第6話

 樊季が地図とにらめっこしている。その様子を見て浙冶がイライラしている。


「どうせ分からんだろ。早くそれを返せ」

 浙冶が取り上げようとすると、樊季は背を向けてそれをかわした。

「分からなくても分かるようになるまで繰り返し覚えるのが大事でしょ」

 一理ある。が。


「お前が覚えるまで待ってなんていたら、期限が過ぎても出発できんだろうが。頼むから、今ここで頑張ろうとするな、無駄だから」

「無駄かどうかはやってみなきゃ分からないじゃない!」

「やらんでも分かる。もうすぐ人数が揃うし、揃ったら出発だからな。さあ、それを早くこっちへ返して馬車に乗ってくれ。乗らんなら置いてくぞ」

 浙冶が邪険に扱うので樊季も強気で返す。


「じゃあ教えなさいよ。教えてくれないなら、あんたにこれは渡さない」

「道中教えてやるから。さっさとそれ、寄越せ!」


 出発の日の早朝のこと。城市の門の前でふたりは揉めていた。朝から城市に入る者、出かけていく者。さすがに商業が盛んな城市だけあって、門を出入りする人々や品物は凄まじく数が多い。


 行き交う人々はふたりの傍を興味がないかのように通り過ぎていった。が、この場所は突っ立っていられるととても迷惑。それが証拠に、ときどきふたりは道行く者にぶつかられた。浙冶はすんでことで回避したが、樊季はまともに当てられよろめく。

 それを浙冶は舌打ちしながら支えてやった。


 残念ながら、浙冶が希望した『樊季のお守役を別に雇うこと』は玄亥に却下された。この旅は浙冶がお守役も務めるしかない。

 樊季は今回の旅に対しての父親の意図を知ると感動し、張り切って首を突っ込んでくるようになった。それが浙冶には非常に邪魔だった。


 樊季をかわしたり撒いたりし、その後に隠れて準備をするという、倍以上の労力を費やして事を進めた。が、唯一、役所への届け出だけは樊季がおこなった。というより、浙冶が無理やり連れて行って命令口調で指示し、手続きをやらせたのだ。大喧嘩になり、役所を追い出されたことは言うまでもない。


 もう出発する頃合いである。


「ねえ、ところで父さま、どうして見送りに来ないのかしら? かわいい娘が初めての旅に出るっていうのに」

すると、あぁ、と浙冶が興味なさそうにさらりと樊季の疑問に答えた。

「親父、来たがってたけどなー……俺が絶対来るなって断った」

「なんでよ!」

「親父が来ると使用人連中も店の者も来るだろ。んで、そうするとお祭り騒ぎみたくなっちまうからな。ここでそんな大仰なことされるの、恥ずかしいし」

「勝手なことしないでよ! 父さまだけ来るようにお願いすればいいじゃない!」

「それだとなかなか出発できんだろ。お前と親父で長々と別れの挨拶を交わしまくるだろうし。そんなに娘を溺愛してんなら、首に縄つけて自分の傍にずっとおいとけよな、まったく」


 浙冶はひとりごとを、むしろ特定の誰かに聞こえるように言い放った。それに対して樊季が抗議の声をあげようとする。が、こちらへ歩いてくる人影が見えたので大声を上げるのはやめ、小突くにとどめた。

 浙冶は素知らぬ顔のまま、軽武装をしたふたり組に手を挙げて挨拶をする。今回、護衛を頼んだ鏢師たちだった。


「あんたとは一度会ったな、璃鈴。長葉明の浙冶だ。こいつは樊季。ふたりともよろしく頼む。ほら、乗れ、樊季」

 浙冶が雑に荷馬車へ押し込もうとしたので、樊季は慌てて同行者たちに頭を下げた。

「葉樊季です。今回の旅はお世話になります。よろしくお願いいたします」

浙冶たちは依頼主だが、本来双方とも商売上対等な立場なので、年下の浙冶たちから自己紹介をした。すると、凛とした美女が前へ進み出て樊季に挨拶を返す。

「わたしは菖璃鈴しょうりりんよ。菖鏢戸しょうひょうこの長です。璃鈴と呼んでちょうだい。こちらこそよろしくね」


 下手な遠慮やおもねるような雰囲気がなく、若くして鏢師をまとめる立場になったという自信が漲っているのを感じる。浙冶たちとは五つほどしか離れていないだろう。長葉明が仕入れ旅や商い旅をするときに何度か護衛を依頼したこともあるという。

 樊季はほうっと感嘆の息をついた。


「綺麗ね。それにかっこいいわね」

樊季が言うと半分嫌味に聞こえるんじゃないかと浙冶は内心思ったが、当の璃鈴は「ありがとう」と微笑みながら返した。


 仲間の鏢師は梁高殊りょうこうしゅという青年だった。璃鈴より少し年下で、挨拶の限りでは明るく気のいい兄さんという感じだ。ふたりとも長槍を手にしている。璃鈴は弓を背負っていた。


「これで全員か?」

「あとふたり来るのよ。御者の役割をしてもらわなきゃ」

「そうか。ところで、あんたのとこは旗を立てないのか?」


 護衛の際、仕事仲間が商旅に行く際、鏢師たちが自分の所属を示す旗を掲げているのを浙冶は覚えていた。すると、槍を荷馬車に備え付けていた璃鈴が苦笑する。


「立てるわよ、蔡鏢頭のとこの旗を。うちの後ろ盾ですもの。実をいえば、うちの菖鏢戸ってわたしと高殊だけなの。今回の荷はふたりでは手が回らないから、あとからくるふたりは蔡鏢局から派遣してもらうのよ。でも、任せて。旗の威光に恃むことなく、仕事は最後まできっちりやり遂げますから」

 最後の言葉は力強く言い放った。


 旗を揚げるのは、鏢師として自分が所属する組織に対しての誇りを示し、外部の敵に対する威嚇の意味を持ちあわせるからである。しかし、璃鈴は自分のところの旗ではなく、長葉明がいつも護衛を依頼する蔡頭領のところの旗を掲げるという。いろいろ事情があるらしい。

 御者役を務めるふたりが来て人数が揃うと、今度こそいよいよ出発となった。浙冶は樊季にもう一度しつこく念を押しまくる。


「いいか。お前は道中、絶対に余計なことをするなよ、言うなよ。じゃないと、俺はお前を置きざりにしない自信がない」

「私、余計なことなんて全然してないじゃない。正しいと思ったことはやり遂げろと父さまが」

「そのお前の正しいと思ったことこそが、ことごとく余計なことだって、いい加減気づいてくれ。俺だって、何度も、何度も、何度も、何度も、お前を怒りたくないからな」


 東宜の言う通り、樊季は気遣いができる素直な優しい娘である。それは浙冶も認める。ただ、だからといって、その性質が必ずしも物事の役に立つとは限らない。

「頼むから何もするな。何も言うな。道中、飯だけ食ってあとは寝てろ。親父からは外の世界を見に行けと言われただけだろ。お前に何かを期待するなんてありえないから」


 言いたいことだけ言いまくると、樊季が何かを言おうとする前にさっさと荷馬車に乗り込んだ。


そして馬車は一行を乗せて出発した。

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