗っていた。


 そしてこの馬車には、ほかには高殊という青年が御者をしているだけだった。紹介されたとき、明るく話しやすい感じだったが、今は樹木の陰に盗賊がいないか警戒しながら手綱をとっているので、あまり話かけないほうが良さそうだ。他の馬車二台を 率いているのは、同じく璃鈴のところの鏢師ふたりである。


「ねえ、なんでこの道を選んだの? 広い道のほうがいいんじゃないのかしら」

 他愛もない話がまた浙冶に振られる。

「これでもまだ広いほうだ。ここ以外の道は隘路……狭い道しかないからな」


 諦めて書を閉じ、言葉を返した。樊季は退屈しのぎの会話をしたいだけのようだ。だからひとりごとを延々と続ける。無視をしても多分、続ける。うるさいと一喝してもおそらく続ける。

 浙冶は自分から折れることも必要だと悟った。しかし付き合ったが最後、樊季の話はあちこちによく飛ぶ。


「あっ、今、とても綺麗な鳥が飛んでいったわ。なんて種類の鳥かしら? ねえ、延令府ってどんなとこ? 何が特産品なの? 私、食材を手に入れて料理してみたいわ。あんたも協力してよね。ねえ、それはそうと東宜が女性に次々手を出すの、あんたからやめるように言ってもらえないかしら。うちの店の評判が下がるわ。……ああっ! そうだ! 大変っ! 子夜ねやの世話をだれかに頼んでくるの忘れちゃった! どうしよう!?」

「やかましい! 話題はひとつに絞れよ!」


 馬車の外を見て鳥を確認しようとし、延令府の特産は何だったかと思いだそうとし、東宜のことはほっといてやれよと言おうとした矢先に、「世話を頼むのを忘れた!」という金切声が耳をつんざいていった。

 ちなみに子夜とは、樊季が手懐けている野良猫のことである。忘れるくらいだからそんなに世話はしていないんじゃないかと浙冶は思う。


「あの猫なら近所で餌をもらいまくってるから気にすんな。ちなみに二軒隣では『茶呂』って呼ばれてたぞ。あと、東宜のことはほっとけ。あれで店の売り上げが伸びてるんだから」


 東宜が口説く女性はみな、通りを歩けば人が振り返るくらいの美女ばかりだった。そのうえ身のこなしも良く、華がある。そういう女性に東宜は店の新商品を贈る。

 それは簪や髪飾りであったり、白粉や紅などの化粧品、場合によっては服であったり。彼女たちがそれらを身に着け通りを歩くと、それを見た通行人の女性たちがこぞって同じものを買い求める。東宜の私生活も満たされ、一挙両得だ。


(こいつが店の商品を身に着けて歩いたほうが、映える気がするんだが……)


 東宜にそれを言ったら、「樊季は桁違いだから、逆に宣伝にならない」と苦笑された。見る者は、身に着けている商品ではなく、本人の美貌に目が行ってしまうということらしい。

