第5話

「なぁ、なんであいつも連れてかなきゃいけないんだと思う?」


 この家の一番奥まった物置のような一室。樊季の部屋を出てからまっすぐに浙冶はここへ来た。中央に置かれた卓の上に両腕を前に広げてダレている。話相手の言葉を待たずに愚痴は続く。


「だいたい親父はあいつを贔屓目に見過ぎる。そりゃあ、実の娘なんだからどんだけ贔屓しようと一向に構わないんだけどな。あいつの実力に見合わないことまでやらせようとするの、本っ当に勘弁してくれよー……あいつの尻拭いするの、結局は俺なんだからさー」

 相手は作業の手を止めて、苦笑しながら言葉を返した。


「尻拭いさせられるってまだ決まったわけじゃないって。樊季は君の前ではああだけど、他人に対して気遣いのできる素直ないだよ。商いにはあまり興味がないようだけど、連れて行ったら案外役に立つかもしれない」

「役に立つって確証が何もない、ほぼ『だったらいいな』的な発言だな、親父も言ってたけど」


 今度は卓に突っ伏してごね始めた。そして、急に思い出したように顔を上げて少し早口で話し出した。


「そういえば東宜、お前もさ、なんか別の仕入れで出かけるらしいな。樊季はお前とは仲がいいだろ。お前が連れてったほうが数千倍もマシじゃないか? いや、一度も仕入れ旅をしたことがない俺と行くよりも数万倍もマシだろ?」


 東宜と呼ばれた相手は、浙冶の切実な頼みに優雅な笑みを浮かべて一蹴した。

「あ、それはムリ。今回は旦那にわざわざ頼んで僕ひとりで行くことにしたから。それに、樊季を連れて行かなきゃ、君ひとりでは役所関係は通らないだろ」

「じゃあ、お前の商用、俺のと替わってくれ」

「僕が一生懸命考えた案、横取りする気? それって旦那が許すと思う?」


 浙冶は玄亥のこと「親父」と呼ぶが、東宜は「旦那」と呼ぶ。

 東宜は浙冶より少し年上だが、どこへ行っても娘たちが振り返る、背が高い美青年だ。頭も良いし所作も優雅だ。特に女性には誰にでも関係なく優しく接するので、年齢層に関係なく幅広く好意を寄せられる。

 浙冶とは喧嘩ばかりでも、東宜となら樊季も素直に従うだろうと思ったのだが、その望みはあっさりと打ち砕かれた。


「なんでだよ。ひとりでも、中途半端なやつをもうひとりつけても、お前なら軽くあしらえるし旅程に影響しないだろ? こっちは、役所関係を通過できるならべつに、俺以外のやつなら誰でもいいわけだし」

「君、長葉明の人間とは誰とも馬が合わないよね」

「樊季よりはマシ」

「それでも旦那の命令だろう? どうしてもっていうなら、そうだな、君が旦那を説得できたら樊季を連れてくよ」

 浙冶は再び卓に突っ伏した。完全敗北だった。


「あいつ、連れて行きたくねー連れてく意味が分かんねー」

「樊季を商旅に連れていくのは、経験を積ませるためなんだろうね。樊季は自分のことは自分でできるけど、なんていうか、素直すぎるっていうか裏を読まないっていうか……大貴族の総領息子に嫁ぐのにこのままではあまりにも無防備だからさ」

「それ、なんっっっども聞いたけどな、俺は納得いかねー。そんな、他人には常時注意しろ的な発想を持たせる方法なんて、他にいっっっくらでもあるだろうが」


 樊季は、良くいえば、人のいい面だけを見て疑うことをしない。が、それはかえって騙されやすいとも言える。今までは生活範囲が狭いために被害はあまりなかったが、嫁ぎ先を考えるとさすがにこんな能天気ではやっていけない。だからてっとり早く、旅をさせて様々な人の考えに触れれば少しは物事が分かるようになるのではないかという、嫁入り前の娘に対する玄亥の親心だった。が。