 当の本人は、愛猫だと思っていたのが実はみんなで飼われていたという話を聞いて、しばらくうなだれていた。が、何を思いついたのか、さっきとはまったく違う話を始める。


「そういえば、あの男の子、最近見なくなったわね。ほら、親孝行な……清羽って名の」


 今度は長葉明に時々働きに来ていた少年の話題に飛んだ。まだ十にもならず顔に幼さが残る少年で、病気がちな母親と幼い弟妹たちのために朝から晩までよく働いていた。


「あいつか。この前挨拶にきたぞ。うちにはもう来ないだろうが。元気にやってるはずだ」

「あら、あんた、あの子がどうしてるのか、知ってるの?」

「まあな」と言ったっきり、話を続ける気がないのか、浙冶はそれ以上何も返さなかった。

 そこで一旦、会話が途切れた。樊季は慌てて、身振り手振りで会話を繋ごうとする。


「あ、えーっと、うん。ところで浙冶、城市に行ったら花嫁行列って見られるの?」

「はぁ? 花嫁行列?」

 突然、何の脈絡もない話を振られて、再び書に目を落としていた浙冶は顔を上げた。


「えーっと、ほら、うちの城市ではあまり見ないじゃない? 他の城市に行けば見られるのかなと思って」

「なんでそんなもん、見る必要があるんだ?」

「えっとね、参考に。お衣裳とか」

「花嫁は運ばれる最中は他人に見せないことになってるだろ。見られないもんなんかが参考になんかなるか」

 呆れ口調で言葉を吐くと、浙冶は再び書に目を向けた。


「あ、じゃ、じゃあ、お米はこれ、どれだけ載せてるの?」

 興味のあるなしに関わらず、繋くことのできる話なら何でもいいといった感じで樊季は質問を投げた。すると、旅に関する話題だったからか、浙冶は話に反応した。

「五石だな、今回は」


 持っていく米の量はあらかじめこちらで決めることができると浙冶は前に樊季に話した。要は、手に入れたい塩の量に相当する米の量を持っていけばいいのだ。今回は用意したのは荷馬車三台分だ。

 そして米を納入する量と期限については、前もって人口や農業を管轄する中央の戸部という部署に、昌令府の役所を通して申請する必要があった。その役所は長葉明のすぐ傍にある。浙冶が樊季に先日やらせて大喧嘩になったのはその手続きだ。

 関所を通行するための路引ろいんという通行証も手にいれ、準備は万端だった。ただし、通過する際にはもうひとつ準備しなければならないものがある。これは樊季には任せられない。浙冶はその用意もしていた。


 その旅の準備のことを思い返しながら何気なく返答をすると、樊季が驚き呆れたような顔している。

「ん? なんだ? 五石なんて全然多くないだろ?」

 むしろ、長葉明としてはかなり少ないと思う。食糧を運ぶ場合、ときには何人かの商人と共同で何十、何百石を運ぶこともあるのだ。長葉明なら自分のところだけで蔡頭領の鏢師たちを総動員してそのくらいの量を運ぶことくらい容易いことだ。それ以上だって運ぶことができる。


 が、今回は単独で行くうえに、旅をしたこともなく経験も浅い浙冶が仕切ることになった。さすがに、玄亥もいきなり大取引を任せるような博打を打たせるとは思えない。とはいえ、もう少し持って行くことはできたんじゃないかとか、それとも米以外の何かを用意すべきだったのかとか、思わず思案顔になる。が。


「なによ。あんたやっぱり、普通に会話できるんじゃないの。どうしていつもイライラしながら話すのよ」

 樊季は少しイラついて返した。が、「いけない。私ったら、浙冶みたいに態度が悪くなってるわ」とひとりごとを言ってコホンと咳払いをひとつし、姿勢を正す。

「じゃあ、お米一石に対してどれだけお塩と交換できるの?」

 普通の会話を続けようとした。が。


「お前がふたりと半人分よりちょっと多いくらいの重さ」

 微妙な換算方法に、樊季が動きを止めた。

「ちょっと! あんた、なんで私の身体の重さなんか分かるのよ!」

 身体の重さなど自分でも量ったことがない。どうやって知ったのか非常に怪しい。

「お前が半年前、しょうなんとかっていう顔がいいだけの役人にフラれて、庭の隅っこで不貞寝したことがあったろ? あのとき、親父に命令されてお前を寝台まで運んだの、俺」


 途端に樊季は顔を真っ赤にした。

「もう、ほんっと! やっぱりあんたなんか大っ嫌い!」

「事実を言ったまでだろ。何が悪いんだよ」


 浙冶は店に商品を毎日運んでいるので、それぞれなにがどれくらいの重さかはだいたい身体が記憶しているし目安も分かる。樊季は見たところ半年前と比べて太っても痩せてもいない。だからそれらの事実と照らし合わせて分かりやすく答えただけだ。

 が、怒られた。


 馬車が賑やかすぎるからか、馬に乗って辺りを警戒していた璃鈴が近寄ってきた。


「ねえ、あんまり騒がないでよ、おふたりさん。盗賊が声を聞きつけたら近寄ってくるかもしれないから」

「そうよね、ごめんなさい。気をつけるわ」

「護衛の都合で同じ荷馬車に乗るようにお願いしたけど。今からでも別のに替える?」

 璃鈴は浙冶から、お互いあまり仲が良くないと聞いていた。


「大丈夫よ。いらない気遣いをさせてごめんなさいね、璃鈴」

 樊季は璃鈴相手には素直でおとなしく返答をする。浙冶は身を乗り出し、璃鈴に顔を近づけてやや小声で言った。

「この辺りは多分なにも問題ないだろ。璃鈴、あんたと替わってくれ。こいつの相手をしてやってくれ」

 しかし当然のごとく、返答として首を横に振られる。

「だめよ。そんな仕事を放棄するような真似。なにもない、とか、大丈夫だろう、って考えが一番隙を突かれやすくて危ないのよ。依頼人の頼みでもお断りします」

ところで、と、からかうような声で璃鈴はひとこと付け加えた。

「本当にお互い嫌いなら、ひとところで話なんてできるかしら?」

「どういう意味だ?」

 別に、と璃鈴は意味ありげに笑い、馬車から離れて見回りに戻っていった。

 浙冶も諦めて座り直した、ちょうどそのとき。

 後ろの森でなにか光ったような気がした。


「樊季! 伏せろ!」

「えっ?」


 咄嗟にかけられた言葉に、樊季はわけが分からないという表情で固まった。浙冶は舌打ちして傍まで駆け寄ると、樊季の頭を押さえつけて身を伏せさせる。次の瞬間、馬車を目がけて幾本もの矢が飛んできた。一旦攻撃が止む。その隙に、米袋や木箱を周りに積み上げ、大声で怒鳴る。


「お前はここを動くなよ!」


 浙冶は馬車から飛び出すと、矢をかいくぐって後方まで走る。森から八人ほどの盗賊が出現した。が、進行方向の森からも五人出没し、つまりは挟み撃ちの様相を呈していた。弓矢を射っていた盗賊たちは、真っ先に気づいた璃鈴がたった今仕留めたらしい。

 馬車の周りに集まってきた盗賊を璃鈴たち鏢師四人が各々武器を手にし、相手をしている。そこに浙冶が加わった。


「浙冶さん! あなたは樊季さんの傍にいてあげて!」


 璃鈴が馬車に戻るように促したとき、浙冶は盗賊のひとりを素手で殴り飛ばしたところだった。続いて後ろから襲ってきた別の盗賊の攻撃をかわし、その背中に思いっきり蹴りを入れる。瞬く間に、ひとりでふたりを伸した。体格は小柄だが、浙冶は喧嘩が滅法強い。


 そうこうしているうちに片がつき、地面は倒れた盗賊たちで埋まった。浙冶は高殊たちと一緒に盗賊たちを縄で縛り上げていく。璃鈴は呆れた。


「浙冶さん、あなたがいればわたしたち要らないんじゃないかしら?」

 結局、浙冶ひとりで半数近く仕留めた。正統な武術ではなく自己流の喧嘩殺法、しかも素人に活躍され、さすがに璃鈴は鏢師としての自尊心が少し傷ついたようだ。

「冗談はやめてくれ。俺ひとりでこれらを全部、守れるわけないだろ」


 東宜にも同じことを言われ、同じ言葉を返した。浙冶は、「なんでそんなに簡単に言うかなー」とぶつぶつ文句を言っている。

 璃鈴からすれば、浙冶の言葉は裏を返せば、「ある程度なら守れる自信がある」という意味にとれる。鏢師の自分だってこの量をひとりで守るのは難しい。浙冶の言葉は謙遜ではなく自信だ。璃鈴は苦笑した。


「怪我はない?」

「ないよ。痛いのは嫌いだし」

「樊季さんは無事よね?」

「まあ、多分」


 戦っている最中、馬車に近づいた盗賊はいなかったし叫び声も聞こえなかった。浙冶も璃鈴も、樊季のほうは大丈夫だと目算をつけて動いていた。が、改めて言われると心配になってくる。


 浙冶は真ん中の馬車に駆け寄った。矢がたくさん突き刺さった米袋が目に入る。慌てて走りよると、すぐ傍で樊季が地図をガサガサと広げているところに出くわした。


「やっぱりこれ見ながら、延令府と康令府のことについて教えて。あんたいろいろ知ってるんでしょ?」


浙冶はひとつ溜息をついた。

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