「……なあ、つまり俺、あいつの花嫁修業に付き合わされるわけ?」

「う、うーん……まあ、そういうふうに言えないこともないか、な?」

「あーますます行きたくねー……」

 浙冶は頭を抱える。東宜は、もう放っておこうとばかりに棚に向き直って作業を再開した。


 東宜が相手をしてくれなくなったので、浙冶はそのまま卓に突っ伏していた。そのうち目を上げてその様子をしばらく眺め、おもむろに尋ねた。

「なあ、お前、さっきから何してんの?」

「何って、旅の準備」

 東宜は紙に書いたものを探している。この部屋はそのためのあらゆるものが置いてある部屋なのだから、聞くまでもないはずだ。

「いや、それは分かるけど。何を仕入れるんだ?」

「主にお茶かな」


 普通の品だ。玄亥に提案するまでもない。昔は塩と同じように国が管理していたこともあるが今は違う。それでもわざわざ出かけるというなら新しい品種を見つけたということか。そう思って浙冶が次の言葉を繋ごうとすると、今度は東宜が質問をしてきた。


「ところで、君のほうはもう準備は済んだの? 盗賊役人の対処法は考えた?」

盗賊役人、という言葉を強調した。なんのことはない、下っ端役人のことである。しかし、これが一番厄介だった。

「んー、そこなんだがな。護衛は親父やお前が言ってるいつものとこに頼めば問題ないだろけど」

 腕組みをしながら浙冶は歯切れ悪く返した。東宜はふと何かを思い出したように浙冶のほうを振り向く。


「あ、そういえば、蔡鏢頭さいひょうとうのとこならしばらくは無理かもしれない。僕はもう頼んだけど、うちの者もすでに何人か頼んでるから手一杯らしい」

「本当か? 他に良さそうなところってないか?」

「昔、蔡鏢頭のとこにいた人が独立してやってるとこがあるよ。小さいけど信頼できる。うちも時々頼むしね。鏢頭としても、そこに依頼してくれたほうが都合がいいと思う」

「都合?」

「よくは知らないけど、同業者同士のしがらみみたいなのがあるらしい」


 通常、商人が品を輸送するときには鏢師に同行を依頼する。彼らは依頼主と荷を目的地まで護衛し、万が一荷が盗賊に奪われたら保証をする義務を持つ。信用と誇りが非常に大事な商いだが、それは依頼者に対してだけでなく同業者に対しても同じであった。縄張りや上下関係、横の繋がりといった義理を大切にしなければやっていけない社会だ。

 そういった内々のことは置いておいても、とりあえず、彼らに任せれば荷物の輸送に関しては心配ないはずだ。が。


「しっかし、盗賊役人、な。あいつら本当に賊のようにたかるらしいからな。お前は遭ったことあるのか?」

「僕は運良く、ないね。噂ではよく聞くけど。気を付けて、というしかないかな」

「そうか。まあ、いずれにしろ、用意するもんはしてくけどな」


 商人の間でもっぱらの噂になっている盗賊役人。役人ではあるが、関所で難癖をつけて商品を没収したりする、商人の天敵である役人。しかし、その難癖が一応理に適っているので、役所に訴えても『先日決定した法による妥当な処理』などとして退けられ、改善された例がない。

 常に商人だけが狙われ、農民や手工業者といった他の庶民には一切の被害がないため、訴えそのものの母体数が少ない。しかも、この襄国自体が商人を他の平民よりも軽んじる傾向にあるため、上の役人たちも放っておきやすかった。護衛をする鏢師としても、役人が相手なので処理できる問題ではない。まさに自衛しかないが、噂によると、ある程度の地位の役人と取引のある商人は襲われたことがないともいう。しかし、真相は分からない。


「護衛をお願いしてもどのみち盗賊役人に襲われたら終わりってことだったら、鏢師に頼む必要もないかもね。君、喧嘩は滅法強いだろ。普通の泥棒や盗賊だったら充分追い払えるんじゃないかな」

途端に浙冶は嫌そうな顔をする。

「冗談はよせよな。俺ひとりで大量の荷物と同行するやつらを全部守れるわけないだろ」

「同行するやつらって、君と樊季の他にも誰か行くの?」

「いや、単なる希望。親父にあいつのお守役を誰かつけてくれないか頼んでみるつもり」

「それって通ると思う?」

「……まったく思わん」

そこでふと、思い出す。

「そういえば、お前の今度の行き先、どこなんだ?」


 東宜が準備をしている様子を見て、浙冶は行き先の見当をつけていた。今の昌令府は涼しくて非常に過ごしやすい秋半ば。南へ行くなら服装をやや薄いものにするだけで充分だ。しかし、ここより北にいくなら服装を厚手のものにするだけでなく、身体を温める器具もあったほうがいい。東宜は湯たんぽを荷物に加えていた。


「延令府だよ。康令府にも寄るかな」

 予想通りの答えが返され、浙冶は姿勢を正してさらに質問を重ねた。

「じゃあ、俺と方向は同じか?」


 東宜は浙冶と違って仕入れ旅には慣れている。この塩の案件は茶の仕入れがなければ任されていたのは東宜のはずだ。それが経験のない浙冶に任せてまで、この時期に行かなければならないという。


「いや、君は延令を通過して北へ行くそうだけど、僕は違うよ。今のところだいたいのことは決まっているけど、取引の時と場所はまだ考えてる最中なんだ。あと数日のうちで決まると思う」

「もしお前の旅程に合うなら、ちょっと手伝ってくれないか?」

「君の頼みって僕にできること?」

「お前じゃなきゃできないこと」


 東宜は、今度は人懐っこい笑みを見せた。


「へえ、そう? いいよ、僕で役に立つなら。僕のほうが先に終わるはずだから、もし途中で合流する必要があるなら、あらかじめ日にちのすり合わせをしておけばいいし」

「そうか、それなら」

と言った後、浙冶は視線を遠くにやりながら、日数と旅程を頭の中でもう一度確認した。狙われるとしてもおそらく、米を積んだ行きではない。荷を塩に交換した帰りのほうが危ない。塩取引はつい先ほど玄亥に命じられたばかりだが、浙冶はいろんな情報と知識を常に頭に入れている。迷うことなく旅程を組み、必要なものも計算する。

 だから玄亥も、初めてとはいえこのような大仕事を任せたのだろう。


 日程の確認を頭の中で終えて浙冶が簡単に用件を説明すると、東宜は一瞬、迷いの色を見せた。

「うーん……まあ、日程的にできなくはない、けど」

「手間がかかるのが難だが、お前なら容易いだろ? これなら塩が無事に運べると思うし」

 東宜はしばし考え、ようやく了解の意を示した。

「分かったよ。塩を無事に運ぶためなら仕方ないな。だけど、高くつくよ」

返答を聞いて、浙冶は少し意外そうな顔をした。東宜が何かをねだるなんて珍しい。

「奢れってか? 俺がお前にやれるものなんてほとんどないと思うがな。まあ、俺がやれるものなら何だってやるよ」

「いや、物を貰いたいんじゃなくてさ、身体で返してもらうほうがありがたいかな」

「ああ、労働には労働で返せってか。まあ、俺にできることなら別に構わんが」


 こちらも気軽に了承の意を返した。が、浙冶はこの一言を後々後悔する羽目になるとは、このときは露ほども思わなかった。


***


 散々文句を並べるだけ並べて、浙冶はようやく部屋から出ていった。しばらくして、東宜も部屋を出る。出る際に、戸のところで左右を確認した。


 葉の家を出てしばらく城市の大通りを歩き、突き当りが左折になったところで今度は後ろを自然な感じで確認し、右折して小路に入った。しばらく行くと古びたお堂がある。そこには外套を羽織った先客がすでにいた。


「やあ、待たせてすまないな。なかなか抜け出せなくてさ」


 東宜は手を挙げながら軽く頭を下げて謝意を表した。相手は深々と一礼をすると、無言で文を渡した。東宜はそれを読むと溜息をついた。


「あー……やっぱり噂通りか。この状況、考えたくないよね」


 旅に出る前にどうしても確かめておきたいことがあった。裏を取るために数日前に文を出したのだが、その答えが今日返ってきた。予想通り最悪な答えだ。


「これについては要相談かな」


 文を折りたたんで懐にしまい、また手を挙げると、相手はもう一度度深々とお辞儀をしてどこかへ走り去ってしまった。

 浙冶だけではなく、こちらも難問を抱えている。いや、今、難問を抱えていることがはっきり分かったといっていい。


「浙冶もよりによってこんな時に、面倒なことを頼んできたなぁ。まあ、こっちもあいつに手伝わせる口実ができたか」


 東宜はそう呟くと、その場を後にした。

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